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その19 償いの形

 今、俺は羽島さんの家の前にいる。

 ここまで来たのだから、入ればいいのだが、いざとなると勇気が出ない。


 チカさんが言っていた。

 「羽島亜紀は処置済みだ」と。

 命に別状はないが、始末屋が何かしらの“対処”を施した――それだけが、今わかっていることだった。

 始末屋がどんな処置を施すのか、姫に尋ねてみたが、詳しい内容は知らないとのことだった。


「何してんの? 行くわよ」


 一緒に付いてきていた姫が、ためらいなくインターフォンを押した。


「わっ、ちょっと待て、まだ心の準備が!」


 羽島さんの状態を受け止める心の準備が、まだできていない。それだけじゃない。俺は、羽島さんの家に遊びに来ていたのだ。羽島さんの母親に、どう言い訳すればいいか、まだ思いついていなかった。


「はい。どちらさまでしょうか?」


 インターフォンの向こうから、羽島さんの母親らしき声が聞こえる。

 「ほら、早く返事しなさい」と、姫に即されて、仕方なく返答する。


「あ、あの、早月と申します。亜紀さんはいらっしゃいますか?」


 何を言われるかとびくびくしながら、返答する。

 しかし嫌な予感は外れた。


「お待ちしてました。どうぞお入りください」


 ドアを開けて、羽島さんの母親だと思われる人物が出てきた。


 呆気に取られていると、姫に蹴られた。


「ほら、さっさと行く!」


 蹴られた勢いのまま、ドアをくぐる。


「お、お邪魔します……」


 玄関に入ると、二階から羽島さんが降りてきた。

 心臓がぎゅっと縮んだが、それも一瞬のことだった。

 どんなひどい状態なのかと危惧していたのだが、見たところいつもどおりの羽島さんだった。

 顔や身体が傷つけられているような跡は、見当たらない。 

 

 ほっと胸を撫で下ろした。


「隼人くん、いらっしゃい。遅かったのね」


 羽島さんの声音もいつもどおりで、何事もなかったかのようだった。


「遅かったって……」


 言いかけて、言葉を飲み込む。その意味に気がついたからだ。これが処置なんだ。

 始末屋は、羽島さんの今日の記憶、俺と羽島さんが会っていたこと、羽島さんの部屋で起きた戦いなどの記憶を消したに違いない。


「ささ、上がって」


 羽島さんは、初めて俺を家に呼んだことにウキウキしているのだろう。終始、視線を踊らせながら頬が上気している。


「ごめんね。全然片付いてなくて」


 恥ずかしそうにドアを開けて、俺を招き入れようとした。

 姫に蹴られて、大人しく部屋に入る。


「へえ、ちゃんと片付いてるじゃん」


 後から入って来た姫が、そんなことを言う。

 こいつ、初めて来たふうを装ってやがる。まあ、ここはその態度が正解なのだろう。


「冴木さん、ありがとう! あなたとは、話してみたかったの」


 羽島さんは、姫に駆け寄ってその手を取って喜んだ。


 以前の羽島さんからは考えられないことだ。

 ついさっきまでの羽島さんなら、他の女の子がいたら拗ねたり、嫌がるはずだ。


 この違和感を確認しようと思って、羽島さんが大事にしていた俺とのアルバムを探した。

 しかし、本棚にも、ローテーブルにも、机の上にも見当たらなかった。


「ねえ羽島さん、アルバム持ってない? ほら、昔のやつ。子どもの頃の俺と一緒に写ってるやつとか」


「アルバム……?」


 アルバムと聞いて、羽島さんは記憶を手繰るように視線を彷徨わせる。

 「うーん」っと唸った後、「どこかに仕舞ってると思うけど、ちょっとわからないかも? ごめんね」と言った。


 羽島さんは、アルバムを大事にしてきたことも忘れている。いや、それ以前に、アルバムそのものが消失している。これも、始末屋がやったことなのか?

 まるで、羽島さんの“俺との記憶”ごと、まるごと消されてしまったみたいだった。

 過去は消せない。でも、想い出は――消せるのか?


 問いただそうと姫を見るが、姫はぷいっと目を反らしやがった。


 しばらく当たり障りのない話を続ける。

 取り立てて話したい内容はないし、というか、今の羽島さんに何を訊いても無駄としか思えない。そして、羽島さんにしても、本来の目的を記憶ごと喪失しているのだから……


「あら、もう六時ね。そろそろ帰らないとね」


 いい加減限界だと思った頃合いで、姫が助け舟を出してくれた。

 時計を見ると六時を少し過ぎた頃合いだった。

 

「そうだね。そろそろお暇するよ」


 姫に目配せして、一緒に立ち上がる。


 玄関先まで降りて、羽島さんの母親に挨拶すると、夕飯を一緒にどうぞと誘われたが、丁重にお断りした。正直、ここには長居しても何も意味がないと思えたからだ。


「じゃあ、羽島さん、また学校で」


 家の外まで見送りに来た羽島さんに手を振り、姫を伴ってバス停に向かう。


「姫、なにかわかったか?」


 姫の右目は俺を見たが、すぐに視線を足元に降ろした。


「隼人くんが、想像しているとおりだと思う」


「羽島さんは、記憶を消されてる。それだけじゃなく、別の記憶が植え付けられてるのか?」


「はっきりとそうだとは言えないけどね。状況からそうだと思う」


 確かに羽島さんは魔術を使って、由美にひどいことをした。その報いは受けて当然だと思う。

 とはいえ、彼女の記憶を奪い、改ざんして、何もなかったことにすることが正しいとも思えない。


「始末屋も、案外と甘いのね。殺したかと思ったのに」


 姫がとんでもないことを言う。

 姫に抗議しようと思ったが、彼女にしてみれば、呪いでひどい目に合わされた過去があるから仕方がないのだろう。


「おまえ、まさか、羽島さんを殺すつもりじゃないだろうな?」


 姫ならやりかねない。あの状態の羽島さんを見て、甘いと言ったのだから。


「そんなことしないわよ。まあ、説得力ないだろうけど……」


「まあ、さんざん暴れまわったからな」


「今は本当に反省してるの! 信じないかもしれないけど。それに、さっきの彼女を見て、思うところはないわけでもないのよ。あの子はもう、人を呪うことなんてできないわ」


「今はそうでも、また呪ったりすることがあるかもしれないじゃないか」


「あなたは何もわかってないわね。あれはね、ただ単に記憶をいじっただけじゃないよ。感情そのものも改造されてると思うわ」


「感情を改造?! ちょっと待てよ。じゃあ、羽島さんは、もう人を呪う感情がなくなったってことか?」


「そうよ。あの子は、感情から呪うという部分を削り取られたって考えたらわかりやすいかしら」


 人の感情を削り取る? 始末屋がそんなことをしたのか? やっぱ、始末屋は、やべえやつらじゃねえか。


「隼人くん。羽島さんが生きていて良かったんじゃないの?」


 姫が意地悪く訊いてくる。ほんとにこいつは――


「俺は、始末屋のやり方は気に入らない。羽島さんはちゃんと罪を償って、そしてやり直せるようにするのが一番いいんじゃないのか? こんな外から人を変えてしまうやり方は、違うと思う」


「そうね。珍しくあなたに同意するわ。やっぱりちゃんと罪を償ってもらわないと、なにもかもスッキリとしないわよね」


 そう言って姫は笑う。


 しかし俺は笑えなかった。

 なぜなら、姫が言う罪の償いは、死刑を意味すると感じたからだ。


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