その18 マスター・チカ
公園の入口の方から、人影が現れた。
陽光に照らされた白衣が眩しく、目が痛い。
姫のマスターだ。
姫の顔に緊張が見える。
彼女はベンチから立ち上がり、臨戦態勢を取って威嚇し始めた。
「バカ弟子が。その状態で私とやり合うつもりか?」
「はん! どんな状態でもやってやるわ」
二人の視線がバチバチと火花を散らす。両者の気迫が空気を伝わって、俺まで震える。
これは姫を止めた方が良さそうだ。マスターの方には、殺気を感じられない。やる気がないのではない。これは、余裕なのだ。姫を倒すなど、赤子の手をひねる様なものなのだろう。そういった態度だった。姫の方は、怒りに我を忘れている。相手を倒せなくてもできるだけ多くの傷を付けてやる。そういった表情をしていた。
姫は、犯人が羽島さんだと言った。そして彼女を殺すつもりなのだろう。
そしてそれは、仕事だからではなく、私情だ。自分を過去に酷い目に合わせた奴らと、羽島さんを被せているんだ。自分の憎い相手の代わりに、羽島さんを殺したがっている。
姫の気持ちも、解らんではない。しかし、人を殺すなんてダメだ。自分の知っている人間が、人を殺すところなんて見たくない。
「まあ、聞け」
マスターは、姫に語りかけ、その戦闘態勢を解いた。
しかし、姫への警戒か、一定の距離を空けていた。
「お前の気持ちは解る。私も同じだからな」
どこか遠いところを見つめるマスターは、落ち着いた声で話しだした。
「私の両親もな、魔術で殺されたんだよ」
急に身体に寒気を覚えた。外気が急激に下がったかのようだった。
「私の両親は優秀でね。魔術師の世界では有名人だったのだよ。父は、魔術団体の団長もしていた。それなりに慕われていたようでね、多くの団員が父の元に集まっていたんだ。だが、そうなると必然的に対抗勢力というものが出てくるものでね。父とその対抗勢力の間でいざこざが絶えなかった」
「あんたの昔話とか興味ないし」
不満顔で言う姫だったが、先程までの敵意は消えていた。
「せっかちなやつだな。まあ、簡単に言えば、私の両親が邪魔な奴らが、魔術で殺した。という事だ。当然、魔術による殺しなんて立証出来ない。だから、両親の死は、世間では原因不明の不審死という事になっている。当時、私は10歳になったばかりでね。親戚に預けられる事になった。そこは普通の家庭でね、魔術とは無縁だった。私は普通に育ったよ。両親から多少の魔術を習っていたがね。何かが出来るほどのものじゃなかった。でも思ったよ。いずれ両親の仇を取ってやるってね」
そのとき、姫の息遣いがわかったのを感じた。
興味がないと言っていたのに、今は静かにマスターの話を聞こうとしていた。
姫の反応を見て、満足したのか、マスターは軽く頷いて、話を続けた。
「そんな時だ。とある魔術師が現れてな。父の支援者だったらしい。
そいつは、私の両親の事や、死因について話した。まあ、話半分に聞いていたが、父の反対派による魔術での暗殺だと言うんだよ。事の真偽がわからんがね。
そいつは私に魔術を教え、父の後を継ぐように言ったのさ。まあ、父の娘という肩書が欲しかったのだろう。私に取り入って、協会での勢力争いで優位に立とうという魂胆でもあったのだろう。見え見えだったが、私は協力した。なんせ、そいつから魔術を学びたかったからな。魔術を学んで仇を伐つ。それが私の目標だ。それは今も昔も変わらない」
最後の言葉に、姫がびくっと反応するのが見えた。
「あんたは、復讐したら処罰される。そう言ってたじゃないか。なのに自分は復讐するの? 意味わからん」
「最後まで聞け。そう、私的な復讐で魔術を使えば、処罰される。それは事実だ。だからな、私は時を待っている。いずれ来る復讐の機会をな」
マスターは、姫にゆっくりと近づいて語る。
「だから、お前も、時を待て。必ず機会は訪れる。それまでは耐えるんだ。八つ当たりで、処罰されるんじゃあ、浮かばれないだろう?」
姫は俯いて考えているようだ。
マスターの話はよくわかる。姫は、復讐できない悔しさを、似た相手で晴らそうとしたのだ。でもそれじゃ、本来の復讐は果たせず、処罰はされる。
「急がば廻れ。昔から言うだろう。まったくお前は手の掛かるバカ弟子だ。だが、私の初めての弟子だ。私が最初に言ったことを覚えているか?」
「うん……覚えてる。ごめん」
「なら話は済んだな……。おい、少年、後を頼む」
突然、俺の方に向いて話を振られたので、狼狽えた。
「や、その、あの? 羽島さんの家の件はどうなったんですか?」
「あー、それ聞いちゃう? 出来れば忘れて欲しかったんですが―――」
忘れるわけないでしょうが。
「あの後、始末屋が到着しましてね。処置が終わりました」
「処置が終わったって! じゃあ——」
「慌てないでくれたまえ。何も殺したりはしてないよ。安心しな」
そっか。羽島さんは生きてるんだ。よかった。でも……
「いったん、どんな処理がされたんですか?」
「ん、あー、詳しいことは言えないけど、わかりやすく言えば、二度と悪さをできないようにした。そういうことよ」
もっと詳しく訊きたかったが、マスターは手で俺を制した。
「お前には世話になったから、サービスしたんだよ。これ以上のことは言えない。ただ、直接確かめるのは構わんよ。お勧めはしないがね」
それだけ言うと、背を向けて去っていった。話は終わりだということだ。
羽島さんがどんな状態にあるのか、確かめずにいられない。
姫はどうするだろうか?
そう思って姫を見る。
姫は、ずっと俯いたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「おい、姫、大丈夫か?」
声を掛けてみた。
一瞬、風が吹き抜けた。
その音に紛れるように、姫がぽつりと呟いた――
「隼人くん。わたし思い出したの。マスターと初めて会ったときのこと」
振り向いた姫の右目から、涙が流れていた。
「マスターはね、そのとき、お前は私と似ているって。そしてね、お前の願いは必ず私が叶えさせてやるって。そう言ったの。なんで忘れてたんだろう……わたし」
「そっか、よかったな」
さっきまでの姫とは違って、今の彼女はとても普通に見えた。
いや、俺が姫と初めて会って以来の彼女とは違って、初めて見る彼女の素顔だった。
背負っていたいものを全部降ろして、楽になった顔をしていた。
「姫が忘れちゃってたのはさ、恨みのエネルギーが大き過ぎたからじゃないか? だから、復讐しか考えられなくなったんだろうさ。お前のせいじゃない」
「隼人くん、あなたって、優しいのね」
そう言って笑いかける姫の顔は、とても素敵だった。




