神速の将:耶律休哥⑥
〇灰燼と転属
979年、北の大地は、冷たい風が吹き荒れる冬の到来を告げていた。中原――中国の黄河流域を中心とした地域、つまり当時の中国の中心部を指す――を席巻――激しい勢いで広がり、支配すること――した大宋の軍勢が、ついに北漢の最後の砦、都・太原を包囲した。北漢は、長きにわたり遼との同盟によって命脈を保ってきたが、宋の圧倒的な武力の前には、もはや風前の灯火――今にも消えそうな灯火のように危うい状態――であった。
激しい攻防が続いた。宋軍は、まるで洪水のように城壁に押し寄せ、北漢の兵士たちは、疲弊――疲れ果てて弱ること――しきりながらも必死の抵抗を続けていた。しかし、物資は底を尽き、兵の士気は限界に達していた。北漢の皇帝は、ついに降伏を決断する。故郷と、これまで守り抜いてきた民のために、これ以上の犠牲を出すことはできないと判断したのだ。
その降伏の際、北漢の皇帝は、自国の最も優れた将軍である楊業を呼び寄せた。楊業は、かつて耶律休哥が遼への転属を誘った際にも、北漢への忠誠を理由に頑なに拒んだ男である。しかし、皇帝の言葉は、彼の心を深く揺さぶった。
「楊業よ、そなたの忠義は、この朕――皇帝が自分を指す言葉――が一番よく知っている。しかし、もはや北漢は滅びる。だが、そなたの武勇は、ここで朽ちるべきではない。宋に転属し、生き延びよ。そして、いつの日か、再びこの北の地で、漢人のために尽くすのだ。」
皇帝の言葉は、楊業にとって、まるで天秤にかけられたかのように重かった。天秤とは、物を量る道具で、ここでは二つの選択肢を比較検討する様子を指す。これまで貫いてきた忠誠と、亡き皇帝の遺志。彼は苦渋――非常に辛いこと――の決断を下した。不承不承――気が進まないまま――ながらも、楊業は宋への転属を受け入れたのである。彼の心は、故郷への哀惜――悲しみ惜しむこと――と、新たな運命への複雑な感情で満たされていた。
________________________________
宋の野望、北伐の号令
北漢を滅ぼした宋は、その勢いをさらに加速させていた。皇帝・太宗の目には、すでに北方の大国、遼の存在が映っていた。太宗は、全中国を統一し、真の天下を築くためには、遼という強大な壁を打ち破らなければならないと確信していたのである。
太宗は、即位以来、常に遼への敵対心を隠さなかった。彼は、北漢との戦いを通じて得た情報を分析し、遼の弱点を探っていた。そして、ついにその時が来た。979年の晩夏、太宗は、北方遠征、すなわち北伐の計画を立案した。北伐とは、北方へ軍を進めて敵を討つこと。これは、宋の国家としての威信をかけた大事業であり、並々ならぬ覚悟が求められるものであった。
宋の都、開封には、全国から精鋭部隊が招集され、その数、数十万にも及んだ。軍旗が風になびき、兵士たちの士気が高まる中、太宗は自ら閲兵――軍隊を視察すること――を行い、将兵たちに激励の言葉をかけた。
その大規模な北伐の参加者の中に、かつての北漢の将軍、楊業の姿があった。彼は、宋に転属したばかりであったが、その武勇は宋の朝廷にも広く知れ渡っていた。太宗は、楊業の優れた軍才を高く評価しており、彼を北伐の重要な一員として指名したのである。
________________________________
楊業、新たな戦場へ
楊業は、宋の将軍として北伐への参加を命じられた。それは、彼にとってあまりにも皮肉な運命であった。かつては敵として戦った宋の軍門に降り、今度はかつての同盟国である遼と刃を交えることになるのだ。彼の心は、葛藤――心の中で互いに矛盾する感情がぶつかり合うこと――に苛まれていた。苛まれるとは、苦しめられるという意味だ。
しかし、彼は武人である。命じられた任務を拒むことはできなかった。彼は、自らに課せられた運命を受け入れ、新たな戦場へと向かう覚悟を決めた。彼の表情は、一見すると平静を保っているように見えたが、その瞳の奥には、複雑な光が揺らめいていた。
楊業は、宋軍の隊列に加わり、北へと進軍を開始した。彼の脳裏には、遼の草原で出会った耶律休哥と耶律斜軫の顔が浮かんでいた。彼らと再び会う時、それは敵として、刃を交える時となるだろう。運命の皮肉が、楊業の人生を大きく翻弄――思い通りにもてあそぶこと――している。しかし、彼はその疾走するような運命の流れに身を任せ、新たな戦いの場へと向かっていった。遼と宋、二つの大国の衝突は、もうすぐそこまで迫っていた。そして、その戦いの渦中に、楊業という一人の将軍の、新たな物語が始まろうとしていたのである。
〇北の星、賢女の輝き
978年頃、北の大地、遼の国は、一人の賢明な女性の光に包まれていた。彼女の名は―睿智蕭皇后―後の世に承天皇太后と称されることになる人物である。この頃、彼女はまだ皇太后ではなく、夫である景宗皇帝の皇后として、遼の宮廷を支えていた。しかし、その聡明さ、洞察力――物事の奥底まで見通す力――は、すでに群を抜いており、景宗もまた、深く彼女を信頼し、その意見に耳を傾けていた。
宮廷の奥深く、睿智蕭皇后は静かに、しかし鋭い眼差しで、遠い中原――中国の黄河流域を中心とした地域、つまり当時の中国の中心部を指す――の動向を見つめていた。数年前、宋という新興の大国が、長らく遼の同盟国であった北漢を滅ぼしたばかりであった。北漢の滅亡は、遼にとって決して他人事ではなかった。宋の勢いは止まるところを知らず、その矛先が、いずれ遼へと向けられることは、誰の目にも明らかであった。しかし、承天皇太后は、その漠然とした――はっきりしない――脅威を、より具体的に、そして正確に予測していた。
彼女は、宋の皇帝・太宗の性格、そして宋の国力を綿密に分析していた。宋が単なる辺境の小国を攻め滅ぼすだけでなく、遼という大国に挑むだけの野心と準備を整えていることを、彼女は既に看破していたのである。看破するとは、見破ること。来るべき宋の大規模な北伐――北方へ軍を進めて敵を討つこと――を、彼女は正確に予測していたのだ。
________________________________
疾風の将、英知の御前へ
その予測が現実味を帯びるにつれて、睿智蕭皇后の行動は迅速になった。彼女は、来るべき戦に備え、遼の軍備を整えるよう景宗に進言し、同時に、遼の誇る二人の若き将星を呼び出した。一人は、耶律休哥、もう一人は、耶律斜軫である。彼らは、若くしてその武勇と知略――優れたはかりごと、作戦――を高く評価され、遼の未来を担うと目されていた。
二人が睿智蕭皇后の御前に罷り出ると、そこには凛とした空気が満ちていた。睿智蕭皇后は、彼らを見据え、静かに、しかし確固たる口調で語り始めた。
「休哥、斜軫。宋が、間もなく我ら遼に、大軍をもって攻め寄せるであろう。」
彼女の言葉は、まるで氷点下の風のように、二人の胸に突き刺さった。彼らは、宋の侵攻の可能性は感じていたものの、これほど明確に、そして具体的に予測されるとは想像していなかった。
「宋の皇帝・太宗は、全中国を統一する野望を抱いておる。北漢を滅ぼした今、次に狙うは、この遼の大地。彼らは、これまでにない規模の軍勢を整え、我々に牙を剥くであろう。」
承天皇太后の言葉は、戦場の地図を広げ、敵の布陣を見通すかのようであった。彼女は、宋軍の進軍経路、そして彼らが用いるであろう戦術までをも、詳細に語り始めた。
「我らは、来るべき侵攻に対し、先手を打って迎撃せねばならぬ。敵の攻勢を挫き、この遼の地に足を踏み入れさせることなかれ。」
________________________________
揺るぎなき誓い
睿智蕭皇后の語る言葉一つ一つが、二人の将の心に深く響いた。彼女は、単なる美貌の皇后ではない。その内には、類稀なる戦略眼――全体を見通し、物事の本質を捉える能力――と、国家の命運を背負う覚悟が宿っていた。彼女の言葉は、彼らがこれまで見てきたどの将軍の言葉よりも、真実味を帯び、彼らの魂を揺さぶった。
耶律休哥は、かつて彼女に出会い、その聡明さに心打たれた時のことを思い出していた。あの時、彼が抱いた「この人こそが、一生をかけて仕えるべき主である」という確信は、今、さらに強く、確固たるものとなっていた。
「睿智蕭皇后様…!」
休哥が、思わず声を上げた。その声には、深い感銘と、燃え上がるような忠誠心が込められていた。
斜軫もまた、感極まった表情でひざまずいた。
「我らが叡智の女王よ。あなた様の予測、そしてご命令、畏くも承りました。この耶律休哥、耶律斜軫、命に代えても、あなた様の命に従い、宋の侵攻を必ずや食い止めてみせましょう!」
叡智とは、深く優れた知恵のことだ。二人は、顔を見合わせ、深く頷いた。彼らの心には、承天皇太后への揺るぎない忠誠と、遼の未来を守り抜くという熱い誓いが漲っていた。漲るとは、満ち溢れるという意味だ。
睿智蕭皇后は、二人の忠誠心を感じ取り、静かに微笑んだ。その微笑みは、彼らの心に、新たな戦いへと向かう疾走感と、勝利への確信を与えた。遼の軍は、賢明な女王と、忠実な将軍たちの手によって、来るべき嵐に備え、その刃を研ぎ澄ましていく。北方の大地を舞台に、新たな歴史の奔流――激しい勢いで流れる水、ここでは激しい時代の流れ――が、今、始まろうとしていた。
〇979年、北の風、宋の嵐
979年、それは遼にとって、乾亨元年――遼の元号で、その始まりの年を指す――として歴史に刻まれる年となった。北の大地には、厳冬を思わせるような冷たい風が吹き荒れていた。中原――中国の黄河流域を中心とした、当時の中国の中心地を意味する――を席巻――激しい勢いで広がり、支配すること――した宋という新興の大国は、かつて遼の同盟国であった北漢を滅ぼしたばかりであった。その勢いそのままに、宋は次なる野望の矛先を遼へと向けた。
宋の皇帝・太宗は、遼が支配する燕雲十六州の奪還を目指し、大規模な侵攻を開始したのである。燕雲十六州とは、現在の北京を含む河北省と山西省の一部にあたる地域で、戦略的に非常に重要な場所であった。この地を巡る争いは、遼と宋の宿命とも言える戦いの始まりであった。太宗自らが指揮を執る宋軍は、まるで押し寄せる津波のように、遼の副都である南京――現在の北京を指す――を包囲した。その数、数十万。宋の軍旗が風になびき、その威圧感は、遼の兵士たちの心を重く沈ませた。
________________________________
宋軍の猛攻と遼軍の苦戦
宋軍の侵攻は、まさに電光石火の如くであった。遼の都にその報せが届くやいなや、各地の部隊は宋軍を迎え撃つべく、慌ただしく出陣を強いられた。遼の重鎮――その分野で重要な地位にある人物――である北院大王耶律奚低や耶律沙、そして蕭討古といった歴戦の将軍たちが、それぞれの部隊を率いて宋軍と激突した。
しかし、宋の勢いは凄まじかった。彼らは北漢との戦いで得た経験と、圧倒的な兵力をもって、遼軍に襲いかかった。宋軍の騎馬隊は、怒涛の如く遼軍の陣形に突入し、その歩兵もまた、堅固な槍衾――槍を構えて敵を防ぐ陣形――を築いて応戦した。遼軍は奮戦したが、宋軍の波状攻撃の前に、次第に劣勢に立たされた。幾度かの激しい交戦の後、遼軍は思うように戦果を上げられず、この時は敗北を喫し、撤退を余儀なくされたのである。
戦場には、敗走する遼軍の兵士たちの悲鳴と、宋軍の凱歌――勝利を祝う歌――が響き渡った。遼軍全体に、重苦しい空気が漂い始めていた。このままでは、南京、ひいては遼全体の命運が危うくなる。そんな絶望的な状況の中、一人の若き将星が、その疾風の如き才覚で、新たな希望の光を灯そうとしていた。彼の名は、耶律休哥。彼は、この困難な戦況を覆すべく、静かにその時を待っていた。