書庫にて
駿狼の後をとぼとぼと追ってたどり着いたのは書庫だ。
事件資料を中心に保管しているようだ。
「わーとてもたくさん」
棒読みするしかない。この一棚は今年の事件の資料で溢れ返っているようだ。後宮の闇って結構深い。
雷燐自身には母も同母の兄弟姉妹もいない。一応第二皇子柳玄の母昴昭儀が後見人となっているが、名目上のことで、陰謀からほど遠いと思っていた。
今回のことはもう運が悪かったもらい事故だと思うしかない。
駿狼はおにぎりと漬け物をものの数分で食べた後は資料に集中している。
隣では小さな犬がおとなしく寝そべっている。犬など可愛がっていただろうか。
「うう。おにぎりおいしそう」
子犬が顔をあげた。ばっちり目が合う。
「きゃん」
「どうした楽希」
「変な名前。な、何よ。なんでこっち見てるのよ」
犬はこちらを見て唸っている。
そのとき書庫に女官が入ってきた。
「駿狼様、文月公主様は今のところ白でございます」
侍女は伏し目がちにそそと駿狼に近づいてきてそう告げる。
ああ、私のところから花瓶を盗んだ女官ー夏葉だ。
「その人が犯人よ!」
叫んでも希駿は気づかない。
犬が、夏葉の隣に移動し、かわいらしく「きゃん」と一声。
駿狼はちらりと顔をあげて夏葉にうなずいて見せたが、すぐに冊子に視線を落とした。
それを合図に侍女は去ってしまった。
去ってしばらくして彼は冊子を閉じて、犬をわしわし撫で、干し肉を与える。「よし」と告げると、犬はすぐさま「きゃん」と応え、肉にがっついた。
雷燐は机に置かれた冊子に目を落とした。
「桃源仙女艶絵巻」
「仙女も絵巻もいいけれど?つやって何よ、つやって!?」
食事中、彼は熱心に本を読んでいる。 四十九日に読む本ではない。
だが思えば艶事なんて一度も知らず幽霊になった。気になる。
「ちょっとだけ覗いちゃおうか?」
好奇心を抑えられず、そぉぅと近づいて...
『毒』の文字にもう動いていないはずの心臓が跳ねる。
彼が読んでいたのは「黄玉公主服毒事件」と書かれた冊子だった。
逸る気持ちで内容に目を走らせる。
「最終結論は公主が無理心中未遂って、ふざけないで」
なんでも、第二皇子と別れ難く思った雷燐が第二皇子と心中をしようとした、らしい。
もう色々調べる気はないのかも。
「裾に薬の粉がついており...婚約者と上手くいってなかった。結婚を苦にした、もしくは第二皇子に懸想しており・・・時候の挨拶に偽装恋文ぃ?」
いや、ほんと中元や歳暮のお礼状、四季折々の挨拶文を交わしていただけだ。気にかけてくれたのは嬉しいと思うが、断じてそのような仲ではない。
「妹と恋仲かもなんて疑われた時点で、玉座に座る可能性は限りなく零になったってことね」
第二皇子を蹴落としたい第三皇子や他の皇子の仕業か、それともー
結局、茶菓子を用意した侍女や私の侍女への厳しい取り調べがあり、幾人か処刑されたが、真相は不明と言うことらしい。
駿狼との仲が上手くいっていたかは自分でもわからない。
彼は寡黙で雷燐の止めどない話をほとんど表情を変えずに聞いていた。
雷燐が悪いことをしたら叱りはするが、基本はただただ雷燐の言葉にはうなずいていた。
「口づけの一つでもねだっておけば良かった」
数日後、またあの異母姉のところに行くのだろうか。それはあまりに苦しい。それを想像すると胸が張り裂けてしまいそうだ。
「事件の内容を調べているってことは見捨てられてない、ってことでいいの?」
艶本の背表紙を使っているのが、なぜなのかよくわからないが...
犯人候補をどうにか伝えねば。幼い頃、よく遊んだ『文字当て』を試してみる。と言っても、雷燐がじゃれていただけで駿狼の方はまったく気づかない。
『ブンゲツ』
彼の手のひらに爪を立てるようにして一文字一文字丁寧に綴る。
難しい文章は伝わりにくい。と思って簡潔に何度も書くが、雷燐の細い指は希駿の手をすり抜ける。
やがて鐘がなると、駿狼は犬を連れて書庫を出た。
◆
「で、自分で調べてみて俺への疑いは晴れたのか?今後も我に二心なく仕えられるか」
駿狼の護衛対象であり、主である第三皇子の黎明だ。いつもの玉座に全く興味無さそうな兄が自分を殺すわけが...
「...黎明さま」
希駿は膝をついたまま。だが主の問いには答えない。
雷燐がそっと駿狼の顔を覗くが、彼の表情は苦渋の色に染まっていた。
「もう少し考える時間をやろう」
◆
雨駿狼は小さいながらも屋敷を賜っている。結局、雷燐は彼の屋敷まで付いてきてしまった。
つられて入ろうとして。
ー三夜。
雷燐は『三夜嫁』という怪談を思い出す。
数年幽霊と夫婦で暮らすと言う話もあるにはあるが、人間が幽霊と共に過ごすのはよろしくないらしい。
だいたい三夜ほど逢瀬を重ねたのち、男を呪い殺すのが怪談の定番だ。夜はなるべく近づかないでおこう。
それどころか、呪うつもりがなくとも昼に近づくのも良くないかもしれない。
でも、遠くから見ることだけは幾日過ぎても結局やめられなかった。