人の話を聞こう①
その日の放課後、僕は昨日と同様東棟一階の空き教室へと足を運んでいた。勿論、彼らに呼ばれたということもあるけれど、今回は僕としても言いたいことがあったからだ。
「お疲れ、仔羊君。夢莉くんに聞いたよ。ひとまず、みんなに挨拶することは出来たみたいだね。」
相変わらず、飄々としつつ、どこか胡散臭い笑みを浮かべる四方里。けれど、今の僕にはそんな彼の胡散臭さを指摘しようという気持ちは一切なかった。
「よく言いますよ。あれだけ舞台を整えておいて。」
「いやいや、私は夢莉くんと一緒にちょっと手を回しただけだよ。」
あれでちょっととは、思いの外謙遜する奴だ。それに、昨日今日であれだけの手回しをするなんて————。
「・・・一体、何時からですか?」
そう、昨日思い付いたように四方里は提案してきたが、どう考えても、昨日それも放課後にあれだけの手回しをするなんてほぼ不可能だろう。特に、いくら昨日助守がうちのクラスに何人か交流がある人がいるとは言え、その中に雛田さんがいて、その雛田さんに直接に僕への手助けをお願いしてあるなんてどう考えても出来過ぎだ。
「うん?一体何のことだい?」
まるで何のことかさっぱり分からないとでも言わんばかりの表情を浮かべる四方里。いや、いくら何でもそれで誤魔化される僕じゃない。
「惚けないでください。どう考えてもおかしいでしょ。これまで話したことがなかったひ、雛田さんが急に今日僕に話しかけてきたんですよ。それも、何やら助守にお願いされたようなことも言ってましたし。普通に考えて、昨日よりもっと前から今日のこと考えてましたよね。」
「まあ確かにね。今回の作戦は雛田陽葵を始めとする、一組の生徒達の人柄あってこそ成り立った部分が大きいのは確かだよ。でも、そんなことどうでもいいじゃあないか。現に好きな・・・いや、失敬。君はまだ認めていないんだった。けれど、人とそれも異性と仲良くなれそうだし、雛田陽葵以外の友人も出来そうなんだから。」
「うっ、それはまあそうなんですけれど。」
そう言われたら、正直強くは言い返せない。今日一日話してみて、本当に良い人たちであることを知ることが出来た。それに、あの後も雛田さんが僕に話しかけてくれて、内心かなり嬉しかったのだから。
そんな風に言い淀む僕を見た四方里は、少しだけ今までとは違う柔らかい笑みを浮かべる。けれど、すぐに元の表情へと戻して言った。
「それよりもだ。確かに君は大きな一歩を踏み出したことは確かだ。けれど、少しキツイ言い方をすれば、おおよその人にとってのスタートラインにようやく立っただけとも言える。それに挨拶にしても、お世辞にも完璧だったとは口が裂けても言えそうにもないできだったしね。」
「それは・・・、まあはい、そうですね・・・。」
確かに、今日一日でクラスメイト達とは仲良くなれた。けれど、それはあくまでもたまたま一組の人達に人柄が良い人間が多かったからで、それに助けられただけなのだ。つまり、たまたま運が良かっただけだ。僕のコミュニケーション能力が改善されたわけでは決してないことは自分でも分かっている。
「まあ運も実力のうちというだろう。今回は、人に恵まれたことを感謝しつつ、次の戦略を考えよう。あっ、ただし毎日の挨拶も継続し給えよ。」
「ああはい、分かりました。」
何だか有耶無耶のまま引き続き四方里の作戦に乗ることになったけれど、何はともあれ、彼が僕に協力してくれているのは確かかもしれない。なら、もうしばらくは彼の言う通りにしてもいいかもしれない、そう思った。
「それでは第二回、雛田陽葵攻略会議を始める!」
「・・・いぇーい。」
・・・もしかして、毎回続けるのか。まあ別にどうでもいいけれど。
「それでは仔羊君。コミュニケーションの始まりである挨拶は済んだ。そうなると、次は会話だ。もっともコミュニケーションにおいて、この会話が一番難しく、複雑かもしれないな。そこで君に問おう。会話において、一番大切なことは何だと思う?」
そう問われて率直な気持ちはこうだ。そんなの考えたこともないよ。だから知らん。まあそれでは通らないだろうな。
「・・・どんな話を相手にするか・・・でしょうか。」
人付き合いに関する知識が皆無が僕が、その少ない知識を捻り出し、そう答える。すると、まるでそんな僕の答えを待っていましたと言わんばかりに、四方里がニヤリと不敵に笑った。
「確かに、それも大切であることは否定しないよ。けれど、それよりももっと大切なことがある。それは————。」
そう言って、また昨日と同じように後ろを振り向くと、チョークを手に彼は何かをでかでかと書き始めた。
そして書き終わると、黒板をバンと叩きながら言った。
「それは、相手に興味を持つことっ!」
「相手に興味?」
「そう。まず、多くの人が勘違いしている・・・かもしれないけれど、会話において主導権を握っているのは話し手ではなく聞き手なんだよ。それは何故かと言うと、基本的に人は他人の話を聞くことよりも誰かに話すことの方が楽しいし、有意義に感じるものなのさ。つまり、会話の成功において、重要なのは何を話すかではなく、如何に相手に気持ちよく話させるかなんだ。その為にも相手がどんなことに興味があり、どんなことを自分に聞かせたいのか、それを知る為にも聞く力というのはとても大切なんだよ。」
「・・・聞く・・・チカラ?」
この時僕は強い衝撃を受けた。何故なら、人の話を聞くことに能力も何もない、いやそれ以前にそんなことは考えたこともなかったからだ。
それに、自分でも人よりも口下手だと思っていたから、この先も自分はずっとコミュ障で過ごしていくのだろうという思いもあった。
「そう。そして、雛田陽葵は君も知っての通り、お喋りだよね。だから、普通に考えたら、彼女と馬が合いそうだと思うのは、おそらく彼女と同じようにお喋りな人間。現に、彼女の友人も彼女と似たように明るい人たちが多いしね。けれど知っているかい?彼女にはたった一人だけ親友と呼べる人がいるんだけど、その人は決してお喋りではない。むしろ、君と同じく読書好きで物静かな人なんだ。」
親友!?いや、まあいても可笑しくはないけれど、そんな人がいるなんて僕は知らなかった。
「名前は・・・いや、まあ今はいいか。ともかく、雛田陽葵と親交を深めるのに、口上を極める必要はあまりない。それよりも彼女の話を受け止めるだけの聞き上手になること。それが今の君に必要なものだよ。」