ぱあと14 爽やかスマイル割烹着
「悪い。なかったんでチャージして来た」
出鼻を挫かれた気分で なけなしのドクター・ノグチをチャージし、改札口を抜けた。
スパカの問題点は いちいち改札の画面を見ないと残り金額が分からないことだと思う。
「別にええよ。住所録によると、こっち方面やて」
待たせても磯辺は気にしない性分らしい。何が楽しいのか、弾んだ調子で先を歩いていた。
商店街も、今の時間は買出しにも半端なのか、人がまばらだ。商店街を抜け、住宅街の公園を通ったところで、やっと人のカタマリを見つけた。じいさんばあさんやら親子連れやらが木陰の下で喋っているのを見ると、実にのどかだった。地域の平和は保障されたも同然だった。
「平和だよなあ」
ここの所 物騒な事件が起きているというが、陽気を浴びているとまったり気分になってくる。
思わず呟くと、隣の磯辺も同意してくれた。
「分かるで〜 こんな日はテストがなかったらもっと楽しめるんやけどな〜」
「………」
余計 明日を想像してげんなりした。
「あ、そこ右な。この辺じゃ」
磯辺がぴっと人差し指を出して、ト形になった路地を指差す。
午後の西日が照り返す中、俺はその通りに曲がってみたのだが――
辺りは見事な住宅街だった。囲われた塀と瓦の日本家屋が立ち並ぶ 昔ながらの住宅街だった。
「……磯辺、ここらへんは違うと思うぞ」
和谷の家の仕事が会社経営で、和谷の自宅がゴージャス洋館だと思い込んでいた俺は、そう磯辺に問い合わせたわけである。
「こういう日本作りの塀じゃなくてだな、俺のイメージでは もっとこう、周りを寄せ付けないような檻がそびえ立って、建物自体も五階ぐらいあってライフルをサイレントでぶっ放せるような……」
「そや、もしかしたら向こうの通りかも知れんっ」
ぽんと手を打たれてスルーされた。
身振り手振りで和谷宅(想像)を説明したのだが、磯辺は演劇部の住所録片手に 在所確認で忙しかったようだ。
「イチハラくん、ちょおココで待っててくれへん?」
「へ?」
「人影見えたから、聞くことにするわ」
めぼしいものでも見つけたのか、住所録をぱたんと閉じるなり向こうへ駆けて行く。
置いてけぼりになった俺は、さてどうしたものかと再度辺りをぐるりと見回した。
瓦の家が通路の奥まで続いている。塀で囲ってない家や、二階建てのものもあったが、大抵は長屋の家屋だった。都内外れとはいえ、ここにもまだ昔ながらの住宅街が残っていた。
……にしても、のどかだ。人はまばらに歩くだけだし、車の音もしない。まるで嵐の前の静けさのような一抹の不安があったりなかったりするな――そう考えていたとき。
閑静な住宅街に、カララ……と 塀の入り口にあたるくぐり戸が開く音がした。
誰かが出てきたらしい。ちょうど斜め前の家だったこともあって、俺は声のする方に注視する。
塀の中から引きとめる声が聞こえた。荷物を抱えて出てきた誰何は、塀の中を振り返り答えていた。
「いいよいいよ。ちょっと早いけどおばあちゃんは夕飯の支度してて。私が積荷片付けておくから」
祖母が孫に「やらなくていいよ」と止めたのだろうか。なおも内側からうにゃうにゃと聞き取れない声がしたが、その女の子はよく響く声で返す。声量が大きいのではなく、周囲に澄み渡るというような、清涼感があるような、そんな「綺麗」と象徴される声音だ。
「いいのー。一時間ぐらい他のことしてたほうが、はかどるんだから」
ここに住んでいる子だろうか。ハキハキした受け答えが聞いていて感じがよかった。進んで家の仕事を手伝うなんて、今時の娘にしては感心だ。
ちょうどいい、磯辺は向こう側を見ていることだし、このままぼうっと突っ立っているのもなんだし――待っていてやることのない俺は、この際聞いてみることにした。
だが、俺が近寄る前に、第一声を放っていたのは女の子の方だ。
ぼうっと立っていた俺が硬直したのは、声が掛かったからにあったのだが、笑顔に見入ってしまっていたからというのもある。
「――あ。何かご入用ですか?」
荷物を抱えつつ、にっこーおと笑った、その悪意無い顔。
「すみません、こちら裏側で。お店の入り口は反対側なんです、申し訳ありませんがあちらから回っていただけますか?」
…スキニージーンズ。襟口の開いたロンT。髪を後ろに束ねて、割烹着を着こなす女の子。
はて。何処ぞで俺は、こんな笑顔のお嬢さんを見たことがなかったか?
「あの、うちの店に来た方ですよね?」
相手がなおも爽やかなスマイルを向ける。……これが営業スマイルと言ったら全ての笑顔の概念が崩れるくらいの自然な笑みだ。だが、声色の調子といい、目あたりの表情といい、俺がここ最近で見た忘れられない笑顔と一致するのだが――
「………」
待て。待て、餅付けいや落ち着け俺。
まさか。ここに来たからって、ドンピシャでそんなはずは………
「……?」
俺が何も言わなかったことに不思議がったのか、女の子がその場に荷物の段ボール箱を置いた。割烹着のポケットからケースを取り出して、ぱかっと開ける。フチありの眼鏡を掛ける。
女の子が顔を上げる。眼鏡を掛けた状態で、俺の姿を捉えた。
と、思ったら今度は相手が凍結していた。
……うわー、ビンゴだよ磯辺。
俺もこの状況に、心の中で副部長に報告してしまったほどだ。
この時俺が回り右をして場から離れていたら、お互いが幻影やら幻やらで片付けられたことだろう。
……最悪現場の俺の元へ駆けて来る奴が居なければ。
「イッチハラく〜ん、あったであったでー! やっぱりココじゃったんよ、和谷くん家の店っ」
ぶんぶか手を振り、スキップ調子で俺を目掛けてエセ野郎は来た。
「反対側が入り口なんじゃて! 今から調査に乗り込んで作戦開始☆やなっ」
あああ 俺の名前呼んでるし目的叫んじゃってるし!
お前まで来たら今はヤバいだろオイ! なんて心の声もアワアワ葛藤も届くはずなかった。
たらんたらんとやって来た磯辺が 鉢合わせ状態に加わる間に、誰何はとっくに己を解凍していたのだ。
俺と隣の磯辺を見比べる誰何。というか、眼鏡を掛けた女の子。
さーっと血の気が引いていく人間を 初めて間近で見た。
唇をヒクつかせている俺と、目をきょとんとさせている磯辺に対し、相手は羞恥に耐える顔で キッと目じりを吊り上げ、あらん限りの声で叫んだ。
「さっ……最低最悪!!」
ああ、この言い逃げ発言をしていく奴は間違いなく和谷だ。
がらがらぴしゃーーっという擬音で、横開閉式のくぐり戸が閉められるのも時間の問題だった。
<ぱあとふぉおてぃーん 終了>