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ぱあと42 眠れる車の眼鏡っ子

 和谷の下宿先の和菓子屋、『夕凪ゆうなぎ』前。

 夜半の今は、店の暖簾のれんが外されてシャッターが下りていた。

 店脇の駐車場に車を停める。サイドブレーキが引かれて車が完全に停車するなり、おふくろは俺も外に出るよううながした。

「重ちゃんも来なさい。まず私から説明するけど、当事者が顔見せないとね」

 上着を羽織って出た運転手(おふくろ)に続き、助手席を降りる。

 『当事者』――聞いた単語を咀嚼そしゃくするのに時間がかかった。

 そう、俺は具合の悪いか急性を無理矢理連れまわした人物(犯人)なのだ。

 おふくろは深い理由を聞かずにここまで奔走ほんそうしてくれたが、和谷の保護者は事情が違う。

 昨日、磯辺の提案で突撃訪問をやらかして、この下級生は俺のことをどんな説明をしたのか。連れまわした俺がどんな印象をもたれているのか。……評価はして知るべし、というやつだ。

 店の裏側に回り、家の門であるくぐり戸の前に立つ。

 心なしか瓦と木目がどーんとそびえ立っているような気がした。

 ピーンポーンと昔ながらの音が響く。ややあって、「はい、どちらさまでしょう?」と上品な声が聞こえた。孫と同じ学校の子だからと言って、俺に昨日えび煎餅をくれたおばさんだ。

「夜分申し訳ありません。私、いつもここで買い求めている市原ちとせと申します。実は私の息子が今日そちらのお嬢さんと一緒にいたようで……もう遅くなりましたので、車でお送りしに来たのですが」

 おふくろは仕事の外交モードよろしく、つとめて丁寧に話した。

 まあ、とか、そうでしたか、なんていう相槌あいづちが聞こえてくる。

 元々おっとりしているのか、上品なたたずまいがそうさせるのか、外まで出てきたおばさんは、驚いている素振りを見せなかった。買いに来てるというおふくろの顔も、昨日訪ねてきた俺の顔も覚えていて、「孫を送ってきてくれてありがとう」とまで言われた。

「携帯を鳴らしても出ないから、どうしたのかと思っていたの。きっとマナーモードにしていたんですね」

 しわを見せて笑う。その姿は、良家のお嬢様が緩やかに年を取っていった、というような印象を受けた。

 おふくろに言われ、車の後部座席のドアを開ける。左横からおばさんが中の人間に声を掛けた。

「あらまあ、眠っちゃって。ほら、起きなさいな」

 車のドアにもたれかかって後部座席をうかがうと、もぞもぞ動く物体があった。

 おばさんがとんとんと肩を叩く。乗車中、外灯が眩しかったのか終始うつぶせになっていた和谷だったが、やはり同じ体勢はきつかったのか、体をころんと反転させて仰向けになる。おばさんの声に反応し、微かに洩らした。

「う……ん……」

「立てるかしら? 熱は……ないみたいだけれど」

 おばさんが和谷の額に手を当てる。熱はもうない、と聞いて、右横のおふくろもほっとしていたようだった。

 俺もとりあえず胸をなで下ろした。……試験終了十分前に早退した人間を振り回したと知れたら、この人のよいおばさんも 血相を変えることになるのだろうか、と一抹いちまつの不安も過ぎったが。

「先生から早退の連絡があったのに、なかなか帰ってこないから心配していたのよ。来たメールも短文だったし」

 ……もう知られてた! つーか和谷いつの間に送信してた!?

「え、早退?」

 横のおふくろが聞き逃すはずなく、きょとんとする。はっ、まずい、早退した女子を連れまわしたと知られたら「重ちゃん?? 『具合悪いの気付けなかった』って聞いたけど……早退してたなら気付けるはずよね?? ……これは一体どういうことか、私に洗いざらい端から端まで教えてくれるかしら??」なんて疑問符二つ付けられて問い詰められることにっ! 

 冷戦以上の極寒地獄は必至。どうする俺!?

「んぅ……待って、あと五分だけ……」

 そんな俺の窮地きゅうちを救ったのは、むにゃむにゃ呟く声だった。

「………」

 場にいる全員が会話を止めて注視する。

 車内には幸せそうに眠るお嬢さんがいた。

 心なしか頬をほんのりピンク色に染めている、あどけない表情のお嬢さんがいた。

「あと五分でいいから…… ねむいの……」

 なんか珍しいものを聞いてしまっているような。

 珍しいを通り越して、聞いてはいけないものを しかと耳に入れてしまったような。

「まあまあ、この子ったら寝ぼけちゃって。ごめんなさいね、疲れて寝ると次の日なかなか起きないんですよ、この子」

 ウフフと笑うおばさん。

「…ちょっ……」

 ……なんだっ、この 人の秘密ポエムを黙読してしまったようなこそばゆい感覚はっっ!

 イメージからかけ離れた 微笑ましい女子寝言を聞いて、凍結フリーズしそうになった。 

 「こちらが連れまわしたせいですわ。……ほらっ、重ちゃんも何ぼんやりしてるの、謝りなさい」

 おふくろにとんと軽く小突かれ、現実に引き戻る。そうだった、俺がまず謝らないといけないんだった。

 おばさんに向き合おうとしたところで、先に話されてしまう。

「いえいえ、謝らなくていいんですよ。孫の顔を見てれば無理矢理じゃないって分かるもの。それに、一昨日はお店に来てくれたでしょう? 後で部活の先輩だって聞きましたよ」

「……いや、俺は助っ人というかなんというか」

 和谷は突撃訪問した俺と磯辺をまとめて部活の人間と話していたようだが、俺は完全なる部外者だ。

 しいて言えば、マキシ先輩に協力を頼まれていることぐらいしか、演劇部と接点がない。

 なんと答えればいいのか迷ったが、口裏を合わせておくに越したことはないので、濁しておいた。

「市原くん」

 改まって呼ばれた。温和な女性教頭を彷彿ほうふつさせる声音だ。

「もしよければ――この子のこと、あまり無茶しないように見ててくれないかしら」

 いつも穏やかなおばさんが、その時だけ 和谷を苦笑いしながら見下ろしていた。

「部活で何かあったのは知っています。……盗み聞きじゃないけれど、電話で誰かに相談していたから。今日はあなたに帰りたくないと駄々をこねていたんでしょう? 付き合わせて申し訳なかったわ」

「それは……」

 駄々をこねる和谷。想像してはいけない光景なにかである。

 何か思い違いをされているような気がして口を挟んだが、おばさんのほうが早かった。

「この子は頑固な上に気負いすぎてしまうから心配で。受験の時も、息子夫婦についていかないで 残るなんて急に言い出すんですもの。……やっぱり私の家(ここ)は、自分の家じゃないと思っているのかしらね。この子が演劇部に入ったのも、私は最近まで知らされていなかったから」

「……でも、入ったのはこいつです」

 おばさんの言い分がしっくりこなかった俺は、間髪入れずにねていた。

 引っかかる部分があった。

 和谷の立場だったら俺に聞かれたくないだろう箇所かしょを、はからずも聞いてしまったからなのか。

 信頼されていないと ほんの少し落胆した部分を聞いてしまったからなのか。

 それとも、別の情報を聞いてしまったからなのか。自分でも分からなかった。

 こちらを見て目をパチパチさせているおばさんに、俺はこれ以上違和感を持たれる前に言う。

「和谷は、和谷なりに頑張ってる。頑張ってる奴に、無茶だからやめろなんて俺は言えません」

 眠る和谷に目線がいく。

 すぅ、と息を吸い、ふぅ、と静かに吐く。そんな穏やかな呼吸音が車内にこだまする。

「信じてやれませんか、こいつのこと」

 今日一日で俺はこいつがどんな奴か、少し知ることができた。

 大人しい外見に反して毒舌、皮肉屋。変な敬語中坊につきまとわれても動じない、肝がわった奴。

 その実、コーヒーにむせる俺を気遣えたり、菓子折りにツッコめば慌てふためいたり、はたまた誤解を解こうとして行動が空回りする、損な奴。

 あんな笑顔で店を手伝っていたのに、ここを「自分の家じゃない」などと思っているはずがない。

 むしろ、和谷が自分の居場所だと思っていないのは。

 主役を抜擢ばってきされたことで立場が揺らいで、それでも菓子折り持って話そうとしていた、一悶着ひともんちゃくありそうなあの部活で――

「……って、何エラそうなクチきいてんだ俺はぁぁっ! そっ、それより昨日のせんべいマジ嬉し~って俺の知り合いの不法侵入気味ゴスロリ主義者が……」

 人間、テンパると支離滅裂な文章が飛び出てくるということがよく分かった。

 『こいつ』とかって人様の孫を平気で呼んじまったあ! 連れ回した張本人がよく言うよって感じじゃねーの!? と、俺は心臓バクバクである。

「市原くん」

「はっハイぃ!?」

「有難う。あなたのような先輩がいたなら、孫もきっと大丈夫でしょうから」

 恐る恐る見てみると、いつもの柔和な笑みに戻っていたおばさんは、そんな風に答えた。

「この子の話、また電話でも聞いてあげてやってくださいね」



 その後、おばさんは強攻策で和谷を起こしにかかった。

 まだ頭がぽーっとしているらしい和谷は、おばさんの肩にもたれてふらふらしていた。

 重ちゃんも手伝いなさい、というおふくろに押されて、和谷を反対側で支えようとすると、中で主人が待っているから大丈夫ですよ、とやんわり断られた。くぐり戸の奥をのぞくと、新しい影が玄関を出てくるのが見えた。きっと和菓子屋の主人、和谷のじいさんなんだろう。

 ちなみに、おふくろは和谷の私物と何やら白い紙袋と、ちゃっかり名刺を渡していた。白い紙袋は、和谷が部員と話し合おうとして持っていった菓子折り(というか煎餅詰め合わせ)とは別らしい。

 ひとまず無事に和谷を引き渡した俺とおふくろは、車に乗り込んで安堵あんどのため息をついた。

「これで一件落着ね。やるじゃない、重ちゃんてば。いつの間に電話して相談される仲だったの?」

 やはり気になる部分は聞き逃していなかった。

「それは俺じゃねぇよ。おばさんは勘違いしたんだろ」

 そう答えて、じゃあ相談する相手って、誰だよ? と疑問が沸く。

 クラスメイトか、中学時代の友人か? それとも、織枝さんかマキシ先輩か。

 おふくろがサイドブレーキを下げる。俺もシートベルトを着けつつ、ふと気になったことを聞いてみた。

「おふくろこそ、さっき渡した紙袋ってなんだったんだよ」

「ああ、あれ? コンビニで大吟醸だいぎんじょうを買ってきたのよ。近頃のコンビニは贈答品も揃ってるんだから、便利よねー」

「……、そういえばコンビニ行ってたな」

 車が途中でコンビニに立ち寄っていたのを思い出した。トリップしかけた俺に、おふくろがペットボトルを差し出してきた、あの時だ。お詫び用として贈答日本酒をコンビニで入手するとは、相変わらず行動に隙がない。

「でも助かったよ、おふくろ。ホント俺 テスト終わってから死ぬっつーくらい走り回ってて……」

 前に伸びをして首をコキコキ鳴らす。本当に、テストが終わってから脱走・奔走・また疾走していて、一日の運動量が半端ない。風呂に入ってとっとと寝たい気分だった。

「……それはそうと、重ちゃん?」

 と、そこでおふくろが付け足した。疲れて目を閉じていた俺は、破れかぶれに返事する。

「なんだよ」

「出張から帰ってきたら、……ないんだけど?」

「ああ、カナダ行ってたんだっけか? お疲れさん。 で、何向こうに忘れたんだよ」

「なにも忘れてないわ。でも、家になかったの」

「宝石でも荒らされたかあ? そんな大したもんウチにはないだろ、家宝とか秘蔵とか―― ……、」

 さーてここで問題です。

 俺が一昨日、あの不法侵入ゴスロリッ子に注意したこととは何でしょう?

 ヒント1.「ほっかへりぃ~~ ねぇカサネぇ、このおせんべ しけってるよ~」

 ヒント2.「あ、これ妹さんがボクにどうぞって」

 ヒント3.「だああっこれおふくろの秘蔵醤油(しょうゆ)ぬれせんじゃねぇか! なああにヒトんちのベッドで優雅に暢気のんきに我が物顔でせんべいほおばってんだオマエは!! 俺のせいにされるだろーがよっっ詫びろ! 即座に詫びてこいっ」

 正解は~~~~♪

「……………」

「……………」

 あまりに冷えた空気が流れたため、そのまま永眠したかったほどだ。

 シリアスになっていても 最後が決まらないのは、俺の宿命らしい。

「…重ちゃん?」

「なんでせうか」

「言い分は向こうで聞くわね??」

「………はい。」


 <ぱあとふぉおてぃつう 終了>

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