34 魔術研究学会
学会初日、この王立学校でもっとも広い講義室の一番うしろの席に、どこか場違いな様子の三人の姿があった。
「ここに座るなんて何年ぶりだ?」
ファリスは若干居心地悪そうにその身を縮めて座っていた。士官学校では必須科目であった魔術の授業であるが、彼にとってはすでに記憶の彼方に葬りさられたものである。
隣に座るイゼルはやけに真剣な表情で聞いているが、見た目がどう見ても子どもなので周囲からは不思議そうな顔で見られている。
一方のラデクはつまらなそうに頬杖をついていた。
「ですから、あまりに長文で条件が厳しいものですと、少しでも記述を変えてしまうと陣が発動しない恐れがあるわけです。したがって、術はできるだけ短く簡素なもので書く必要がでてきます」
壇上で講義を行っているのは、ゲラルド・シュティフナーその人だった。短い黒髪に上背のある立ち姿は堂々としており、まだ若いがどこか風格があった。
「『きれいな魔法陣』はいいけど、これじゃ強くねぇよ」
学生時代は基礎課題をイゼルに押し付けていたラデクにとって、魔法陣の構成やムダのない美しい書き方、といった内容はあまり興味のもてるものではないらしい。「教科書どおりに書いてなにが面白いんだ」とは彼の弁である。
彼は、魔法陣の持つ機能を最大に高めるため、より高度かつ複雑で変則的な術を用いる。彼の書く魔法陣はおよそ常人には思いつかないもので、他人には読むのも一苦労だ。良かれと思って組み込んだ術は、扱い辛くしばしば上司から注意を受けるものの、その分異常に効率が良かったりと予想の斜め上の働きをする。つまりは変態なのである。
隣であくびを噛み殺しているラデクに、ファリスは軽く肘鉄を食らわした。
「以上で発表を終わります。ご質問のある方はぜひ、この様な場ですので忌憚のない意見交換ができれば幸いです」
ゲラルドは人当たりの良さそうな微笑みを浮かべると、会場となっている教室を見渡した。この大陸有数の魔術師に質問ができるチャンスとはいえ、なかなか勇気がでないのだろう。若い青年たちは、互いに顔を見合わせては何かささやきあっている。
「はい」
ざわめきが嘘のように静まり返る。それまで興味なさげに聞いていたラデクの挙手に、ファリスがギョッとして目を剥く。
どこか不遜な態度が漂うラデクを目にとめると、ゲラルドは「どうぞ」とうながした。
「ヴェルフェラン王国一級魔術師のラデク・ファズーと申します。2つほど質問があるのですが」
前方に座っていた聴講者たちが一斉に後ろをふりむく。ファリスは無駄に注目を浴びる羽目になり、心のなかでラデクに悪態をついた。
「私はこの分野にあまり詳しくないのですが、先程のご発表だと、かつて主流であったデナント式を踏襲し再構築したものに感じたのですが、この理解でよろしいでしょうか」
「なるほど。そのような受け取り方もありますね。ですが私が意識したものはコランド式であり、デナント式よりもさらに時代を遡るものになります。これはあまり有名ではないのですが、ある意味デナント式を生み出すきっかけとなった術と言えるでしょう」
ファリスはイゼルに「何言ってるか分かるか?」と小声で聞くが、さすがのイゼルも「分からない」と答えた。
「なるほど。もう一つの質問ですが、最後の例の魔法陣は、起動の部分の術をベルク処理した方が速度が出るかと思いますが、あえてこのようにしたのでしょうか」
「確かに貴殿の言うように処理は速くなります。しかしその分、管理という面では少々複雑で面倒が生じるのです。複数人で扱う場合や変更を施す場合には注意が必要ですね」
ゲラルドは穏やかな笑みを絶やすこと無く淡々と質問に答えている。対するラデクの表情には薄い笑みが浮かんでいた。二人の間には謎の緊張がはしり、ファリスはなぜか冷や汗が背を伝うのを感じた。
彼はラデクに当初の目的を思い出させるように、二度目の肘鉄を食らわした。
「今日の講義は学生向けに、ということだったからあの内容だったが、君には少しつまらなかったようだね」
講義の終了後、三人はゲラルドを控室に招いた。来客用のソファに座るなり、彼は面白そうな顔でラデクに話しかけた。
「いえ。価値観の相違というだけです」
ラデクはすました顔でそう言うと、本題に入るべく用意しておいた茶色の小瓶を彼に手渡した。
「こちらは貴国で生産されているもののようですが、ご存知でしょうか」
ゲラルドは小瓶を受け取ると、ラベルを確認するまでもなく顔をあげた。
「あぁ、これは私がつくったものだよ」
「は?」
思わず素が出たラデクに、「財政難でね」とゲラルドは肩をすくめてみせた。
「戦後、私の国は魔術を武器にではなく、生活に活かす道を選んだ。そうなると色々と資金繰りが難しくなってね。赤字を補填するためにやむなく、こういったものを生産して稼いでいるんだ」
そう言ってゲラルドは小瓶をラデクに返すと、にこりと笑った。
「これは結構好評でね。私が作ったもののなかでも売れ筋なんだよ」
「あ、他にも作ってるんですか。どんなものがあるか参考までに伺っても?」
ファリスが急に商人気質をだして脱線しはじめたので、慌ててラデクが話を元にもどす。
「ファリス、それは後にしろ。それでですね、もう単刀直入に伺いますけど、こいつにかけられた魔術について何かご存知ではないでしょうか」
ラデクが背後に控えていたイゼルを前に押し出すと、ゲラルドは一寸の間を置いて首をかしげた。
「……どうも、この魔力は私のもののようだね」
あっさりと認めるゲラルドに、ラデクとファリスは拍子抜けをする。ゲラルドは認めたものの、不思議そうにイゼルを眺めた。
「だが、この薬はそこまで強いものではないのだが」
ゲラルドは顎に手をあてて考え込む。彼にはイゼルの実年齢が分かるようだった。
イゼルが自身の経緯を説明していくと、ふとゲラルドの顔色が変わった。
「その……ベリーが生えていたという演習場はどちらに?」
「西の国境付近にあるカーデン地区……元難民キャンプ跡地です」
イゼルの言葉にゲラルドの目が大きく見開かれていく。
30年前、ゲラルド・シュティフナーは、大戦の真っ只中にいた。当初、大国ベレスは他の追従を許さないその圧倒的な魔力の差で優位を保っていたが、徐々にその勢いを失っていったという。幼いゲラルドは戦火に巻き込まれて大怪我を負った。混乱のさなかヴェルフェランに難民として命からがら逃れ、リーアンに助けられたという。
「リーアン殿は亡くなられたと聞いている。もう一度お会いしたかった……」
「……いえ、生きてますよ。めちゃくちゃ元気です」
その場にしんみりとした空気が流れるも、ラデクが微妙に嫌そうな顔で訂正すると、それは気まずいものへと変わった。
いかんせん、ベレスとヴェルフェランとの間にはクルス山脈が立ちはだかっており、交流もとぼしいため、間違った情報が伝わってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
「それは大変失礼を……後ほどご挨拶に伺わねば」
ゲラルドは気を取り直して再びイゼルに顔を向けた。
「幼い私は、あの地で魔術の練習にあけくれていた」
ところが幼いゲラルドは魔力の制御を知らず、その膨大な力を練習で発揮してしまった。そのせいで、未だあの辺りの土地は魔力汚染により草一本生えないという有様である。
「おそらく魔力が濃縮されて実に宿ってしまったのだろう。基本、魔術というものに期限はないからね」
学会が終了したら除染に向かう、とゲラルドは約束した。
「どうしてこう魔術師というやつは皆ぶっとんでるというか頭のねじが一本ゆるんでるというか」
ゲラルドが退出した後、ソファにどかりと座り込んだファリスは呆れたようにつぶやいた。
「俺は常識人だ」
「あんたも充分変態だよ」
心外だとでも言うようにラデクが反論すると、ファリスはどこか投げやりな口調で返した。
ふと、戸口を激しく叩く音に三人が振り向くと、ジェスとトリヤーナが慌ただしく駆け込んできた。
「何か妙なんです。アキ様が見当たらなくて」
「お昼を一緒に食べる予定だったのに待ち合わせ場所にいないし」
いつまでたっても約束の場所に現れないので、通りすがりの関係者にまだ仕事中なのかと聞けば、「彼女ならもうだいぶ前に昼に行ったよ」と答えたという。
「先輩、追跡魔術はできますか」
「できるが……彼女は魔力なしだろ」
イゼルの言葉にラデクが答える。それは人の発する微量の魔力をもとに追跡を行うことのできる魔術であるが、魔力のないものには有効ではなかった。
「……俺は一度王宮に戻ります。先輩たちは先に現場へ向かってください」
イゼルはそう指示するなりすごい勢いで部屋を出ていった。




