【第3章】
やさぐれている男。
文が幸太郎を初めて見たときに感じた印象だった。
幸太郎は、文が事務職で新卒入社した会社の2個上の先輩だった。
営業職の幸太郎とは部署も違うが、新入社員は入社初日に社員全員に挨拶をするのが恒例で、3人目に挨拶をした。
疲れた目をしていた。やさぐれというのか、どこか気怠げだったのを覚えている。挨拶も、必要最小限の労力で応えているようで、正直悪印象しか幸太郎には抱かなかった。
入社して数ヶ月、喫煙室の前を通ると、営業部の課長に食事に誘われた。タバコ臭い口から、「かわいいね」「いろいろ教えてあげたくなる」と白々しい言葉が投げられる。
文は知っていた。自分が「ちょうどいい女」だということを。決して不細工とは言われず、中肉中背。性格も派手ではない。持ち物も高価なものはほとんどない。男にとってはちょうどいいのだろう。こういう手合いの男は学生時代から多くいた。
モテていたほうだと思う。男から告白されること自体は悪いことではなかった。ただ気づいた。本当の美人は、高嶺の花すぎて声をかけづらいのだ。顔がいい=モテるではない。ビジュアルは中の上、そこそこに愛想がいい女、隙があればなおさら。そんな女がモテてしまう。ちょうどいいのである。「オタサーの姫」なるものが陰キャ男子の世界で生まれる所以だ。
それに気づいたとき、自分で自分を殺してしまいたくなった。一瞬でも、自分がモテ女だと思ってしまったことを、思い上がったことに
恥ずかしくてたまらなくなった。
それから、文は彼氏を作らずにいた。男を好きになることもなかった。
課長のお誘いを適当に受け流してると、幸太郎が割って入ってきた。口下手な男。課長に注意をするも、その言葉はどこか弱々しい。
上司ではあるので当然なのだが、人に注意することに慣れていないのだろうか、声は震えていた。
あまりに弱々しかったので、助け舟というのもおかしいが、文は自ら課長へキッパリと断りの言葉を口にした。
見た目の弱々しさと裏腹に、冷たい口調に怯んだ課長は苦笑いを見せながら、その場を後にした。
幸太郎と2人になった。幸太郎の顔を覗き見ると、青い顔をして必死に笑みを作っているようだった。
幸太郎の足元に目を向けると、微かに左足が震えていた。
「ごめんね。俺の助け、いらなかったよね」
幸太郎はその場を後にする。
弱々しい。弱い男。
必死にカッコつける。男の習性。男のメカニズムを文は理解しているつもりだった。自分の強さを証明することが男なのである。
ただ、嬉しかった。この弱々しい男は、必死に、大して仲良くもない女の為に、自らの上司に立ち向かった。
それが純粋に、ただ嬉しかった。
文はその後、社内で幸太郎を見つけては目で追うことが習慣となる。
弱々しい男という印象は覆らない。顔はいいが、覇気がない彼の姿は普通であれば男としてみるべくもない。しかし、彼の勇気を
目の当たりにした稀有な存在である文にとって、より一層愛おしさを積み重ねていった。
「抱きしめたい」
幸太郎への視線に情欲が混ざり出した半年後、社内で飲み会が行われ、その思いは成就する。
次の日、幸太郎は人間を辞めた。