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3 彼と彼女の失敗

 数日後、ふと前方から突進するかのような勢いで歩いてくる者に気付く。周囲に人気はなく、背の高い男の姿はアキにも見覚えのあるもので、その短い銀髪と、鋭いアイスグレーの瞳を目にするや、慌てて回れ右をして隠れるように逃げさる。

 怖い。眉間に皺を寄せて怒る大柄な男は相当の迫力があった。あんなに怒ってどこへ行く気なのだろうか。さすがに先日のこともあり、正面きってすれ違う度胸は小心者のアキにはなかった。向こうも顔を合わせたくないだろう。あまりにも気まず過ぎるので、出来れば今後もなるべく関わりたくない。しかし、二度あることは三度あるのである。


「なんでまたいるの……」


 偶然の悪戯なのか、何故かその日からアキは、毎日のように彼に出くわすことになる。

 一昨日は、会議が終わり、さぁご飯だと食堂に意気揚々と向かうアキの横にいつの間にかいて、驚きのあまり思わず来た道をそのまま戻ってしまった。食堂で鉢合わせるのが怖かったアキは、そのまま会議室に立てこもり、昼食を食いっぱぐれることになった。

 昨日はコンラスの出張計画書を提出するために事務部署へと出向いた所、同じく用があったらしいイゼルにばったり出くわしてしまった。動揺するあまり、アキはそのまま事務部署の扉を素通りし、競歩並の足の早さで逃げ去った。

 今日は外国から使者が来るということで通訳兼世話人としてかり出されたのだが、無事に会談も終わり、使者を送り出してホッとしたのも束の間、執務室に戻る途中にある庭先に彼の姿を認めるなり、木立を不自然に迂回し遠回りをして戻ることになった。庭を抜ければ執務室はすぐなのだが、逆周りしたおかげでえらく時間がかかり、コンラスからは「どこをほっつき歩いていた」と呆れられる始末である。

 近頃は、いつあの銀髪を目にするのかとビクビクしている今日この頃である。


 その日、第一兵団所属第三分隊長のファリス・キャドックが朝の訓練を終えて詰め所へと出向くと、窓辺で朝日を受けながら、その銀髪を無駄に輝かせたそがれる夜勤明けのイゼルの姿があった。

 その姿は、年頃の女性が見れば思わず赤面し、溜息を漏らすような光景ではあったが、ファリスは気持ち悪いものを見るような目つきで横を素通りすると、さっさと朝のミーティングの準備にとりかかりはじめた。

 しばらくして同僚や部下たちが詰め所に出勤してくるたび、「うわっ」とか「怖い」という声がこそこそと聞こえてくるが無視である。


「キャドック分隊長、あれ、どうしたんですか」


 たまりかねた後輩の一人がおずおずと耳打ちしてくる。


「ほっとけ。 そのうち復活するだろう」


 ファリスの言う通り、朝の会議と引き継ぎが始まると、いつの間にか何事もなかったかのようにその場に混ざっているイゼルに、周囲は狐にでもつままれたような顔になった。


 丁度一週間前のこと。レストランを飛び出したイゼルは、後を追いかける上司を振り切る勢いで詰め所に戻るなり、今まさに警らへ向かおうとする部下の肩をがしりと掴んだ。


「頼む。俺に行かせてくれ」

「へ?」


 ポカンと口を開けてかたまる彼をよそに、当番の兵士が身につける腕章や胴衣といった装備一式をひったくると、厩へともの凄い勢いで向かって行く。


「オルファン分隊長!」


 我にかえった部下が慌てて叫ぶも、彼は既に声の届かないところにいた。


「一体どうしたんでしょう。今日は大事な用があるはずでは?」

「あいつ、何かやらかしたな」


 突如非番となり、腑に落ちない顔でぶつぶつと呟く男の隣で、一緒に警らへと向う予定だったファリスが慌ててイゼルの後を追った。


「で、どうだったんだよ」


 ゆるい巻き毛の金髪に濃い青の瞳を持つ男は、一見すると天使と見まごう容姿である。しかしこう見えて性格はきつく、がさつである。

 馬上でひたすら正面を見据え、町中を闊歩するイゼルに、友人であるファリスは軽い調子で声をかけた。


「……あまり覚えていない」


 低く呟かれた声は喧噪にまぎれて聞こえにくかったが、何とかファリスの耳に届いた。


「覚えてないって、何かあるだろうが。それなりに話したんだろ」


 少し前をいく友人の背がぴくりと僅かに反応を示したが、それきり無言を貫こうとする。


「おい、まさかー」


 嫌な予感にファリスが慎重に口を開く。


「一言も話さなかったなんて言うんじゃないだろうな」

「趣味は読書と食べることですみれ亭のレモンパイとプディングが好きだそうだ」

「お、おう」


 顔をひきつらせるファリスだが、相変わらず前を向いたままの友人にそっとため息をこぼす。表情の乏しい男ではあるが、さすがに落ち込んでいるらしいことは長年の付き合いから見て取れた。


「憧れの女が目の前にいるから緊張してろくに話せませんでしたって、ガキじゃねぇんだから」

「顔を見ると話せなくなる」


 仏頂面にうっすらと頬を染めて話す姿は、可憐な少女だったら様になっただろうが、がたいの良い成人男性だと少々不気味である。


「……それに何故か団長と馬が合うようだった」


 ポツリとつぶやくその顔は今度は青ざめている。 


「……それで、今頃はまだ見合いをしてる最中だろ。なんでこんな早くに戻ってきた」

「……団長が、俺とあの人を二人きりにしようとした」


 その言葉に首を傾げるファリスだが、イゼルはおかまいなしに幾分恨みがましい声で続ける。


「団長もどうしてそんな仕打ちを……二人きりなんて無謀すぎる」

「いや、それはむしろ団長の気遣いだろうよ、普通は」


 ファリスは呆れて呟くと半目になって友人を見やった。


「それで、逃げてきたのか」


 答えはないが、前をいく背がまたぴくりと反応する。


「このままだと話は自然消滅して無かったことになるぞ。手遅れになる前に誘え」


 その日からイゼルは、友人のアドバイスを真面目に守り、何とかアキを次の段階である「二人で食事をする」に誘おうと日々努力をしていた。

 何とか話を取り付けようと躍起になるあまり、新兵も逃げ出すような形相になっていることには全く気付いていない。


「避けられている?」

「あぁ、何とか次の誘いをと思ったのだが、こちらを見るなり逃げられる」


 組んだ手に額を乗せてうつむく物憂げな彼の姿は、やはり無駄に様になる。

 朝から珍しい友の様子を内心、面白半分、面倒くささ半分で見ていたファリスは、目の前の日替わり定食であるチキンソテーのポテト添えに手を伸ばした。


「お前の勘違いじゃなくてか」

「先週から毎日機会を窺っているが、毎回同じ反応だ」

「え、ちょっと待てよ。先週から毎日待ち伏せしてたのか?」


 真剣な表情でうなずくイゼルに、ファリスは盛大に溜息をついた。


「お前、それストーカーに思われてんぞ」

「どうしてそうなる。秘書官である彼女の一日のスケジュールを把握するのは兵団の任務でもある」


 不思議そうな顔で悪びれもせずのたまう友人に、ファリスは頭をかかえだす。


「いや、それは駄目だろ……」


 護衛の任も請け負うため、要人たちの行動は兵団の方でも把握はしているが、目の前の男の行動は仕事の域を越えている。というのも情報として兵団に入ってくるのは宰相であるコンラスの方のスケジュールである。秘書官であるアキのスケジュールを一個人が把握しておく必要は皆無である。もっとも、彼のスケジュールを確認すればアキの行動もある程度は予測できなくもないのだが。


「昨日は終業後、市場で買い物をしていた」

「アウト! それアウト!」


 イゼルの行動はプライベートの域まで及んでいた。友人をこれ以上追い詰めたら犯罪に手を染めかねない。既に片足突っ込んでいることには目を瞑り、ファリスは手にしたフォークを投げやりに皿に放った。


「協力してやるから。頼むからそれ以上のことはすんな」


 良く言えば真面目で優秀、その反面、堅物で面白みのない人間と思われがちなイゼルであるが、士官学校時代からの友人であるファリスは、決して彼がそれだけの男ではないということを良く知っていた。だが彼の生真面目な性格をよく知っているからこそ、その性格が仇となることも同時に分かっていた。


 第一兵団所属第二分隊長イゼル・オルファン。若くして軍のエリート街道をひたはしり、部下の憧憬を一身に集める彼ではあるが、よく言えば純粋、悪く言えば世間知らずなところがあった。

 王都から北へ80km程の山腹にリグレンという小さな村がある。国境沿いにひろがるアレス山脈のふもとにあり険しい谷にへばりつくようにして家が建つ辺境のど田舎である。ちなみに「小さな谷底」を意味する。

 小さな農家の5人兄弟の次男として生まれた彼は、村で一番勉強が出来た。周囲の期待に応え進学することになったのだが、本人は農家になるつもりでいた。そのため農業を学ぶために学校へ行きたかったのだが、成績優秀者には返還義務のない奨学金が出る学校があると知るやいなや、よく分からないままに士官学校へ入学してしまったらしい。

 入ってすぐに農学部がないことを知り絶望したそうだが、学費、生活費はタダだし、給料も少しは出るという、彼にとっては前代未聞の優遇に感激し、腹をくくって国王への忠誠を誓ったそうである。

 武術や剣の腕は群を抜いて秀でており、加えて座学も常に上位だった彼の唯一にして密かな趣味は、家庭菜園。兵舎にあてがわれた独身寮の一角にはいつの間にか半ヘクタール程の畑が出来ており、兵士達が早朝の自主トレで汗を流す傍ら、イゼルが黙々と農作業に励む姿はもはや日常に馴染んだ風景となっていた。

 畑で収穫した新鮮な野菜を、「沢山できたから」と田舎のおばちゃんよろしく、同僚や後輩に押し付ける姿も恒例となって久しい。「じじくさい趣味」と言った同僚に対して、「趣味じゃない。非常時に備えてしているのだ」と真顔でのたまう本人にとっては、幼いころからの習慣でしていることなので趣味だと思っていない。

 ちなみに今でも、実家の繁忙期には特別休暇を貰い、手伝いのために一週間程帰省している。

 一方、城下町にある裕福な商家に生まれたファリスは、遊び慣れて世間擦れした今時の若者であり、イゼルとは対照的ではあるが、当初、入学したてのイゼルのあまりの純朴さに「こいつ大丈夫だろうか」と不安になったそうで、なんだかんだ言いながらも親友という立ち位置にいる。

 時々、「今日あたり行くか」とまるで飲みにでも行くようにイゼルに誘われては、何故か草むしりを手伝わされている姿も目撃されている。


「こう言ってはなんだが、どこがいいんだ?」


 気を悪くすると思っても聞かずにはいられない。イゼルの見た目なら選り取りみどりだろう。何も行き遅れた年上の、男みたいな女を嫁にしなくてもいいんじゃないか、とファリスは思うのだ。はっきり言って親の印象も良くないだろう。


「お前には分からなくていい」


 案の定、イゼルはムッとした顔になると、それ以上は心の内を明かさないつもりなのか黙り込んでしまった。


「怒るなよ。協力するからには、そういった情報も聞いておかないと」


 協力、という言葉に目の前の男はぴくりと反応する。横を向き、眉間に皺を寄せてはいるが、その白い頬はうっすらと赤味を帯びていた。

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