その10 またあした
由美と姫の話から、ここ最近、俺の周りで起こっていた事について理解した。
俺と由美の仲がいいのが気に入らないと、俺に好意を寄せている女子が、由美に呪いを掛けた。
そして、由美の母親の依頼で、姫が呪いを掛けた奴の調査に来た。そういう感じだ。
姫は犯人を特定し、後は始末屋が終わらせる。
「だったら、今日は何でそんなに慌ててここに来たんだ?」
今の話だと、姫の仕事は、もう終わっているはずだ。
じゃあ何しに由美の家に来たんだ?
「ああ、それは――あんまり言いたくないんだけどね。まあ……ちょっと、わたしの見込みが甘かったっていうかぁ……」
姫は頭をポリポリと掻きながら、申し訳なさそうに由美を見た。
「わたしと佐奈川さんとの間で取り決めをしてたのよ。何かあったら学校休んでって。そしたらすぐに駆けつけるってね」
「なんでそんな面倒な事を? スマホでやり取りしてないのか?」
「隼人くん。……そういうのは、記録が残るから。通話履歴とかね。魔術絡みの仕事は、できるだけ痕跡を残さないのが基本なの」
彼女が言っているのは、今のような呪い絡みの現象。魔術絡みの調査の事を言っているのだろう。
「なるほど。お前が魔術師で、何か調査しているって事がバレるとまずいという事か」
「そうよ。理解が早くて助かるわ」
それにしても、それなら俺にいろいろ話し過ぎじゃないのか? いいのか?
下手にツッコむと、後々面倒になりそうなので、ぐっと飲み込んだ。
「それで、由美、何かあったのか?」
そして、言ってから自分の愚かさに気付く。
そうだ、由美は、今日会った時からずっとフードを被っている。まだ一度も顔を見てない。
つまり、今度はガーゼでは隠せないような傷が出来てしまったのだろう。
由美は沈黙したまま、身体を震わせていた。
姫が、俺を右目で睨んでいる。
すまん。俺が迂闊だった。これは全面的に俺が悪い。
「まあ、そういう事よ。さっき防御用の結界は強くしておいたから、もう大丈夫よ」
姫がここに来たのは、由美の状態を確認して、その対処をする為に急いで来たって事だ。
由美を助けてくれている。その事は素直にありがたいと思う。
「納得した?」
姫が念を押すように言って来る。
つまり、これで話は終わりだという事だ。
「ああ」
納得なんかしていなかった。しかし、俺に出来る事は何も無い。
それだけは、はっきりと解った。
「由美。邪魔したな。また落ちついたら、ゆっくり話そう。姫、後は頼んだ」
悔しいがこれが現実だ。
俺が、ここにいたら、由美が辛い想いをする。そう感じた。
ここは、さっさと退散する事にしよう。
「あ、待って、わたしも帰る」
「え? もういいのか?」
「うん。隼人くんが来るまでに必要な事は全部終えたから」
そう言って姫は、俺を部屋から押し出した。
「じゃあ、佐奈川さん。後の事は、任せて。また、後日様子見に来るから」
由美に向かって、そう言うと、俺の手を取って玄関へと引っ張っていく。
「なんだよ。急に」
「いいから、早く靴履いて。すぐに出るよ」
よくわからないまま、急かされて由美の家を出る。
「帰りはタクシーってわけには、いかないわねえ。しょうがない。バスで帰ろう」
家を出てからも、俺の袖を掴んで引っ張っていく。
それはまるで、俺が由美の家に戻らないようにしているようだった。
「袖離せよ。戻ったりしないから」
姫は立ち止まって、ポカンとした顔をした。
しょうがないといった風に、掴んでいた袖を離し、自分の手をしげしげと見つめている。
急に帰ろうと焦っているけど、こいつ、いったいどうしたんだ?
「それとなんだ? 俺に話でもあるのか?」
姫は、俺を目を見ずに俯いた。
「うん。あの場では言えなかった事があるの」
あの場で言えなかった事? 由美には聞かれたくないって事か。聞きたいような、聞きたくないような。少し緊張の面持ちで、姫の言葉を待った。
「あのね、隼人くん。あの佐奈川さんのフード見たでしょ。まあ、だいたい思った通りだと思っていいわ」
深刻な声音に、事態の大きさが伝わる。
だからこそ、聞かなければならない。
「由美は大丈夫なのか? あいつ、その、思い余ったりはしないか?」
「それは――大丈夫。一応言い含めてあるから。ちゃんと治るって言ってあるし」
「そうか。よかった。治るんだな」
よかった。治るならよかった。それならば、由美もそれまでは辛いだろうけど、大丈夫だろう。
「それでね、隼人くん。お願いがあるの」
「なんだよ? お願いって」
姫は苦悶の表情を見せていた。それは凄く悔しそうな顔だった。
「佐奈川さんの事、助けてあげて。支えてあげて。今回の事は、取り返しがつかない。もう佐奈川さんに被害が及ぶことはないと判断した、わたしのミス。だからわたしが何とかしないといけないんだけど、でも、それにはあなたの力が必要なの」
「え? お、おぅ。そりゃまあ、由美の事は助けるつもりだけど。でも治るんだろ?」
姫はそれには応えなかった。
俯いて丸まった背中が、弱々しく小刻みに震えている。
「おまえ、泣いているのか?」
「泣いてない! わたしに泣く資格なんてない。本当に泣きたいのは、あの子だから」
最後の方は、ほとんど聞き取れなかった。
姫の背中に手を伸ばす。このまま放ってはおけなかった。
手が触れると、姫は、びくっと跳ねて、俺との距離を取った。
「あなたがするべきことは、そんな事じゃないでしょ。あなたがやらないといけない事は、この先、佐奈川さんを支えていく事よ。何も出来る事がないなんて事はないのよ。むしろ、これは、あなたにしか出来ない事だから」
こいつ、俺を励まそうとしているのか? それ以前に、俺が思っている無力感はどうやら筒抜けらしい。
「それも魔術ってやつか? 俺の考えてる事がわかるみたいな」
「そんなの魔術じゃなくても、ずっと見てたら判るわよ。あなた判りやすいし」
そういって、くすくす笑う姫。その顔は、裏などなく、素直で、普通に楽しげだった。この表情がこいつの素なんだなと思った。
バスで最寄りの鉄道の駅まで移動し、そこから電車で帰る。
その間、姫はずっと黙ったままだった。
「俺、次で降りるけど」
自宅の最寄り駅が近付いたので、姫に伝えた。
姫はずっと俯いていたが、俺の声に反応して、ハッとして顔を上げた。
ずっと考え事でもしていたのだろう。しばらく何を言われたのか解らない様子だった。
「あ、ああ、降りるのね。それじゃ、また」
姫が返事をしたのと同時に、駅に着いた。
俺は立ち上がって、「じゃあ」と言って手を振る。
「うん。じゃあね。またあした」
姫は、小さな声でそれだけ言って、小さく手を振ってきた。
その右目は少し寂しそうに見えた。




