笑顔を作ろう①
「それでは第一回、雛田陽葵攻略会議を始めよう!」
「・・・いぇーい。」
その日の放課後、僕は東棟一階にある少子化の影響で使われなくなった空き教室に来ていた。そして、教室の真ん中にポツンと一席だけ置かれた場所に着席すると、未だ名も知れない男と少女の茶番に付き合わせられていた。
なので、僕はどこか白けた気持ちで眺めていると、そんな僕に気が付いたのか、男がハッとしたような顔をした。
「そう言えば自己紹介がまだだったね。改めて、私は恋愛戦略部部長、二年五組の四方里博士だ。そして、こっちが————。」
「同じく恋愛戦略部副部長、二年五組助守夢莉。よろしく仔羊。」
仔羊という言葉に僕はピクリと苛立ちを覚えたが、一々腹立てていたらキリがないと思い、言葉を飲み込んだ。そして、一般的なマナーとして自分も自己紹介をすることにした。
「小柩です。小柩真宵。二年一組です。」
僕がそう自己紹介をすると、何故か男、いやこれからは四方里と呼ぼう。四方里がくつくつと含み笑いをした。
「真宵君か。まさに読んで字のごとく、迷える仔羊といったところか。」
相変わらずほとんど初対面だというのに、失礼な奴だ。けれど、一々ツッコんでいては話が進まない。だから僕は冷静を装いながら言った。
「ご託はいいので話を進めてくれませんか?」
「ふふふ、あわてんぼうだね君は。堪え性の無い男はモテないぞっ!」
「いい加減ぶっ飛ばしますよ?」
流石に怒りが限界を超えた僕は思わず本音が口から洩れる。だが、後悔はなかった。
それに、四方里も変わらず飄々としながら言った。
「おお怖い怖い。まったく、折角私が会議の前にアイスブレイクをしてやろうと思ったのに。しょうがない、会議を始めようか。」
どこがアイスブレイクだ。さっきから火炎放射器で鍋の湯を蒸発させるような事ばかりしている癖に。
そう心の中で思ったが、話が進まないので僕はまた言葉を飲み込むのだった。
そんな僕の怒りを尻目に、四方里は気を取り直すように軽く咳払いをすると、先程までの飄々とした顔つきから、見た目通りの眼鏡をかけた如何にも優等生といった真面目な顔で言った。
「まずは仔羊君。人間関係において変えることが出来ない絶対的なルールと言うか決まりは何だと思う?」
真面目な雰囲気でも僕のことは仔羊君呼びかよ。まあ、もういいか。
「いや、そんなこと考えたこともないですよ。もとい、僕は普段から人付き合いに関しては門外漢なんで。」
「そうか、まあ分からない方が普通かもしれない。何故なら人付き合いが得意な人も一々こんなことを考えるわけないからね。それに、かなり私の偏見も入る考え方だ。」
そう言うと、四方里はクルリと後ろに振り向き、黒板の方へと身体を向けると、しばらく補充されていないのか、かなり短くなった白のチョークを手に取った。そして、黒板の真ん中にでかでかと何か文字を書き始めた。
「・・・相手は変えられない。変えられるのは自分だけ?」
でかでかと書かれた文字をボソリと読み上げる僕。いや、それくらい口で言えよ。
内心、そんなことを思っているとその言葉を書き終えた四方里が満足そうな表情をしながら振り返った。
「そうだ。多くの人は対人関係において何か不具合が生じた時、相手がこうしてくれたらなあとかなんでアイツはこうしないだと相手の変化を望みがちだと思う。けれど、イギリスのことわざに「馬を水辺に連れてくることはできても、水を飲ませることはできない」とものがあるように、基本的に自分以外の誰かを思い通りにすることは出来ない。もっとも、小説とかのフィクションには、催眠術とかで相手を思い通りにしたり、マインドコントロールで相手を洗脳状態にしたりといったそのルールを否定しそうなものもあるっちゃああるけど、私からすればあくまでもそれは操られている人間がその状態を望んだ結果だと考えている。・・・ともかく、人間関係において相手を思い通りにすることは出来ない、ここまではいいかい?」
「・・・まあはい、なんとなく。」
「結構。つまり私はこう思うんだよ。恋愛を始めとする人間関係の構築を考えた時、大切なのは「どうすれば相手が自分を好きになってくれるのか?」という如何にも相手を変化させようという考えではなく、「自分が相手に好まれるような人間になる為にはどうすればよいのか?」という自分視点に立つことだと。」
「う・・・うん、まあそれはそうかもですね。」
悔しいけれど、この考え方に対して、僕は反論する余地はないと感じた。というか、想像以上にガチの戦略を立ていることに、僕は軽く動揺していた。
「以上のことから仔羊君。まず君がすることは何だと思う?」
「・・・ひ、雛田さん・・・に好かれるような人間になる、ってことですか?」
動揺しながらも、僕は絞り出すように答える。もっとも、このような感じになってしまったのは、動揺だけではなかった。
雛田さん。
そう、彼女の名前を呼ぶことすらこれまでなかった僕は、その名を口にするだけでかなりの気恥ずかしさを覚えていた。
「そうだその通り。偉いじゃないか仔羊君。」
「エライエライ。」
二人がまばらにパチパチと拍手をする。そんな二人に、僕からはすぐに気恥ずかしさが消し飛んだのだった。
「・・・それで?その為に僕に一体何をさせようという訳ですか?」
気を取り直す為に軽く咳払いをした後、僕がそう訊ねる。すると、待ってましたと言わんばかりに四方里は言った。
「簡単なことさ。仔羊君、今から君には笑顔を作る練習をしてもらおう。」