その9 語られた真実
長い沈黙の時間が続いた。
由美は、その指を絡めては外し、それを何度も繰り返えしている。
中々話し出せずにいるようだ。
そんな由美をじっと見詰めながら、俺は彼女が口を開くのをじっと待っていた。
由美の隣に座る姫も何も言わず、由美を見守っている。
「あー、うん、うん」
由美は、自分の声の調子を確かめる為に発生練習のように声を発し、ゆっくりとした動作で、ローテーブルの上のグラスを取った。
そして、それをフードの中で音を立てずにゆっくりと飲んだ。
飲み終えると、グラスとテーブルに置き直す。その手は震えていて、テーブルがカタカタと音を立てた。
「隼人……ごめん。避けてたのは本当。でも、嫌いになったわけじゃなくて。ただ、なんていうか……」
そこまで話してから、またしばらく黙ってしまう。
どう説明したらいいか迷っているのが窺えた。
由美が楽に話せるように、ここはじっと待つのがいいだろうと思い、口を挟まずに続きを待った。
「えっとね、実は、隼人に近づくと、その、身体が変になるの。あ、もちろん、隼人のせいじゃないよ。なんて言ったらいいか、その、隼人に近づくのを許さないような何かが近くにいるようなそんな感じで。あ、今は、その、冴木さんが、なんとかしてくださってるから平気みたいだけど」
彼女は、震える手で既に空になっているグラスを掴んでフードの中に運ぶ。
グラスが空になっているのに気づいていないようだった。
「今もまだ怖い。冴木さんがいなかったら私、今すぐここから逃げ出していたと思う」
由美はフードの中から、ちらりと姫を見た。
姫もその視線に応えて、軽く頷いた。
「最初は、ちょっとした違和感だったの。隼人と一緒に居ると、なんだか気分が優れない日が多くなって。あ、別に隼人が嫌とかそういう生理的なものじゃなくて、むしろ私は隼人と話したくても、身体が拒絶しちゃうようなそんな感じで。何を言っているのかわからないと思うけど、自分でもどうしようもなくて、それでもこのままじゃ嫌だったから、思い切って我慢して隼人の傍にいようとしたの。そしたら……」
由美の言葉が途切れた。
フードの奥で、嗚咽を耐えている様子が、全身の震えから伝わってくる。
「身体に傷が付いた」
言い淀んだ由美の代わりに、姫が後を受け継いだ。
姫も気を使って『身体』と言ったが、それはたぶん殴られたのではないかと噂された部分。つまり顔だ。
女の子だもんな。流石に顔に傷を負ったんだ。流石に、それ以上、俺に近づくのは無理だっただろう。当然だ。
「それから、俺を避けるようになったわけだな」
責める訳じゃなく、確認の意味と、そして話題を傷から逸らすために聞いた。
由美は微かに頷いた。
「それで、このままじゃ嫌だし、それに何が起こっているのかわからなくて怖かったし、そんな私の様子にお母さんが気付いちゃって、それで、お母さんに話したの。そしたら、お母さんが、似たような経験をしたことがあるって言って、それで、そのときに助けてもらった人がいるからって、連絡を取ってくれて」
「んで、わたしが来たってわけ」
なるほど。つまり姫は由美を助けに来たというわけか。母親が連絡を取った相手っていうのが、姫が言っていたマスターって人なんだろうか。
「ん? ちょっと待て。じゃあ姫は、その為に転校して来たのか? や、他にいなかったのか? その普通に大人の魔術師とかさ」
「隼人くん、なにかな? それじゃ、まるで、わたしじゃ力不足みたいに聞こえるんだけど? 気の所為?」
姫の右目が睨んで来る。俺は慌てて弁解した。
「そうじゃない。別に悪い魔術師か何かを退治するだけなら、わざわざ転校して来る必要ないじゃないか」
そう、何も転校して学校生活を送る必要はない。探偵のように、由美の周りを窺っている奴を調べたり出来そうなものだ。
「簡単な話よ。理由は三つ。一つ目は、佐奈川さんの話を聞いてすぐに、犯人は同じ学校の生徒だと解った事。まあこれは、マスターがそう言ったんだけどね。そして二つ目は、ターゲットは佐奈川さんじゃないという事」
「ちょっっっと待て。ターゲットが由美じゃないってどういう事だよ? 現に、由美は傷を負わされてるんだろ? じゃあなんで由美がひどい目に合わなきゃならない?」
姫がヤレヤレどうしようもないな、という表情で俺を見る。
こいつのこの人を見下した態度には、毎度カチンと来る。
「特定のターゲットはいない。でも、特定の条件に於いてターゲットが生まれるの」
特定の条件だと。なんだその条件って。
「ターゲットになる条件、それはね、隼人くん、君に近付く不埒な女である事よ」
「俺に近づく女がターゲットだって? なんでそんな事が?」
「えっと、それって私が不埒な女って事ですか?」
俺の疑問が、由美に遮られた。
「私は不埒じゃありません。そんなつもりはありません」
由美が怒るとは珍しい。それと、由美は、姫からその話を聞いていなかった事がわかった。
「佐奈川さんにとっては、隼人くんをなんとも思っていなくても、向こうにとっては看過できないものだったんだろうね。こーいうのは、相手がどう感じたかだからね」
なんとも思っていなくてもって部分、いま強調しただろう、てめえ。まあ、いいけど。
「それはつまり、俺の事が好きなやつがいて、そいつが、他の女が俺に近づくのは嫌がってるって事か?」
「うん。ざっくり言うとそーいう事ね」
「なんだよそれ。そんで誰なんだよ? もう誰だかわかってるんだろ?」
夢で戦ったとき、姫はもう解決したような事を言っていた。今の話と総合すると、それは、犯人が解ったということだ。
「そうね。わかってる。でも、あんたには言わない」
きっぱりと跳ね除けられてしまった。
「なんでだよ? 言ってくれよ。そしたら俺がそいつと話をつけるから、それで解決だろ?」
「そう簡単に行くと思って? むしろどんどん拗れるだけだと思うけど? あんたがなんか言っただけで、解決すると思うの? あんたが相手を本気で好きになって付き合うっていうんだったら、うまくいくかもだけど、そんなことできるの?」
そうか。俺が気持ちを受け入れない限り、終わらないって事なのか。もちろん無理な相談だ。仮に、相手が絶世の美女だったとしても、こんな一方的な感情を向けてくる相手と長続きするわけがない。
「まあ、それとは別に、教えるのは禁じられてるんだけどね」
「禁じされてるってなんだよ? なんで禁じられてるんだよ?」
「簡単な話でしょ? この人が魔術で呪いを掛けた人ですって、わたしが言ったらどうなるの? わたし変な人扱いじゃない。此処だけの話だとしても、じゃあそいつとどう話すつもり? 結局、わたしから聞いたって言うしかないじゃない。普通、わたしがそんなこと言ってたら、おかしな人か、誹謗中傷って言われるのよ。まあ他にもいろいろと理由はあるけど、魔術絡みの事はね、一般人に話したら、いろいろと面倒な事が起こるのよ。主に、一般人の方から攻撃されるって意味でね。だから、秘匿されるのよ。わたしがやってる事も公にはできない。隼人くんを巻き込んだ事は謝るけど、それが一番早く解決する方法だったからね。あんまり時間も無かったし、それに――」
突然、姫は言い淀んだ。
彼女は、チラッと由美を見た。
「それに? なんだよ?」
「なんでもない。とにかくごめん。本来なら、きみの様な一般人には見せてはいけないものをいっぱい見せてしまったし、聞かせてしまった。だからね、隼人くん。もうこの話は忘れて。じきに解決するから。心配しないで。すぐに今まで通りに戻るから」
今更そんな事を言われても困る。ただ待つだけなんて。それに今まで通りに戻る? 由美の傷は戻るのか? 流石に由美の前で聞けなかったが。
「乗りかかった船って、あなたは言ったけど、ごめんね。降りて。隼人くんには、なにも出来る事はないわ」
確かに姫抜きで俺に何か出来るとは思えない。
ただ、犯人が判れば、俺がなんとかする事は出来ると思う。
そいつと話しをつける。それしかない。
姫の解決は、その犯人を処罰するって事だろう。それはどんな処罰が下るのかとか姫は言わないので詳細は解らないが、最悪の場合、処刑とかあるかも知れない。
「ねえ、隼人くん。きみはまだ自分でなんとかしようとしているでしょ? わかりやすいなあ。でもさっきも言った通り、ここできみに動き回られるとね、収拾がつかなくなるのよ。誰が犯人かどうやって探すつもり? まさか学校中の女子一人ひとりに聞いて回るとか? そんな事したらどうなると思う? 女子がみんな呪われちゃうかもしれないよ?」
俺に近づく女子が狙われるなら、俺から近づく女子も狙われるって事か。
じゃあ、どうすればいいんだ。
「だーかーらー、きみはもうじっとしてくれればいいんだよ。今日みたいな事はやめてね」
ん? ちょっと待て。
さっき由美に遮られて、話が逸れた姫が転校して来た三つ目の理由ってのはつまり……
「お前、俺を使って犯人を炙り出そうとしたのか?」
犯人は、俺に近づく女を対象としている。なら、姫が俺に近づけば、犯人は姫をターゲットにする。そしてそれが、姫が転校して来た理由なんだと理解した。
「そうよ。それが三つ目の理由。犯人を炙り出す為に、わたしは、君にベタベタする必要があったのよ」
ああ、なんだろうな。なんとも言えない感情に襲われる。
確かに、姫の今までの態度や言動には違和感があり、俺に絡んで来る理由が見つからなかった。なので、何かあるとは思っていた。思っていたけど。でもなあ。
なんともやりきれない。姫に対して持っている自分の感情が、行き場に迷っていた。
「や、確かにお前、変だったからさ。何かあるとは思っていたけどさ。何ていうか、そういうのって正直堪えるよ」
「ごめん。ほんとにごめん。それについては、ほんっとにごめん」
もっと語彙ないのかこいつは。でも、本当に焦っているその気持ちは伝わった。これでも姫は、本気で謝罪しているのだ。
「はぁ~もういいよ。それについては今は、いいよ。一旦は許そう。ただ、まだ気になってることがある」
姫は犯人を炙り出すために俺に近付いた。そこまではいい。
じゃあなんで姫に呪いが掛けられていないんだ?
「なあ、姫。なんでお前は無事なんだ? 俺に近付いたなら、お前も呪いを受けてるんじゃないのか?」
「ああ、そんな事。魔術的攻撃に対しての防御方法ぐらいは心得ているわよ、わたし。ただ、防御するだけじゃ相手捕まえられないから、結局きみの協力が必要だったんだけどね。ほら、きみの夢に入ったでしょ? きみは魔術の防御出来てなかったから、そこに誘い込んだのよ。つまり、わたしに向けられた呪いを跳ね返さずに、きみに向けさせたの」
「はぁ? お前、なに?、つまり、お前に掛けられた呪いを俺に移したって事?」
「大体合ってるよ。わたしがきみの夢に入るでしょ、そしたら呪いはわたしを追い掛けてくるから、結果としてきみの夢の中に呪いが入って来るのよ」
なんてひどい事を……。
頭がクラクラとした。
姫がおかしいのか? それとも魔術師ってみんなこんな奴なんだろうか?
「だから、ごめんって。他にいい方法がなかったのよ」
「だからって、ごめんで済むか!」
ごめんで済んだら警察はいらねえんだ! って魔術関係は警察対象外だった。いや、そういう事じゃなくてだなあ。
「時間がなかったのよ」
苦々しく言った、姫のその言葉には重みがあった。
姫の右目がチラッと由美を見た。
そうか。こいつは由美の依頼で、由美を助けに来たんだ。
由美の身に危険が迫っていた。だからどんな手を使っても助けようとしたんだ。
「わかったよ。許すよ。いや、むしろ感謝だ。俺にも由美を助ける手助けが出来た。そういう事だろう?」
「そうね。あなたは充分に助けてくれたわ。わたしと、そして佐奈川さんをね」