【第2章】
【第2章】
ディルドとなった朝、幸太郎は夢を見ていた。18年前の記憶であった。
父に手を引っ張られ、車に押しこめられる。
小学生の姿をした幸太郎は泣いていた。足を、腕を振り回し、運転席の父の背中を叩いていた。
「おかあさん」
車内に幸太郎の叫びがこだまする。FMラジオの音量をあげる父。
父は母を捨てた。
物静かで厳格な父は、お見合いにより母と出会い、結婚した。結婚した1年後に幸太郎は生まれた。
厳格な父と、綺麗で心優しい母との中に生まれた新たな命。多少の喧嘩はあったが、幸太郎の存在は2人の関係を最悪にはさせなかった。
しかし、幸太郎が7歳となったある日、小学校から帰ると、激怒した父と、泣き崩れる母がいた。
「あばずれ」「売女」「商売女」
そんな怒声をたらふく浴びせた父は、幸太郎の存在に気づくと、幸太郎を担いで車に乗せる。
母は結婚する以前、風俗嬢をしていた。家が貧しかったと言うこともあり、学歴がない自分が稼ぐためにはと、その道を選んだ。25歳になると、将来のことを考え、婚活を始めた母は、父と出会った。
公務員で厳格な父とは、決して馬が合うとは思わなかったが、将来性を鑑みて結婚することにした。
風俗嬢であったことは隠していた。約10年、隠し通していた。ある時父の同僚が母の顔を見た際、以前に通っていた風俗の嬢であることに気づき、そのことを面白半分で話してしまったらしい。
そのことを知った父は大激怒。風俗嬢であったこと。そしてそれを10年隠していたこと。父は母を許せなくなっていた。
この真相を知ったのは13年後、幸太郎が20歳になった際に父の弟、つまりはおじさんから教えてもらった。おじさんが気まずそうに真実を語る姿に申し訳なく感じた。
父は堅い性格が故に、風俗嬢、もとい商売女に嫌悪感を抱いていたらしい。それは理屈ではなく、生理的に、感覚的にけして相容れない部分であるということだった。
父の事情もわかる。自分の女が身体を売っていた。心地の良いことではない。しかし、10年連れ添った母を簡単に切り捨てる父の非情さにも呆れてしまう。
「あれは人間ではない、ただの肉、骨。人間ではないよ。自分の嫁だったことが恥ずかしい。汚らわしい」
酔って友人に話す父を見たことがある。友人は頬を引きつらせていた。
10年一緒にいても、「愛」とはこんな簡単に壊れるものか。そもそも2人の中に「愛」があったかもわからない。「愛」とはなんなのかも、わからなくなってしまう。
幸太郎は目を覚ました。
(なんだよこれ)
ディルド。勃起した男性器を模したもの。張型ともこけしとも言う。
幸太郎はそれになっていた。
色は薄暗くてわからないが、恐らく茶色。およそ20cm。日本人男性の平均のモノで考えると大きい部類であった。
幸太郎は悲鳴をあげた。言葉にならない、叫びに近い。
(夢だ、これは夢だ)
幸太郎は叫ぶ。しかし、幸太郎の声は部屋に響くことはなく、自らの意識の中だけに留まってしまう。
(声が出せないのか)
幸太郎はディルドとなった自らを動かそうと画策する。しかし、決して動くことはなかった。ディルドとなった身では、しゃべることも動くこともできないことを悟る。
(なんで、どうして、夢?夢ではないのか?なんで、嘘だ。嘘だ)
自分がこのような姿になったのか、意味も、理由もわからない。恐怖、焦りに支配される幸太郎はひとしきり叫び散らすと悲しさでいっぱいになった。
(この身体は、涙も流れないのか)
自らの肉体の不思議さにもはや何も感じなくなってしまったところで、隣に寝る文が寝返りを打つ。
(そうだ。今日は太田の家にいたんだった。)
文は寝返りを打つと、薄目を開けて緩慢な動作で身体を起こし、伸びをする。
まだ、ディルドの存在に気づいていない。
(今の俺、文はどう思うんだろう)
男と寝た日の朝、隣に男はおらず、ディルドが一本あるのみ。そんな状況で、男がディルドになったと即座に察する女がどれほどいるのか。どんなに勘が良くても、声も出ない、動けないディルドに、何を感じることができるのか。
(捨てられるのかな)
文は徐々に意識を覚醒させていくと、男の不在に気づく。
「え、あれ。先輩は。え、なんでディルド?昨日、使ってないよね。」
困惑する文。立ち上がり、風呂、トイレ、キッチン、一度外に出ては男を探す。
「靴はあるし、昨日の服もある。スマホもある。どういうこと?」
不可解な状況に落ち着かない文は、無意味に部屋を左右に動き回る。
「なぜかディルドがあるし。なんで」
ベッドに腰掛ける文。ベッドが揺れると、ディルドも揺れる。
しばらく考える文。揺られながら見つめる幸太郎。
「気まずくなって、帰っちゃったのかなあ。うわあ、やっぱ、昨日先に好きって言えばよかったかなあ。やっぱよくないって思ったのかな。会社の後輩と寝るって。うわあ、私のバカ!」
文は自らの頬をはたき、ベッドの上で悶える。
自らの愚行により、男が逃げた。卑屈とまではいかないが、元来内気な女である太田文は今の状況を自らの愚行による結果だと結び付けてしまった。
「どうしよう。明後日、会社行けばいるよね。会社で、ちゃんと言えば良いよね。しまったあ。」
自分の世界に入ってしまった文。勝手に不安になり、自虐する文。
(太田、ごめんな)
ディルドとなった幸太郎。先ほどまで恐怖と不安でいっぱいであった。しかし、自らの不在により慌てふためく文の姿を見ているうちに、いつしか落ち着きを取り戻していた。
純粋に嬉しかった。結果的に身体を重ねた文と幸太郎。特定の彼女を作る気はなかったが、こうしてストレートに好意を剥き出しにしてる姿は、自己肯定感を高めてくれる。
同時に、申し訳なさもある。この度、ディルドとなってしまった幸太郎であるが、仮にディルドとならなかったとしても、恐らく付き合うことはなかったであろう。
特定の恋人を作らない。これは主義や思想などと言うモノではない。
「愛」がわからなかった。「愛し方」も「愛され方」もわからなかった。
何度か恋をした。しかしどの子とも長続きすることはなかった。途中でふっと冷めてしまうのだ。性的興奮はする。愛おしさだったり、恋人を守りたいという意志はある。にもかかわらず、女の行動、言動にかかわらず、幸太郎は突如虚無感を感じてしまうのである。好きでたまらない。好意で頭がいっぱいだった自分が、突然別のものへ変わる。
理由もわからず、女をフルことはしばしばあった。いつの間にか、幸太郎は特定の恋人を作ることをやめた。
文の好意は嬉しい。しかし、自分の心の欠陥により、付き合うことはできない。もとい、今自分はディルドだった。こんな自分を知ったら、文は驚くであろうし、抱いていた好意など吹き飛んでしまうことであろう。
「このディルド、どうしよう」
文は、ディルドを掴み、考える。初めて持つのか、鬼頭部分、カリの部分を興味深げに指の腹で撫でていく。
自分は、このまま捨てられていくのだろうか。最悪のことを考える幸太郎。話すこともできない自分はこれ以上何もできない。覚悟ではない、諦め。何もできない。いやむしろ、今のおぞましい姿を誰かに見られるよりも、このまま捨てられた方がいいのではないか。早く楽になるほうがいいのではないか。
幸太郎は、せめてもの礼と、申し訳なさを、文に伝えたかった。せめて人間らしく、終わりたかった。伝わることはないと思いつつ、念を送る。
(太田、ありがとう。そしてごめん)
文の手中で、幸太郎は呟いた。するとその瞬間。
「え、先輩!?」
文は、部屋のあたりをキョロキョロ見渡す。
「いま、先輩の声が聞こえた」
文の呟きに、幸太郎は自然と聞こえないハズの声をあげる。
(俺の声が、聞こえるのか・・・?)
「先輩!?」
(太田、太田、太田!)
先ほどまで、自分の姿を見られるよりも、今捨てられた方がいいのではと考えていた幸太郎。そんな考えはもはやなくなっていた。
自分の声が伝わるのが嬉しかった。声は出なくても、通じる。そのことが嬉しくてたまらなかった。
依然部屋を見渡す文。
「先輩、いるの?」
(ああ、いるよ。太田、なんかすごい嬉しいよ)
「え、先輩、どこにいるの?」
(それは・・・)
「なんでおしえてくれないんですか。んー脳に直接言葉が送られる感じ。。。変なの。」
(声ってわけじゃないんだな)
「そうですね。え、まさか・・・)
文は自らが握るディルドを見つめる。幸太郎である。
「センパイ・・・?」
幸太郎は自分の今後を予想する。ディルドとなったことがわかった文は、ディルドを投げ捨てるのだろうか。そこまではしなくても、驚いて叫んだりするのではないか。覚悟を決める。
(太田、俺、ディルドに、なっちゃったらしい)
文は、右手に握る幸太郎を胸に招き、抱きしめた。
やっとディルドになるとこまで書けました。
我ながらなんて馬鹿な話なんだと思います。