28 再会
翌朝、アキとジェスが駐屯地でラデクと合流すると、そこにはまだ大勢の兵士たちがいた。彼らもこれから現地へ向かうことになるらしい。
さりげなくアキが周囲を見回す。朝なら会えるかと少しばかり期待していたのだが、残念ながらそこにイゼルの姿を見つけることはできなかった。
「あ、モリナー秘書官殿」
自分を呼ぶ声に振り向くと、そこにはどこかで見た覚えのある顔の青年がいた。アキは必死で記憶を手繰り寄せるが一向に思い出せない。そもそも兵団とはあまり馴染みがないし、制服を着ていると皆同じように見えてしまうのだ、と心の中で言い訳をする。秘書という仕事柄それもどうなのだろう、という疑問は棚にあげておく。
「これを。オルファン分隊長から預かってます」
アキが礼を言って受け取ると、彼は申し訳無さそうな顔をした。
「本当は分隊長がお渡ししたかったそうなのですが、撤収作業の調整で忙しくて」
「い、いえ、そんなお気遣いなく」
アキは一瞬、心の底を透かして見られてしまったのかと焦るが、目の前の青年はそれ以上何も言わずに仕事に戻っていった。
折りたたまれた紙を広げると、几帳面に揃った文字が目に入る。そこにはイゼルが聞いたらしい怪物の目撃情報についての報告が書き込まれていた。
アキの出張の名目を知ってのことか、わざわざ調べておいてくれたらしい。さすが出世頭、できる男は仕事も早いなと思ったが、もしかして自分の仕事ぶりが頼りないせいか? という考えが頭を過っていく。
アキはありがたいという気持ちと、忙しいのに申し訳ないという気持ちでない混ぜになりながら一通り目を通す。やがて、アキの中にある疑念は確信のようなものへと変わっていった。
「これは、やっぱり竜なのでは?」
何人かの証言には、鳥のような羽を持っていたとか、長い尾をなびかせていたとか、角があったとか、妙に具体的で現実的なものがあったのだ。
むしろ、これだけ証言があるのになぜ誰も竜である可能性を示唆しないだろうか。
現場に向かう途中、アキはふと昨日のことを思い出しながら、ラデクに話しかけた。
「ファズーさんは、コアトルのことを知ってます?」
唐突なアキの問いかけに、ラデクは一瞬戸惑うような顔をしたが、すぐに取り澄ました表情になる。
「もちろん知っているが、それが何か?」
「信じてます?」
「はぁ!?」
思わずアキが問うと、ラデクはギョッとした顔で否定した。普通は、民間信仰を本気で信じてはいないだろう。それは、アキが神社に行くと何となくお参りしてしまうのと同じ感覚なはず。ラデクの態度にアキは少しホッとしたのだが。
「俺の実家は鍛冶屋だから、ウルカを信仰してる」
ラデクは何故か、背を正して少し重々しい口調でそう言った。アキにはそのウルカとやらが何なのかまったく分からなかったが、今はそこを深堀りするのはやめておいた。
「例の怪物を目撃した人たちが、一様にコアトルを見たって言うんですよね」
ラデクの見解を聞こうとアキが昨日の聞き取りのことを話すと、彼は面倒そうな顔になった。
「あー……やっぱりじじい向きの案件な気がする」
嫌な予感がする、とラデクは遠い目をすると、アキに向き直った。
「モリナー殿はどう思う?」
「私は、山の形が変わってしまったから、見慣れていないせいで何かと見間違えたんだと思うのですが……」
そうであって欲しい、という気持ちとは別に、もう一つの疑念が頭の中にはあったが、昨日のトリヤーナとジェスの態度を思い出し、アキは口をつぐんだ。
「一度、イゼルに相談してみるといい。現場の指揮はあいつだからな」
「……どこに行けば会えますかね」
今回の派遣は力仕事が主体なためか、比較的若手の兵士が集められているようだった。若手の中でも中堅どころのような立場になってしまっているイゼルは、今回の派遣部隊の隊長をまかされており、地域との調整や引き継ぎに出回っているようでかなり多忙のようだった。
「今晩の慰労会には来るんじゃないか」
現場の復旧作業は今後も続くが、後は現地の人々が中心となって行われることになっていた。ラデクが施す結界も今日で全てが終わるらしい。兵団の撤収も目処がたったので、今晩はトリヤーナの屋敷で慰労会が行われることになっていた。
結局、その日もアキは一通り聞き込みをして回ったのだが、内容は昨日の話やイゼルの報告とさほど変わりはなかった。
そして少々長丁場になってしまったラデクの作業を待っていたせいで、帰りはとっくに日の暮れた農道を歩く羽目になってしまったのだった。
屋敷の広間は、大勢の客で賑わっていた。兵団の制服を着ているものもいれば、地元民らしきものも入り混じり盛況だ。皆一様に、地元の名産であるワインを片手にしている。既にできあがっているのか、辺りは喧騒につつまれていた。
基本誰でも参加自由なため、噂を聞きつけたらしい女性の姿もちらほら見える。王都からやってきた青年たちをちらりと見ては顔を赤らめたり、友人たちと何やら話している姿が見えた。
アキたちは、広間に入るとまっ先にテーブルの方へ向かっていった。日中歩き回ったせいか、いつもより空腹を覚えていたので、まずはその日の夕飯を確保することにした。
川魚のフライや羊肉のシチュー、ローストポークやチキンと豆の煮込みなど、来客層に合わせたのかがっつりとしたメニューが揃っている。
丁度大皿を両手にかかえて追加の料理を持ってきたトリヤーナが、アキたちに手を振った。
「いっぱい食べてくださいね。ワインも揃えてありますよ」
トリヤーナはアキにだけ聞こえるように耳打ちする。アキが、せっかくだから名産のワインも味見したいと思いつつ、一応ジェスの付添という立場上あまりよろしくないか、などと呑気に思案していると、ふと首筋にぞわりとする何かを感じた。
アキは思わず首筋に手をやりながら後ろを振り向く。
そこには、焼け付くどころか焦げ付くような視線をはなっているイゼルがいた。
「怖っ」
「あの方、何でアキ様のことを睨んでるんですか?」
アキの視線の先を追ったラデクは顔をしかめ、ジェスは何か勘違いをしている。
一瞬、アキの心臓が大きく脈打つが、すぐにつきりとした痛みを覚える。ようやく会えた喜びはゆらいでいき、気持ちが暗く沈んでいく。
彼は、何人かの若い女性に取り囲まれるようにして立っていた。アキは自分の中で仄暗いものがじわじわとにじみでていくのを感じた。
(あんなにかわいいトリヤーナですら浮気をされてしまったのだから自分なんて推して知るべしだ)
どんどんと悲観的な思考がなだれ込んでくる。
視線はそのまま離されることなく、彼はまっすぐ彼女に向かって歩いてきた。
「ア……モリナー殿」
一瞬名前を呼びかけたものの、イゼルは何もなかったかのように仕事中の顔に戻りアキに挨拶をした。
「……オルファンさん」
「この度は出張おつかれさまでした。体調はいかがですか?」
「あ、はい。元気です」
「ちゃんと睡眠はとれていますか? 食事はしっかりとっていますか?」
「? はい」
なぜかアキの様子を細かくチェックしてくるイゼルに、彼女は戸惑いながらも素直に答える。
二週間ぶりに会った彼は、少し疲れているのか若干のやつれが見て取れた。アキは、自分にかけられた問いをそっくりそのまま彼に返したいと思って口を開きかけて、やめた。
彼に話したいことは沢山あったが、頭の中を先程の光景がちらつく。公私混同と思われたくなかったので必要以上にイゼルに話しかけてはいけない気がした。なるべくビジネスライクに、と心に念じたせいで極端に口数が少なくなってしまっていた。
二人の間に沈黙が流れる。アキには周囲のざわめきがどこか遠くのもののように感じられた。
先に動いたのはイゼルだった。彼はアキの手から料理が山盛りの皿をそっと取りあげると机に置いた。アキがそれをぼんやりと眺めていると、急に視界がごわつく何か覆われた。
気がつくと彼女はたくましい両腕の中に閉じ込められていた。紺地の制服にぴたりと顔が押し付けられる。
「やっと会えた」
アキの耳元で、イゼルがつぶやく。意識が戻ったアキは慌ててそこから離れようともがいたが、自分の体に巻き付く腕はびくともしない。遠くから、冷やかしのような声が聞こえてくる。
「あ、ちょっと、皆が見てます!」
アキが小さく非難の声をあげると、イゼルはさらにきつく抱きしめてきた。
「今はもう勤務外です」
だから何をしようがかまわない、と言外にのせて言うが、アキはそういう問題ではない、と必死になる。目の前の硬い胸を押し返そうにも、腕ごと抱きしめられているので身動きがとれない。
「会いたかった」
耳元で囁かないで欲しい、とアキはぎゅっと目をつむった。それでも、彼も同じ気持ちだったことが彼女の心の奥底を暖かく溶かしていく。
「私も……会いたかったです」
周囲の喧騒にかき消されそうな声だったが、彼には届いたようだった。アキの肩口にイゼルの頭が擦り寄せられるように落ちてきた。
しばらくそうして抱き合っていたが、イゼルはアキに張り付いたまま顔をあげようともしない。周囲からの視線が痛い、とアキはものすごく気まずい気持ちになっていた。離れるタイミングを完全に失ってしまった。
「おい」
その声にハッとして、アキは押し付けられていた顔を無理やり動かしてみる。イゼルの肩越しに、呆れた顔のラデクがいた。
「イゼル、モリナー殿が困っている」
面白がるのかと思えば、ラデクは珍しくもっともなことを言ってアキからイゼルを引き剥がした。
「なに暴走してんだよ」
「……こんな時だけ先輩面しないでください」
イゼルは若干自覚があったのか、恥ずかしさをごまかすように恨みがましい目をラデクに向けると、彼はいつものようにニヤリと笑った。
「あれ、ジェスはどこいった? トイレか?」
ラデクの言葉に、アキは冷水を浴びせられたようになる。さっと周囲を見渡すも、そこにはこちらを好奇の目で見てくるものがちらほらいるだけだった。
どうしよう、とアキは冷や汗がドッとでてくるのを感じた。一人では行動しないように言うべきだったのか、と思うが今となってはもう遅い。アキが探しに行こうとすると、ラデクが声をかけてきた。
「モリナー殿、ジェスならば多分大丈夫だぞ」
どこか呑気なラデクの言葉にアキは苛つく。自分がイゼルとの再会に気をとられていたのが悪いのだが、ラデクにもジェスをちゃんと見守っておいて欲しいと伝えたはずなのに。ウェルドラへ出発する前はジェスの同行に反対するほど心配していたのにどんな心変わりだ。焦りから見当違いな怒りが湧き上がりそうになったその時、裏庭の方から甲高い悲鳴があがった。




