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ぱあと32 非現実的な話に乗らない大人

「トマ……厨房むこうに居るんじゃないのかよ…」

 涙目でへろへろになりながら聞く。目の前の親仁は「んん?」とそのホリ深い顔を向けた。

 通称ナイス・ミドルのトマ。喫茶店「フィルド・ロック」の調理担当兼人気ウェイター、もといバリスタの年長者である。一応はここの調理責任者らしいのだが、濃い風貌と渋い喋りで よく店の責任者マスターに間違えられる親仁だ。

 見た目40前後、無精髭に眼光鋭い目、粗野でこけた頬……世のオジサマスキーの女性方から見れば、これは若くして修羅場を潜り抜けてきた 熟練の顔付きなのだそうで。

 以前は 某湾岸戦争をかいくぐってきた傭兵だったとか、廃墟を駆け巡る戦場カメラマンだったとか、はたまたカリブ海豪華客船の専属ピアニストだったとか噂があるが、なんで今喫茶店で調理師をやってるのか、謎な人物である。

 分かっているのは、作る飯が旨いということと、腕っ節が最強だということだけだ。

 客寄せになるというので この店の女マスター・ワトコさんに不定期でバリスタにされるらしい……とは俺が聞いた話なのだが。

「長男坊が女連れということを小耳に挟んだのでな。ちょっくら出てきた」

 ……そんな理由でシメられるってなんなんだ。

 ガタガタ揺らして吼えて、やっと解放された挙句に聞いたのがこれだ。

 疲労困憊ひろうこんぱいな俺が楽に息ができるまで、時間を要した。

「大体お前が真っ向から歯向かってくるからだ。道場を三日で辞めた奴が、師範に勝てると思うな」

 見た目よりガッチリしているゴツイ腕に固定され、危うく息の根を止められそうになった俺。

 条件反射の本気モードも、相手を絞め殺す前に気付いてほしい。

「――時に、隣のお嬢」

 へろへろな俺を無視し、トマは向きを変えた。真向かいには、状況を把握し切れずきょとんとしている和谷が居る。お嬢というのは もしかしなくても和谷のことだった。

「突然出て来て困惑させてしまったな。私はここでしがないコックをしている止木トマリギという。周囲からはトマと呼ばれているが、お嬢の好きなように呼んでくれて構わん」

 相手の戸惑いも ものともせずに自己紹介し出した。自分のペースで話し始めるのがトマ流だ。

 ナリは粗野だがジェントルな物言いの中年に、和谷も話の流れを止めては駄目だと悟ったらしい。すっと差し出された右手を友好的にシェイクし、お嬢と呼ばれてもいちいちツッコまず、素直に聞いていた。

「ああ、市原さんとはただ偶然通りすがって 社交辞令でご一緒してるだけですから」

 というか出だしの質問をさらりと訂正していた。

 そうか、俺は社交辞令で付き合われる人間だったのか。

「……ふむ、ただの先輩か。するとあのような愉快痛快話、長男坊は話題づくりに失敗したというわけだな」

 和谷の一通りの自己紹介を聞くと、トマは得心がいったように頷いた。

 もしや、これはさっきの話を 女子を引き付けるネタ話だと勘違いされている…!?

 しかもあえなく失敗したと捉えられている…!?

「愉快痛快って…… あのな、トマ。俺らの話いつから聞いてたんだよ」

「話しかける機が掴めなかったのでな。あまりに非現実的な話で、どう出て行けばいいのか迷ったぞ」

 ……だからって無理してモノローグでフォローしてくれなくてもいいから!

 どうやら俺は トマの中で可哀想な男子になっているようだった。

「ま、電波な話だってことは重々承知してるけどな……」

 体全体がずぅーんと重くなる気がして、リセットするべくカップに手を付ける。残り少なくなったコーヒーの味を確かめた。さすが最強バリスタのトマ、本日のおすすめブレンドも文句の付け所がないカッピングだ。

 トマがどこから話を聞いていたのは知らないが、バカ正直に ひょんなことから俺ってば使い魔で希を叶える下僕になっちゃいました〜……なんて答えても首を傾げられるだけだ。トマは『愉快痛快話』を俺のネタ話と解釈したようだし、そのまま勘違いしてもらった方がよさそうだった。

「いや そうではない。私が云うのは『全くもって何処にでもありそうな話』だったからだ」

「は?」

「長男坊。くれぐれも――『深入り』はするなよ」

 鋭い眼光が、いつになくじっと俺を見据えていた。

「お前はまだ年端も行かぬ若造だ。子供扱いする気はないが…下手な事をして潰れてしまっては、此方も夢見が悪くなるのだよ」

「……どういう事だよ」

 謎掛けのようなトマの言葉。人差し指が俺の飲むカップに向けられる。

「濃いモノは吸収する程に身を滅ぼす。挙句の果てには何も口にしてなくとも先ず欲するようになる――そう、それが深煎り」

 ……イリ違いで珈琲だった!

 気づけば、店の女性客がちらちらこっちを見ている。白いシャツにタキシード生地のベスト(バリスタ服といえばいいのか)の出で立ち――みなさんこのダンディー執事が気になるらしい。

 厨房入ってるのにそんなホール担当みたいな格好していいのか なんてツッコミは誰もしない。

 視線を意識してるのかしてないのか、トマはスチール製のオーダーメイドテーブルに手をつく。

 午後になり落ちていく太陽の光が差し込み、無精髭さえ輝いて見える。おお、皆のアコガレ本場のマスターだ。

 ただ残念なことに 此処はパリでもフィレンツェでもない。

 ついでに言うなら シンプルスタイルのデリカフェにそのウェイター格好は浮く。

珈琲カフェインと云う名の依存であり悪夢アディクトまたはホリックと云うべきか…だが依存性が高いとは、即ち『作り話』の罠に嵌ることを意味する――」

「……はあ」

 ……やばい、トマの諭しモードがONになった。

 このモードがONになると、トマはどうにも止まらない。お耽美行動に押され、俺はもう何も返せなかった。

 ええと…要するに、トマが諭したいのは コーヒーに気をつけろ、と。

 曰く(お子様がブラックを飲むという)下手な事をして(胃が)潰れてしまっては、(コーヒーをカッピングした)此方も夢見が悪くなるのだよ、と……?

「そうだ、二人で来店と言えば――長男坊」

 お耽美言動に押され二言目が出ずにいると、トマは 今までのシリアス顔から一転、表情を和らげ、俺に話しかけた。

「前にお前の弟妹を見かけたぞ。次男坊はこないだ女連れで来ていたばかりだ」

 親とマスターのワトコさんが知り合いで、家族全員ここに通ってることが分かってから、トマは俺を長男坊と呼び始めた。すなわち、次男坊とは俺の弟の呼称である。トマは珍しくふっと口角を上げて笑っていた。気になるだろう、とでも言わんばかりである。が、俺はこう返した。

「へえ、スミシが」

「……なんだその平坦な感想は。もっと驚いたりすべきだろう」

 いや、そんなトマ好みのリアクションはいちいち返せない。

 大体「なにぃっ弟が女連れだとぉ!?」とか「HAHAHA、あいつめ、ブラザーのことネタにしたんだRO〜☆」とか騒いでみろ、哀れな道化師で俺が凹むこと間違い無しだ。

「そんなんでいちいち騒いでどうすんだよ。何処で何しようが、あいつの勝手だろ」

「次男坊もお前のことをそう評していたがな。相変わらずお前らは仲が良いのか悪いのか解らん」

 煙草を吸っていたら大層 絵になりそうな構図で、トマはふうとため息をついた。舌が鈍るという理由で煙草は止めた――そう聞いたことがある。二人居る息子のうち一人が嫌煙家に、一人が愛煙家になった、とも。

「しかし お前は物事を素通りする分、視野が広い。次男坊とは真逆だな。それが強みだ」

「素通りで視野広いのかよ…」

 相変わらず分けわかんねぇし。そう付け足しても、トマはこちらの疑問には構わずに一人で確信して頷いていた。そうして、店に備え付けの シンプルな壁時計を見やって体勢を退く。言うだけ言って満足したのか、それとも俺をからかうのに興味が失せたのか。

「そろそろ厨房に戻らんと五月蝿うるさいな。お嬢、いきなり出てきて済まなかった」

 和谷だけに視線合わせて詫びるとか、それないだろトマ。

 いえいえ、って、和谷も俺を無視して返すなよ。

「長男坊はいじられキャラの寒いポジションだが、イジリ用にでもキープしておいてくれ」

「そんな、市原さんは寒くないですよ。若干言動がイタいだけです」

 ああ、そのコトバで一気に凍傷して心が痛んだ。

「ほぉ、やはり見た目よりも快活だったか。なまじ内心思考は話さなければ分からぬものだ。杞憂だったな、『演劇部』で主役を務めるお嬢ならば、作り話の罠に嵌ることもない」

「……え?」

 無精髭ナイス・ミドルの哀愁漂う笑みを受けて、和谷は少々面食らったようだ。

「もうしばらく迷惑を掛けることになるだろうが――特定できれば奴らは手を引く。それまで『彼女』の問いには答えるな」

「……、彼女……?」

「…本当に厄介なモノを産み出したものだ。ミス・パーカーも、『彼女』も」

 最後の台詞は誰に聞かせるともなく、苦々しく呟く。だがその表情は一瞬で消え――トマは元の哀愁漂う笑みを和谷に向けた。厨房担当に似つかわしくない服で 厨房キッチン入り口へと歩き出す。

「私……」

 その後姿を見送りながら、和谷が 弾かれたように、ぽつりぽつりと呟いた。

「演劇部って……言ってないのに、どうして……」

 さっきの和谷とトマの会話を思い出した。和谷は確か――

 ――『ああ、市原さんとはただ偶然通りすがって 社交辞令でご一緒してるだけですから』

 トマの自己紹介に交えてそう訂正していただけだ。所属する部活動はおろか、名前すらも名乗っていない。そうだ、『演劇部』に和谷が入っているなんて説明は……一切していないはずだ。トマはどこから俺らの話を聞いていた?部、部長、とは話していたが、『演劇部』とまでは話していない。……それならどうしてトマは和谷が「演劇部で主役を務める」ことを知っている?


『あまりに非現実的な話だったものでな、どう出て行けばいいのか迷った』

『いや そうではない。私が云うのは 全くもって何処にでもありそうな話だったからだ』

『長男坊。くれぐれも…深入りはするなよ』


 なんだ、なんなんだこの感覚は。深入り? 非現実なのに何処にでもありそうな作り話?

 ……なんで、時々しか会わない喫茶店のトマが…俺にそんな予言めいた忠告をするんだよ!

 俺は咄嗟とっさにトマを呼ぼうとして、立ち上がる――!

 が、それより先に トマが何かを思い出したかのように此方を振り返った。

 俺の思考時間は実際には短いものだったらしい。トマはまだ 席から少し離れていた距離に居た。お陰で俺は 膝が曲がったままの中途半端な間抜け格好になった。

「あ、それとな長男坊」

 無精髭ぶしょうひげの親仁は いやらしい笑みを向けてきた。ちなみにこの場合のいやらしいは別に変態という意味ではなく、悪事を働く際の表現である。

「……お前の妹も男連れで来ていたぞ。職権乱用変態校医と、性格破綻者の中坊とな」

 がしゃーんと手元のカップ&ソーサーをひっくり返してしまったのは言うまでもない。


 <ぱあとさあてぃつう 終了>

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