ぱあと40 暴走車両は止まらない、ていうか止まってくれない
今まで俺は、夢を『夢』だと思って見たことがない。
どんなに不条理な展開でも、あるがままに受け入れる。
フィルムの断片的に場面が移り変わっても、突然登場人物がいなくなっても、そんなものだと享受する。
夢の物語の主人公として、俺の意図しない筋書き通りに事が進むのをただ見ている。
それが、今見ている夢は変だった。
夢は自分の体験・既知から形成されるというが、それにしても妙だった。
俺は誰かと話をしている。だが、周囲の情景は水で滲んだかのようにぼやけていて、はっきりしない。
おまけに話している相手も 乱れた映像のように線が入って、定まらない。
『解ってるんです。新入生が先生に言ったって、どうしようもないって』
『解ってるよ。おれが変化を受け入れられないだけだって』
いつかの記憶が、いつかの追想と混じりあう。
随分と物分りのいい奴らだった。
皮肉とも取れる発言は、まず自分に言い聞かせていたのかも知れない。
『みんななにも知らないくせに。私にはなにもないのに』
『真意なんて他の誰も知らなくていい。おれは何も要らない』
なにも知らない。誰も知らなくていい。なにもない。何も要らない。
正反対のように思えるが、根本では こいつらは似たことを言っていた。
共通点は――頑固。曲げない。それゆえに、別意見の拒絶。言うなれば、すべてのものからの突き放し。
「お前、もしかして、もう帰ってこないつもりなのか」
ひとりに訊ねる。返ってきたのは、微かな笑みと、明確な答え。
『だって、ここは重がいるから平気だろ。おれはおれの今の場所に戻る、それだけだよ』
予感がした。こいつはもう帰ってこようとしない。帰ろうとする意思がない。
その笑い方が、高みの見物でもするようで、諦観しきったようでもいて、寂しそうでもいて。
――癪に障った。
「評価と価値は違うからな。なにもないなんて 自分が卑屈になって決めてどうするよ」
だから、もうひとりに説いた。返ってきたのは、振り下ろされる右手の風圧。
とっさに動きを止めたはいいが、そいつと俺とで膠着状態になった。
相手は図星だったのか、余計なことをほざくなという意味合いだったのか。
「だから、価値を自分で決めればいいだろ」
苛立った声が、自分でも知らないうちに出ていた。
そうだ。
和谷の平手打ちを止めた時、俺がムカついたのは。
知らず、『あの時』の弟の返答を思い出してしまったのは。
弟に焚き付けてやりたいことが、そのまま和谷に出ていたからだ。
なにもないなんて卑屈になるな。自分の価値なんていつでも見つけられる。
なぁ、澄。お前にとっての『場所』って、『此処』じゃなかったってことなのかよ?
「……重ちゃん? もうちょっとで駅着くわよー」
ゆさゆさゆさ。肩全体が揺らされている。
「うう……スピードが……違反が…民間委託が…罰金が……」
唸る車(比喩)に乗って唸る俺。ちらつくのは追われた時のシミュレーション。
「重ちゃーん? 起きてるー?」
「すいません母はイタコでたまに音速の貴公子が憑い……ハイ赤い皇帝も将来は……」
「起きないと耳元で嘆息交じりに復唱しちゃうわよぉー? 『誤解解こうとして空回ってんじゃ意味ねぇっての。ホント面白い奴だよ、おたく』」
「……やっぱ見られてたーーッッ!!」
教訓:自分の恥ずかしい一場面は、起こす目覚ましとして使われる。
「はあ、はあ、はあ……」
セリフだけ聞いてると変質者か何かのようだが、断じて違う。
自分の絶叫した声で目が覚めるとは。ちなみに今のは前につんのめったせいで、ビーーンとシートベルトに圧迫され、器官が押されて苦しい思いをした俺の荒い呼吸音だ。
「…あー…走馬灯また見えちゃったよオイ」
…… 脱 力。
もう何の夢を見たかも覚えてないが、叫んで一気に体力が削られたことは確かだ。
「重ちゃん起きたー?」
げっそりしていると、右横の運転席から 何事もなかったように声が掛かった。この車体の所有者でもあるおふくろだ。いつの間にか暴走デミヲ車は 隣町に繋がる国道を下り、駅前付近のコンビニ前で駐車していた。
「はい。これ飲んでシャキっとしなさいね」
おふくろにペットボトルを手渡される。適度に冷えたスポーツドリンク。
コンビニで買ってきたのよ、と言われるがままにフタを開けて、ごくりと一口。言葉とは不思議なもので、おふくろの言う通り、飲むと 頭が冴えた。安堵の溜息が出てくる。
「……それでなに? 誤解解こうとして空回ってたの、重ちゃんじゃなくてそのコなの?」
途端にむせた。
「あーのーなー! 俺は正直に話してるしコイツが頭カタいだけ――…、…まぁ……誤解…されてるからあんな態度なのか……」
反論も 途中で気がつき尻すぼみになる。
和谷がツンケンしてるのは使い魔に召喚だとかを根っから否定しているせいだ。
そもそも、和谷とは初対面の印象が悪すぎた。保健室で覆いかぶさる状態だったとか、追い掛けたら鼻声だったとか。階段の踊り場で手首ひっつかんで追い詰める状態だったとか。次の日副部長と一緒に家まで来られたとか。保健室で押し倒した状態で「下僕です、ハイ君の希なに?」なんて言われちゃ冷静に突き放すかキレるしかないだろう。
……これで警戒するな、好感持てと言われても無理な話か。
和谷の言う通り、ルイアントーゼの話も『証拠』が要ると気が付いたのだが。
スポーツドリンクのキャップを閉め、フロントミラーで後部座席の和谷を確認する。顔を埋めている様子からして、奴がまだ起きる気配はない。
フロントガラスの向こうがわから降り注ぐ、コンビニの蛍光灯が目に沁みた。
『笑わないで。決め付けないで。優しくしないで。お願いだから――――』
「……おふくろ。女子って、どういう状況で泣くんだろうな」
意図しないまま、脈絡のない疑問がするすると飛び出た。
呼びかけた割に、どちらかと言うと独り言に近い喋りだ。
呟いてからはっとしたが、おふくろは何のてらいもなく答えていた。
「男の子と同じじゃない? 泣きたい時に泣くし、泣けない時には泣かない」
こういう時、おふくろは出来た人間だと思う。良いことも悪いことも、聞けばさらっと話して終わりにしてしまうのだ。
そんなおふくろだから、俺は初対面でも警戒することなく付き合えて来れたのだろう。
「そうね。ひとつ違うところは――女のコの方が、やわらかめにできていることね」
そんな意味深なこともさらりと綴る。
「重ちゃん。誤解を解きたいなら、誠実さを伝えて謝りなさい」
「加害者でもないのに謝れるかよ」
連れ回した件に関しては、確かに俺が悪い。が、誤解の一因は頭のカタい和谷にもある。誤解で謝るのは別問題だと俺は捉えていた。
けれども、おふくろの意見は違った。
「どっちが悪いとかそういうのじゃないわ。誤解で不快な思いをさせたのは事実なんだから」
「……。一応参考程度に聞いとくけど、どんな風に」
「いやねぇ。後ろから抱き付いて謝っちゃえばいいじゃなーい」
数秒混乱した。
……誰が。誰に?
頭の中で組み立てる。「あなたに話すことなんてありませんから」とか ほざ いや言ってる和谷にすっと近付き、後ろから肩に腕を回す。「悪かったよ」とか告げて、心臓の鼓動を相手に聞かせる。どくん、どくん――鼓動を聞いておとなしくなった和谷は、下ろした手で俺の甲をつかみ、そして――
……ヒィィィィィ!
合気道流手首捻り→裏拳→回し蹴りをかまされる想像をしてしまい、ガクガクブルブルと震え上がった俺が居た。
「さーて、一息ついたところで出しましょうか。重ちゃん、あのコの家、駅のどっち方面なの?」
「に……西口の商店街抜けて…公園通った住宅街…」
余計げんなりした最中だったので、たどたどしく答えるほかない。
「西口? あら、確かそこの住宅街に『夕凪』があるわよね」
「そう、それ……。あいつ、そこん家だから」
「え?」
深く考えずに答えたときには、おふくろはもうキーを右方向に捻っていた。
エンジンが獣の活動開始のごとく、低く力の入った声を出す。
「どういうこと?」
「ホラ まさむねだっけ、そんな名前の煎餅作ってる家。じいさんばあさんとこに居候してるって――……」
ここまで答えて我に返る。
そうだった、隣駅の商店街に着いたら記憶を頼りに進もうと思っていたが(いざとなれば和谷を無理やり叩き起こしてでも)、考えてみれば和谷は……おふくろ行きつけの和菓子屋に下宿していたんだった。
最初から『夕凪』が目的地って言えばいいじゃん、つーか「へぇ、重ちゃん? よりにもよって、わたしの行きつけのところのお嬢さんを連れ回してたの……?」なんておふくろに返されたら 霰どころか雹並みの極寒が降り注……やべぇ横 超見れねぇえ!
「そういうことなら、わたしの半クラ操作が光るわね……!」
「って、ぅええぇ!?」
おふくろは早々にモードを切り替えていた!
横列駐車スペースをハンドル切り返しせずに抜け出し、アクセル全開で道路に飛び込む――!
「ぅおふくろぉぉ!? なんでまたすっとばす……っ」
「ギアチェン駆使してちゃっちゃか走るわ! そう……さながら夜草原を駆け巡る駿馬の如く!」
だから…! だから……っ!
……クラッチギアはATに無ぇええええ!!
<ぱあとふぉおてぃ 終了>