32 少年と犬
イゼルが遠征に発って5日後、アキは執務室で書類の仕分け作業に追われていた。冬にはぱたりとやんでいた国内外からの謁見の予定が怒涛のように舞い込み、各地からは依頼書や嘆願書やらがコンラスの元に大量に届く。アキはそれらに優先順位をつけて、コンラスのスケジュールに容赦なく割り振っていった。
「魔術研究学会の予定はどうなってる?」
コンラスの言葉に、アキは書類の山をかきわけて一つの紙束を取り出した。書類に最新の日付が記されていることを確認し、内容に目をはしらせる。
「えっと、特に変更はなさそうですね」
それは、この大陸で行われる春の催し物のひとつである。戦後、各国との友好を深めるという目的で始まったそれは持ち回りで開催され、今年はヴェルフェランの番だった。
各国から訪れる高名な魔術師たちによって講演や研究発表が行われる。開催を週末にひかえ、主に第二兵団や会場となる王立学校が主体となって動いているが、アキたちも準備に奔走していた。
講演や発表は主に大陸の共通言語であるアレス語で話されるが、アキは念の為に通訳として現地で待機することになっていた。
「そういえばお前の結婚式の方は大丈夫なのか?」
「あ、はい。おかげさまで準備は終わってます」
コンラスは、ふと思い出したように書類から顔をあげた。
「油断するなよ。直前まで何が起こるか分からんぞ」
「怖いことを言わないでください。イゼルさんはコンラスさんとは違うので」
不穏なことを言って脅してくる上司にアキは眉間に皺をよせると、書面から顔もあげずに言い返した。
彼女は目まぐるしい日々の業務をこなすことに精一杯で、自分の結婚式ももうすぐそこまで迫っているのだということをつい忘れそうになっていた。
この山場を超えたら結婚式だ、とアキは呪文のように頭のなかで繰り返した。
夕方になると、兵団から直々にアキに呼び出しがかかった。コンラスならともかく、アキ自身にくることなど今までに一度もなかったため、彼女は少し驚き違和感を覚えた。
「至急いらしてください」
伝達に来た若い兵士が青い顔でそう言った瞬間、アキの中で嫌な予感が広がっていく。まさかとは思うが、イゼルの身になにかあったのではないだろうか。
コンラスを仰ぎ見ると、険しい顔をして早く行ってこいと促された。
アキが兵団の詰め所に入ると、それまでドアの外にまで響いていたざわめきが、一様に静まり返る。兵士たちが一斉にアキに振り向いたので、気圧された彼女は戸口で立ちすくんでしまった。
やけに主張をはじめる心臓の音を煩わしく思っていると、奥から見覚えのある金髪の青年が歩み寄ってきた。
「モリナー殿」
ファリスは声をかけてきたものの、言いづらそうに一度口を閉じた。
「あの、イゼ……オルファンさんに何かあったんでしょうか」
手先が冷たくなっていくのを感じながら、アキは必死に声を抑えて問う。
ファリスが何ともいえない表情で後ろを振り向くと、屈強な兵士達の中から一人の華奢な少年が出てきた。
金というよりは銀に近いその髪の色は見慣れたもので、不思議に思っていると少年が顔をあげてアキを見上げた。
「アキ殿……」
ずいぶんと幼い顔の中で一際目立つ双眸が申し訳無さそうに揺れている。いつもは鋭い輝きを放つアイスグレーの瞳には困惑の色が浮かんでいた。
「え、イゼルさんのご親戚?」
「……残念ながら本人です」
目の前の年端もいかない少年を見てアキが現実逃避をするも、ファリスがそれを許さない。
5日ぶりに見る婚約者は、何故か子どもの姿になっていた。
イゼルはそのまま第二兵団へと連行されるように連れて行かれた。
戸口の近くまで行くと、人の気配を感じたのか犬の鳴き声が聞こえてくる。かと思えば黒い斑のある白い犬が飛び出してきてイゼルの足元で飛び跳ねた。
中に入ると早速リーアンによる解析が行われると同時に、ファリスとラデクによる尋問がはじまった。
「よく思い出せ。何かきっかけがあったはずだ」
「特に変わったことはなかった」
イゼルは足元でじゃれつくウーゴを抱き上げると、頭を軽くなでてやった。ウーゴが激しく舐め回すのでイゼルの顔はべとべとになっていくが、彼はまんざらでもないような顔をしている。
ラデクは「俺には懐かないのに」と怒っているが、アキは不覚にも、犬を抱きかかえる少年の姿にキュンとしてしまった。ファリスは犬の真の姿を想像したのか若干引いていた。
「何か変なもんでも食ったとか」
「いや、時期の早いベリーがなっていたから珍しくて味見をしたくらいだ」
「どう考えてもそれが原因だ。拾い食いをするなとあれほど言っただろうが」
ファリスの言動からは、イゼルが常習犯であることが窺える。アキの脳裏に、ウェルドラで呑気に花をつんでいたイゼルの姿がよぎっていく。野山に囲まれて育った彼の習性はなかなか変えることができないようである。
「アキ殿への土産にしようと思ったんだが」
その言葉に一同はイゼルを急き立てて、ベリーを持ってくるよう促した。
イゼルの摘んできたものは、この国ではよく見かけるごく普通のベリーだった。確かに季節にはまだ早いが、赤くツヤツヤとした実はよく熟れて美味しそうだなとアキは思った。しかしラデクは、イゼルの手にしたハンカチに包まれたそれを見るなり、ウッと顔をしかめた。
「……こんだけ強烈に魔力が漂ってるのになんで食う前に気付かなかったんだよ」
「魔力ないですから」
しれっとした顔で悪びれもせず言うイゼルにラデクが盛大なため息をつく。彼は部屋の奥に一度引っ込むと、手袋をはめて出てきた。こわごわとその実をひとつつまむと、まじまじと観察しだす。
「なにこれ、魔力汚染?」
「ふむ。確かにオルファン分隊長からはこの実と同じ魔力の気配を感じるぞ」
リーアンは解析をし終えると、腰を曲げて興味深そうにベリーを見やった。震える指先でベリーを触ろうとするのを、ラデクが慌てて制する。
「じいさんは危ないから触んな」
「む。しかしこれは少しやっかいじゃぞ。この魔術は、かけたものにしかとけんものじゃ」
ちょうどその時、講義から戻ってきたのかイェスラの三人組が部屋に入ってきた。
「じじい、またお前か」
(何の話じゃ)
ラデクがズーイーに詰め寄ると、彼は長い眉毛に隠れた目を大きく見開いた。
(おや、そこにいるのは怖い顔の兄ちゃんかの?)
(ずいぶんと可愛くなりおって)
(そう睨んでも怖くないぞ)
三人はまるでおもちゃでも見つけたかのようにイゼルを取り囲み騒ぎ出す。彼のがたいの良い体は、今ではズーイー達とさほど変わらない背丈になっていた。
ちなみに最近、彼らの思念会話が地味に改善された。以前は彼らの思考が全て垂れ流し状態だったのが、ある程度制御できるようになったらしい。らしい、というのは以前との違いをはっきりと実感できたものがラデクを筆頭に誰もいなかったからだった。
助けを求めるイゼルにラデクが状況を説明してやると、彼らは一斉に(濡れ衣だ)と憤慨した。
「時間を操る魔術なんてそれこそじじい達にしかできないだろ」
(わしは何もしとらんし、そんな魔術は存在しない。ウーゴに犬にみえるような術をかけているのと同じだ。実際に若返っているわけではない)
「あ、だから意識は元のままなんですね」
アキが相槌をうつと、ズーイーが頷く。これで記憶まで子どもに戻っていてしまったら、さすがのアキも平静ではいられなかったかもしれない。
ベリーは、演習場に使用しているだだっ広い平原に生えていた。草一本生えない荒れ地にぽつりと葉を茂らせていたという。
考えられる可能性としては、何者かがそこで魔術を施した、というものだった。その結果、土壌が魔力に汚染され、過去の呪詛がたまたまそこに生えたベリーに宿ってしまったのでは、とリーアンは推測する。
「じゃぁ、イゼルさんはずっとこのままなんですか」
「時間が解決するかもしれんが……何とも言えん」
リーアンは申し訳無さそうに言うと、なぐさめるようにアキの肩を軽く叩いた。
いつ誰が何のためにこんなことをしたのかなど、分かるはずもない。アキは深刻な顔で黙り込むと、イゼルがその手をそっと握ってきた。
「アキ殿、俺の姿が変わっても想いは変わりません」
「イゼルさん……」
「おいそこ、公衆の面前でどさくさにまぎれていちゃつくな。あんたもガキ相手に頬染めんな」
見つめあう二人を見てラデクは呆れたように突っ込み、ファリスと老人達は生温かい目でそれを見守っていた。
「……そういえば結婚式って来週だったよな」
ぽつりとつぶやかれたファリスの言葉に、イゼルとアキは今気づいたとばかりにハッとした顔になった。
やはり自分は呪われているのかもしれない。それともコンラスが余計なことを言ったせいなのだろうか。
動揺したアキはとっさに部屋の奥へと視線をはしらせる。何人かの魔術師たちがちらちらとこちらの様子をうかがっている。そこに、この世界に来たばかりの頃、あまりにも出会いがないので呪われているのでは、と言った彼女を鼻で笑ったあの眼鏡の男の姿があった。
「念の為もう一度見てもらえますか?」
「あなたも大概しつこいですね」
詰め寄るアキに、白髪交じりの眼鏡の男は顔を引きつらせながらそう言った。




