8 兵団の日常
「今日、飲みにいくか」
「あぁ、すまない。俺は用事がある」
そういって、畑で採れた収穫物を手にさっさと帰っていくイゼルの後ろ姿に、ファリスは珍しいものを見た、とでも言いたげに目を向ける。
お付き合いとやらがはじまったはいいものの、基本週末休みのアキに対して、シフト制のイゼルである。二人の休日はことごとく合わなかった。
仕方がないので二人はもっぱら、アキの自宅で仕事あがりや夜勤前に食事を作って食べる、という地味な逢瀬を週に一、二度繰り返していた。
イゼルはその度に畑で採れた野菜を持っていくのだが、兵団で彼が収穫した野菜をあちこちで配り歩く姿は日常の風景なので誰も怪しむ者はいなかった。
第一兵団恒例となっている若手同士の飲み会は、主にファリスやイゼルら分隊長が中心となり、何となくいつも同じようなメンバーで集まっていた。通称彼女いない同盟。
「女だな」
ふいに割り込んできた声に目を向けると、いつの間にか第一兵団の紺地の制服に混じり、黒い制服に身を包む男がいた。
「お、女って、あのオルファン分隊長にですか?」
歳若い青年が、恐る恐るといった様子で問うと、傍にいたもう一人の青年が何か思い当たることでもあるように勢いよく手をあげた。
「はい! 俺知ってます!」
「ヨアン?」
「俺も知ってるぞ」
「先輩、あんたここに何しに来たんです」
ファリスが呆れた物言いで問えば、黒服の男はにやりと笑った。
「酒の席に呼ばれた気がしたからな」
「呼んでないですよ。あんた第二兵団でしょうが。毎度毎度こっちに混ざってていいんですか?」
「うちはじじいばっかだからつまらん」
第二兵団所属の一級魔術師であるラデク・ファズーは、ファリスとイゼルにとって、士官学校の時のひとつ上の先輩にあたる。そのなかでもラデクの魔術師としての能力は在学当時から抜きんでており、この若さで一級魔術師の名を冠していた。
一級のランクともなると40代の者が多く、さながら中間管理職といったところだろうか。第二兵団の平均年齢は異様に高い。というのも、国家規模の魔力を有する者の出生率は極めて低いからである。
当然、ラデクには同期と言えるような者も後輩もいない。小国ヴェルフェランでは、魔術専門の学校などもないため、その大多数が兵士を志す士官学校に在籍しながら、第二兵団に見習いとして仮入団するのが魔術師を志すものの常である。
「お、随分とうまそうじゃねぇか」
ラデクはすぐ側にあった畑に目をとめる。そこには何本かのきゅうりが収穫を待つばかりとぶらさがっていた。
「これ、ついでにもらっていっていいか」
そう言ってラデクは「駄目だと思いますけど」と言うファリスを無視し、ずかずかと畑に入ろうとした。その途端、バチリと大きな音がして、衝撃を受けたラデクは一瞬よろめいた。
「なんだこれ」
呆然と畑をみやるラデクに、ファリスはやれやれと肩をすくめる。
「魔法陣使ってんすよ。あいつ」
「魔法陣って……」
すぐにラデクの顔が興味津々といった風に変り、周囲を点検でもするようにぐるぐると回り始めた。
「無駄に高度なやつを使ってやがる」
それは、半ヘクタールの小さな畑に使うにしては少々大げさなものであった。緻密な計算により、畑に害をなすものとそうでないものを判別できるように術式が組まれている。
感心するラデクに、ファリスは胡乱な目を向ける。
「原因を作ったのはあんたですけどね」
士官学校では、魔力の有無に関わらず、魔術の基本を習わされる。国防の要でもある結界の仕組を理解するためにも、兵士の教養として必須科目であったのだが、ラデクにとっては非常につまらない授業であった。
この世界において魔術を発動させるには呪文を唱えたり、魔法陣を描く必要がある。それは使い手の魔術を安定させると共に増幅させる機能もあるからだ。
様々な呪詛の組み合わせによって多様な術を発動させることができるのだが、その構造はプログラミングのように複雑極まりない。
ラデクには直感でその言語体系や仕組みを理解することができた。そのため、授業で出された課題は全て、イゼルに押し付けていたのだ。
「兵団に所属するヤツなら皆できる」とか「一般教養だから」とラデクに言われるがまま、なかば騙された形でこなすはめになった課題の成果もあり、イゼルの持つ魔力は微量であるが、小規模な魔法陣なら発動させることができた。
彼は、まるで職人技のごとく緻密に描いた魔法陣を自ら畑に施していたのだった。
「たいしたもんだ。でも、俺の方がすごい」
ラデクはにやりと笑うと、さっと手をかざし、躊躇うことなく畑に手を伸ばす。手は拒まれることなく近くに生っているきゅうりまで届くと、瑞々しい色のそれをもぎとった。
「あーあ。何やったんですか」
「攻撃擬態の一種だ。こいつの術に手を加えると後で気づかれるから、俺の手に術をかけた」
得意気に言うラデクにファリスは呆れ顔になる。やたら高度な術をかけてはいるが、やっている事はただの野菜泥棒である。
城下にある兵団御用達の安酒場に繰り出した面々は、それぞれ酒杯を手にしつつ、いつものようにぐだぐだと飲んでいた。机の上にはすでに、食い散らかされた後の皿が積み重なっている。
「それで、オルファン分隊長の彼女って誰なんです?」
きらきらと目を輝かせる若い青年は、さながら恋の話に興じる乙女のようだった。
「俺知ってまっ」
ファリスはとっさにヨアンの口をふさぐ。
「あのな、お前はもうちょっと自分の発言に責任をもてよ。もしそれで違って変な噂でもたったらどうする気だ」
ファリスもヨアンも心に浮かんだ名前は一緒だったが、正直ファリスには自信がなかった。度々イゼルから受けていた相談の内容が、あまり芳しくなかったからである。ストーカーの一歩手前までいった友人のことを思うと、いそいそと帰って行った先ほどの姿も妙に気になってしまう。
「あんまプライベートに首を突っ込んでやるなよ。あいつ超がつくほど真面目なんだからさ」
「相手は宰相の秘書官だろ?」
「おい! あんた、俺がなんのためにヨアンの口をふさいだと思ってるんだ……」
あっけなくバラすラデクを一睨みし、ファリスはぐったりと椅子に身を沈めた。
「えっ それってまじですか」
「このあいだ来てましたもんね。なんかとても深刻そうでしたよ」
「職場恋愛か~ いいな~ 俺も彼女が欲しい~」
口々に勝手なことを喋る部下たちに、ファリスは半目になる。
「お前ら、この事はくれぐれも他で喋るんじゃねえぞ」
「別に隠す事じゃないだろ」
呑気なラデクと対称的に、ファリスはふと真面目な顔になる。
「ていうか何で知ってるんです?」
「あいつの部屋にいた」
途端、ゲホゴホと誰かがむせる。
「部屋ってなんでまたそんな……」
場は一瞬、騒然といった感じになり、何故か頬を赤らめる者まで出る始末である。
「あ、でもそれは誤解ですよ。何かお話があったみたいで、分隊長に言われて部屋で待ってもらっていたんです」
誤解ってどんな誤解だ、とファリスは顔をひきつらせてヨアンを見る。
「いや、それはそれでいらぬ誤解をまねくだろ」
なにやってんだあいつは、と心の中でぼやきながら頭をかかえるファリスに、ラデクは追い打ちをかけるように口を開いた。
「だろうな、あの最中だったからそれなりの人数に見られてると思うけど。俺もやつを呼びに行った先で見たし」
丁度通りかかった給仕を呼び止め、ラデクはビールを追加注文した。
「……先輩、俺の分もお願いします」
「おう」
イゼルとアキがどんな状況でそうなったのか全くもって不明だが、ファリスは友人の身を心の中で案じ、飲みに徹する事にした。
「それで、モリナー秘書官てどんな人なんですかね」
明らかに酔いのまわった赤ら顔でヨアンは切り出す。机の上には既に、空になった酒杯やら酒瓶やらで埋め尽くされていた。
「んーそういえば仕事してる姿しか見てない」
「いつも忙しそうだよな」
「そりゃあの宰相の秘書官だからな……」
その場にいた全員が、少々破天荒で人使いの荒い宰相に振り回され気味な彼女のことを思い憐れんだ。