恵まれない私が、どうして成功を勝ち得たのか。ーー努力は裏切らないーー
私、伊集院圭一郎は、恵まれた日々を過ごしたことはない。
人は、私の事を成功者と呼ぶ。
しかし、それは私の努力を知らぬものが貼り付けるレッテルに過ぎない。
私の生まれから述べていくと、それがよくわかると思う。
私は小さな辺境の家に生まれた。都会から遠く、毎日、食うにも困る人々が多い土地だ。
その辺境の一軒の家に生まれた私は、必死に勉強をした。家の仕事を手伝いながら、蝋燭に火をともして、勉学に勤しんだ。その結果として、私は都会の大学へと進学することが出来た。成績の上下に一喜一憂しながらも、なんとか大学へ進学できたのだ。
しかし、大学進学がゴールではない。
大学での日々は苦労の連続だった。サークル活動の慣れない酒の日々、さらには、レポート課題などの激務の日々は、私の日常から健康を奪い去っていった。しかし、そのような日々であっても、努力を怠ることはなかった。
結果として、大学を主席に近い成績で卒業した私は、都会の大手商社に入った。
が、大手商社の日々は、私に努力をやめさせることはなかった。
仕事終わりに勉強を始めた。勉強と言っても、学校でやるお勉強ではない。
実社会での勉強だ。
そして、商社勤めで十年した後、私は一つの会社を立ち上げた。
医療と健康の会社だ。大学での多忙の日々で健康を害した経験を糧に、起業をしたのだ。健康という万人が悩む問題に対する救いの手として、私は一つの成功を収めた。だが、それはゴールではない。その企業の権利を売却し、それを元手に、さらに事業を起こしたのだ。
カリスマ経営者。
その頃になったら、私をそう呼ぶものが出はじめた。
そんなことはない。
私は、自らの努力で、全てを勝ち得てきた努力の人なのだ。
若い人には、努力の大切さを伝えたい。
努力をすれば、必ず、成功を掴める。
田舎の土地に生まれた私が言うのだから、それを信じてほしい。
編集追記:
伊集院圭一郎の生家は、青森県の一等地にある豪農である。広大な農地を持ち、多数の小作人を低賃金で労働させ、莫大な利益をあげている。また、他都道府県にも多数の企業を抱える資産家であり、圭一郎の父はその企業の運営を、母は大学教授であり、圭一郎が入学した大学は、祖父が理事長を務める都内の有名私立大学。
サークル活動は、テニスサークルであり、練習よりは飲み会が多い。また、日々のレポートは全て、代行業者を使用して提出しており、その費用は全て、圭一郎の小遣い、すなわち、伊集院家の資産より捻出されていた。
また、圭一郎が務めた商社というのも、伊集院家が株式の大部分を持つ商社であり、起業も伊集院家が出資者として貢献。買取も、同様に伊集院家が買い上げた。
なお、本人の生活費用は全て、伊集院家からの仕送りとして、毎月百万円が贈与され、同時に、株式配当金として数千万円が所得になっている。
同伊集院家の運営する企業の平均年収は500万と言われている(了)