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人形令嬢と呼ばれる婚約者の心の声を聞いた結果、滅茶苦茶嫌われていました。

作者: 久留茶

初投稿作品です。未熟な部分が多々あるかと思いますが温かいお気持ちで読んで頂ければ幸いです。

ざまぁが大好物なのですが、この作品は微ざまぁ程度となっています。


※誤字報告、ありがとうございます。修正させて頂きました。

※R5.1/21文章一部加筆修正しました。

※この小説はアルファポリスにも掲載しています。

※いいね、評価、ブクマ登録ありがとうございます!

 

 王族貴族の通うハイデン学園


 この学園には将来のボネカ王国を担う第一王子とその婚約者である公爵令嬢が学園の中心的人物として在籍していた。


 第一王子であるフィルナートは金髪碧眼で容姿端麗。その上頭も切れるため、圧倒的な存在感で生徒会長として学園に君臨していた。

そしてその婚約者である、二学年下の公爵令嬢のローレライは婚約者を支える副会長として常にフィルナートの隣に付き従っていた。


 ローレライは煌びやかで目立つフィルナートとは正反対の、清楚さが際立つ黒髪と翠目の静かな雰囲気の美しい令嬢であった。彼女はいつも無表情で何に対しても冷静な受け答えをするため、学園内では密かに感情のない『人形令嬢』と呼ばれていた。


 彼女が『人形令嬢』と呼ばれるまでになったのは婚約者の悪癖が大きな要因であった。



「フィルナート殿下~!」


 廊下を歩く二人のもとに一人の可憐な美少女が駆け寄ってきた。

 少女はフィルナートの左隣を歩いていた婚約者のローレライを押し退けると、フィルナートの腕に自らの腕を絡ませ、媚びるような上目遣いでフィルナートを見つめ、口を開いた。


「昨日はとっても素敵な時間をありがとうございました。また是非私とのお時間を作ってくださいね!」


 フィルナートは潤んだ目で見上げる令嬢の頬にそっと手を添えると、令嬢の耳元に唇を寄せこっそりと囁いた。


「ああ。また必ず時間を作るからその可愛らしい瞳は他の男には向けず私だけに向けておけ」


「は、はい……!」


 フィルナートの色気に当てられ、令嬢の絡めていた腕の力がふにゃりと抜ける。

フィルナートはその隙をついてサッと自身の腕を令嬢から抜き取ると、令嬢にニコリと微笑みを向け、その場を颯爽と立ち去った。

 ローレライも床にへたりこんでしまった令嬢には目もくれず、フィルナートの後を追った。

その光景を見ていた生徒達は、


「相変わらずの『人形』っぷりですわね」


「ええ、本当に。私なら婚約者が他の女性と仲良く腕を組む所など見たらとてもじゃないけれど、冷静ではいられませんわ」


「ああ、でも私も殿下と甘い一時を過ごしたいものですわ」


 ヒソヒソと、しかし楽しげに王子と『人形令嬢』の話題はいつも学園を賑わせていた。




 ◇




 先程のモテっぷりに気を良くしたフィルナートは隣にひっそりと付き従うローレライに声をかけた。


「昨日、あの令嬢に招かれて行った男爵家のガーデンテラスは中々に見事であったぞ。お前は確か花が好きではなかったか? 今度一緒に見に行ってやってもいいぞ」


 満面の笑顔でフィルナートはローレライの返事を待った。

しばらくの間があり、ローレライはため息と共に、答えることも億劫そうに静かに口を開いた。


「結構でございます。私は我が家の庭園で充分満足しておりますので、どうかフィルナート殿下お一人で行ってください」


 ローレライの感情のない声と表情に、フィルナートは笑顔のまま固まり一拍した後、わなわなと肩を震わせ顔を赤くして怒り出した。


「相変わらずつまらない女だな、ローレライ! お前のためにわざわざ私が声をかけてやったと言うのに、王子に対して何たる無礼な物言いだ!」


 誰もいない廊下でフィルナートは感情のままにローレライを非難した。


「……申し訳ございませんでした」


 ローレライは直ぐに謝罪の言葉を口にし、無表情のままペコリとフィルナートに向かって頭を下げた。


「もうよい、興が冷めた! 私の前から失せよ!」


 怒りの収まらないフィルナートは、その言葉と共に、人差し指をローレライの顔の前に突き出すと、その腕を大きく横に振りかざし、この場から立ち去るよう指示をした。


「……はい、失礼します」


 ローレライは弁解することなく挨拶を述べると、フィルナートに背を向け、言い付け通りにその場から立ち去った。


 廊下に一人取り残されたフィルナートは、ローレライの立ち去った場所を睨みながら愚痴をこぼした。


「いつもいつも可愛げのない! 昔はあのようなつまらぬ女ではなかったのに!」


 フィルナートの脳裏に出会った頃の幼いローレライの姿がよぎった。


 公爵家の庭先で花に囲まれて幸せそうに笑うローレライ。フィルナートはその姿が可愛くて一目で恋に落ちた。そしてお城に戻るやいなや


『彼女を私の妃にしたい!』


 と両親である王と王妃に無理やりローレライとの婚約話を持ちかけた。親バカな両親はフィルナートの望むままに婚約を取り付け、幼いフィルナートは大いに喜んだ。


「ローレライだって私との婚約をあれほど喜んでいたというのに。私の言うことならなんでも『はい、はい』と聞いていたあの頃のローレライはどこに行ってしまったのか」


 フィルナートは自分の行いを反省するでもなく、今やローレライとどんどん距離が開いていくことに再び怒りが湧いてきた。



「彼女の心の声を聞いてはいかがでしょうか」


 唐突に、フィルナートに対して後ろから声がかけられた。

 気配を一切感じなかったことにフィルナートは僅かに驚き、身構えながら後ろを振り返る。


「誰だ?」


 振り返った先には怪しげなフードを被った男性が佇んでいた。


「ローレライ様の心の声を聞けば彼女が何を考えているか分かる筈です」


 口元に笑みを浮かべ男が囁いた。


「貴様は誰だ?」


 フィルナートは警戒しつつ、怪しげな男に再び誰何(すいか)する。


「私はこの学園の魔法学部に所属している者です」


 男はおもむろに懐から小瓶を取り出し、フィルナートに向けて手を伸ばした。


「これは私が開発した心の声を聞くことが出来る魔法の薬です。心の声を聞きたいと願う相手を思い浮かべてこの薬を飲むと、自分だけがその相手の心の声が聞こえるようになります」


「なぜ貴様が私にその薬を飲ませようとする。魂胆は何だ」


 男はふふ、と笑うと胸の前に手を当て僅かに頭を垂れ質問に答えた。


「殿下にこの薬の効果を認めて頂きたくて。そして今後王国の魔法研究が殿下のお力添えにより、発展出来れば、と。そのための献上でございます」


 男の言葉にフィルナートはふん、と鼻で笑った。


「成る程な。今王国では魔法使いが育たず魔法研究は廃れつつある。魔法研究の支援を得るために、学園内で私に取り入る機会をずっと狙っていた訳か」


「流石でございます」


 薄笑いを浮かべた男の手からフィルナートは小瓶を乱暴に奪うと、その場で一気に薬を煽った。


「これが毒であったとしても、私は訓練していて毒耐性があるからな。余程の毒でもない限りは私は死なない。私に何か起こればお前はその場で処刑だ」


 口元に垂れた液を手の甲でグイッと拭いながら、フィルナートは男に向かって不敵に笑った。


「次代の王に毒を盛るなどと恐れ多いことなど致しません」


 高圧的なフィルナートを目の前にして、男は再フィルナートに対して頭を垂れた。


「さあ、殿下。心の中で誰の声を聞きたいのか願って下さい」


「ふん、取りあえず騙されてやる」


 フィルナートは目を瞑り、生意気な婚約者の顔を思い浮かべた。


 最近のローレライは笑顔ひとつ見せない。

 学園ではついに『人形令嬢』なとどいうあだ名まで付けられた。何ともみっともないことであろうか。


(この私の、未来の皇后ともあろう女性が人形などと呼ばれるとは。……ローレライ)


 フィルナートの心臓部分が一瞬金色の光に包まれた。



 ◇



 ――学園の昼


「フィルナート殿下~! お昼をご一緒してもよろしいですか?」

「それならば私達もご一緒させて下さいませ!」


 フィルナートの周りには絶えず取り巻きの令嬢達が群がっていた。


「よいよい。皆で食事を楽しもう。いつものガゼボに行くとするか」


 女性に甘いフィルナートは優しく取り巻き立ちに声をかけた。そしてチラリと視界の端に映った婚約者に声をかけた。


「ローレライ、お前も一緒に来い」


 フィルナートの声かけに周りの令嬢達は不満気な顔をしたが、正式な婚約者であり公爵令嬢であるローレライの存在を蔑ろには出来ず、静かにやり取りを見守った。


「……はい」

『嫌ですわ』


「ん?」


 フィルナートの耳に二つの声が同時に飛び込んできた。


『何でいつも私を誘うのでしょう。殿下はご令嬢達の不満気なお顔が見えないのかしら。無駄にご令嬢達に怨まれる私の立場を考えて欲しいものですわ』


 耳と言うよりは頭に流れ込んでくる。ローレライを見るといつものように表情はない。

 彼女は静かに昼食のお弁当を鞄から取り出していた。


『早く食べて用事があると言って立ち去りましょう。折角のシェフの美味しいお弁当がまた味も分からないまま食べる羽目になるのは悲しいですわ』


 フィルナートはローレライの心の声を素直に受け止めることが出来ず頭を抱えた。


(――これは、ローレライの心の声か……?)


「殿下~、どうなされたのですか~? 早くガゼボに向かいましょう?」


 胸の大きい令嬢がフィルナートの腕に胸を押し付けてすり寄ってきた。


「あ、ああ。すまない」


 フィルナートは令嬢のふくよかな胸の感触に瞬時に気を持ち直した。


『厭らしい。胸を擦り付けるだなんてまるで娼婦のようですわ。殿下もすっかり鼻の下を伸ばしてらっしゃるけど、婚約者のいる前で何て無礼な方達なのでしょう。まあ、もういつもの光景過ぎてどうでもよくなりましたけど』


 後ろから静かについてくるローレライとは裏腹にフィルナートと取り巻き達に対する呆れの混じった言葉はガゼボに着くまで途絶えることはなかった。


(こ、これがローレライの心の声だというのか……!)


 自分に向けて罵詈雑言を呟くローレライに対して、その日の昼食はフィルナートもまるで食べた気がしなかった。ローレライはといえばフィルナートと取り巻き達から距離を取り、昼食を早々に食べ終わると先程の心の声の通り、


「わたくし、用事がありますのでお先に失礼致します」


 と言って、さっさとその場を後にしたのだった。


『後はご勝手に楽しんで下さいませ』


 ローレライは心の中で捨て台詞を吐き、フィルナートは思わず飲んでいた紅茶をグッと喉に詰まらせたのだった。



 ◇



 公爵家に戻るとローレライは気だるげにリビングのソファに腰を降ろした。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 ローレライ専属侍女のレイチェルが優しく声を掛けた。


「制服のままですが、部屋着に着替えてゆったりと過ごされてはいかがですか。湯をご用意してありますので」


「いつもありがとう、レイチェル」


 ローレライはレイチェルに向けてニコリと優しい微笑みを浮かべた。

 レイチェルと周りにいた使用人達がその優美な微笑みにうっとりと感嘆のため息を漏らした。


「でも、その前に庭園に足を運んでくるわ」


 フィルナートが言っていたように、ローレライは花がとても好きだった。

 昔からローレライは気持ちが沈みがちな時によく庭先で花を眺めて心を落ち着けていた。


「かしこまりました。戻る頃にまた湯を温めておきますね」


 そんなローレライの習慣が分かっているレイチェルは、


『学園で何か嫌なことがありましたか?』


 と喉の奥まで出かかっている言葉をぐっ、と堪えて呑み込んだ。

 大体のことは察しがついているので、この件について深くは追求せず、静かにローレライを庭園へと送り出した。


 本来のローレライは決して学園で呼ばれているような『人形令嬢』ではなかった。

 表情豊かで、人を気遣うことの出来る心優しい令嬢であった。


(いくら次期国王候補であろうと婚約者のフィルナート王子は我が公爵家の宝物に対し、何とも酷い仕打ちをするものだ)


 公爵家の使用人一同は一国の王子に対して嫌悪感を抱いていた。


(公爵家が手塩にかけて大事に育てた純粋なご令嬢を蔑ろにして、こともあろうか手当たり次第に王国で美しいと噂される令嬢達に手をつけまくっている。ローレライ様や公爵家を愚弄しているなんて愚かな行為だろう)


 レイチェルは庭園へと向かうローレライの背中を見つめ、


(早くお嬢様が昔のような明るいお嬢様に戻りますように)


 と心から願ったのだった。



 ◇



 ローレライは手入れの行き届いた庭をゆっくりと眺めながら目的の場所迄足を運んだ。

 薔薇のアーチの先にあるガゼボ。

 この場所がローレライのお決まりの癒しの場所であった。


「アンジュ」


 ガゼボの周りの薔薇を丁寧に手入れをしている一人の青年に向けてローレライは声をかけた。


「お帰りなさい。お嬢様」


 ローレライの声に庭師のアンジュは作業の手を止め、彼女に向けて気軽に挨拶を交わしたのだった。



 ◆ ◆ ◆



 アンジュがこの公爵家にやって来たのは6年前のことだった。

 元は平民街で暮らしていた孤児であったが、当時11歳だった彼がなぜ公爵家に来たのか。それには大きな理由があった。


 当時のフローレンス公爵は悩みを抱えていた。

 その悩みとは、最愛の娘、ローレライがフィルナート王子との婚約が決まって以降、日に日に元気がなくなり、ついには笑顔までが消えてしまったことだった。


 最初は王子との婚約を喜んでいたローレライであったが、王子の高慢な態度と婚約者を軽んじるような数々の行動に対し、すっかり心を閉ざしてしまった。


 王命であったため婚約を破棄することも出来ず、父親である公爵は大層心を傷めた。

 あの手この手でローレライを元気にしようと色々と試みたが、結局心から彼女を笑わすことは出来なかった。そんな折、公爵はある噂を聞きつけ街にローレライを連れてやって来た。


  ――魔法を使える子供が街のはずれで一人で暮らしている。


 この国で魔法使いは数年前から徐々に減っており、魔法使いは大層重宝された。

 公爵は娘の心の病を魔法で治して貰おうと藁にも縋る思いで、魔法使いと噂される子供の家を訪れた。


 子供の家は街の外れに小さく、ポツンと建っていた。

 公爵とローレライは家の門戸を開け小さな敷地に一歩足を踏み入れた。

 すると、草一つなかった大地に足もとから光が差し、家を囲んでいる大地一面にブワッと色とりどりの花が咲き乱れた。


「うわぁ……」


 幼いローレライは初めて見る魔法の光景に思わず感嘆の声をあげた。

 確かな魔法の存在に驚いた公爵であったが、それよりもこの不思議な美しい魔法に表情こそ乏しいままだったが、僅かに目を輝かせ喜んでいるようなローレライを見て気持ちが高揚した。


「これは、思った以上だ」


 公爵は逸る気持ちを抑えつつ、小さな家の扉を叩いた。


 ――コンコンコン


 カチャリと扉が開くと、そこには平民にしては品のある白銀の髪色と金色の目をした端正な顔立ちの少年が立っていた。


「お待ちしておりました」


 そう言って少年はにっこりと公爵とローレライに向かって笑い掛けた。


「君が、魔法使いのアンジュ君か……。待っていたとはどういうことかね?」


 公爵が少年の言葉に慎重に口を開いた。


「特別な意味はありません。ただ今日誰かがここを訪れる気がしていただけです」


 そう言ってアンジュはチラリと公爵の後ろに隠れているローレライに視線を投げた。


「まさか、こんなに可愛らしいご令嬢が来るとは思いませんでしたが」


 アンジュの言葉にローレライが恥ずかしそうに公爵の後ろに隠れた。


「早速本題にうつらせて貰うが」


 警戒心を露にそのまま娘を隠すように、公爵がズイッとアンジュの前に顔を近づけた。

 そして公爵は今までの経緯をアンジュに説明し、その上でローレライの閉ざされた心を何とか救って欲しい、とアンジュに頼み込んだ。

 しかし、アンジュは首を横に振りながら、ばっさりと公爵の依頼を断った。


「残念ながら、私には傷つき閉ざされた心を治せる魔法なんて使えません」


「そんな、それでは娘はずっとこのままなのか」


 絶望的な表情で公爵は項垂れた。


「大丈夫です。お嬢様、手をお貸し下さい」


 アンジュはそう言うと父親の嘆く姿を不安そうに眺めていたローレライに手を伸ばした。

 ローレライは少し緊張したが、彼女を優しく見つめるアンジュの金色の目に引き寄せられるように自分の手をゆっくりとアンジュに伸ばした。


「は、い」


「ありがとうございます」


 恐る恐る伸ばされたローレライの華奢な手を、アンジュは大丈夫だ、と言い聞かせるように優しく握ると、優雅な仕草で彼女を庭先へエスコートした。

 そんな二人の様子を公爵は静かに見守っていた。


「お嬢様、先程こちらに来たとき、お花を見て喜んでいましたね。お花が好きなのですか?」


 アンジュがローレライの手を繋いだまま尋ねた。


「……ええ」

『お花は大好き』


 短くローレライは答えた。


「そうなのですね。じゃあこれはどうでしょう?」


 そう言うとアンジュは庭の散ってしまった木に魔法をかけた。すると、枝の先から蕾が無数に生え、物凄い勢いでポンポンと花が咲き乱れた。


「っ、!」

『うわぁ。またお花が咲いたわ』


 先程と同様にローレライはその魔法にあっという間に夢中になった。


 咲き乱れた花々が枝から離れてローレライの頭上に次々に降ってきた。

 白くて小さな花達がローレライをまるで花のカーテンのように覆った。


『素敵! 素敵! まるで絵本の世界みたい』


 パチン、とアンジュが指を鳴らすと軽い風が巻き起こり、花が舞って、とても幻想的な光景を描き出した。


『この魔法使いさん、とても凄いわ。なんて素敵な魔法を使うのかしら! ああ、私今お花の中にいる』


 文字通り花に囲まれたローレライは昂る気持ちが抑えられずに思わず声を上げた。


「お父様! 凄いキレイ! お花がこんなに!」


 ローレライは頬を紅潮させ、公爵に顔を向けた。

 久しぶりに見るローレライの嬉しそうな表情に公爵は胸が熱くなった。


「私にはお嬢様が婚約者に傷つけられている心は治せませんが、お嬢様が喜んでくれる魔法を見せてあげる程度は出来るみたいですね」


 ローレライの心の声を聞き、彼女の心が完全に閉ざされてはいないことを確認すると、アンジュは自分の魔法で喜ぶローレライを眩しそうに見ながら公爵に語りかけた。


 ガシッと公爵はアンジュの両手を取り、涙を流しながら熱い眼差しで懇願した。


「どうか、わが公爵家に来て欲しい。そして、君を魔法学園に推薦しよう」


 この国では、平民出の魔法使いは貴族の後ろ盾により魔法学園に通い、魔法を学ぶことで国家専属の魔法使いとして高い地位を得ることが出来た。


 この出会いはフローレンス公爵にとってもアンジュにとっても良い出会いとなった。


 魔法使いを援助した貴族はその魔法使いと雇用契約を結ぶことが出来た。それは魔法使いが希少な今、一つの大きな権力を得たことになるのだ。

 大きな魔力を持つ魔法使いであればあるほどその価値は高かった。


 フローレンス公爵は彼の魔法でローレライの閉じた心が少しだけほどけたことに感動し、純粋に彼の才能を伸ばしてあげるために彼を受け入れた。



『この魔法使いさんがうちに来てくれるの?また魔法を見せてくれるの?うれしい……!』


 アンジュの魔法を目の当たりにしたローレライは久しぶりに心から喜んだ。

 その声を聞いたアンジュは少しくすぐったそうに、心からの笑顔をローレライに向けた。


「よろしくお願い致します。お嬢様」


 アンジュは新しい主人に対して胸の前に手を当てペコリと深く頭を垂れ、挨拶をした。

 当時10歳のローレライはまだまだ絵本の世界に夢を見ていた。


『うわぁ……』


 目の前の幼く美しい魔法使いが、ローレライの心の中でキラキラと光輝いて見えた。





 アンジュは魔法使いとして公爵家にやって来たが、王国からその存在を隠すため、表向きは庭師として働いていた。


 アンジュは魔法で、表情とは裏腹に感情のままに聞こえてくるローレライの心の声を聞いた。


 なので、本当のローレライはとても感情豊かで純粋な女の子であるということを誰よりも理解していた。


 出会った頃から彼はこの素直で純粋な令嬢を気に入っていたが、誰よりも近くで側にいるようになってからはその気持ちはどんどん大きくなっていった。


 彼は自分を見出だしてくれた公爵家とローレライのために誠心誠意公爵家に仕えよう、と心に決めたのだった。



 ◆



 アンジュが公爵家に入って5年後。アンジュも16歳となり公爵の支援のもと、ハイデン学園の魔法学部に入学した。アンジュよりも1学年上にフィルナートもいた。あと1年すればローレライも入学してくる。


 魔法学部は学園の別棟に建てられているため、通常は普通科の学生達とは接する機会も殆どなく、ましてや王族であるフィルナートとは顔を合わせることすらなかった。

 アンジュは学園で目立たないよう、人目を引く見た目と魔法の実力は隠していた。


 学園でのフィルナートは噂通りの人物であった。王族らしく威厳は感じられるがどこか傲慢で人を見下すような雰囲気を持ち、また、美しい令嬢を見ると手当たり次第に手を出し、とても婚約者がいる人物には見えなかった。


 アンジュは密かに計画した。

 ローレライが心から笑えるように、この婚約を王子から破棄させるように仕向けようと。



 ◇ ◇ ◇



 庭を見たあとでローレライは湯浴みを済ませた。

 レイチェルのお手伝いのもと、部屋着に着替えるとドアをノックする音が聞こえた。


「入ってよろしいですか?」


「ええ、どうぞ」


 勝手知ったる声と同時にローレライの部屋の扉が開かれた。

 そこには庭師の格好ではなく、魔法使いらしいローブを羽織ったアンジュが立っていた。

 見慣れているとはいえ、神秘的な出立ちにレイチェルは一瞬見惚れ、直ぐにはっとして慌ててペコリと頭を下げ、アンジュと入れ替わるように退室した。


「失礼致します」


 アンジュが恭しくローレライの部屋へと入ってきた。


「今日はどちらに行かれますか」


 アンジュがローレライに尋ねるとローレライはすぐさま


「そうね、前に連れていってもらった湖がいいわ。 水の上を揺蕩(たゆた)いたい気分なの」


 と答えた。


「承知致しました」


 ローレライの申し出を快く受け、アンジュはローレライと自分を囲うように結界を張った。

 そして魔法の呪文を短く唱えるとローレライの足下が光で包まれ、二人はローレライの部屋からキレイな湖の畔に転移した――。


「相変わらず素敵な魔法ね」


 湖の真ん中で優雅な舟に乗りローレライはうっとりと呟いた。水のキラメキや木からこぼれ落ちる花弁が幻想的な景色を作り上げていた。


「お嬢様のためなら、いくらでも」


 向かい合って舟に乗っているアンジュがローレライだけに向ける優しい顔で微笑んだ。


 短髪だが艶のある白銀の髪と金色の目をしたもはや神秘的とも言える風貌のアンジュに、ローレライは一瞬目を奪われた。


 正統な美形のフィルナートとはまた違う色気漂う美しさを持つアンジュ。学園では目立たぬよう常にフードを被っているため陰気さが際立ち、彼の美貌は上手く隠されていた。


 ローレライはそれを少し勿体無いと感じていたが、彼にフィルナートのように取り巻き令嬢がまとわり付く姿を思い浮かべると、何故だか胸の当たりがモヤッとしてしまい、彼はこのままでいいのだ、と自分の気持ちを改めた。


「アンジュが居てくれて良かったわ」


 少し照れ臭そうにローレライは目を伏せてお礼の言葉を述べた。


「私もお嬢様のお役に立てて嬉しいです」


 アンジュは優しく微笑んだ。


「アンジュと出会ってからずっと、私はアンジュに救われているわ。私はとても幸せ者ね」


 そこまで言うとローレライは顔を上げ、はにかんだような笑顔をアンジュに向けた。


「ありがとう」



(――ああ、なんていじらしくて可愛らしいお方なのだろう……)


 普段から穏やかで温厚なアンジュであったが、予期せぬローレライの可愛らしい仕草と甘い言葉に、彼の心の中は恋慕の感情で溢れたのであった。



◇ ◇ ◇



(婚約者の心の声が聞こえる、ようになったのはいいのだが……)


『はぁ~。早く終わらないかしら』


 休日にフィルナートはローレライをお城に招き、お茶会を開いていた。

 ローレライが喜ぶように、彼女の好きな花が沢山敷き詰められた庭園で飛びきりのアフタヌーンティーを用意した。

 なのに、婚約者の態度は冷え冷えとしていた。

 何故なら何故かお茶会には招待していない取り巻きの令嬢達も参加していたからであった。


「本当に素敵なお庭ですわね」


「このケーキもどれも見た目も美しくてお味も繊細で食べたことのない高級な味がいたしますわ」


 取り巻き達がフィルナートがローレライから貰いたかった賛辞を口々に述べていた。


『高級な味ってどんなお味かしら? むしろそこが気になりますわ』


 令嬢達の賛辞の隙間にちょこちょこローレライの呟きが聞こえる。


(い、いかん。ローレライは完全に冷めている)


 ローレライの冷静な心の突っ込みにフィルナートは密かに焦り出していた。


「ところで何故今日のお茶会に君達が参加しているのだ。私は招待状を出した覚えがないのだが」


 女性には甘いフィルナートは出来るだけ優しく令嬢達に尋ねた。

 すると一人の令嬢が目をぱちくりさせて答えた。


「え? 嫌ですわ、殿下ったら。私達、しっかりと招待状を受け取りましてよ?」


 嘘ではないようで、他の令嬢達もうんうん、と頷いていた。


『そうなのですか? 私には二人きりでお茶会をしたいと誘っておきながら、とんだ嘘つきですね。まぁ、二人きりでお茶会をしても楽しめないのでどうでもいいですけれど』


「そ、そうなのか?」


 思わず心の声に聞き返してしまい、ローレライが訝しそうに目を細めフィルナートを見つめた。


「あ、いや。なんでもない」


『何なのでしょう。最近殿下の様子がおかしい気がしますわ』


「フィルナート殿下~。お茶会が落ち着いたらお庭をご案内していただきたいのですが」


「あら、セシリア嬢抜け駆けはよろしくなくてよ」


「そうよ。私だって、殿下と二人でお話ししたいわ」


 婚約者そっちのけで令嬢達がフィルナートの取り合いだした。


『はぁ~。全くこの方達は、婚約者のいる王子を何だと思っているのでしょうか。立場を弁えず図々しいにも程がありますわ。でも、そもそも彼女達が図々しくなったのも全て殿下が彼女達に色目を使い、気を持たせ続けているせいですわね。殿下の女好きはどうしようもないですわ。一体結婚後は何人側妃を娶るのでしょう』


「う、うるさ~い!!」


 遂にフィルナートは誤魔化すことを止め反論した。


「私が他の令嬢に気を持たせるのはローレライ、全てお前のせいではないか!」


「っ!?」


 突然の王子の逆切れにローレライは驚いて大きな瞳を一層大きく見開いた。


「フ、フィルナート殿下?」


 他の令嬢達も驚いて言葉に詰まる。


「私が子供の頃にそなたを婚約者にした時、そなたは喜んで受け入れたではないか。お前が私の婚約者になったからには私以外に気を許すことは許さぬ! そう申したであろう! それなのに、お前ときたらっ……!」



 ◆ ◆ ◆



 ローレライは公爵家の人々にとても愛されて育った。美しい花の横で笑う姿は、花の美しさをかすめる程であった。


 彼女は多くの人から愛された。フィルナートもその一人であった。しかし、彼は生まれた時から傲慢で独占欲が人一倍強かった。彼が恋したローレライがたかが使用人であろうと自分以外の人間に微笑むことは許せなかった。

 フィルナートは幼いローレライに何度も呪いのような言葉を放った。


「自分だけを見ろ。自分にだけしか微笑むな」


 それは絵本の中の夢物語に憧れていたローレライをとても怯えさせる行為だった。

 自分以外の人間に気を許す度に王子から、


「誰にも微笑むな。気を許すな」


 と言われ続けた。


 そしてとうとうローレライからは一切の感情と表情が消えてしまったのだった。


 しかし、それに追い討ちをかけるようにフィルナートはローレライの前で他の令嬢にちょっかいを出し始めた。

それは、自分に関心を示さないローレライの心を何とか自分に向けさせるための幼稚な行為だった。



◇ ◇ ◇



『やめて下さい! もう沢山ですわ!!』


 忘れかけていた苦い記憶が甦り、ローレライは身震いした。


「ローレライ!私を見ろ!」


 フィルナートが自身の身体を抱くローレライの両腕を押さえた。


『嫌、怖いっ!』


 フィルナートの頭に自分を拒絶する婚約者の言葉が容赦なく聞こえてくる。


「わ、私達はこれで帰らせて頂きますわ」


 事態を重く見た令嬢達はそそくさとその場を逃げるように去っていった。

 フィルナートは気にせず尚もローレライにたたみかけた。


「私を、私だけを見ろ。そうすれば私もお前だけだ。他の令嬢など見ない」


「で、殿下。手をお離し下さい」

『怖い。早く逃げなければ』


 ローレライの顔が恐怖にひきつる。


『アンジュ、アンジュ!』


「アンジュ?誰だそいつは」


 フィルナートはローレライの心の声で初めて聞く男性の名前に嫉妬で顔を歪めた。


「私です」


 フィルナートの背後で声が聞こえてた。

 それは学園で薬を渡してきたフードを被った魔法使いであった。フードから漏れ出たギラギラと光を帯びた金色の目がフィルナートを激しく睨み付けていた。


「貴様はっ!」


「貴方のような危険な人物とお嬢様を私が二人きりにはさせません」


 フィルナートからの招待状を真似て令嬢達に送ったのはアンジュであった。そして、自分もローレライを見守るために正体を隠し、お城に潜んでいたのだ。


 そう、アンジュはいつもローレライを見守っていたのだ。それは公爵家に引き取られて以降、公爵から直々に依頼されていたことでもあった。


「婚約者の心の声は聞こえていましたよね? お嬢様があなたなんかに恋慕の情なんて微塵も持っていないことが分かりましたか? あるのはあなたに対するとてつもない嫌悪感と支配による恐怖です」


「黙れ!」


 魔法使いの言葉にフィルナートはカッとなり、声を荒げた。


「アンジュ!!」


 フィルナートに両腕を掴まれているローレライはその手から逃れたくてアンジュの方に身体を揺らした。


「ダメだ。ローレライ。他の男を見るな! 私だけを見ろ!」


 しかし、フィルナートが懇願しながら力ずくでローレライを押さえつけた。


「いやです、離して下さい!」


 嫌がるローレライの姿にアンジュがフィルナートに向けて不快な表情を浮かべた。


「その汚い手をお嬢様から離せ!」


 アンジュが声を荒げ、フィルナートに向かって光を放った。

 その直後、フィルナートの意識は光の中へと吸い込まれて行った。



 ◆ ◆ ◆



『フィル。お花ありがとう』


 婚約したての頃、フィルナートは毎日のようにローレライに花を贈った。


 花束に顔を埋めて微笑むローレライはなんとも可愛らしくて、いつまでも見ていたいと思った。

 花を愛でるローレライに周りの大人達が近づいて話しかける。


『素敵なお花を貰ったね。大事に飾らなくてはいけないね』


『はい、お父様』


 フィルナートがまだ触れたことのないローレライの頭を公爵が愛おしそうに何度も撫でた。

 チリッとフィルナートの胸が焼けるような感覚がした。


『ローレライ、今日は一緒に町に出よう』


『はい、フィル』


 ある日、町へのお出掛けにローレライを誘った。


『可愛らしいお嬢さんだね。このアメもおまけしよう』


『ありがとう』


 露店の男がローレライにサービスするとローレライは簡単に男に向かって屈託のない笑顔を向けた。

 チリリとまた胸が焼ける感覚がした。


(――ダメだ、ローレライの笑顔は俺だけのものだ)


 激しい独占欲がフィルナートを襲い、そして気持ちを抑えることが出来なくなったフィルナートはローレライに


『自分以外の者に笑いかけるな』


 とローレライを責めるようになった。

 そう言い続けていたら、いつしかローレライは笑うことをやめてしまった。





 とあるパーティー会場にて、


『フィルナート殿下、ご機嫌麗しゅう』


 どこぞの令嬢が頬を染めて挨拶してきた。フィルナートが社交辞令的に微笑んだら、令嬢はとても嬉しそうに笑顔を見せた。

 それはしばらく見ていない、かつてのローレライの笑顔と重なった。


『君と仲良くなりたいのだが』


 もっとその笑顔が見たくて、フィルナートは表情の消えたローレライの目の前で、初めて他の令嬢に自ら誘いの言葉をかけた。


『そんな。フィルには私という婚約者がいるのに』


 幼いフィルナートにローレライの心の声が聞こえ、フィルナートは令嬢をエスコートしながら驚いて後ろを振り返った。


 フィルナートの視界に、悲しそうな瞳で今にも泣き出しそうな幼いローレライが映る。


(――そうか、ローレライのあの笑顔を奪ってしまったのは私だったのか)


 甦る記憶の中でフィルナートは、自身の行いをようやく悔いた。

 自分は何と狭量で愚かな男だったのか。


(何故もっと彼女を大事にしてやれなかったのか)



 悲しみにくれるローレライの周りにふと、ポワポワと花が現れた。

 ローレライは顔を上げ、しばらくその花をぼんやりと眺めていたが、花が段々と増えていくにつれ、少しずつ曇った表情が笑顔へと変わっていった。


『アンジュ、アンジュ、素敵』


 ローレライの声につられて、彼女の目の前に幼いながらに美貌の魔法使いが姿を現した。


 魔法使いが片手を挙げると、ローレライの周囲に柔らかな風を起こり、花弁が風に舞って小さな少女の身体を花吹雪が覆った。


「わぁ、きれい」


 ローレライは魔法使いにフィルナートが花を贈った時のような笑顔を見せていた。





 ――場面はお城へと移る。


 庭先で今よりも少し成長したフィルナートの姿があった。

 彼の頭には王の象徴である王冠が被られていた。

 フィルナートは王となっていた。

 彼の隣には大きなお腹を労るように撫で微笑んでいる女性がいたが、その女性はローレライではなかった。


 ローレライは彼らから数メートル離れた庭の垣根の陰に身を潜めるようにし、静かに二人の様子を眺めていた。

 王妃の冠こそ被ってはいたが、彼女の表情は未だに『人形』のままだった。


 最早彼女からは心の声すら聞かれない。


 静かにその場を後にするローレライの後ろ姿を虚ろな瞳でフィルナート王は見送っていた。


 ローレライの歩いている姿を見たのはそれが最後であった。


 その日の夜、王妃が自らの命を絶ったと城中が大騒ぎしている中、フィルナートは呆然とその場に佇んでいた。


(やめろ、こんなものを私に見せるな)


 棺の中で白い花に囲まれて目をつぶるローレライの前にフィルナートは立っていた。

 彼女は本当に美しい人形のようだった。

 フィルナート王は棺で眠るローレライにポツリと語りかけた。


『これで、お前は永遠に私だけのものだ』


(何を言っているんだ。狂ってる)


 フィルナートは未来の自分の姿にゾッとし、絶望感に襲われ両手で顔を覆った。


(私ではローレライを幸せにすることが出来ない。あの笑顔を奪ってしまった私には……)


(……私は、間違っていた)


 光がフィルナートを再び包み込み、フィルナートの意識が現実に引き戻された。



 ◇ ◇ ◇



 フィルナートが意識を取り戻すと先程までいたお城の庭先の風景が目に飛び込んできた。


 ローレライを大事そうに腕に抱き、魔法使いであるアンジュがフィルナートに不敵に話しかけた。


「お嬢様の心が見えましたか? そしてその先に在るものが」


 フィルナートは力なく項垂れた。


「私が……間違っていた」


「つまらない独占欲で彼女を縛りつけてしまった。私はローレライの笑顔がとても好きだったのに……」


「それではあなたがこれから何をすれば良いかお分かりですよね?」


 アンジュは項垂れているフィルナートに向かって容赦のない表情で、畳み掛けるよう言葉を続けた。


「お嬢様との婚約は解消してもらいます。今後は彼女に関わることは私が許しません」


 アンジュほどの魔法使いは国随一の存在と言っても過言ではなく、その地位は王に次ぐものとなるだろう。そして、彼を育ててきた公爵家は一層の力を獲得することとなる。

 そのため、力を得た公爵家に逆らう者など王を以てしてもこの国には最早いなくなるのも同然だった。

 フィルナートは苦悶の表情で一言短く答えた。


「分かった……」



 ◇ ◇ ◇



 国中にフィルナート王子とローレライの婚約解消の話が広がったが、今までの王子の女遊びを人々は知っていたので婚約解消の理由で騒ぎ立てることはなく、いつしか噂もひっそりと消えていった。



 婚約解消後、アンジュはすぐに隠していた実力を表舞台で披露した。

 干ばつで干上がった大地に雨を降らせたり、希少な魔法石が採れる鉱山で猛威を奮っていた魔物を討伐したりと瞬く間に多くの功績を残していった。

 天才魔法使いが現れたと学園では大騒ぎになった。


 もちろん、フードを脱いだアンジュの姿に学園中の令嬢達が色めき立ったのは言うまでもない。

 アンジュの目の色と活躍から『黄金の魔法使い』という異名が付けられたが当の本人は全く意に介さず、人々の騒ぎなど何処吹く風であった。


 何故なら、アンジュは孤児の自分を見つけ、魔法を認めてくれたローレライの幸せとフローレンス公爵家が安泰ならそれだけで満足だったからだ。



 フィルナートが卒業し、婚約も解消されたローレライは少しずつ本来の明るい姿を取り戻し始めていた。

 大きく変わった所といえば、ローレライの側にはフィルナートに代わって常にアンジュがいるようになったことだ。


「アンジュ、貴方いつも私の隣にいるけれど、授業の方は大丈夫なのかしら?」


 心配そうにローレライが尋ねる。


「大丈夫です。私は学園始まって以来の天才魔法使いとのことなので、自分のペースで課題をこなしていれば教師の誰も口出ししてきません。それよりも、こうしていつでもお嬢様の近くで悪い虫が付かないよう監視している方が私にとっては重要な仕事ですので」


「そんな心配は不要だわ」


 アンジュの言葉に半分呆れ気味にローレライは小さくため息をつき、その後クスリとアンジュに微笑んだ。


「でも、貴方のお陰で私はとても楽になれたわ」


 最近のローレライは学園内でもこのように無邪気な笑顔を見せるようになった。


「そのお顔は」


 ポツリと呟くとアンジュはローレライの耳元に唇を寄せ、色気を含んだ声で囁いた。


「出来れば私の前だけでして下さい」


「っ!!」


『アンジュにそんな風に言われたら何だか胸がドキドキして苦しいわ』


 ローレライの心の声を聞いて、アンジュはフッと含みのある笑みを浮かべ、ローレライの耳元から顔を離した。


「もう、からかわないでっ!」


 真っ赤な顔をして本気で怒るローレライにアンジュは


「すみません。あまりの可愛らしさに我慢出来なくて」


 と更にローレライを惑わす言葉を発した。

 顔を赤くして怒ったり、花のような笑顔で笑うローレライにはかつての『人形令嬢』の面影はなく、学園の生徒達はこの美しい二人の様子を遠くからうっとりと眺めていることが至高のひとときとなっていた。


 学園を卒業したアンジュが国随一の魔法使いとなり、ローレライに結婚を申し込むのはもう少し後のお話である。



 ◇ ◇ ◇



 婚約解消後フィルナートは人が変わったように政治に没頭した。

 女遊びをやめた王子は元々持っていた王の素質が開花し、王国始まって以来の名君として名を残すことになる。


 王になったフィルナートに三人の子供が出来たが、妻は王妃一人だけであり、王は晩年までかつての婚約者を思わせる黒髪、翠目の妻をとても大事にしたとその後の王室の歴史書で語られている。



最後まで読んで頂きありがとうございました。

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面白かったらブクマ評価、感想をよろしくお願いいたします(^人^)

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[一言] 女性に非道い振舞いをした男性が、その酷さをまざまざと実感させられ心の底から悔いる過程が好きです。 読み応えがあり楽しめました。 同じ「その笑顔は自分だけの前で」という文言でも、本当にそうする…
[一言] 面白かったですが、章ごとの数字とかは要らなかったと思います。
[気になる点] 王子、その後は名君に~とありますが、DVモラハラ野郎が改心し言動を改めることは絶対にありません。 何故なら、その方法でしか感情の向け方を理解しようとしない生き物だから。 王妃になった人…
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