ぱあと1<いちにちめ☆>最低最悪!笑顔の衝撃
「……消えてもらえません?」
十五年と十ヶ月間生きてきた中で、そんな言葉を面と向かって言われたのは初めてだった。
「二回言わなくちゃ解りませんか? 消えてください」
丁寧な口調で、にっこりと微笑まれて言われる台詞がそれなんて、そうそう無い事だろう。
『キミを呼び出した人、つまり主人に仕えることがキミの使命なんだ』
今そんなコスプレッ子いやいやゴスロリちゃんの言葉を反芻してたって意味がない。
問題は 目の前に降って湧いて出てきた俺の存在を相手にどう説明するか、ということと――テスト中の元の教室にどう言って戻るか、だった。
でびるにお願いっ! ぱあとわん
状況を整理する必要がある。
さっきまで俺は、世界史Bのテストを受けていた。
身内に教えてもらったヤマが当たってて、さすが、持つべきものは全寮制の学院に通う弟だ、一つ下のくせに俺と同じ所を習っているのは気に食わないが勘弁してやろう、などと考えていたとき―― 一瞬、からだがちりと灼けるような気がしたのだ。
それが発端だった。例えるなら、内側から発火したような感覚。
同時に、頭のなかに奇妙なナレーションが響いてきた。
『あー えっとねぇカサネ、聞こえる〜〜?』
一度聞いたら忘れそうもない、能天気な少女の声だった。時々変なノイズが掛かって、おまけにドップラー効果まで入っている。悪いが今俺は答えられる状況じゃない。
『今からキミを呼び出したヒトのところに転送するね〜☆』
は? ちょっと待て俺は今テスト中……!
だが相槌・同意をしていないのも無視された。更には制止の声も聞き入れてくれなかった。
次の瞬間、俺はどっさあ、という音とともに ここへ放り込まれていたわけだ。
よくコントとかで、床がパカっと開いて 芸人を真下へ落とすなんていうオチがある。たいていその芸人を待っているのは、特設プールか巨大クッションだったりするものだが、俺の場合はまったく違う。
「どこだ、ここ……」
どういう格好で落ちたかといえば、格好悪い四つんばいだった。辺りを見回してみれば、白い布が空間周囲を覆っている場所だった。それがベッドを囲むカーテンだと分かったのはすぐ次のことで、真下でもぞもぞと動く白い布に気が着いたのもその後だった。
よくよく見れば、足と足の間で、奇妙なふくらみが蠢いている。
白い布の真下に居るそれは、細木のように割れていた。途中から一本の幹になり、微動を繰り返している。どうやら俺は、このふくらみをまたぐようにして落ちてきたらしい。
気になって先端をずらしてみる。するとそこには、どういうわけか――
「…………」
目が点になっている女子の顔が現れた。
俺も点になった。
そして俺がまたいでいるのはタオルケットを被った女子ということが判明した。
ええと。なんで俺は、女子をまたぐようにしてベッドに居るんでしょうか。
あたかも自分が押し倒しちゃってるーようなシチュエーションになっているんでしょうか。
女子は俺を見て、一旦目を瞑る。数秒経ってから目を開くと、……微笑んだ。
「……消えてもらえません?」
即座にベッドから降りた。ヤバいと本能的に思わせる凄みが相手の一言にはあった。
彼女は白いタオルケットをめくると、上半身だけむくりと起き上がる。……傍に置いてあった眼鏡を掛けた。長い髪、見るからに大人しそうな印象の子……ああ、制服からして俺と同じ学校の子じゃないか。シャツのボタンを二つ外して、学年別指定リボンもないから学年までは分からないが――ってことはなんだ、ここは学校の保健室の上のベッドで、彼女が寝ている頭上から…俺は、落ちてきた……!?
「――二回言わなくちゃ解りませんか? 消えてください」
にょきりと出てきた不審者(つまり俺)に悲鳴を上げるでもなく、目の前の彼女は丁寧に聞いてくる。だがその敬語にはありありと攻撃の色が混じっていた。
……彼女が氷点下の笑みで此方を見るのも頷ける。
保健室で寝ていたらいきなり男子生徒が落ちてきて、 まあどこから来たんですの?、いやあなんか転送とか頭に響いてきたもんで俺にもよく分からないんですよ、ウフフそれは困りましたね、ええまったく☆ てなノー天気なやり取りが交わせるわけもない。
そうすると この状態で逃げ場も勝ち目もないわけで……これはまずい。
…ちょっと待てよ。俺の頭に響いてきた能天気な声――ひょっとしなくてもあのゴスロリッ子――は…『今からキミを呼び出したヒトのところに転送するね〜☆』とかなんとか……言ってなかったか?
ここはひとつ――ジェントルな紳士で行かなければ!
「まあそう言わないで欲しい。俺は君に呼び出された」
体制を整えた俺は、制服の乱れも直して、女子に向き直った。
大声を上げられて、第三者の主観を入れられたらたまったものじゃない。あらぬ誤解でお先真っ暗の人生だ。それは絶対避けるべきだろう。
目の前の女子生徒は 俺のあまりのジェントル振りに言葉を失くしたのか、きょとんとした目を向ける。が、これしきで警戒が解けるはずもない。更に一押し。
「落ち着いて聞いてくれ。俺は悪魔なんだ」
あ、ヒかれた。空気で解った。
「悪魔検定協会から認定された新悪魔だ。危害は加えない、むしろ君の願いを叶える下僕だ」
あ、ドンヒキされた。相手の目が明らかに細くなった。
「却下です。 私にそんなもの必要ないですから」
最大級の冷たい笑みを向けられた。引きに引かれて穏便に済まそうと思われてる。
「いやだから、あのゴスロリちゃんが言うには俺が…… 〜〜〜って、ああもうおたくなあっ」
自分でフォローするが、俺は短気ではない。絶対にない。
「大方変な悪魔術かなんか使ったんだろ? それが呼び出す条件になって、俺はテスト中放り出されたんだよ、ここにっ」
あっけに取られている女生徒を前にして、はっとした。
いかん、すっかり地が出てしまっている。
「……まあ、その」
気を取り直して咳払いをする。後悔先に立たず。覆水盆に返らず。ああ俺の人生はまっし暗……
「おたくは頭が切れそうな面だし、理解も早いんだろ……ってゴフォア!!?」
途端、がつんと拳が飛んできたのも、約十六年生きてきた中で初めての体験だった。
シャシャアーーッとカーテンがレールごと吹っ飛ぶ。よろけた俺に、女子生徒はつかつかとやって来て、顔を紅潮させて声を荒げた。
「……あの! やめてもらえませんか、第一印象で物事決めるの!」
今のは平手じゃなかった。右ストレートでもアッパーでもなかった。横殴りの拳だ。玄人が獣を仕留める時に第二関節と掌あたりで打つ拳だ。これはもう、中途半端に痛い。
「迷惑してるんです。こっちだって好きでこんな大人しそうな容姿に生まれてきたんじゃありません!」
渾身の力を込めて叫ばれる。今度は俺が呆然としていると、彼女はベッドから飛び出し、勢い良く保健室の戸を開けて行ってしまった。
「……はあ?」
……なんだ? なんなんだこの状況?
かくして誰もいない保健室に取り残された俺は、吹っ飛ばされたカーテンをどう元に戻したらいいやら、テスト中の二年の教室にどう戻ったらいいものやら、考えていた。
<ぱあとわん 終了>