35 巻き込まれた彼女
その頃アキは、霞がかる意識の中で必死に今の状況を整理しようとしていた。
辺りは暗く、ここがどこなのかさっぱり分からない。確認をしたくても、両手両足を冷たい枷で拘束されていて動くこともできないでいた。
目の前には、アキと同じように枷をつけられて転がる一人の女性がいた。
「……シセリアさん、大丈夫ですか?」
めまいを感じながらアキが何とか声を出すと、彼女はピクリと動き、やがてゆるゆると瞼を開けた。
「……ここは」
「分かりません。気づいたらここにいました」
アキは午前中、構内で来賓客の案内をしていた。基本この国の看板や標識は全てヴェルフェラン語のみの表記になっている。そのため、外国から来たものには少々不親切であった。主要な場所には急遽、張り紙に公用語であるアレス語を記してお茶をにごしたのだが、当然それだけでは足りなく、アキはそれなりに忙しく動いていた。
「すみません、食事をしたいのですが、どちらに行けばいいのでしょうか」
訛りのない公用語が聞こえてアキが振り向く。関係者、と公用語で記されたプレートを胸につけたアキを見て、その女性は声をかけてきた。
長い赤毛を一本の編み込みにして後ろに垂らし、チュニックと長いスカートを腰帯で留めた姿はこの国では珍しく、いかにも外国から来た、と言わんばかりの様相だった。
控えめな出で立ちではあるが、彼女の美しさを損なうことはなかった。
その服装や出で立ちはもちろん珍しかったのだが、女性ということも珍しかった。アキよりも少し年上のように見える。
「学校構内にも食堂がありますが、北門を出た先の通りにも食堂がいくつかありますよ」
アキは収穫祭の時にも使った地図を取り出すと、いくつかの場所に印をつけて彼女に渡した。
「あなたも……魔術師でいらっしゃるのかしら」
「いいえ、私はただのお手伝いです」
アキが慌てて首を振ると、彼女も慌てて頭をさげてきた。
「ごめんなさい! ついお仲間かと思って……」
「……女性が少ないですもんね」
アキが周囲を見渡しながらそう言うと、彼女もどこか居心地悪そうに肩をすくめてみせた。
「こちらでもそうなのね」
「えぇ。でも今年は一人、見習いの女性が入りましたよ」
「それは楽しみですね」
「えぇ、今から彼女に会うんですけど、もしよかったらお昼をご一緒しませんか」
ジェスが喜ぶかもしれないと思いアキが言うと、女性は嬉しそうに微笑んだ。
彼女は、オラルク共和国で魔術師をしているシセリア・ガドックと名乗った。明日に発表を控えているという。
天候も良く春の陽気にさそわれて、二人は構内のベンチに腰掛けて待つことにした。
「まぁ、宰相秘書官をされているのですか」
「主に雑用が多いですけど……」
「分かります。私も雑用が多くて……」
苦笑するシセリアに、ふとアキは既視感を覚える。元の世界の会社で、雑用が多いと嘆いていた同僚のことを思い出した。人手不足はどこの世界でも同じらしい。
「私はともかく……魔術師の方なら研究に専念したいですよね」
「その、雑用が嫌というわけではないのですが……」
彼女はふと言葉を濁すと、かすかにため息をついた。その表情はどこか浮かない。
しばらく二人は仕事のぐちを言い合っていた。アキがその懐かしい感覚に少々興奮気味になっていると、二人の前に影がおちる。
人の気配がして顔をあげると、そこには一人の紳士然とした男性が立っていた。年の頃は40代後半といったところか。男は穏やかな笑みを浮かべ、アレス語で話しかけてきた。
「シセリア・ガドック様ですね」
シセリアが首をかしげる。
「どちら様でしょうか」
「私は、さる高貴な方の使いです」
男は含みをもたせた言い方で、その笑みを深くするとゆっくりと口を開いた。
「あなたも、よくご存知でしょう」
「……まさか、陛下が?」
シセリアの顔に困惑の色が浮かぶ。かと思えばどこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせはじめた。
陛下、といえばこの国ではヨラス・ハウラ二世その人のことである。どうも、シセリアは国王と知り合いのようだった。何があったにせよ、もし本当に王からのお誘いなのであればアキに止める理由はない。
アキは、目の前の男とシセリアの様子を見てどう動くべきか決めかねていた。この男の顔に見覚えがなかったからだ。
仕事柄、高位の人物の顔は覚えているのだ。王の側近なり近い間柄であれば、彼女が知らないはずはない。
アキは今すぐ誰かにこの状況を伝えたかったが、休日の構内は閑散としており、周囲を見渡しても見慣れた紺地の軍服姿はどこにも見えなかった。
下手に疑って騒ぎ立てても、もし本当にお忍びでのお誘いだったら不敬だと思われかねない。
「護衛の方もご一緒に」
男は何か勘違いをしているのかアキにも声をかけてきた。
アキはいつものズボン姿だったので付き人か護衛に見えたらしい。
「いえこの方は」
シセリアが訂正する前に、アキは咄嗟にヴェルフェラント語で話しかけた。
「お名前を伺っても?」
男は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を戻した。
「失礼、もう一度言っていただけますか?」
ヴェルフェラント語は、他国の者が聞くと非常に訛って聞こえる。案の定男は聞き取れなかったようだった。
「いえ、同行いたします」
アキはしれっとアレス語で答えながら、内心はものすごく焦っていた。
(めちゃくちゃ怪しい)
動揺するシセリアに、アキは安心させるように口角だけあげて無理やり笑顔をつくってみせた。
それから彼女たちは学校を出てしばらく歩いていくと、人通りの少ない裏通りにある一軒の古びた建物へと案内された。
たとえお忍びだとしても、王族がこんな小汚い所で会うだろうか。アキがその疑念を強くし、咄嗟に外へ出て大声を出そうとしたその瞬間、バチッと大きな音と衝撃が彼女の体にはしる。そこから彼女の記憶は途絶えていた。
「ごめんなさい。私のせいで巻き込んでしまって」
そう言ってシセリアは暗い表情で目を伏せた。
「いえ。こちらこそ怪しいと思ったのにこんな事になってしまって、ごめんなさい」
不敬だろうがなんだろうがあの場で騒げばよかった、とアキは心の中で歯噛みする。
体に受けた衝撃は魔力によるものだったのか、ようやくめまいが治まってきたので体を起こした。
「誰かが気づいてくれればいいんですけど」
少なくとも、昼を約束したのにいつまでたっても現れないアキを不審に思い、ジェスとトリヤーナが誰かに相談してくれるはずだ、と考えていた。
「シセリアさんなら追跡魔術で居場所がたどれるはずです」
魔術師であるシセリアであれば、彼女の発する魔力をもとに追跡することが可能だ。そう思ってアキが話すも、シセリアの表情は変わらなかった。
「私達につけられているのは魔力を遮断する拘束具です。私達魔術師は、これをつけられると魔力を発することができません」
アキは冷水を浴びせられたようになる。そもそも、一国の魔術師である彼女ほどの実力者であれば、とっくにここから脱出することも可能なはずだった。
今いる場所がどこかは分からないが、もし最初に案内された古びた建物から既に移動していれば、彼女たちの足跡はそこで途絶えていることになる。
愕然とするアキの耳に、ふと軋むような音が入ってくる。やがて扉の開く音と共にここに二人を連れてきた男が入ってきた。
しっかりと扉をしめて振り向いた男に表情はなく瞳は暗く淀んでいた。
「ヨラス陛下ではなく申し訳ない」
「……何を言って」
「ガドック様のことは全て調べさせていただきました」
男はゾッとするような言葉を吐くとシセリアを見下ろした。
「貴方様にはしばらくの間、こちらでゆっくりしていただきます」
「何の目的でこんなことを……」
「明日の学会終了まで大人しくしていただければ、命まではとりません」
「一体何を言ってるの? このことが知れたらどうなるか……」
男はシセリアの言葉にも動じる様子はなく、あくまで余裕のある表情で彼女を追い詰めるように続ける。
「知られる事はありません。たとえ身寄りのない貴方様が遠い異国の地で行方不明になったところで誰も気に留めないでしょうから」
アキは目の前で行われている問答に背筋が凍るようだった。緊張できりきりと胃が痛みはじめる。この世界に来てもうすぐ四年。色々あったが命の危機におちいったことはない。今まで平和に暮らしていた彼女にとってそれは、まるで映画の中でのみ起こる出来事のように感じられた。それでも、やけに冷たく感じる拘束具の重みが、彼女にこれは現実なのだと知らしめているようだった。
「……そう。私に発表をさせないつもりなのね」
シセリアが諦めたようにその意図を理解すると、男は片眉をあげるだけにとどめた。
魔術師研究学会はこの大陸でもっとも権威ある学会のひとつである。採択率の非常に低い査読が通る程の実力を持つ彼女なのだ。これまでにどれほどの努力をしてきたのだろう。アキは、ベンチで愚痴を言いあっていた時の彼女の浮かない顔を思い出す。
「魔術師研究学会があらゆる権力の介入や社会的圧力から解き放たれた場であることをお忘れなのでしょうか? このことは開催国としてもそれ相応の対応をさせていただきます」
咄嗟にアキは、今朝聞いたばかりの開会宣言での一文を引き合いにした。シセリアを擁護しようと怒りにかられてつい口をはさんでしまったが、すぐにドッと後悔が押し寄せてくる。拘束されて身動きすらできない今の自分の立場では何の効力もない。
男は、今その存在に気づいたかのようにアキに顔を向けてきた。
「さて、貴方様のことも調べさせてもらいました」
アキは思わずびくりと身を震わせる。
「どういたしましょう。貴方様は何も見なかった、ということにはできなさそうですね」
「やめて! 発表を辞退します! この人は何の関係もないの」
男はアキに何の感情もこもらない冷たい眼差しをむけると、取り乱すシセリアの肩をつかみ無理矢理立たせた。
戸を開け、外に待機していたらしい男に彼女を押しやると、くるりと振り返った。
「こういった筋書はどうでしょう。通りすがりの暴漢に襲われて記憶を失う、というのは」
「……この国の治安はそんなに悪くないです」
アキの精一杯の虚勢は男に届く事はなかった。




