神速の将:耶律休哥⑤
〇草原を駆ける風
応暦15年(965年)の頃、北の大地、遼の国は、その広大な領土のあちこちで波紋を広げていた。波紋とは、水面に石を投げたときに広がる輪のように、影響が広がっていくことを意味する。遼の支配に不満を抱く部族たちが、密かに、あるいは公然と反乱の狼煙を上げていたのである。狼煙とは、昔、遠方に合図を送るために煙を上げたもので、ここでは反乱の始まりを告げる合図のことだ。
そんな時流の只中で、一人の若き武人が、その才能の片鱗――一部、わずかな部分――を見せつけようとしていた。彼の名は耶律休哥。後の世に、遼の軍事を牽引する傑物――非常に優れた人物――となる男である。
この年、遼の北方に住む烏古部と室韋部が、ついに大規模な反乱を起こした。彼らの騎馬隊は、風のように草原を駆け抜け、遼の支配地域を荒らし回った。この事態に、遼の朝廷は素早い対応を迫られた。反乱鎮圧の任を負ったのは、北府宰相の蕭幹。遼の政治と軍事を司る重職にある人物である。そして、その蕭幹の軍勢の中に、若き耶律休哥の姿があった。
耶律休哥は、まだ高官とは呼べない地位にあったが、その瞳には常に鋭い光が宿っていた。彼は戦場で、常に先陣を切って敵陣に突入し、その類稀なる武勇を発揮した。
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神速の用兵、嵐の如き戦い
反乱鎮圧の戦いは熾烈を極めた。熾烈とは、非常に激しい様子のことだ。烏古部と室韋部の戦士たちは、自らの土地を守るため、必死に抵抗した。しかし、耶律休哥の勢いは、彼らの抵抗を打ち砕いた。
初陣から、彼の用兵は他を圧倒していた。まるで嵐が草原を駆け抜けるかのように、彼の騎馬隊は敵陣へと突っ込んだ。その動きは常識を覆すほどに素早く、敵は彼らの接近を察知する間もなく、その槍衾――槍を構えて敵を防ぐ陣形――に飲み込まれた。耶律休哥は、常に戦場の最も危険な場所に身を置き、その剣は、舞い踊るように敵をなぎ倒し、その速さと正確さは、見る者を驚かせた。彼の騎乗技術もまた、群を抜いていた。荒々しい草原をものともせず、馬と一体となって疾走する姿は、まさに草原の風そのものであった。
しかし、彼の真骨頂――本来持っている最高の特質や能力――は、単なる武勇だけではなかった。彼は、戦況を瞬時に見極め、的確な判断を下す冷静さを持ち合わせていた。敵の動きを予測し、味方を巧みに配置するその指揮能力は、経験豊富な将軍たちをも唸らせるほどであった。
ある時、耶律休哥の部隊が敵の伏兵――隠れていて、不意に襲いかかる兵のこと――に遭遇し、絶体絶命の危機に陥ったことがあった。敵は丘の陰に潜み、遼軍の進路を完全に塞いでいた。通常ならば、ここで態勢を立て直し、援軍を待つのが定石――決まった方法、最善の手――だ。しかし、耶律休哥は違った。彼は一瞬にして状況を把握すると、即座に奇妙な命令を下した。
「左翼は散開し、右翼は急速に後退! 中央はそのまま突撃せよ!」
将兵たちは戸惑ったが、彼の命令の正確さを知っていたため、迷わずそれに従った。散開した左翼は敵の注意を引きつけ、後退した右翼は敵の側面を広く見せる形となった。そして、中央の部隊は、わずかな隙を突いて敵の最も手薄な箇所に突撃した。敵の伏兵は、遼軍の動きが全く読めず、陣形を立て直す間もなく混乱に陥った。耶律休哥は、その混乱に乗じて自ら先頭に立ち、敵の本陣へと一直線に切り込んだ。そのあまりの速さに、敵将は自軍が壊滅したことを理解する間もなく、その命を落としたという。彼のこのような臨機応変な対応――状況に応じて適切な処置をとること――と、大胆不敵な行動は、北府宰相の蕭幹の目にも留まることとなる。
蕭幹は、戦後、耶律休哥の功績を高く評価し、その才覚――優れた才能と知恵――を遼の皇帝に報告した。これにより、耶律休哥の名は朝廷に知られることとなり、彼の軍人としての頭角――才能や地位が際立って目立つこと――は、さらに顕著なものとなった。
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惕隠の職と未来への飛躍
応暦末年、その功績が認められ、耶律休哥はついに惕隠という官職に任命された。惕隠とは、遼の官職の一つで、皇族の政教を掌る重要な役職である。政教とは、政治と教育の両方を意味する。これは単なる武官としての地位に留まらず、遼の皇族との繋がりを深め、政治の中枢――物事の中心となる重要な部分――に足を踏み入れることを意味していた。若くしてこのような高位に就くことは、異例中の異例であり、耶律休哥に対する期待の大きさを物語っていた。
惕隠となった耶律休哥は、更なる高みを目指し、その才能を惜しみなく発揮していった。彼が草原を駆ける風のように、遼の軍事力を強固にし、その後の歴史において数々の重要な局面で、その名を轟かせることになる。若き日の反乱鎮圧の戦いは、耶律休哥が飛躍するための序章――物事の始まり、導入部分――に過ぎなかったのである。彼の疾走するような人生は、これからさらに加速していくのだった。
〇北の風、南の炎
976年、中原――中国の黄河流域を中心とした地域、つまり当時の中国の中心部を指す――には、大宋という強大な王朝が隆盛を誇っていた。その圧倒的な武威は、かつて乱立した諸国を次々と飲み込み、天下統一の趨勢――物事の移り変わりの傾向――を決定づけようとしていた。しかし、北の地には、いまだ宋の覇権に抗い続ける国があった。それが、かつて耶律休哥が仕えた北漢である。北漢は、宋の猛攻に晒され、風前の灯火――今にも消えそうな灯火のように危うい状態――となっていた。
そんな中、北漢から遼へと、救援の要請が届いた。遼は、北方の広大な草原を支配する遊牧民族の国家であり、北漢とは長年にわたる同盟関係にあった。この要請に、遼の朝廷は動いた。派遣された援軍の指揮を執るのは、若き日の耶律休哥と共に睿智蕭皇后に忠誠を誓った盟友、耶律斜軫であった。
斜軫は、その名の通り、馬を駆る姿はまさに疾風の如く、一瞬にして広大な草原を駆け抜けていく。彼の部隊は、遼の精鋭騎馬隊。その蹄の音は、宋軍を恐怖に陥れる嵐の予兆――何かが起こる前触れ――であった。彼らは、北漢の最後の砦へと、ただひたすらに、しかし迅速に突き進んだ。
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疾風の如き援軍
北漢の都、太原は、すでに宋軍の幾重もの包囲網に囲まれていた。城壁には激しい攻防の跡が生々しく残り、兵士たちの疲労は極限に達していた。落城は時間の問題と誰もが思っていた。その時、遠く北の空に、塵を巻き上げながら迫る影があった。それは、遼の援軍、耶律斜軫率いる騎馬隊であった。
斜軫の到着は、まさに神速の如きものであった。宋軍は、遼の援軍がこれほど早く到着するとは予想だにせず、その不意を衝かれた。斜軫は、躊躇なく、宋軍の最も手薄な箇所へと突撃を命じた。彼の指揮は的確で、遼の騎馬隊はまるで一つの生き物のように連携し、宋軍の陣形を切り裂いていく。その猛攻は、嵐が全てをなぎ倒すかのように激しく、宋軍は混乱の渦に飲み込まれた。
耶律休哥もまた、この戦局を遠くから見守っていた。彼自身は援軍の指揮官ではなかったが、斜軫の勝利を信じて疑わなかった。彼の耳には、遠くから聞こえる戦場の轟きと、遼軍の雄叫びが届いていた。それは、友の活躍を告げる吉報――良い知らせ――であると確信していた。
斜軫の活躍は、北漢の救援に大きく貢献した。宋軍の包囲網は突破され、北漢の都は一時的にではあるが、その息を吹き返した。この功績は、遼の朝廷においても高く評価された。
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勝利の祝宴と新たな旅立ち
戦いの後、勝利の報せが遼の都に届いた。そして、耶律斜軫は、その功績を認められ、南院大王という高位の官職に任じられることになった。南院大王は、遼の南部に位置する漢人居住地の統治を司る、非常に重要な役職である。これは、斜軫が単なる武勇に優れた将軍ではなく、政治手腕をも兼ね備えた人物として認められたことを意味していた。
斜軫の昇進の知らせは、耶律休哥の元にもすぐに届いた。休哥は、友の栄誉に心からの喜びを感じた。彼はすぐに斜軫の元へと駆けつけ、熱い抱擁を交わした。
「斜軫! よくぞやってくれた! まさに神速の用兵、天晴れ(あっぱれ)であったぞ!」
休哥の言葉に、斜軫は誇らしげに胸を張った。
「休哥も見ていてくれたか! お前と出会って以来、常に共に高みを目指してきた。今回の功績は、お前との絆があってこそだ!」
二人は、若き日の誓いを新たにするかのように、互いの顔を見つめ合った。承天皇太后への忠誠、そして遼の繁栄という共通の目標が、彼らを結びつけていた。彼らは、勝利の祝宴を共にし、酒を酌み交わしながら、これまでの苦難と、これからの遼の未来について語り合った。
北漢の命運は、やがて尽きる時が来るかもしれない。しかし、遼の軍勢は、耶律休哥と耶律斜軫という二人の将星に導かれ、さらに強固なものとなっていく。彼らの疾走するような人生は、これからも北の大地を駆け巡り、数々の伝説を築き上げていくのである。
〇孤高の将と北の風
976年の晩秋、北の大地、遼の都には、冷たい風が吹き抜けていた。しかし、その寒さとは裏腹に、宮殿の一室には熱気を帯びた空気が満ちていた。そこには、遼の若き将星、耶律休哥と耶律斜軫の姿があった。彼らは、つい先日、宋の猛攻に晒されていた北漢を救援し、見事な勝利を収めたばかりである。その功績を称え、北漢から一人の使者が訪れていた。彼の名は、楊業。北漢随一の武将として、宋軍を幾度となく退けてきた、孤高の将軍である。
楊業は、救援の礼として、北漢皇帝からの謝礼品を携え、遼の皇帝の元へとやってきた。その顔には、長きにわたる戦いの疲労と、祖国の苦境が深く刻まれていた。休哥と斜軫は、その楊業を迎え入れた。互いの武勇を知る者同士、言葉を交わす前から、奇妙な連帯感が漂っていた。
「楊将軍、この度は遠路はるばるようこそ。貴国の苦境、我らも痛感しております。」
耶律休哥が先に口を開いた。彼の言葉には、武人としての敬意と、同盟国への思いが滲んでいた。
楊業は、静かに頭を下げた。
「耶律将軍、耶律斜軫将軍、この度の貴国の救援には、心より感謝申し上げます。遼の騎馬隊の疾風の如き到着がなければ、北漢の都はすでに落ちていたことでしょう。」
斜軫は、楊業の言葉に謙遜の笑みを浮かべた。
「楊将軍の武勇あればこそ、我らの援軍も生きたのです。宋の猛攻に耐え抜く貴国の粘り強さには、ただ感服するばかりです。」
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滅びゆく国の影
酒が酌み交わされ、談笑が続く中で、話は次第に北漢の現状へと移っていった。楊業の口から語られる北漢の状況は、休哥と斜軫が想像していた以上に厳しいものであった。宋軍は、まるで洪水のように次々と押し寄せ、北漢の領土を蚕食――蚕が桑の葉を食い荒らすように、少しずつ侵略すること――していた。北漢の兵士たちは、疲弊――疲れ果てて弱ること――しきっており、物資も底を尽きかけているという。
「もはや、我々の力だけでは、いつまで持ちこたえられるか…。」
楊業の言葉には、深い諦観――物事の真理を見通し、達観すること、ここでは運命を受け入れるような気持ち――が込められていた。彼の表情は、一瞬の間に、これまで見せていた武人の強さから、祖国を憂う一人の男の悲哀へと変わった。
休哥と斜軫は、その言葉に胸を締め付けられる思いがした。彼らは、北漢が宋に滅ぼされることは、時間の問題であると理解した。そして、この場で、耶律休哥の心に、ある強い思いが湧き上がった。
「楊将軍。」
休哥は、真剣な眼差しで楊業を見つめた。
「貴国の状況は、理解いたしました。しかし、将軍ほどの武勇を持つ者が、このまま朽ち果てるのを見るのは忍びない。」
忍びないとは、つらくて見ていられないという意味だ。
「いざと言うときは、遼に来てくれ。我々と共に戦おう。遼には、貴方の武勇を存分に振るう場がある。我らと共に、宋の野望を打ち砕こうではないか!」
休哥の言葉は、まるで疾風のように楊業の心を揺さぶった。遼の庇護――保護、守ること――を受ければ、少なくとも命は永らえ、再び戦う機会を得られるかもしれない。しかし、楊業の答えは、揺るぎないものであった。
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忠誠の狭間で
楊業は、深く息を吸い込み、ゆっくりと首を横に振った。
「耶律将軍、そのお心遣い、痛み入ります。しかし、私は北漢の将。この身は、北漢の土と共にあります。たとえ国が滅びようとも、最後まで、この北漢への忠誠を貫くのが、私の武士としての道。」
楊業の言葉には、悲壮なまでの覚悟が宿っていた。彼は、遼からの申し出を丁重に断り、自らの信念を貫こうとしていた。休哥と斜軫は、その揺るぎない忠誠心に、感嘆の念を禁じえなかった。彼らは、楊業の決意を尊重し、それ以上、彼を引き止めることはしなかった。
酒宴が終わり、楊業は北漢へと帰っていった。彼の後ろ姿は、遼の都に吹く晩秋の風の中に、まるで消え去ってしまうかのように儚く見えた。儚いとは、あっけない、はかないという意味だ。休哥と斜軫は、彼の後ろ姿を見送りながら、複雑な思いを抱いた。彼らは、やがて来るであろう北漢の滅亡、そして、楊業という傑出した武将の運命に、静かに思いを馳せた。
この出会いは、耶律休哥の心に深く刻まれた。楊業の忠誠心と武人としての生き様は、彼の今後の戦いにおいて、常に彼の心に影響を与え続けることになる。遼と宋、そして北漢という三国の間で、それぞれの将たちがそれぞれの信念を胸に疾走していく時代。その中で、彼らの運命は交錯し、新たな歴史が紡がれていくのである。