6.人呼んで『氷の皇太子』。彼は私の手汗が好物なようです。
「……ふっ。この距離で声が届くか。
風の魔法だな」
あ、やべ。
帝国の皇太子グランバートまでの距離はおそよ三百メートル。
普通なら話し声なんて聞こえるはずがない。
でも私は聴覚なんかの感覚器官を強化してるし、さらに無意識に風の魔法で周囲の話し声を拾ってるから、あの人までの距離がだいぶ離れていても声を拾うことができる。
で、それが相手にバレた。入学したばかりの学院生が普通は使えない魔法が。
向こうもこちらの声を拾ってる。
グランバートは風の魔法は使えないから、たぶん単純に全属性共通の身体強化の魔法で聴覚を強化してるんだ。
この物語の世界には魔法がある。
そして魔法は六つの属性に分類される。
火、水、土、風、光、闇だ。
基本的に皆それぞれどれか一つの属性の魔法が使える。
だいたいの人は火、水、土、風の四大属性のどれかに属する。光はレア。闇はさらに激レア。
ルミナリアは闇。まさに選ばれた存在。
で、あそこにいる銀髪青目の長身イケメン。ティダート帝国の第一皇子にして皇太子であるグランバートもまた闇の属性。
珍しい者同士の運命的なカッポーなわけ。
「こちらに来い。
貴様に話がある」
「え、普通に嫌なんだが」
なんで帝国の皇太子がこの国の王立学院におるん?
てか、なんで皆あいつに騒がんの?
帝国の皇太子だよ? 超絶長身イケメンだよ?
いくら『氷の皇子』の異名を持つほど鋭くて冷たい瞳をしているとはいえ、「但しイケメンに限る」のイケメンの方の部類の人よ?
貴族令嬢様方はイケメン大好きでしょ?
キャーキャー騒ぐやろ、普通。
私もまあ、嫌いではない。いや、正直イケメンは好きだ。しかも二次元レベルの超絶イケメン。てか、正直この物語での推しはあの人だ。
あんなクールで冷酷で残酷で他人を寄せ付けないオーラを放ってるのに、ルミナリアたんにはデレデレになるんよ、あの人。
クールなんだけど大好きなのバレバレ、みたいな?
ちょっと手が触れただけで耳が赤くなって立ち去っちゃうようなツンデレっぷりなのよ。たまらん!
「……聴いているのか」
「はっ!」
あかん。また脳内お花畑にトラベルミンしとった。妄想機関車の乗り物酔いにご注意。
「今さら聴こえていないふりなど通用すると思うなよ。
来なければ貴様がただの凡才ではないことをこの学院の人間全員にバラす」
「……え、それはうざ」
「……殺すぞ」
「へーいへい。いま行きますよー」
「……貴様。私をナメてるのか」
「まーさかー。天下の皇太子殿下にナメた口なんてききませんよー。
殿下に告げ口なんてダサいマネさせられませんからねー」
「……ふっ。いい度胸をしている」
なに楽しそうにしとんねん。
私はそうやって人がバラされたくないことをネタに脅してくる奴が一番嫌いなんよ。
いーやん。べつに。
好き嫌いなんて人それぞれやん。
隠したいことだって人それぞれやん。
それを弄ぶようなら私は真っ向から受けて立ってやるよ。
「いいよ。行くよ。
ついていくから早く案内してよ」
「……ふっ。こっちだ」
私がふて腐れながら言うと、グランバートは鼻で軽く笑ってから踵を返し、人気のない方へと歩いていった。
「……はあ。なんかうまいこと乗せられた気もするなー」
少しだけ落ち着くと、私を誘い込むためにわざとあんな態度を取っているような気がしてきた。
私の反応を見ながら対応を変えてるんだ、たぶん。
「……まあ、行くしかないか」
まんまとハメられた気がするけど、今はとりあえず行かないとだよね。
グランバートがここにいる理由も、私を呼んだ真意も探らないといけないし。
だって、こんな展開そもそも存在しないから。
グランバートは本来ならルミナリアが婚約破棄されて帝国に追放されてから、ようやく初めて登場するキャラクターだから。
「……事実は小説より奇なり、か」
物語には登場していなくても各登場人物たちは同じ時間にどこかに存在し、それぞれで人生を過ごしているんだ。
そういう意味では、物語の語り部視点でしかこの世界を知らない私は圧倒的に想像力が足りていないんだ。神の視点から視ていたはずなのに視野が狭かったってことだ。
ルミナリアと出会う前、グランバートはこの王立学院にいたかもしれない。でも、それは物語では描写されていなかった。そういうことなのかも。
そんな重要なエピソード描いとけよと思うが、実際書かれていなかったのだから仕方ない。
まずは話をしよう。
入学式まではまだ時間がある。
話を聞いて、出方を窺って、今後の身の振り方を考えよう。
できれば可能な限り、これ以上メインキャラたちとは関わりたくはないのだけれどもね。
そうして、私は学院の中にある森へと静かに消えていくグランバートの大きな背中を追ったのでしたとさ。
「……この辺りでいいか」
「……ずいぶん離れましたね」
グランバートについて歩くこと十数分。私たちは森の中にいた。
人の気配は皆無。
向こうの方に入学式の会場に向かう人々の気配を感じるだけで、誰もこんな森の中に気なんて配ってない。
つまり、今ここは完全に私とこの人の二人だけ。誰かが潜んだりもしていない。
この人は完全に一人で私と対峙してるんだ。
「……」
「……」
いや、なんか言えや。
立ち止まって向き合った途端、なんで無言で見つめてくんねん。
視線は鋭いけど、かすかに口元がニヒルに歪んでおりますぜ、イケメンさん。
てか、イケメンが過ぎるやろ。
どんだけ整った顔面しとんねん。
切れ長の鋭くて冷たい瞳がゾクゾクするのだが? で、銀髪青目やろ? 無敵か?
「……」
「……」
いや、マジでなんも言わんのだが?
え? 寝てる?
もう帰ろかな。
「……」
「!」
こいつ。
「……」
かすかに殺気を飛ばしてきた。
私の首を腰に差す剣で斬り飛ばすイメージが伝わる。
やめて、それはマジでシャレならんから。未来の予想図的なあれだから。
「……用がないのなら私はこれで失礼させていただきますが?」
ま、それに反応してやるほど愚かじゃないけど。
逃げよ。
こんな怖いイケメンからは逃げるに限る。
逃げるは恥だが何とやらってね。
「……ふむ。貴様。やはり噂通りの腕前のようだな」
「……!」
私が気付いてることに気付かれた?
そんなバナナ。
眉ひとつ動かさなかったはずなのに。
「逆だ。
今のは多少なりとも魔法が使える者ならばプレッシャーぐらいは感じるものだ」
「!」
「だが、貴様は冷や汗ひとつ流さず、眉ひとつ動かさずにこの場を立ち去ろうとした。
それは私が殺そうとしたことに気付いてはいるが、気付いていないフリをした者の動きだ。
しかも一切の動揺を見せずに全く気付いていないフリをしてみせた。
実際に私が動いたとて、対処できる自信があったのだろう」
「……」
ハメられた。
グランバートがここまで出来るなんて。
頭も切れて腕もたつ。
思ったより厄介な相手だ。
さすがは私の首をぶった斬る予定の男。
「まあ、先ほどの時点でほぼほぼ確信はしていたがな」
「……と、言いますと?」
先ほどってどこほど?
「あの筋肉ダルマの振り下ろしを受けた時、お前はそれを完全に目で追っていたな。
その上でそれをどう避けるか、どう対処するか考える余裕まであった。
あの場にいた者で気付いた者はいなかったようだが、それなりの実力者が見ればバレバレだったぞ」
「……っ」
そんな所まで見られていたなんて。
突然の出来事に硬直して動けなくなった気弱な令嬢を演じたつもりだったけど、冷静すぎたか。
私がグレースになってからステラとずいぶん練習したつもりだったけど、本物は誤魔化せないってとこかね。
まあ、他に気付いた人がいなかったのなら御の字ってことにしよう。
てか、あんたも筋肉ダルマって呼ぶんやね。
「……それで?
殿下はそれを知って、どうなさるおつもりなのですか?」
「……」
再びの氷のような冷たい目。
全てを見透かしてくるかのような恐ろしく冷たい瞳。
あかん。
なんか手汗かいてきた。
顔には出ないようにしてるけど、私の手のひらはもうびっしょびしょよ。
もともと手汗フィーバー体質なんよね、私。
スカートで拭きたいけどそんなことしたら動揺してんのバレバレだしなぁ。てか、あとでステラさんに怒られそうだしなぁ。
「……私は帝国にとって脅威となる存在を捨て置くわけにはいかない」
「っ!」
冷たい瞳がさらに暗く冷たく沈んでいく。
さっきの殺気が児戯と言わんばかりのえげつない冷たさ……あ、さっきの殺気ってダジャレがサムイって意味じゃないよ、念のため。
「……私は、帝国と敵対するつもりはありませんよ」
「ふっ。アイオライト家の娘がそれを言うか」
あー。バレてーら。
この国の王家を掌握して、いずれは帝国を支配下に置こうと私の家が考えてることが帝国の皇太子であるこのイケメンに露見しとる。
この人は、それを調査するために学院に潜入しに来たんだろうか。
「……」
どうするか。
どう動けばこの場を逃れられる?
おバカなフリでもしてみる?
鼻ほじりながら泣き叫んで逃走する?
いや、なんかそれはそれで怒って始末されそうだな。
てか、ドン引きされそうだな。
てか、一番の敵国に自分たちの目的を簡単に看破されんなよ父上。情報漏洩甚だしいぜよ。
「……というか、なぜ殿下がこの学院にいるのですか?
そもそも、帝国の皇太子がいるのに誰もそれを気にしないのも……」
「ふっ。考える時間を稼ぐか」
バレてーら。
「まあいい。
私がこの学院にいるのは調査のためだ」
「調査、ですか」
「ああ。帝国との友好条約を提案してきた王国の調査がメインの名目だな」
そっか。もうこの段階から国王は帝国との友好関係を考えていたんだ。
だからあの父親は急いで計画を進めようとしたわけだ。
てか、調査のために皇太子様が直々に潜入するん? そんなことある?
まあ、これが真実とは限らないか。この人が語った言葉を真実だと判断する材料が私にはない。真相を告げたように見せて全くの逆方向を向かされてる可能性もある。
確証を得られるまでは簡単に鵜呑みにしない方が良さそうだ。
「……と、それはまあ建前上の理由で、私の一番の目的は貴様だ」
「……私、ですか?」
ほわい?
こんなちっちゃくてお胸おっきくていたいけでめちゃかわな私を?
あ、もしかして可愛すぎて? 困っちゃうぜ~。
「……ふっ」
「えっ?」
きょとんとした顔をしてると、グランバートはおもむろに私に近付いてきた。
一瞬でグランバートの整った綺麗な顔が間近に。身体強化の魔法で縮地を?
「っ!」
しまった。油断した。
こんな至近距離まで接近を許すなんて。
急いで離れないと。
「っ!?」
「逃がさん」
後ろに下がろうとしたけど、グランバートは私の手を掴んでいた。
「げ」
てか、手のひら掴まないで!
いま手汗満載だから!
それ絶対『びちゃ』って言ったから!
「ぬっ!?」
「ほりゃっ!」
……うん。手汗で滑って脱出できたわ。ぬるん、て。
不名誉極まりない脱出方法でごわす。
「……」
「見るな~!!」
自分の手をじっと見つめるグランバート。
そこにはきっと私の大量の手汗がががががっ!
「……」
「え? ちょっ!」
グランバートはなぜか私の手汗が満載なはずの自分の手のひらに顔を近付けていった。
そして……
「……しょっぱいな」
「舐めんな~!!」
なにしてんねん! ワレボケェッ!
人の手汗ついた手のひら舐めるか普通!?
信じられない。マージで信じられないんだがこのイケメンは! いや、変態は!
イケメンなら何でも許されると思うなよ!
但しイケメンに限るでも限らないこともあるんだよ!!
「……ふむ」
「おかわりするなぁ~!!」
ふむ。じゃないよ! なにもっかい舐めてんの!?
止めに行きたいけど近付くのは危険だし。ああもう。ここから遠距離魔法でぶっ○してしまおうか!!
「……なるほど」
何がなるほどじゃボケぇっ!
「……闇以外の全ての属性に適性があるとは。これは確かに凄まじいな」
「……へ?」
な、なんでそれを?
「しかもどの属性も高レベルで修めている。
これは帝国にとっても王国にとっても、いや、世界にとって脅威となり得るな」
「……『摂取解析』」
他の属性と違って特殊な効果を持つ闇の魔法。その中でもグランバートだけが使えるもの。相手の体液を摂取することで、それが帯びる魔力を解析鑑定できる魔法。
「……貴様。なぜ私しか使えないはずの魔法を知っている」
「……あ」
やべ。皇太子様めちゃくちゃ怖い顔なさってる。
てか失敗した。
おそらく本人とその周辺のごく一部の者しか知らないはずのグランバートの魔法。それを思わず口走ってしまったい。
闇の魔法は少し特別で、他の属性と違ってその人だけの特殊な効果を持つ魔法になっている。
中でもグランバートの闇の魔法は特殊で、この『摂取解析』はその派生魔法にあたる。
「……質問に答えろ」
「ひょえっ!」
当然、そんな情報は国家機密レベルなわけで。
それを敵対しているであろうアイオライト家の令嬢が知っているなど、由々しき事態過ぎるわけで。
そりゃ怖い顔して抜刀するよね~。
てか剣抜いてるんですけどこの人。
「ま、ま、ま、待って! 待ってくだせえ!」
刃物怖い刃物怖い。
やめてよして触らないで!
いや、ステラさんとの訓練で多少は慣れたよ?
でもステラさんは優しいから、そんなぶっ殺オーラとか放たれてなかったから!
私、呑気な現代っ子だから! 剣とか振り回して戦ぜよ~とか慣れてないから!
刃物持って家庭科室を歩く時は「包丁包丁包丁……」って言いながら歩きなさいって教わってた子だからぁ~!!
「……答えろと言っている」
「剣持ったまま近付くでない! ええい!」
「ぬっ!?」
怖い顔で剣を持って歩いてくるグランバート。
私は思わず結界を張る。
光の魔法による八角形連結結界。普通ならかなり上位の魔法でも傷ひとつつけられないレベルの硬さ。
「……ふん。光の上位結界魔法か」
でも、
「邪魔だ」
「わひぃっ!」
グランバートの剣のひと振りで私の結界は簡単にバラバラと崩れてしまった。
「……貴様は私には勝てない」
「……」
ですよね。
うん、知ってた。
あなたは私の天敵。
チートレベルの魔法を使える私がたぶん唯一勝てない相手。
「……死ぬか、答えるか、選べ」
「……」
いや、怖え~っす。
マジでグランバート様怖いっす。
さすがは『氷の皇太子』。慈悲の欠片もない。
ツンが強すぎて私泣きそう。
「……」
どうしよ。
どう答えるのが正解?
どうすれば私はこれを回避できる?
てか、これもう死亡エンドじゃね?
第二王子をオトしてもないし、ルミナリアたんに婚約破棄させてもないし国外追放してもないし、なんならグランバートとルミナリアが出会ってもない。
なのに、私はもうすでにグランバートに首をフライアウェイされようとしてる。
「……死ぬか」
グランバートが剣を振り上げる。
こんな時、主人公ならとっさに何かイミブカなワードが出てくるんだろうけど、私の頭の中ホワイトよ?
知ってる? 白って二百色あんねん、みたいなくだらないことしか出てこんよ?
物語のヒロインたちはなんでこういう時に気の利いたワードがすぽんて出てくんの?
無理よ。こちとら陰の者よ。
だてにメガネクソ陰キャオタクJKやってないのよ。
陽キャにいじられるキャラにさえならないように、時に調子を合わせながら草葉の陰でのらりくらりしてた真の陰キャなのよ。
「……え、えーと」
「……」
手が止まった。
私の言葉を待ってる。
どーしよ。何を言ったらいい?
教えておくれよ。知恵袋で聞きたい。
『氷の皇太子に首をはね飛ばされそうなんだけど、興味を引くワードを教えてください』って聞きたい。頼むよう。ベストアンサーにするからさあ。
「……」
あかん。逃避したらあかん。
とりあえず、ちょっと、ちょっと時間を稼ごう。
「……私は殿下に勝てない。
それは、そうでしょうね」
「む?」
「だって殿下の闇の魔法は、闇以外の全ての属性の魔法を無効化するのですから」
「……き、貴様。なぜそれを。
なぜ、そこまで知っている……」
「……ふっ」
さて。驚かせた所で脳内作戦会議タイム行ってみよ~!




