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4 彼女の日常

「失礼」


 アキが廊下を歩いていると、ふと背後から聞こえる声があった。辺りはちらほらと道ゆく人がいたので、自分にかけられたものではないかもしれない、と思いながら振り向くと、そこには緩やかな金髪に、濃い青の瞳を持つ男がいた。

 紺地の制服に腰元の剣から第一兵団所属であることは一目瞭然だったが、普段からあまり彼らと接することのないアキには、当然ながら見覚えのない顔だった。


「突然申し訳ありません。モリナー殿。私は第一兵団所属のファリス・キャドックと申します」

「あ、初めまして」


 不本意ながら、アキはコンラスの秘書官として城内では名が通っていた。見知らぬ男が自分を知っていることにさして違和感は感じないが、それよりも、明らかに自分よりも年の若そうな青年が自分に声をかけてきた、ということに違和感を感じてしまう。

 仕事上、普段は自分よりも年上の年齢層と接する機会が多く、ましてや男友達などもいないアキは、僅かに緊張を覚えながら男の顔を見た。


「私の友人であるイゼル・オルファンのことで折り入ってお話があります」


 聞き覚えのある名前に、彼女の頭をあの怖い顔の美人がよぎる。その瞬間、彼がなぜ自分に声をかけてきたのかを瞬時に悟った。


「……その事でしたら、ご心配はいりません。ちゃんとこちらから正式にお断りしますので」

「えっ」


 驚きに目を見開くファリスに、アキは控えめに微笑みながら続ける。


「近々、正式にお話がいくかと。ご友人にまでご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

「なんだって!?」


 いきなり口調が砕けたものに変わり、アキはびくりと身を震わせる。


「ちょっと待て、そいつはまずいぞ。あんたー」

「ファリス!!」


 突然響き渡る鋭い声に、思わず二人でその方向に首をまわすと、廊下を全速力で走り、こちらに向かってくる男がいた。周囲も何事かと足を止めて見ている。

 アキの前を、ここ数日でよく見かけるようになった銀髪が通り過ぎ、後ずさるファリスに突進していった。


「ばかやろう! なんでお前がここにいるんだよ! 本人がいたら意味ないだろうが!」

「お前こそなんでここにいる!」


 何だかよく分からないが、男二人が何やら言い争いながら目の前を通り過ぎていく。ぽかんと立ち尽くしていたアキは我に帰ると、仕事へと向かうため、そろそろとその場から退散したのだった。

 



「あのお話のことですが」


 終業後、机の上を軽く片付けながら切り出すアキに、コンラスは書類から顔をあげた。


「何のことだ」


 思い当たることが何もないのか、首をかしげるコンラスにアキは幾分視線を落として答える。


「先週のお見合いの件です」

「あー 先週のアレか」


 コンラスは少し言い辛そうに言葉を濁すと、がりがりと頭を掻いた。


「ん、その、向こうから何か動きはあったか。食事の誘いとか」

「あるわけないじゃないですか。それどころか今日は彼の友人を名乗る方から、察してやって欲しいと直訴されましたよ」

「あー……」


 上司の気遣うような視線が痛い。アキは自分がどんどん惨めになっていくのを感じながら、なんとか声を出す。


「ですから、正式にこのお話はお断りしていただけますか……その、コンラスさんのご好意を無下にしてしまったことは大変申し訳なく思ってます」

「ばかやろう。んなこと気にすんじゃねぇよ」


 うつむき気味になるアキに、コンラスは少し声を荒げた。


「おし。こうなりゃ俺がひと肌脱いでもっとお前に相応しい見合い相手を見つけてきてやる!」

「いえ、あの、もうお気持ちだけで結構です」

「遠慮すんじゃねぇよ。今回のはちょいと運が悪かっただけだ。他の兵団か政務官をあたってやる」

「いえ、本当にもう私はー」


 話が予想外の方向に流れて行き、アキは慌てる。遠慮ではなく、本気でもうこういう気まずいやり取りはしたくない。ただでさえ、話が流れた後も少なからず顔を合わせてしまう狭い社会なのだ。

 あたるならせめて部外者にしていただきたい、と心の中で懇願するが、乗り気のコンラスにはアキの必死の様相も既に目に入っていない。




「さすがお姉様、自ら振ってやったのですね」


 キラキラと目を輝かせ、机の上に身を乗り出す少女に、アキは苦笑いで否定する。


「そんな上から目線の立場じゃないから。あちらから断りたくても断れない大人の事情があったから、こちらからお断りしただけよ」

「でもそんな男、こちらから願い下げですよね」 


 鼻息も荒く息巻く薄茶色の軽やかな巻き毛に、オリーブグリーンの瞳を持つこの少女。名をトリヤーナ・ホルプと言う。

 彼女は、王国の南端にあるウェルドラ地域の豪農のもとに生まれた5人兄弟の長女である。王都の親戚を頼り、行儀見習のために王宮の使用人として働いている。アキの年の離れた友人だった。


「なんていうか、大人げない感じです」

「うーん。でも逆の立場だったら分からなくもないかな」


 嫌々応じた見合い相手への態度としては適切だろう。


「私、実家の伝手で何かいいご縁がないか探してみます!」

「あ、うん……ありがとう。その、気持ちだけでー」

「まかせてください!」


 何故か数分前の上司の姿と目の前のトリヤーナがかぶって見え、アキは力なく笑う。

 城の外の人がいい、できれば話が流れた後も一生顔を合わせないような人、とは心の中で思ったものの、どこの世界でも地方に行けば行く程、結婚の平均年齢は低くなっていく。

 この少女にだって、幼い頃からの許嫁がいるのだ。数年後には実家に戻って結婚するのだろう。そんな世界のどこに「いいご縁」とやらが転がっているのだろうか。だんだん心がささくれ立っていくのを感じながら、アキは椅子から立ち上がった。


「よし。今日は秘蔵のワイン飲もう」

「やった。それじゃご飯作りましょ」


 諸手をあげて喜ぶトリヤーナに、アキはキッチンへと向かいながら指示を出す。


「トリヤーナ、グラス出してくれる?」

「了解です!」


 トリヤーナは勝手知ったる他人の家で、さっさと戸棚からグラスを運び出す。

 彼女はしばしば、この一人暮らしには無駄に広い平屋に泊まりにくる。

 アキは、床下の小さな貯蔵庫から一本のワイン瓶を引っぱりだすと、コルク抜きをあてがい力を込めて引き抜く。ポンと小気味良い音が響き、深い赤味を持つ液体が二つのグラスに並々と注がれた。


「はい、乾杯」

「かんぱーい」


 二人はそのままキッチンで立ったまま飲み始める。しばしその華やかな芳香と程よい渋味を堪能すると、おもむろに動き始めた。

 アキは食料庫から野菜やらハムやらチーズやらを取り出し、トリヤーナはナイフとまな板を取り出しスタンバイをする。

 昨日市場で仕入れたばかりの野菜は新鮮で、葉ものはサラダに、根菜はソテーにする。ハムとチーズはスライスして皿に並べる。保存庫からはお手製のパテを数種類。あとはパンを切り、昨日の残りの豆スープを温める。

 二人は阿吽の呼吸で実に手際よく、今夜の夕飯ならぬつまみを作りはじめた。


「おら、お姉様は結婚せん主義なのかやと思っていたずら」

「え、なんで」


 少なからずショックを受けた顔で、アキはフライパンから視線をあげる。

 ちなみにトリヤーナの言葉が彼女の故郷の訛り混じりになったということは、早々にアルコールがまわっている証拠である。


「だって全然そんな風に見えなかったに」

「そ、そう?」

「そうずら。男衆で仕事人間ってタイプがあるでよ。お姉様も、そんタイプなのかやって」


 本人は別にそこまで気負って仕事をしていたつもりはない。ただ気付いていたらこうなっていただけなのだ。気付くのが遅かったということに異論はない。


「よその国ではそういう女衆もいるって聞いたに」


 三十年前の戦争では多大な人的被害を被った国もあった。

 当然、その被害者は主に戦場へとかりだされた男性だったわけで、必然的に女性の社会進出が促進された国もあるという。

 その国に行けば自分も目立つ事無くひっそりと独り身生活を営む事ができたのかもしれない、とアキは妄想してみる。


「だで、お見合いするって聞いて驚いたに」

「……私だって結婚のひとつやふたつしてみたいわ」

「そうかや?」


 意外だ、とでもいうように小首をかしげるトリヤーナは文句無しに可愛い。


「トリヤーナは許嫁がいるからそんなことが言えるのよ。可愛いし」


 半ば不貞腐れ気味になるアキに、トリヤーナは追い打ちをかける。


「お姉様はかっこいいと思うに」


 悪気のないトリヤーナの言葉に、あまり嬉しくないなと思いながらグラスに残るワインを傾けた。




 一方、バルテモン家では夫妻の間で緊急会議が開かれていた。


「あの子には年上の、もっと余裕のある女性の扱いに長けた方がいいわ」

「俺もそう思ったんだがなぁ、いないんだよ。あいつより年上で未婚の男が」

「あら、いるじゃないの」

「どこにだよ」


 アナは良いことを思いついたとばかりににっこり微笑むと窓辺を指差す。つられてコンラスが指し示された方に顔を向けると、城下の一等地に構えたこの邸宅の目と鼻の先に、蜂蜜色をした石造りに蔦のからまる立派な宮殿が見えた。


 ヴェルフェラン王国国王ヨラス・ハウラ二世は御年35歳。男盛りではあったが、父であった前国王を早くに亡くし、若いころから公務に追われ多忙を極めていたため婚期を逃し、未だ未婚であった。

 というのも貴重な出会いの場でもあった、留学先の隣国で父危篤の知らせを受け取って以来、ずっと公務に縛られているせいであった。ようは、出会いがないのである。

 臣下が縁談を持ってくるべきなのだが、時を同じくして立て続けに世代交代が起き、臣下は臣下でやっぱり忙しく、それどころではなかった、という哀れな人である。

 おっさんで溢れかえる女気無しの城内で、その溢れんばかりの美貌を無駄にしていた。


「どう考えてもアキは王妃という器じゃないだろう。それに俺はできれば使える部下を手放したくない。……何よりも陛下がお可哀想だ」

「……そうよね」


 コンラスはさりげなく自分の部下を持ち上げているようで落としていることには気づいていない。アナは自分で提案したにも関わらず、コンラスの言葉に素直に納得した。


「そうだわ。来週は丁度、成人の儀が行われるでしょう。そこにアキも連れて行っては? 陛下以外の殿方もいらっしゃるし、良い機会じゃない」




「というわけで成人の儀に出ろ」


 トリヤーナと飲んだくれたおかげで昨晩はいい感じにストレスが発散でき、上機嫌で出勤したアキは、コンラスの一言によって朝から奈落の底に突き落とされた。


「絶対に嫌です」

「いやだから、俺の秘書として同行するだけだって。それでもってささっとイイ男をつかまえてだな」

「去年だって一昨年だって行かなかったじゃないですか。何で急に今年になって」


 成人の儀とは、良家の子息子女が社交デビューする日である。

 毎年夏の終りに王宮の舞踏ホールで行われ、国王や宰相もそこで挨拶を行うのだ。

 何が悲しくて初々しいうら若い乙女達に三十路の自分が混ざって社交デビューなどという辱めを受けなければならないのか。


「もしかして私、何かやらかしました? それの罰だったりします?」


 真剣な顔でアキは自分のこれまでの行いを振り返るも、コンラスは呆れ顔になるだけだった。


「アホなこと言ってないで、これも仕事だと思って引き受けろ。命令だ」

「仕事なんですね、でしたらコンラスさんの挨拶が終わったら即、帰ります」

「……お前なぁ、少しでもチャンスはあった方がいいだろう?」

「……」


 断固拒否するつもりでいたアキだが、コンラスの言葉に思わず口を閉じてしまった。コンラスの性格からして、本来は部下の見合いやら何やらを世話するタイプではない。

 本当に自分のことを心配して動いてくれていることはわかるのだが、だからってそのチャンスの場が成人の儀だなんてあんまりではないか。


 当日、アキは珍しくドレスを着ていた。国王陛下がいらっしゃる正式な場に、いつものズボンで出席するのはさすがに場違いだろうとの判断ができるほどにはTPOはわきまえていた。

 いっそのこと自棄になっていつもの格好で行こうかとも一瞬考えたのだが、不敬があったらと思うと小心者のアキにはそこまで自我を押し通す気力も沸かなかった。

 秘書官である以上、これまでにも数々の正式な場に出席したことはあるのだが、その場ではいつもより上質な男性向けの礼服を着ていた。さすがに男性とは体型が違うので自分に合わせたオーダーメイドでかなり高くついたのだが、アキにとっての一張羅だった。

 その仕事着に袖を通すとかすかな緊張と共に気分も高まったものだが、一方の久しぶりに着たドレスは何とも心もとなく感じる。やたら張り切ったアナに選んでもらったそれは、落ち着いた深緑色のシルクでできたシンプルなもので、間違いなく格の高いものであるし、どこに着ていってもおかしくない品の良いものだった。

 ちなみに髪や化粧もアナに頼み込んだものだ。アナは喜んでアキの身支度を整えてくれたが、いい年にもなって身成もままならない自分に、何とも情けない気持ちになってしまった。

 仕事をしている時には多少なりとも自信のようなものがあるのに、今の自分には皆無だ。鏡に映る自分の地味で代わり映えのしないさまに、アキはそっとため息をついた。


 何百人と収容できる広さを誇る舞踏ホールは、年間を通して様々な式典がここで行われる。アキも幾度となく入ったことはあるのだが、ドレスを着用して入ったのは初めてだった。


「眩しい……」


 コンラスにくっついて入ってすぐに、アキは来たことを後悔した。

 色とりどりのドレスに身を包む華やかな乙女達が目に飛び込んでくる。場違い、という言葉が頭に重くのしかかる。今すぐ回れ右をして来た道を駆け足で戻りたいが、最低限の責務は果たさなければならない。

 さっと顔を彷徨わせると、上座にちょっとした人垣が見えている。おそらく国王陛下がいらっしゃるのだろう。仕方なく挨拶へ向かおうとしたその時、ふと前方から突き刺さるような視線を感じる。よく目をこらしてみれば、王族専用の出入り口の付近にこの2週間でよく見知った顔が、アイスグレーの鋭い目でこちらを睨んでいた。

 今日は警備にあたっているのだろう。いつもの紺地の軍服は、縁などに金地の装飾が控えめに施された礼服のようなものになっていた。隙なく着こなしたその姿はストイックななかにも華やかさが感じられ、とても見目が良い。

 思わず真正面から見てしまったアキは慌てて目をそらす。こんなに人が沢山いるというのに、なんで見つけてしまったのだと舌打ちしそうになる。

 目が合ったからには彼にも挨拶をするべきなのかどうなのか悩んでいるうちに、いつの間にかコンラスに引きずられるようにして上座へと連行されていってしまった。

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