笑顔を作ろう③
「ともかく、話を戻すよ。いいかい仔羊君。世の中には、見た目よりも中身なんて主張する人がいるけれど、それはある種の甘えや言い訳でしかないんだ。だって、初対面でこの人が一体どういう人間なのかなんて、それこそ読心術みたいな超能力がないと分かりっこないんだから。それに、見た目が悪いことをブスとか言ったりするけれど、このブスという言葉は何でもトリカブトから来ていて、なんでもトリカブトの毒に侵された人の特徴として無表情になることに由来しているそうだ。だから、少しでも見た目を良くしたいならまずは無表情であること。あるいは不機嫌そうな表情といった他人に悪い印象を与えるものから良い印象を与える表情を常に心がけることはとても大切なんだよ。」
再び真剣な表情に戻った四方里の言葉に、うんうんと何度も頷く助守。相変わらず、彼の主張に対しては、反論の余地はないように思う。ただ、その主張に対して、当の本人達が普段から実践できているのかという点については、昼間の態度を見る限り疑わしいものがあると僕は思った。
「まあ言うより慣れろだ。まずは笑ってみてくれ給えよ、仔羊君。」
そう言ってニコッと爽やかな笑みを浮かべる四方里。男の表情なんて普段からあまり気にしていなかったから今気づいたけれど、言うだけあってコイツもまるで手本のような良い笑顔だと思った。・・・悔しいけれど。
「・・・分かりました。僕としても早く帰りたいですしね。」
正直、彼らの言う通りにするのは癪だったけれど、ここで反抗したところで何の意味もないだろう。だから僕は軽く深呼吸をすると、自分の思う最高の笑顔を作った。
「・・・これは・・・思った以上に深刻そうだね。」
「ええ、これは酷いですね。」
「・・・悪かったですね。」
想像以上の酷評に、僕は少し落ち込んだ。そんなに酷いのか、僕の笑顔は。
「一言で言うなら、表情が非常に硬い。おそらく、普段からあまり表情を変えることが少ないのだろう。」
「まあ、別に必要ありませんでしたしね。」
僕が少し不貞腐れながらそう答えると、その言葉に四方里がバンと教卓を叩いて叫んだ。
「勿体ない!実に勿体ないぞ、仔羊君!」
突然の大声に、僕は驚き、目を丸くした。
「な、何ですか。急に叫んで。」
「古代ギリシアのことわざにこんなものがある。『幸運の女神には前髪しかない』と。そして同時に私は思うんだ。その幸運を掴む為のきっかけというものは基本的に対人関係の中にあると。つまり、どんな些細と思える雑談のような人付き合いでも無駄にして良いものなんてありはしないと考えているのさ。」
拳を握り締め、力強くそう力説する四方里。何度も言うけれど、言っていることは本当に素晴らしいと思う。もっとも、初めに脅しをかけて僕をここに来ることを仕向けたことを考えていると、何言ってんだコイツはという思いもあった。
僕がそう心の中で白けていると、熱く語っていた四方里が握っていた手をポンと反対の手のひらに置いた。そして、何かを閃いたような顔をした。
「そうだ、良いことを思いついた。仔羊君、明日からは笑顔を作る練習を兼ねて、笑顔でクラスのみんなに挨拶をして回ってはどうだろうか?」
「・・・はあ?」
何言ってんだ、今度は純度100%の気持ちでコイツは何を言ってんだ?
「それは良い考えですね。仔羊、是非やってみてはいかがでしょうか?」
助守が恍惚とも思えるような良い笑顔で頷く。くそ、本人の同意なしで話を進めようとするんじゃあないよ。
「よし、夢莉くんの同意も得られたことだし、多数決で明日から仔羊君は笑顔でクラスのみんなに挨拶をしてもらうってことで、決定ぃ!」
「いやいやいや、ちょっとそんな横暴なっ。そんな僕の意見もないし、そんな勝手————。」
ここで僕はふとあることに思い至った。
そう言えばコイツらは五組で別のクラスの奴らだった。だったら、別に馬鹿正直にコイツらの言う事に従う必要は————。
「もしかして、今馬鹿正直に部長の言う事を聞く必要なんてないんじゃないか、何て事。考えたりしましたか?」
助守の言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
こ、コイツ。マジで読心術が使えるんじゃないのか?
そして、思わず助守の方へと目を向けた。
笑顔だ。先程までずっと無表情だったのに、笑顔だ。四方里の言う事が正しいなら、今の様に笑顔の方が人に良い印象を与えるはずなのに、僕には無表情の時よりもその笑みが不気味に思えてならなかった。
「言い忘れていた・・・と言うよりも伝える必要がなかったら黙っていましたが、実は私、こう見えて結構顔が広いんですよ。それこそ、一組にも何人か親しい友人がいるくらいには。そうですね、明日からはその友人達に会いにでも行くことにします。」
「あっ、いや、ちょっと待————。」
「ということで、今日の会議はここまで。明日から楽しみにしているよ、仔羊君。」
「それでは、また明日。」
話は済んだと言わんばかりに、二人はそそくさと教室を後にした。
「ちょっと・・・待ってくれよ。・・・無理だろ・・・、いきなり・・・。」
いきなり、これまでひっそりと過ごしていた日陰者の人間が、朝の挨拶をすること自体、死ぬほどハードルが高いのに。それを笑顔を作りながらだなんて。
「・・・む、無理だから待ってくださいよ・・・。」
ポツリと零れ落ちるように呟いたその言葉は、誰もいなくなった教室に静かに転がり落ちて、当然誰の耳に届くこともなく、ただ淋しく霧散していった。