神速の将:耶律休哥④
〇耶律休哥の従軍
遥か北の大地、遼の国に、後にその名を轟かせることになる男がいた。彼の名は耶律休哥。風を切り裂くような速さで馬を駆り、その瞳には常に戦場の先を見据える鋭い光が宿っていた。応暦年間、960年代前半のことである。彼が軍人としての第一歩を踏み出した時、遼の広大な草原は、まだ彼がどれほどの伝説を築き上げるかを知らなかった。
休哥は、生まれながらにして戦の才を持っていた。彼の訓練は、日々の鍛錬の繰り返しだった。弓を射る。馬を走らせる。槍を振るう。一つ一つの動作に無駄がなく、まるで体の一部のように武器を操る。彼が弓を引けば、矢は一直線に的を射抜き、その正確さは見る者を驚かせた。馬に乗れば、風のように駆け抜け、地形の起伏をものともしない。その疾走ぶりは、あたかも大地そのものが彼の意志に従っているかのようだった。
ある日、休哥は荒々しい気候の中、訓練をしていた。雪が舞い、風が吹き荒れる厳しい状況でも、彼の動きは鈍らない。その姿は、周囲の兵士たちにとって、まぶしいほどに輝いていた。彼らは休哥の鍛え抜かれた肉体と、決して諦めない精神に、静かな尊敬の念を抱いていた。
そんな休哥の姿に触発された男がいた。彼の名は耶律斜軫。休哥と同じく、遼の国の貴族の子弟である。斜軫はこれまで、軍人の道には特に興味を持っていなかった。しかし、休哥が戦場で示す圧倒的な力と、日々の訓練で見せるひたむきな姿勢を目の当たりにするにつれて、彼の心に変化が訪れた。
「休哥殿は、なぜあれほどまでに強いのか?」斜軫は自問自答した。彼は、休哥がただ単に才能に恵まれているだけでなく、その裏に計り知れない努力があることを知った。休哥の放つオーラは、斜軫の心に火をつけた。まるで、これまで眠っていた何かが覚醒したかのようだった。
「私も、武人として生きていきたい」
斜軫の決意は固かった。彼は休哥に近づき、その思いを打ち明けた。休哥は、斜軫の熱意に静かに頷いた。言葉は多くなかったが、その眼差しは、斜軫の新たな挑戦を歓迎しているようだった。
斜軫は、休哥に続くように武人の道を歩み始めた。彼もまた、休哥と同じように厳しい訓練に身を投じた。最初は慣れない動きに戸惑い、思うように体を動かせないこともあった。しかし、休哥の背中を追いかけるように、彼は着実に力をつけていった。
休哥は、斜軫にとって目標であり、同時に良き友でもあった。二人は互いに切磋琢磨し、それぞれの武術の腕を磨き上げていった。切磋琢磨とは、つまり、互いに励まし合い、競い合うことで、自分自身の能力を高めていくという意味だ。彼らは、時には荒野を駆け巡り、時には互いに剣を交え、そのたびに強さを増していった。
広大な遼の草原に、二人の若き武人の疾走する姿があった。彼らの蹄の音は、やがて来るであろう激しい戦乱の時代を告げる、予兆のようでもあった。休哥と斜軫。この二人の物語は、今、まさに始まったばかりだった。風は彼らの髪をなびかせ、その目は遠く、まだ見ぬ未来を見つめていた。彼らは、その若き情熱と才能を胸に、伝説へと駆け上がっていくのだった。
〇風の如き邂逅
北の大地、遼の国に、二人の若き武人がいた。一人は耶律休哥、もう一人は耶律斜軫。彼らはまだ駆け出しの戦士に過ぎなかったが、その胸には並々ならぬ武への情熱と、いつか名を馳せるであろうという予感めいたものが渦巻いていた。彼らが暮らす遼は、広大な草原を支配する遊牧民族の国家であり、その力は日に日に増していた。
ある日、若き二人は、ある人物との出会いを果たす。それは、後の遼の歴史を大きく動かすことになる、睿智蕭皇后―のちの名を承天皇太后――であった。彼女はまだ若く、しかしその瞳には、並外れた知性と揺るぎない意志が宿っていた。
二人が彼女と初めて言葉を交わしたのは、ある軍議の場であった。遼の部族間で起こった小競り合いの報告がなされ、その解決策が話し合われていた。経験豊かな将軍たちがそれぞれの意見を述べる中、睿智蕭皇后は静かに耳を傾けていた。その時、好戦的な将軍が声を荒げた。
「この度の部族間の争い、やはり武力をもって制圧すべきかと存じます!」
しかし、すぐに慎重な将軍が異を唱える。
「しかし、それでは後の禍根――後々まで残る悪い影響――を残すだけ。ここは穏便に解決すべきでしょう。」
議論が堂々巡りになる中、睿智蕭皇后が静かに口を開いた。
「皆様、少々お待ちを。」
その声は澄み渡り、場の空気を一変させた。一同、睿智蕭皇后の方を向き、その言葉に耳を傾ける。耶律休哥と耶律斜軫は思わず顔を見合わせた。
「確かに武力による制圧は迅速でしょう。しかし、あなたの申す通り、それは根深い対立を生む可能性があります。争いの本質は、領地の境界線にあるのではなく、両部族の家畜を巡る利害の対立にこそあると、私は見ております。」
将軍たちがざわめき始める中、耶律休哥と耶律斜軫は、彼女の言葉の深みに引き込まれていく。
「よって、両部族に新たな放牧地を提案し、同時に、家畜の数を制限する取り決めを設けてはどうでしょう。さらに、今後同様の問題が起きた際には、双方の代表者が集い、公正な第三者のもとで協議する場を設ける。これにより、彼らは互いの存続を認め合い、永続的な平和へと繋がるはず。」
好戦的な将軍が驚きに目を見開いた。
「新たな放牧地、そして家畜の数まで…!まさかそのような発想が…!」
慎重な将軍も感嘆の声を漏らす。
「それに公正な第三者による協議とは…これまでの慣例にはない、しかし理にかなった策です!」
耶律休哥は思わず小声で耶律斜軫に呟いた。
「…なんと、この御方は…!」
斜軫もまた、感嘆に震える声で応じた。
「我らが考えもしなかった、まさに叡智の極み…」
叡智とは、深く優れた知恵のこと。二人は睿智蕭皇后の聡明さにただ圧倒されるばかりであった。
睿智蕭皇后は、穏やかながらも強い意志を込めて将軍たちに問いかけた。
「いかがでしょう、皆様。力ずくでねじ伏せるだけが、統治ではありません。真の統治とは、人々の心を理解し、調和を生み出すことにあると、私は信じております。」
将軍たちが感服した様子で頭を垂れる中、耶律休哥と耶律斜軫は、睿智蕭皇后の言葉に全身が痺れるような感覚を覚えた。彼らの心に、ある確信が芽生え始めていた。
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揺るぎなき忠誠の誓い
軍議が終わり、睿智蕭皇后が席を立った後も、耶律休哥と耶律斜軫は呆然と立ち尽くしていた。
「…斜軫。今、我々は、とんでもないお方に出会ってしまったな。」
耶律休哥の言葉に、耶律斜軫は深く頷いた。
「ああ、休哥。あれほどの知性と、人を見抜く洞察力――物事の奥底まで見通す力のことだ――を持つ方は、他にいないだろう。」
「我らはこれまで、ただ武力だけを追い求めてきたが…真の力とは、あの御方が持つ叡智なのだと、今、はっきりと理解した。」
耶律休哥の言葉に、斜軫も同じ思いを抱いていた。
「そうだ。このお方こそ、我々が一生をかけて仕えるべき主だ。他の誰でもない。」
二人は互いに頷き合う。そして、その場で深く頭を垂れた。それは、睿智蕭皇后への、揺るぎない忠誠の誓いであった。
耶律休哥は心の中で誓った。「睿智蕭皇后様…この耶律休哥、生涯をかけて、あなた様にお仕えいたします。あなた様の知略――優れたはかりごと、作戦――を、この身をもって具現――形にして表すこと――してみせましょう。」
耶律斜軫もまた、心の中で続いた。「私もまた、この身命――命と身体――を賭して、あなた様の天下統一の助けとなることを誓います。」
二人の若き武人は、新たな決意を胸に、遼の未来をその足で駆け抜けていくことを誓った。彼らの疾走するような人生は、ここから始まったのである。
〇乱世の萌芽と将星の輝き
五代十国時代――それは、唐が滅びてから宋が天下を統一するまでの、およそ半世紀にわたる血と硝煙に彩られた激動の時代であった。
中原には短命な王朝が次々と興亡し、地方には十を超える国々が乱立し、互いに覇権を争っていた。覇権とは、強い力をもって支配権を握ることを意味する。この混沌とした時代の中、今日の物語の舞台となる北漢が、その姿を現そうとしていた。
時は951年。後漢という王朝が、その短い歴史に幕を閉じようとしていた。後漢の建国者である劉知遠の弟、劉旻は、兄の死後、その子である隠帝が即位するが、まもなく重臣によって殺害されるという事態に直面する。
この混乱に乗じて、劉旻は太原の地で皇帝を称し、国号を漢とした。これが後に北漢と呼ばれることになる王朝の始まりである。北漢は、五代十国時代の中で唯一、北方を拠点とした漢人の王朝であり、その命運は常に風前の灯火――今にも消えそうな灯火のように危ういものであった。
周囲を強大な敵国に囲まれながらも、北漢はしたたかに生き残りの道を模索し、契丹――後に遼と国号を改める遊牧民族の国家――の力を借りることで、その独立を保っていたのである。
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若き将の台頭
この乱世の只中で、一人の若者が軍人としての頭角を現しつつあった。
彼の名は楊業。後の世に「楊家将」と称されることになる武門の棟梁である。棟梁とは、その分野で最も優れた人物、または中心となる人物を指す。
楊業は、もともと後漢の河東節度使――地方の軍事を司る役職――であった劉崇に仕えていた。
劉崇は、先述の北漢の建国者である劉旻と同一人物である。楊業は若い頃から武勇に優れ、その才能は劉崇の目にも留まっていた。
楊業の軍人としての才能が最初に輝きを放ったのは、後周との戦いにおいてである。
後周は、後漢の後を受けて中原に興った強力な王朝であった。北漢は建国以来、常にこの後周の脅威に晒されており、両国の間では幾度となく激しい戦が繰り広げられた。ある時、後周の大軍が太原に迫った際、楊業は寡兵――少ない兵力――を率いて敵の猛攻を防ぎきった。
この時の彼の戦いぶりは目覚ましく、兵士たちは彼を「楊無敵」と称し、その武勇を讃えたという。無敵とは、誰にも負けないほど強いことを意味する。
しかし、楊業の運命は北漢と共に常に厳しい試練に直面した。北漢は強大な後周の圧力を受け続け、やがて宋が天下を統一する時が訪れると、その矛先はついに北漢へと向けられることとなる。
楊業は、その圧倒的な武力と智謀――優れた知恵と策略――をもって、北漢の防衛の要として活躍し続ける。
彼の指揮の下、北漢軍はしばしば宋軍を撃退し、その存在感を示した。しかし、時の流れは残酷であり、個人の武勇だけでは抗い難い運命が彼らを待ち受けていたのである。楊業の輝かしい軍歴は、北漢の滅亡という悲劇的な結末へと繋がっていくが、その名は後世に語り継がれる伝説となるのであった。