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7 あなたと昼食を

 部屋の中は、まるで嵐が去ったような静けさだった。

 安全の確認がとれた今日、午前中のうちにお嬢様たちもようやく家に帰ることができたのだった。

 昨日の騒ぎはまるで、学生時代の合宿のようだったな、とアキはひそかに笑う。帰り際、どこか名残惜しげな表情をしていた少女たちの顔を思い出し、昼の支度に取り掛かりながら、また今度トリヤーナも交えてお泊り会でも開こうか、などと考えていると、戸を叩く音がした。

 隣に住む奥さんが、作りすぎてしまった煮物か何かをおすそ分けしに来たのだろうか、とアキは思いながら戸を開けて、その思いがけない人物の姿にびくりと肩をゆらした。


「昨日は戻ることができず申し訳ありませんでした」


 玄関先でたたずむイゼルの顔は、疲労が色濃く滲んで青白く、顎にはまばらに髭が伸びていた。

 どうしてだかその姿は、人形のように完璧に見えたいつもの彼よりも魅力的に見えて何故か動悸が速くなる。

 昨日、お嬢様達と妙な話をしてしまったせいだろうか。こんな時でも少しも着崩すことのない詰襟の首元からは色気すら漂っているように思える。目のやり場に困ったアキはそっと視線をそらした。


「いえ、そんな。緊急事態でしたし……それよりも、明け方までの事後処理、お疲れ様でした。現場はどんな具合でした」

「……何とか収拾はつきましたが、原因はいまだ不明で予断は許さない状況です」

「そうですか。被害の状況は?」

「負傷者が出なかったことは不幸中の幸いでした。西城門付近だったので、結界に軽い影響があったのですが、すぐに修復しました」


 第二兵団が現場に向かったことは今日の報告でアキも知っていた。そこで、一昨日にイゼルの部屋を訪れた黒服の男のことが思いだされた。


「そういえば昨日、オルファンさんの部屋で待っていたら、第二兵団の方がいらしたのですがお会いできましたか?」

「ファズー一級魔術師のことですね。ちょうど行き違いになったようで現場で合流できました」


 淡々と告げるイゼルの表情に変化はない。それ以上は何も言ってこないので、何か変な誤解をされたわけではなかったようだと、アキは心の中で胸をなでおろした。


「問題は原因が不明な所です。廃屋が一軒、破壊されたのですが、現場を検証しても何も出てこないのです」

「……薬品や魔術の痕跡も、ですか?」

「えぇ。古い建物だったので単なる事故の可能性も考えられましたが、それにしては少々不自然な点が見受けられました」


 アキは少し、不思議な感じがした。いつもは近寄りがたい雰囲気を放っているのに、今日はなんだか話しやすい気がする。内容は恐ろしく事務的、というかただの報告ではあるが、とりあえず自然に話すことができている状況に軽く感動すらしていた。


「今後は衛兵を編成し直し、警らの数も増やす予定ですが」


 軽く息をつき、眉をひそめる姿は様になっているが、アキは彼の疲労具合の方が気になってくる。

 状況はまだ何も分かっておらず、引き続き警戒態勢をとると聞いていた。きっと今は仮眠のために戻ってきたのだろう。

 はやく宿舎に戻って休んだほうがいいのでは、と思っていると、イゼルはふと居住まいを正し、真剣な表情でアキを正面から見つめた。


「今日は昨日の話の続きに参りました」


 どこか意を決した表情のイゼルが切り出した途端、ガチャリ、と戸の開く音がする。二人してそちらに目を向けると、左隣の玄関先から、いかにも偶然を装って出てきたのはお隣の奥さんだった。

 彼女の顔は好奇心に満ち満ちており、アキとイゼルを交互に見ては、曖昧な笑みを浮かべて会釈をした。しまった、と思うも後の祭りである。絶対に、後で根掘り葉掘り聞かれることになる、とアキは頭を抱えたくなった。

 ちらちらとこちらを振り返りながらどこかへ向う彼女の姿を、憂鬱な気持ちで見送り、さてどうしようかと考える。玄関先で話していると人目につくが、かといって彼を家の中にいれるのはかなりの抵抗がある。


「あの、外ではなんですので……」

「失礼します」


 とりあえず、折衷案ということで玄関の中に入れてみたが、何を勘違いしたのか、イゼルはそのまま奥へと歩みをすすめてしまった。墓穴を掘ったと、アキは心の中で焦るものの引きとめるわけにもいかず、仕方なく居間へと案内する。


「散らかっていてすみません」

「いえ。突然押しかけたのはこちらですから」


 彼の部屋は誰がいつ押しかけても油断なく綺麗に片付いているんだろう、と昨日見た光景を思い出す。

 一方のアキの部屋は、椅子に上掛けがかかったままだし、机の上は紙やら本やらが散乱している。すぐ傍にあるキッチンではナイフやまな板が切りかけの食材とともに放置され、鍋は湯気をあげていた。


「申し訳ありません。お食事の支度中でしたか」


 イゼルは雑然とした様子の居間をさっと見回すと、アキにすすめられて椅子につく。


「……いい匂いがする」


 その言葉はまるで独り言のような小さなつぶやきで、アキはそれに反応してよいのわからないまま無言でいると、先手をうつかのようにイゼルが話し始めてしまった。


「私との見合いを断ったのは、国王陛下とのことがあるからですか?」

「はい?」


 一瞬、彼の言っていることの意味が分からず、アキは思わず聞き返す。


「ヨラス陛下とのお話しが進んでいると伺ったのですが」

「はい!?」


 そんな話は初耳だ、とアキは目を剥く。なんだってそんな大それた話が出てくるのだ。

 呆気にとられるアキの表情に、イゼルはその険しい表情を少しだけ、戸惑うようにゆるめた。


「……あの、いったいどこからそんな突拍子もない話が出てきたのでしょうか」


 恐る恐るといった調子でイゼルを見上げると、彼の表情はますます困惑の色に変わっていく。かと思うとふいに目をそらし、ためらいがちに口を開いた。


「その、先日行われた成人の儀の席で……」


 珍しく言いよどむイゼルに、アキは先を促すように軽く相槌をうつ。しかし、彼の目は泳ぎ、その先を言うべきがどうかあぐねているようだった。


「何かありました?」


 助け舟のつもりでアキが付け加えると、なぜかイゼルの頬がほんのり赤くなった。


「……あの日、私も警備に出ていまして」

「えぇ、いらっしゃいましたよね」


 相変わらずこちらに睨むような視線をビシバシ投げかけていたのは記憶に新しい。


「その、陛下と大変……親しくお話しをされていたので」


 あれのどこが親しく? とアキは眉根を寄せる。内容はひどく事務的で形式ばったものだった。社交辞令で固められたあの会話のどこが親しげなのだ、と逆ギレすらしたくなる。


「あの、多大な誤解をされているようですが、あの日私が陛下とお話しした主なことといえば、『近頃過ごしやすい季候になりましたね』という季節の挨拶ですが」


 おまけに「こちらの世界には慣れましたか」という転移3年目にして今更過ぎるお気遣いまで頂戴したが、そこは黙っておく。あまり言うと不敬に思われそうだ。

 どこか挙動不審のイゼルをいぶかしく思いながら見ていると、突然、二人の間に「きゅるる」と間の抜けた音が響き渡る。途端、イゼルは顔を真っ赤にして困ったような顔をした。

 それまで全く隙のなかった表情が崩れる様に、アキは思わずかわいいな、と成人男性に対して失礼なことを思ってしまった。意外にもどこか幼く見えるその表情に、つい笑みを浮かべてしまう。


「……お腹、空いてます?」


 ふにゃりと気の抜けた笑顔を浮かべるアキに、イゼルは一瞬目を見開いた後、口元を手で覆った。


「はい、その、あまり時間がなかったので」


 その素直な言葉に、ふたたびアキは笑う。こんな人でも人並にお腹も空くのか、と当たり前のことに気が付く。

 急に親しみを覚えたアキは恥ずかしげに視線をそらすイゼルを気の毒に思った。なので、思わず口から出てしまったのだ。


「お昼でも食べていきます?」


 それは、相手が断ることを見越して言った社交辞令だった。そうでなければ、男性をご飯に誘うなんて高度なテクニックなぞ、彼女には絶対にできなかっただろう。

 少し冗談めかした口調のアキに、イゼルは即座に顔をあげると、ひどく真剣な表情で口をひらいた。


「是非。ありがとうございます」


 数分後、アキはイゼルと同じ釜の飯ならぬ鍋のスープを食べているという不思議な状況に陥っていた。

 目の前でもくもくとパンを食べているイゼルの姿は、どこか非現実的だと思いつつ、アキも自分の皿をあけることに専念する。

 メインの塩漬け豚の煮込みは数日前から仕込んでおいたもので、丁度よい柔らかさに仕上がっていた。


「これ、とても美味しいです」


 名残惜しげに最後の一切れを口にするイゼルに、アキは気付くと「おかわりもありますよ」と声をかけていた。それほど、彼の食欲は凄まじく、机に出された品は凄い勢いで減っていく。


「ありがとうございます」


 遠慮のない様子で彼は皿を差し出す。まるで育ち盛りの少年のようだ、とアキは心の中で笑った。弟のいた彼女にとって、それはどこか懐かしい光景だった。

 食器を洗うと申し出てくれたイゼルに、アキはすっかり実家の弟のような感覚で遠慮なくお願いをするとお茶の準備をはじめた。

 数時間前の自分には、まさかこんな事になるなんて思いもよらなかったが、居心地は決して悪くないと思っている自分にも驚いた。


「モリナー殿」


 隣で真面目に皿洗いに徹していたイゼルがふと声をかけてきた。

 振り向くと、彼は手にした皿を布巾でふきつつ、どこか思い詰めたような表情をしていた。


「……先ほどの話の続きなのですが」


 そうだった。幾度も中断を余儀なくされたが話は終わっていなかったのだ。


「あぁ、ですから陛下との話というのは事実無根ですよ」

「……それならば何故あのような断り方をされたのですか。この度の話は確かに団長からいただいたものでしたが、私が望んで、私の意志でお受けしました」

「え」

「ですのであのような理由では納得がいきません」


 こちらを痛い程まっすぐに見つめてくるアイスグレーの瞳に、アキは蛇に睨まれた蛙のように動くことができなくなってしまった。

 真正面から受けるには鋭すぎるのだ。

 二人の間を沈黙が訪れるが、イゼルは彼女の言葉を辛抱強く待っているようだった。アキは、落ち着かなく思いながら意味も無く傍らに積まれた食器に目をやり、観念したように口を開いた。


「オルファンさんは、このお見合いを断りたくても断れないのだと思っていました」

「誤解です」

「じゃぁ、なぜあの日、あんなに不機嫌だったのですか? 早く戻りたくて仕方がないようでした」


 少しばかり恨みがましく言えば、イゼルは途端に狼狽し、頬を赤くした。もうずっと同じ皿を拭いていることには気付いていないようだ。


「……緊張していたのです」


 目は宙を泳ぎ、手は忙しなく皿を拭いている。


「あなたは、私の憧れでしたから」


 今から二年程前、アキにとっては悪夢とも呼べるあの日。コンラスの秘書が夜逃げしたせいで急遽、かりそめの秘書として担ぎ上げられた彼女は右手と右足が一緒に出てしまいそうな程に緊張していた。

 会談のための間へと入ったはいいが、そこで、小脇に抱えていた書類を盛大にぶちまけたのだった。

 ひらひらと散らばる紙は、塵一つなく磨かれた床の上で無情にも遠くへと滑り落ちていく。泣きそうになりながら紙を集めるアキに、すぐ側で護衛の任についていたイゼルもまた、初の大仕事に緊張を覚えていた。

 士官学校を卒業し、その職務に忠実に励んでいた彼は、若くして分隊長に指名されたばかりであった。

 今回は、隣国の使節団との重要な会談における護衛として、その責任の一端を任されていたのだった。直前の打ち合わせで出席者に変更が生じたとの連絡を受けていたイゼルは、その経緯も耳にしていた。

 見たこともないその女性に同情も覚えていたが、果たして付け焼き刃で役が勤まるのかという一抹の不安も当然あった。

 この国では女性が男性と共に働くことは珍しい。どんな人なのだろう、と思っていると、その本人が、硬い顔をして会談の間に入ってくるなり床一面に紙をばらまく様を見て、気がつくと勝手に身体が動いていた。素早くかき集めた紙をアキに手渡してやると、彼女はホッとしたように、ふにゃりと微笑んだのだった。


「ありがとうございます」


 部屋に入ってきた時との表情の落差に、イゼルは呆気にとられる。彼女の顔は、前を向くと再び、引き締まったものになった。

 それから、彼女はたどたどしくも、コンラスの傍らでその役をつとめ始める。先程ばらまいた書類をめくっては真剣な表情で確認したり、何か素早く書き留めてはコンラスに耳打ちしたり、時折控えめに微笑む姿から、イゼルは目が離せなくなる。

 彼女は秘書官として、精一杯その務めを果たそうとしていた。そんな女性は、今まで見たことがなかった。


「それからあなたは、誰もが認める宰相の秘書官になった」


 イゼルは、眩しいものでも見るように目を細め、アキをじっと見つめる。


「あ、あの、そんなんじゃないんです。私は本当に運が良かったんです。周りの人が助けて下さったし」


 アキがまるで言い訳のように素早く口にするも、イゼルの熱のこもった居心地の悪い視線は変わらなかった。

 彼女はそんな目で見つめられたことなど、この人生において一度もなかった。従ってその視線に込められたものが、どのような類いのものであるかも判断できず、ただただ恥ずかしいという思いで一杯になり、顔を真っ赤にした。

 本人ですら忘れたくても忘れられない失態の一部始終を覚えている人がいた、といういたたまれない思いと、それとは別の、何かむず痒いような感覚が体中をかけめぐる。


「あなたは、私がこの見合いの話をいただいた時、どれほど嬉しかったか分かりますか?」


 怖いくらいに真剣な表情のイゼルに、アキは思い切り首を横に振った。そもそもあの時のことも、極度に緊張していたため紙を拾ってもらったことは覚えているものの、それが誰だったかなぞははっきり覚えていなかったのだ。


「……あの、ひとまずお茶にしませんか」


 間が持たなくて、取り繕うようにアキは言うと、しきりに湯気を立ちのぼらせるヤカンに手を伸ばした。その瞬間、横から腕が伸びた。イゼルが待ったをかけるように上からアキの手を握り込む。


「お願いです。どうか、私に与えて下さい」


 アキはぎょっとして、その顔の近さに驚いた。斜め上から見下ろすようにして、イゼルの綺麗な顔が間近に迫っていた。反射的に後ずさりたくても握り込む手がそれを許さない。


「な、なにをでしょうか」


 思ったよりも弱々しい声が出てしまい、明らかに動揺しているのが見て取れたが、イゼルはそんなことにはおかまい無しで、彼女の逃げ場をなくすかのように更に一歩、前へとにじり寄った。

 アキは、女性としては背の高い方だが、イゼルの背はそれを大きく上回っており、彼女は完全に、上を見上げる格好になってしまった。


「あなたの伴侶の候補となる資格を」


 その衝撃的な発言は、アキの思考を真っ白にした。何も言えなくなって固まる彼女に、イゼルは何かを乞うような、ひたむきな視線でこちらを見つめてくる。

 しゅんしゅんと蒸気をあげるヤカンの音が辺りに響き渡った。


「……まずはお付き合いからはじめませんか」


 やっとのことで口にしたアキの蚊の鳴くような声に、イゼルはホッとしたように肩の力を抜くと、「よろしくお願いいたします」と生真面目な顔で言ったのだった。

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