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9 行き違い

 ある日のこと、政務に追われていたコンラスはふと急に、あることを思い出した。


「そういやあいつに言われてたのを忘れてた」


 ここ一月ほど、例の爆破の件で慌しくしていたため、その前後に交わしていたやり取りなど、頭からすっかり抜け落ちていたのだ。善は急げとばかりに、コンラスは第一兵団の詰め所へと向った。


 詰め所に現れたコンラスの後ろに、イゼルは無意識に目をやる。残念ながらそこに、彼の想い人の姿はなかった。


「おい、聞いてるのか」


 ツァレトフに連れられ、コンラスは奥の応接室に姿を消していった。その一部始終に気取られている様子のイゼルに、ファリスがジトッとした目を向ける。手には、近々行われる予定の収穫祭の日程が記されていた。

 収穫祭は、この国で唯一と言ってよい華やかな祭りである。3日にわたって城下には出店が立ち並び、巨大な市場が出現する。国中から収穫された農作物を持ち寄って人々が王都にやってくるのだ。中には外国から来るものもいる。

 売り物も、農作物だけではなく、狩猟による鳥獣肉であったり、ジャムや保存食等の加工品や、木工や織物といった民芸品であったりと実に様々である。欲しいものは何でもそろう、とまで言われており、多くの人は、これから来る長い冬にそなえてこの市場で用を足す。

 その一方で、王都の警備を一任されている第一兵団はこの時期、激務に追われることになる。


「あぁ。人員の配置についてだったか」

「おう」

「1日目の第三エリアの午前は俺の班が行こう」


 イゼルはすっといつものように無表情ともいえる真顔に戻り、手元の資料に視線を落とした。目線はどこかへといっていたが、話はちゃんと聞いていたようである。しかし先日の飲み会の件もあって、ここ最近の彼の挙動がファリスにはどうにも気がかりで仕方がなかった。

 休憩時間にでも聞いてみるか、と思いながら打ち合わせを進めていると、突然、第三者の声が割って入ってきた。


「オルファン、少しいいか?」


 先ほどコンラスと応接室で何か話していたツァレトフが、いつの間にか戻ってきていた。いつになく遠慮がちなその表情と声に、イゼルは僅かに動揺の色を浮かべるが、すぐに表情を戻す。


「はい団長」

「その、ここでは何だから応接室で話そう」


 また後で、と言い置いて上司の後を追う友の姿に、ファリスは一抹の不安をおぼえた。


「……その、先日の件なんだが」


 応接間の扉を閉めると、ツァレトフはものすごく言い辛そうに切り出しはじめた。その顔は、なぜか苦渋の決断でも迫られているかのようにゆがめられている。

 何か重大なことが起きたのだろうか、とイゼルの表情にも緊張が奔る。


「宰相殿がお見えになっていましたが何かあったのでしょうか」

「……あぁ、自ら来てくださったのだが、あまり良い知らせではない」


 話しを一旦区切ると、ツァレトフは重く息を吐き、目の前の青年を見据えた。


「落ち着いて聞いて欲しい」

「はい」


 常より冷静沈着であることに定評のあるイゼルであったが、ここまで自分の上司が思い詰めているのも珍しく、内心は少なからず動揺していた。先日の爆破の件で何かあったのだろうか、と様々な憶測が頭の中をよぎる。


「正式にお断りを受けた」


 一瞬、何のことだか分からずに、イゼルは身構えていた肩の力を少しだけ抜く。何も言わないイゼルに、ツァレトフは労わりの表情を向けると、その両肩をがしりとつかんだ。


「憧れとはそういうものだ。私もお前くらいの頃は何度失恋したか分からん」

「はい」

「だがおかげで愛する妻とめぐり合うことができ、今はこうしてささやかではあるが幸せな日々を過ごしている」

「それは素晴らしいことです」

「うむ。お前にもきっとその相手がいるはずだ。だからあまり落ち込むな」

「はい。ですが団長、お断りとは何のことでしょうか」


 目の前で一方的に己の思い出話を語り始めるツァレトフに、話が全く見えてこないイゼルは生真面目に返答を返しながらも、隙をついて話を本筋に戻す。

 真顔でこちらを見返してくるイゼルに、ツァレトフは眉をひそめた。


「忘れたのか? 秘書官殿との見合いだ」




 その日は朝から良く晴れ、雲一つない空が広がっていたのだが、山の天気は変りやすい。王都の空が、どこからともなくやってきた不穏な気配を放つ灰色の雲に覆われると、そこらじゅうで雷の鳴る音が響き渡りだす。

 アキが仕事から家に戻ると、絶妙のタイミングで雨が降り始めた。夜に雨が降ることはしょっちゅうだが、夕立の土砂降りは夏の終わりを告げるこの時期特有のもので、日中暖められた空気を涼しくしてくれる。

 今日はイゼルが来る日だ。さて夕飯の支度でもするかとキッチンに立ったその時、すべてをかき消すような激しい雨音の中、かすかに砂利を踏みしめるような音が聞こえてきた。

 その足音がピタリと止むのと同時に、強く戸を叩く音が室内に響き渡る。慌てて玄関に出ると、そこにはずぶ濡れでたたずむイゼルの姿があった。


「ちょっとオルファンさん、どうしたんですか」


 紺地の軍服は水分を吸って黒く変色しているし、短い銀髪は額に貼りつき、雨水をしたたらせている。無言で渡された麻袋にはおそらく畑で収穫した野菜が入っているのだろうが、水を吸って随分と重い。

 さっと目の前の長身に視線を奔らせて、タオルでも取りにいこうと身体を反転させようとした瞬間、両肩を強い力でがっしりとつかまれてしまった。とっさに見上げた顔が、どこか尋常でない様子にアキは眉をひそめる。


「何か緊急の事態でもあったのですか?」


 イゼルの顔は血の気が無く、うす暗い玄関先で青白く見えた。いつもは見るものを射すくめるような輝きを放つアイスグレーの瞳が暗く翳り、別の意味で怖い。

 アキの問いかけには答えず、イゼルはその手に力をこめる。


「いやーまいったわぁ 急に降るなんて」


どこか重苦しい空気が流れる中、突然割って入った声に二人は一瞬びくりとし、そろって左の方へと首を向ける。アキはそこにいる女性の姿を目にするなりがっくりと肩を落とした。どうしてこうタイミングが悪いのか。

 否。前回の過ちを再び繰り返してしまった自分が悪いのだ。一応お付き合いなるものを始めているとはいえ、見られてはいけないものを見られてしまったようなこの気まずさは何なのか。


「あら、こんにちはー ひどい雨ねぇ」


 隣に住む婦人の、今気づいた、とでも言うような口調と、その貼り付けたような笑顔の下にあるこちらを伺うような気配に、思わずアキはひきつった笑みを浮かべた。


「えっと、そうですね。……洗濯物を干さなくてよかったです」


 当たり障りの無い返事を返せば、婦人はにこにこと非常に機嫌のよさそうな顔でこちらをじろじろと見定める。


「あら、でもその兵団の彼の服はずぶ濡れじゃないの。乾かしてあげなきゃ風邪をひいてしまうわよ」

「そ、そうですよね。オルファンさん、とりあえず中に入りましょう。じゃあ私はこれで失礼します」


 アキはそそくさと隣人に挨拶をすると素早い動作でイゼルを戸の内側へ引きずり込んだ。


「タオル、持ってくるので居間で待っていてください」


 軽く溜息をついて廊下の奥にある洗面所へ向おうとすると、再び肩をつかまれてしまった。


「……アキ殿」

「はい?」


 見上げた瞳の色はやっぱり暗い。低くつぶやかれた声も、どこか覇気がなく弱々しいような気がする。


「イゼルです」

「え?」

「イゼルと、呼んでくれないのですか?」


 切なげに眉根を寄せて懇願されるがままに、気がついたらアキはその名を呼んでいた。


「イ、イゼルさん……?」


 何故今このタイミングで? とアキはしばし呆然とするも、急にハッとした顔になる。


「もしかしてどこか体調が悪いんですか」


アキは無意識に手を伸ばすと、額に張り付いた髪を払ってやりながら掌を押し当てた。

 ひんやりと湿った冷たい感触から、すぐに肌のぬくもりが伝わってくる。それでも、極端に熱いわけではなく、熱は出ていないようだった。

 そっと手を離してやると、何故か泣きそうな顔のイゼルと目が合い、びっくりして固まっていると、追いすがるようにアキの肩口に顔を埋めてきた。


「え」


 肩に回っていた手がすべり、ゆっくりと抱きしめるような形で背後へと辿る。軽く腕を回されると、動けずに凍りつくアキの耳元に、深い溜息が聞こえてくる。なんだかそれが、とても切実に感じられて、抵抗もできずに身を預けるしかなかった。

 いったいどのくらいの時間をそうしていたのか分からなかったが、しばらく二人で息を潜めていると、やがてイゼルがポツリとつぶやいた。


「今日、団長から見合いの断りがあったと聞きました」


アキはぼぉっとした頭でその言葉の意味を考える。見合い、とは何のことだろうか。


「……宰相殿から正式にお断りを受けたと」


 あぁ、あの散々なお見合いの話か、とようやく話が繋がり、そこではて、と首をかしげる。

 しばしの沈黙の後、アキはふと、あることを思い出す。彼女ががばっと肩口から顔をあげると、イゼルも緩慢な動作で体を起こした。


「あの、それは多分、行き違いがあったんだと思います」


 間近に迫る、ひどく真剣な表情のイゼルに、アキはわずかに目をそらして口元を見ながら言った。


「私がコンラスさんにお断りの話をしたのは、以前、オルファ……イゼルさんに話したように、1か月も前のことです」


 爆破事件でうやむやになっていたようだが、間の悪い彼女の上司が、今頃になって思い出したその話をわざわざ蒸し返したらしいことをイゼルに説明すると、彼は再びぐったりと力を抜いて肩口に顔をうずめてきた。


「……良かった」


 かすかに聞こえた安堵の声に、アキは少しばかり驚いていた。彼が、こんなにも動揺しているのを見るのは初めてだった。その要因が自分であるということに、申し訳なさと同時に、別の感情が湧きあがってくる。

 彼は本気で自分とのことを考えているのだと、少しだけうれしく感じてしまうのだ。


「コンラスさんに、ちゃんと言わなきゃだめですね」


 この世界でのアキの後見人は彼である。いわば親であり、そもそもがこの見合いをセッティングした張本人だ。

 そんな相手に、肝心なことを報告しそびれていたことに今更気づいたアキは、いまだ彼女を抱きしめたままのイゼルに話しかけた。


「その、私達が……お付き合いをはじめたことを言ったほうがいい気がして」


 お付き合い、という言葉を発した瞬間、アキはカッと顔が熱くなるのを感じた。イゼルががばりと勢い良く顔をあげる。


「俺も行きます」


 あまりにもまっすぐにこちらを見つめてくるものだから、顔がさらに赤くなっていくのを感じる。すぐにアキは直視することができなくなり目を伏せると、イゼルは急に、肩から手を離した。


「あ、申し訳ありません。つい……」


 少し慌てたように、一歩身体をひく。少し上にあるその顔は、ほんのりと赤く色づいている。互いの熱を感じるほど、こんなに近くで接したことはなかった。


「身体を拭かないと……居間で待っていてください」


 アキはごまかすように早口で言い置くと、今度こそタオルを取りに洗面所へと向った。


 軍服を脱げば下のシャツにまでは染み込んでいなかった様で、イゼルは軽く頭を拭くと、キッチンで何やら食材を吟味しているアキの元へと行った。


「いつもありがとうございます」


アキはそう言ってぐっしょりと濡れた麻袋から色とりどりの野菜を取り出した。


「トマトはもう最後だと思います」

「残念。とても美味しかったのに」


 陽の光を充分に浴びて完熟させたトマトは、追熟させるものよりもとても濃い味で、いつもそのまま切ってシンプルな味付けだけで最高に美味しかったのだ。


「また来年作りましょう」


 名残惜しげなアキにイゼルが言うと、転がるトマトを掴んで流しに持っていった。アキがその様子を辿るように眺めていると、筋肉質な腕が目に飛び込んでくる。

 捲り上げたシャツの下から覗く腕はがっしりと太く逞しい。普段は軍服の下に隠されているそれはとても生々しくて、思わず目を逸らす。


「もうすぐ収穫祭ですね」


 何となく気まずくなり、何か話をしなければと咄嗟に思いついたことを口に出す。


「はい。アキ殿はどうされますか?」


 来週に迫った収穫祭は祭日なので休みではあるのだが、アキは、外国から訪れる観光客のために通訳や案内をボランティアでしていた。

 というのも仲の良いトリヤーナは婚約者が来るので彼と一緒に見て回るし、当然バルテモン一家も家族で過ごす。一年目はコンラスとアナに誘われて一家に混じって参加したのだが、息子達はそれぞれ彼女達といるし、何とも居心地の悪い微妙な空気だったのを思い出す。

 この国はどうも公式な場などでは男女ペアで参加することが通常のようだった。

 どこを見てもカップルだらけの会場を一人で寂しく過ごすよりは、観光案内所で同じくボランティアのおばちゃん達と一緒に忙しく過ごす方が楽しかったので、今年もそのつもりではいたのだが、ふとイゼルのことが気になってきた。第一兵団は毎年この時期は忙しいから恐らく警らで休みなどとれないことは知っていたのだが。


「私は去年から観光案内所でボランティアをしてまして」

「そうでしたね。去年は来場者も多かったのでとても忙しそうでしたね」


 なぜ知っているのだろう? と疑問が頭をもたげるも、彼も警らで街中を警備して回っているのだから偶然目にしたのだろう、ということにしておく。


「イゼルさんは警備で忙しいですよね」

「はい。ですが、一日目の午後は半休がとれそうです」


 イゼルは淡々とした口調でナイフを手にトマトをスライスしていく。慣れた手付きのそれは、兵団でも遠征の際に自炊をしたりするためだった。

 もっともイゼルの場合は大家族だったため、よく母親の手伝いをしていた。「煮るか焼くかしか出来ない」とは言うものの、下ごしらえならアキよりもよっぽど手際がよく、他人の家のキッチンだというのにすっかり馴染んでいる。


「だから……もしよければ一緒に見て回りませんか?」


 思いもよらなかった誘いにアキがそっと隣を見上げると、イゼルがトマトを食い入るように見つめながらうっすら頬を赤くしていた。


「あ、よ、よろこんで」


 つられるように顔が熱くなるのを感じながらアキがたどたどしく答えると、イゼルはようやくこちらに顔を向け、少しだけ微笑んだ。

 その瞬間、アキはちょっとした衝撃を受ける。整った顔立ちはたとえ険しい顔をしていてもそれだけで威力十分なのに、笑顔の破壊力はなんて凄まじいのだろうと身をもって知ったのだ。

 イゼルは表情にとぼしく、滅多なことではその表情は崩れない。お付き合いをはじめて一月程経ち、決して彼が無表情なわけではないことは分かったのだが、こうして少しでも笑ったのは初めてじゃないだろうか。そして、もっと見てみたいと思った。


「それと、宰相殿への挨拶は収穫祭後でもよいでしょうか。その頃でしたら有給がとれそうなので」

「あ、はい。ありがとうございます」


 何しろ休日の合わない二人のことなので、アキは仕事あがりにささっとすれば良いかと思っていたのだが、わざわざ有給をとってまでの挨拶となると、ちゃんとした格好をしたものになるのか、と考える。

 見合いでもそうだったが、イゼルであればおそらくきちんと整った格好をしてくるに違いない。先日のドレスや仕事用の一張羅は堅苦しすぎるし、かといっていつもの仕事着であるシャツとズボンはあまりにもラフすぎる。こういう時にはどんな服を着ればよいのだろうか、とまた一つ悩みの種ができてしまった。

 トマトとチーズのサラダに野菜たっぷりのスープとローストポーク、パンで夕飯を終えると、イゼルはいつものように自分の寮へと帰っていった。

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[良い点] じれじれ系の恋愛モノとして面白く読ませて頂いてます。 食べ物の描写が美味しそうに書かれてるところが読んでて楽しい! [気になる点] ストーリーのテンポの割に説明文の割合が多い印象、さりげな…
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