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その11 黒い蛇

 次の日、姫は学校に来なかった。

 由美も休んでいるので、しばらくは由美に付いているのかもしれない。

 由美に連絡を取ろうか迷ったが、昨日の夜にスマホでやり取りをしたばかりなので憚られた。

 頻繁に連絡するのも、ちょっとしつこいと思われるだろうからな。

 それに、姫がそっちにいるかどうかを由美に聞くのも躊躇われた。

 姫との仲を変なふうに勘ぐられたくないし、そもそも姫が俺に近づいていたのは仕事の都合じゃないか。だったら俺が、あいつの事を気に掛ける理由はない。そう、理由なんてないのだ。


 昼休みになって、今日は姫が居ないし、久しぶりに独りで弁当を食べていると、羽島亜紀さんが弁当を持ってやって来た。デジャヴだ。

 数日前にあったやつだな。


「あのぅ、隼人くん。良かったら一緒に食べない?」


 うん。セリフもまったく同じだ。


 特に断る理由は――、あるだろう。ありありだろう!

 まだ呪いを掛けた奴の始末が付いていないなら、俺は女の子を近くに寄せてはいけない。

 俺の側に居る女の子が、呪いのターゲットとなってしまうからだ。

 このままでは、次は、羽島さんがターゲットになるだろう。

 今のところ彼女が呪いを掛けられた形跡はない。まだ一回一緒にお昼食べただけだしな。

 でもこの調子だと、俺が独りのときはいつも来そうだ。

 そうなると、確実にターゲットになってしまう。

 とはいえ、どう断っていいか。

 やはりこれは、もう最初から教室の外で独りで食べるようにした方がいいのだろう。

 今日は仕方がない。まあ、二回目ぐらいならまだ大丈夫だろう。


「あ、うん。どうぞ。いいよ」


 俺の返事の間を、不安そうに見詰めていた羽島さんは、パッと明るい顔になった。

 俺の机の側に近くの椅子を寄せるとそこに座ると、弁当の包みを解き始める。

 あんまり見詰めていても失礼だと思って、自分の弁当に目を落とす。箸を動かしているのに、味がまるで感じている余裕がない。

 前回同様に、二人で黙って食べ続ける。


 流石に沈黙に耐えられなくなって、此方から話題をふる。


「羽島さん。昨日、休んでたね? 病気か何か? もう大丈夫なの?」


 別段知りたいわけでは無かったが、特に話すこともなかったから、つい聞いてしまった。


「あ、うん。ありがとう。心配してくれて。うん。もう、大丈夫だよ」


 そう言って瞳を輝かせた。

 しかし直ぐに顔を赤らめて、俯いて黙々と弁当を食べ始める。


 会話が続かない。

 いや、それ以前に、なんで俺と一緒に食べようとしたのか?

 これなら独りで食べてる方が楽なんじゃないのかとさえ思う。


 何か話そうと思っていろいろと思考を巡らすが、何も思いつかないうちに、弁当を食べ終わってしまった。

 それをきっかけにして、弁当を片付けて、席を立つ。


「ごめん、羽島さん。俺ちょっとこれから用事があるので」


 用事というのは嘘である。一刻も早くこの子から離れたかった。

 悪い子じゃないけど、側に来られて黙られるのは、変なプレッシャーが掛かるのだ。


 羽島さんは残念そうな顔で見上げたが、「うん」とだけ呟いた。


 そんな彼女を独り残し、俺は教室を後にする。

 特に行き先はない。


 図書室でも行くか。

 特に読みたいものとか無かったが、一時的に時間を潰すにはいいだろう。


 図書室は、わりと賑わっていた。いや、図書室が賑わうというのはおかしいか。それなりに人が居たと言うべきか。

 何か時間潰しに読める本はないかと、本棚に並んでいるタイトルを眺めていると、『魔術修行』という本を見つけた。

 ここのところ魔術に縁が無いわけではないので、これにする。

 空いている席に座って本を読み始める。


「あれ? これ、小説じゃないんだ」


 魔術修行とかいうタイトルだから、てっきり小説だと思ってしまった。パラパラと目次を見たり、表紙の裏を読んだりしてみる。

 著者はメイ・シャルマーヌ。聞いたこと無い名前だ。

 略歴を読むと、正体不明の魔術師……。日本人との噂もある。なるほど。というか、魔術師が一般に本を出版しているのか。

 驚いた。俺は、姫に会うまで魔術師なんてのは現実に存在しない架空の者だと思っていた。

 俄然興味が沸いて読み進める。


 内容的には、基礎の部分のようだ。心構えやら、環境の準備とか、もろもろが書かれている。

 特に意外に感じたのは、現実世界に重きを置く事、そして日常生活を疎かにしてはいけないと言っているところだ。

 魔術なんか非現実世界だと思うので、現実的な考え方は邪魔になるのではと思っていたのだが、どうもそうでは無いらしい。魔術の世界にのめり込み過ぎると、現実世界で使い物にならない狂人が出来上がるという事らしい。あくまでも、現実から逃避するのではなく、現実世界をより良くする為に魔術を学ぶべきであり、それ以外にはない。そう書かれていた。

 なんか宗教じみて来たな。まあ、魔術は確かに、宗教みたいなものか。


 本の世界に入り込みかけたそのとき、不意に近くの女子生徒の会話が耳に飛び込んできた。


 聞こえたのは、「死んだ」とか、「2−Bの」等の単語だった。2―Bは、俺のクラスだ。


 本を読んでいるふりをしながら、会話の内容に耳を澄ませる。


「さっき職員室に行ったら先生たちがなんか話してて、なんかみんな慌ててた」


 誰だ? 誰が死んだんだ?


「原因は?」

「わからない。私も聞いてただけだし。先生に訊くのもちょっとねえ」

「まあねえ。でも、その鷹野さん?だっけ? あんた知ってるの?」

「んー、よくは知らない。話した事ないし」


 鷹野? うちのクラスの鷹野って、鷹野希里か? そう言えば、昨日休んでいたな。今日も休んでいたような気もする。見てないしな。

 もしかして、呪いを掛けたのが鷹野だったのか? そして処理されたという事なのか?


 そして、もうこの呪いに関わる騒動は終わりなのか?


 中途半端に関わってしまったから、このあっけない終わり方は釈然としない。

 やっぱり最後まで関わりたかった。

 だがわからないもんだ。鷹野が呪いの犯人だとしたら、あいつは俺に好意を寄せていたという事か?

 いやいや、とてもそうは思えない。まともに話をした事すらないのだ。


 そんな事を考えているうちに、昼休み終了のチャイムが鳴る。


 慌てて本を本棚に戻し、教室へ戻る。

 教室まではさほど遠く無かったので、国語の担当教員よりも早く着いた。


 しかし、昼休み後の授業はとても眠い。

 昼休みの後、もう少し休む時間が必要だと思うのだが。いや、そうするとずっと休みなってしまうか。


 俺は割と真面目に授業を受ける主義だ。いまだかつて授業中に居眠りなどした事はない。

 しかし、何やら今日は、眠い。いや、眠いというよりこれは、気を失いそうと言った感じだ。

 睡魔という言葉がまさに的を射ている。眠りに誘う悪魔がまるで俺に取り付いている様に感じた。

 何度もこくりこくりと船を漕ぐ。

 太ももをつねり、眠気に抵抗するが、気がつけば寝ていたようで、ハッとする。それを繰り返していた。


 バターンと大きな音が前方で鳴った。

 一瞬、寝ている俺に教師が怒って教卓を叩いたのかと思ったが、床に女子生徒が転がりのたうち回っているのが見えた。音の原因はこの子が倒れた音のようだ。机や椅子も派手に倒れている。

 教室内は空気が凍りついたように静まり返っていた。誰一人、声も上げず、動けなくなっている。突然の事で誰も反応出来ずにいた。

 そしてそれよりも俺が目を疑ったのは、黒くてでかい蛇がその子の四肢に絡まり付いて動きを封じ、さらに首を噛んでいたのだ。女の子の顔はよく見えないが、もうピクリとも動いていない。


 命の危険を感じた。このままではこの子は死んでしまう。そんな予感めいたものがあった。それと同時に身体が勝手に動いてその蛇を引き剥がそうと女の子のところへ駆け込んだ。

 蛇を引き剥がそうと掴む。しかし掴めない。掴もうとした手はすっぽりと蛇の中に入ってしまう。


「こいつ、実体が無い?」


 ええい、姫は何処に居るんだ? なんで今居ないんだ!

 無駄だと解っていても、何度も掴もうと足掻く。


「ちょっと君、何してる? やめないか」


 国語の担当教員が正気に戻ったのか、俺に近寄ってくる。


「何って、蛇ですよ。蛇。早く引き剥がさないと」

「蛇? 何を言っている? そんなもの何処にもいないよ。それよりも、そこをどき給え。保健室へ連れて行かないと」


 俺を押しのけて、彼女に触れようとした国語の担当教員は何かに弾かれたようにその伸ばした右手がパンっと払われた。


「はい、ちょっとごめんよ~。私が連れて行きますね。よろしいですね? 先生」


 唐突に現れた白衣を纏った女性が、倒れている女子生徒を起こす。

 気がつくと、黒い蛇の姿は無くなっていた。

 そして、このとき初めて、倒れていた子が、羽島さんだと気づいた。


「羽島さん? 大丈夫?」


 羽島さんに近付こうとすると、白衣の女性に手で制される。


「まあ、待ち給え。まだしばくらくは意識が戻らないだろう。そうだ、きみ、この子を保健室へ運んでくれないか? 私はこう見えて非力なんでな。そうしてくれると凄く助かる」

「あ、はい。わかりました」


 羽島さんが心配な事もあって、素直にこの人の言うことに従う。一刻も早く保健室へ。そして場合によっては病院へ運ばなければならない。

 クラスのみんなが見ている前で、女の子を抱きかかえるのは抵抗があったが、今はそんな事を言っている場合ではない。


 慎重に羽島さんの身体を掴んで抱きかかえる。


「うん。さすが男の子だ。頼もしい」


 本気とも冗談とも取れる声音と言い回しだったが、無用なトラブルは避けたいので、スルーすることにする。


「ああ、先生、後は此方で処理しますので、授業をお続けください」


 そう言って、俺に指で付いてくるように示唆してきた。

 戸惑いと混乱の表情を浮かべた国語の担当教員を横目に、羽島さんを抱きかかえ、俺は白衣の女性の後ろを付いて歩いた。

 そしてふと重要な疑問に気がついた。


 この人は誰なんだろうかと。

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