認める覚悟①
「それじゃっ、明日からも頑張ってねっ。」
そう四方里に送り出された翌日、つまり今日のことだ。彼の言わんとすることは分かる。けれど、心意気だけでどうにかなるものだろうか。僕はそんな不安を感じつつ、今日という日を迎えていた。
果たして、上手くいくだろうか。
いや、昨日はクラスメイト達の何人かと会話をすることが出来た。もっとも、基本的に向こうから一方的に話しかけてきてくれて、僕はただ頷いていただけだとも言えるけれど。それに、四方里も帰り際にこう言っていたな。
「まあはじめは難しく考えなくてもいいさ。とにかく、否定しないこと。それだけでも心掛けてみたらいいんじゃないかな?」
相手の話を否定しないか。うん、昨日も赤べこのようにうんうんと頷くばかりだったから、これくらいは出来そうか。
そんなことを一人考えつつ、僕は教室の扉を開く。
「お、おはよう。」
相変わらず、ぎこちないながらも自分なりに笑顔を努めつつ、クラスメイト達に挨拶をした。
「おっ、まよっち。おっす~。」
僕の挨拶に最初に気が付いたのは、僕と席が隣である彼、恭田優人だった。彼とは席が隣同士ということもあり、昨日彼の方から色々と話しかけてくれていた。
彼は、僕とは一生関わることが無いだろうと思うくらいの陽キャで、常に彼の周りには友人がいた。だから、僕のことなんて眼中にもないだろう、そんな風に勝手に思っていた。それに、最悪僕のことをどこか見下しているのではないか、そんな被害妄想さえ抱いていた。
けれど、僕は根本的に間違っていることに昨日気付かされた。
彼はとても良い奴だ。月並みな表現であり、短絡的過ぎることは否定できないけれど、そうシンプルに言い表すことが最適だと思うくらいには良い奴だった。
つまり、彼は明るいから友人が多いわけではない。良い奴だから周りに友人が多いのだ。そんな当たり前のことを僕はずっとひねくれた物差しで測っていたんだなと彼を見て強く思ったのだった。
「お、おはよう恭田君。きょ、今日もよろしく。」
昨日の感じと先程の挨拶から、彼が僕を拒否することはないことは十分分かっていた。けれど、未だ僕の中には緊張が抜けきらずにいるのを感じた。
「うん?ああ、よろしく~。それよりさまよっち、昨日のあのアニメ、観た?」
「えっ?ああうん、観たよ。あ、おはよう。」
恭田君がどこか興奮交じりに語り掛けてくる中、彼の後に続くように、次々と僕に挨拶をしてきてくれるクラスメイト達。ホント、僕は良いクラスメイト達を持てたんだな。それに、改めて思ったけれど、社交的な恭田くんがこれだけアニメ好きだとは思わなかった。
そこで僕はふとまた昨日の放課後のことを思い出す。それは四方里が言った認めるについての話だ。
これまでの僕がどれだけ偏見を持った目で彼らを見てきたのか、どれだけ彼らを認めることが出来なかったのか。ホント、反省し始めたらキリがない。
勿論、皆裏で思っていることはあるかもしれない。けれど、そんな裏のことは相手が見せてくるようになってから考えだしたら良いことなのだ。
だから僕はこれからは、今この目が捉えていることだけを逃さず、認めていこう。
「おーい、どしたまよっち?何か考え事か?」
「えっ、ああゴメン。と言うか、さっきからそのまよっちって何?」
そう、話し始めてまだ二日目なのに、まるで古くからの友人のように接してくれている恭田君には真摯に向き合っていくべきだろう。そんなことを一人思っていた。そんな時だった。
「なになに?二人とも何楽し気な話しとるの?」
後ろから快活そうな少女の声がする。雛田さんだ。静かに僕の胸の鼓動が高まっていくのを感じる。
「おっす~ヒマ。へっへー、男同士の秘密だよ、なあまよっち~。」
「あっははは、秘密って言うくらいならもっと声潜めんと。丸聞こえやったよ?」
「うわーマジか~。今度から気を付けんとな。」
「無理無理、優人昔っから声でかいもん。」
「そーゆーヒマやって、この街に来てもう長いのに、全然方言抜けんやん。」
「いやいやウチの方言はむしろチャームポイントやろ?それに、優人やって時々方言出てるよ?」
鼓動を始めた胸が、ずきりと痛むのを感じた。
認めようと決意した手前、僕は今目の前で起きていることもキチンと認めようと思う。けれど、心のどこかでこの光景を認めたくない、そんな思いが僕の中で渦巻いていた。
昨日、恭田君から聞いている。雛田さんと彼が古くからの幼馴染で、生まれ故郷も同じであると。だからこそ、今こんな風に仲良く語らうなんてむしろ当然のことだと言えるだろう。
けれど、僕とは違う異性と仲良く語らう雛田さんを認める、いや見ることはあまりしたいとは思えなかった。
どうしたのだろう、僕は。
当然、これまで恭田君に限らず、社交的な雛田さんが他の男子生徒達と仲良く話している場面を見たことはあった。けれど、その時は何も思わなかったのに————。
ああ、そうか。
雛田さんに関することにも、僕はずっと目を逸らしていたんだ。見なければ、認めなければ、何も知らないままでいられる。だから僕はずっと目を伏せ続けてきたのだ。
けれど、僕は見てしまった、認めてしまった。そして、その過程で、喜びも知ってしまった。
「うん?どしたん?小柩君?」
心配そうにこちらを見つめてくる雛田さん。
存在を認識される、つまり認められること。これが人との交流の第一歩である。
なるほど、確かにそうだ。そして、気になっている存在に認められることがこれだけ嬉しいことだなんて、僕は知らなかった。
「ああううん、ちょっと寝不足なだけ。」
だから僕はこの甘美を手放すことはもう出来そうにない。この先、どれだけ自分にとって不都合な現実が目の前に起こっても、僕は認めていかなければならない。
「ああだよなっ!昨日めっちゃおもろかったもんな。俺もちょっと寝不足やもん。」
「もう、二人とも。睡眠はちゃんと取らんとあかんよ。」
勿論、この先僕にとって一番最悪な現実が待ち受けているとは限らない。けれど、仲の良い二人のやり取りを見て、一人そんな最悪を予感していた。そして、その予感に僕は、少しずつ膨らんできたと思っていた勇気を、またひっそりと萎ませていた。