小さな親鳥
効きすぎた冷房が寒いほどの車内で絵麻は腕をさすりあたためながら、しばらくして着いた駅をでて快晴のおもてを歩んでいると、早くも肌に汗を覚えた。
結んできてよかったと思いながら、半面そのむきだしのうなじに差すつよい照りをおそれもするので、絵麻はちょっと早足になりつつ一度陰をみつけて涼を取り、いざ歩み出すと今度は休まず瑛太の部屋へとむかった。
ベルを押しても反応がないので、鍵をつかって入るとひんやりしている。
ぬいだ靴をそろえてたたきを上がり、真っすぐ部屋へとむかうと、シャワーをつかっているらしい背後で漏れきこえるその音のほかには冷房の静音ばかり。
絵麻はふっと気抜けしてなす事もないままに、ソファへ浅く腰をかけ頭からその背にもたれかかると、結んだ髪が邪魔をするので深く座りなおし、しばしぼんやり佇んでいた時、遠く近く呼びかわす小鳥の甲高い声。
途端に絵麻は今日の目当てを思い出して立ちながらそっとカーテンへより、その半ばすきとおる白の生地越しに目を凝らすと、自分の背丈ちかく育ったベランダの植木鉢に褐色の小鳥が巣をつくり、つんと嘴をとがらせた横顔を見せるさまが至極愛らしいので、恐る恐るレースカーテンをちょっぴり引きながら、今一度窺ってみると、写真のように停止したまま警戒するらしき様子もない。
先日瑛太がくれた画像ではわからなかったけれど、間近で見れば幹がまっすぐ伸びているわけではなく、互いに垂直に立てかけた三本の棒へ蔓がからんで育ったその頭上に小さな籠をこしらえており、よくはたらく軒下のもと、親鳥は小さな体のお腹をぐっと膨らませて、卵をまもっているようである。
鳥類は人よりもずっと目がよくて、単に遠くまで見通せるばかりでなく、自分たちは疎んじるばかりで見ることの出来ない紫外線さえはっきり見て取れるらしいから、すぐにでもこっちへ気づいてもよさそうなものの、端然と姿勢をくずさないので、絵麻はふと母親というものはえらいと感嘆し、それから友達とその赤ちゃんのことを心に浮かべてみた。
こう思うのはちょっぴり失礼だけれども、自分と等身大の若い母子の姿よりも、目の前の小鳥のさまは一層愛らしい。不埒にもそう心づいて、今更驚かせたくはないものの、気持ちを抑えきれずにそうっとカーテンを片寄せると、親鳥はなおも動かない。
そのまま硝子越しに見惚れるうち、ぴくりと顔を動かしたのに絵麻はふっと安心して、カーテンは開けたままソファへもどり手持ち無沙汰にテレビを点けてぼんやりニュースを流していると、シャワーをおえた瑛太が濡れた髪を無造作にかきあげながら帰って来て、絵麻を認め、
「やっぱり絵麻だった。ちょっと待っててね」と微笑むなり姿見の前にすわってこちらへ背をむけドライヤーをつかい始めた。
絵麻はドライヤーとニュースの音を聞き分けながら、窓の方へ度々視線を投げて小鳥を見守るうち、父鳥はいないのだろうかとふと不安になり、ひょっとすると母親と父親の交代で卵を温めているのかもしれないと思いなして、ひとまず安堵したけれど、たちまちそうではない気がした。きっと母鳥一人で育てなければいけないのだ。だって二人が入るには巣がせますぎるではないか。
そう決めつけると、絵麻は先刻の推理も忘れてただ寂しくなって、たまらず瑛太の背中へよった。
「見た? 鳥」とドライヤーを切って鏡に向かいながらすかさず訊ねる瑛太へ、
「うん」と気落ちしたまましょんぼり答えると、
「どうしたの。あんまり興味なかった?」
「違うの。ママ一人で子育てするのかなって思って、ちょっと悲しくなっちゃった」
と絵麻が答えるなりぐるりと瑛太が振り向いて、
「ママ一人って、鳥のこと? そうじゃないよ。違うよきっと。鳥も夫婦で一緒に子育てする。だからあの小鳥は一人じゃない。ひょっとすると今温めているのはパパの方かもしれないよ」
その答えに絵麻はほっと慰められてじんわり心あたたまり、
「よかった」とつぶやいたまま後ろから腕をまわして、そっと頬を押し当てた。
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