婚約者に別れてほしいと言われました。理由は「君を好きだから」って、どういうことですか?
「祐子、お願いだ。俺と別れてほしい」
ある日、婚約者の大翔くんからそう言われました。
ここはおしゃれな人気カフェのテーブル。コーヒーを呑みながら何気ない話をしていると、突然、彼がそう言い出したのです。
私はいわゆるお金持ちのお嬢様で、大翔くんとはお家の事情で婚約している、つまり政略結婚。
でも実は私、大翔くんのことが大好きなんです。暇さえあれば毎日のようにデートしたり、ラブラブなことをしてもらってたいへん幸せな女だと自負しております。
が、別れ話とは一体全体どうしてでしょう?
「突然ですね。私のわがままに嫌気が差してしまいましたか?」
しかし、「違う」と彼は首を振りました。
なら私に飽きたのかと問えば、それも違うんだそうです。
私の容姿が気に入らないのかと思いましたが、そんなことはあり得ません。
だって私はモデル並みの美人なんです! 実際に女性雑誌に載ったことだってありますし、大翔くんも私のこの見た目を可愛い可愛いといつも言ってくれていました。
「じゃあなぜです? 私に何か至らぬ点でもありましたか?」
「いいや、それも違う。――君を好きだから、好きすぎるから、婚約破棄してほしいんだ」
そうして深々と頭を下げられました。
彼とは十歳の頃からお付き合いしていますが、こんなのは初めてです。私は戸惑ってしまいます。
「え? 好きだから婚約破棄って……どういうことですか?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どうやら、大翔くんのお家は没落してしまうようです。
まあ、今の日本で没落という言葉はそぐわないかも知れませんが、つまりは大翔くんのお父様の会社が破産してしまうんだそうです。
なら家の会社に頼ればいいのですが、決して借金をしないというのが彼のお父様の信条らしいのです。
でも借金さえすればお家は助かるんですけど……。曲者ですねぇ。
「それで私を巻き込みたくないがための婚約破棄ですか」
「ああ」
「確かにうちの母は没落したお家のお坊っちゃまなど私の夫に認めないでしょうね。婿入りなどさせてはもらえませんでしょう」
私はしばし悩みます。
物語のような劇的なラブストーリーを演じたいところですが、現実はそうはいきません。
愛があっても金がなくては生きていけません。それがこの世界であり社会なのです。
でも、大翔くんのことを好きな気持ちは確かですし、彼も私のことを好いてくれているとのこと。
ならば二人で生き残る道を探すしかありませんね。
「駆け落ちしましょうか?」
「無理無理。今の不景気経済の中で金なしになったら生きていけるわけないだろ」
「ならばこっそり私のへそくりを渡して差し上げましょうか? 五百万円ちょっとはありますが」
「いやいや。そこまでもらったら祐子に迷惑がかかるだろう」
私はそれでも諦めません。「大翔くんと一緒にいられるなら、どんな思いをしたって構いません。だって私、大翔くんの優しい顔も、『祐子』って呼んでくださるそのお声も、心より愛しているんですから」
私がにっこり微笑むと、大翔くんが身を乗り出して頬に口づけして来ました。
「好きだ」
「私もです」
そんな私たちを、カフェの人たちがくすくすと笑いながら見ていました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日、私はフリフリのメイド服を着て大翔くんのお屋敷へ向かいました。
「大翔くん……ではなく、大翔さんの紹介でやって参りました」
私は今は、秘書という名目でここを訪れています。
でもじっくり考えてみれば、秘書はスーツ姿な気がします。メイド服は失敗でしたね。
大翔くんのお父さんである斉藤さんからはかなり怪しまれてしまいました。
というか、普通に「祐子ちゃん、どうしたんだ?」と言われてます。変装したんですけどね。てへ。
まあバレちゃったものはしょうがない!
元々は隠す予定でしたが、全部事情を話してしまうことにしました。
会社の経営を手伝うため、秘書になるのを決めたこと。それと大翔くんとの婚約破棄だけは嫌・絶対!なこと。
「お小遣いも持って来ました。ので、働かせてください!」
ということで、五百万円を手に、私はお願いしたのです。
もちろん斉藤さんは認めてくださいました。
――二ヶ月後。
私のおかげで斉藤さんの会社は大成功。晴れて、私たちの婚約破棄は防ぐことができたのでした。
もちろん私のお母様からはこっぴどく怒られてしまいました。『秘書になるなんて不名誉だ』って。でも大翔くんが私のメイド姿を可愛いと言ってくれたので、全て良しとします。
秘書の仕事の間も私たちはラブラブすぎて、そのラブラブパワーで全てを乗り切ったのでした。
そうして、やがて二十歳になると私たちは結婚することになりました。
幸せな結婚式をして、楽しい夜を過ごして、子供をたくさん産んで。
喧嘩なんて一つもなくて、とてもとても幸せな日々でした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
三十代半ば、幸福の絶頂にあった時のことです。
十二、三年ぶりにあの時のカフェにやって来た私たちは、久々に二人での時間を過ごしていました。
「ふふ、懐かしいですね」
「ああ。……なあ祐子」
「なんですか?」と首を傾げる私。
大翔くんは今までに見たことのない最高の笑みで言いました。
「あの時別れないでくれてありがとう」
私は、「はい」と答えるので精一杯だったのでした。
私はきっと世界で一番の幸せ者です。