24 新しい同居人
その日、いつものように夕飯を共にしていたイゼルに、アキは改まった様子で話しかけた。
「今日はイゼルさんにちょっとお話がありまして」
「それは、第二兵団に入団した女性に関することでしょうか」
なぜそれを知っているのかと目を見開くアキに、イゼルは「ファズー一級魔術師から聞きました」と答えた。
「アキ殿がお世話をされるとか」
「はい、よくご存知で」
「ロット家のご息女と伺いました。お父上がリーアン様のお弟子で国への忠義にも厚い方だとか。趣味は読書。素行も良好とのこと、さしあたって問題はないでしょう」
何故かアキよりも詳しいイゼルに、彼はラデクと旧知の仲なので情報が筒抜けなのだろう、と彼女はさして気にはとめなかった。
「ですが、何かあったらすぐ俺に相談してください」
言われるがままにアキが思わず頷くと、イゼルは満足そうな顔になった。(何かあったらって、何が?)というアキの疑問はそのまま心の中にしまわれた。
そのままこの話が終わるかと思えば、アキはまだ本題に入ってなかったことに気づき、慌てて口をひらいた。
「あの、それでしばらくは一緒にご飯が食べられないと思います」
イゼルは愕然として、口元に運ぼうとした一切れの肉を皿の上に取り落した。そのままぴたりと時が止まったかのように動かないイゼルを珍しく思いながら、アキはもう一度話しかける。
「我が家は男子禁制になってしまいまして」
それは比喩でもなんでもなく、アキの家には物理的に男性が入れないよう、リーアン直々に結界が敷かれる予定になっていた。
ジェスの入学を許可するかわりに彼女の親から提示されたものは、早急な女子寮の整備とそれまでの間の彼女の身の安全の保証だった。
そこでアキに白羽の矢が立ってしまった。危険の少ない城内に居を構える独身の女性はアキしかいない。
「女子寮の整備が整うまで、一月ほどかかるそうです……」
「ひとつき……」
呆然としたイゼルのつぶやきに、アキは頷く。
「お昼のときに食堂で会えるとは思うのですが」
イゼルはフォークとナイフを置くと、どこか悲壮感ただよう顔でアキのことを見つめた。
「もっと早く、あなたに求婚するべきでした」
そうは言っても、雪解けを待ってからの結婚にはアキとしても異論のないところであった。
冬の間は実質なにもできないのだから仕方のないことだった。イゼルの家族を王都に呼び寄せるにしても、こちらから赴くにしても多大な労力がかかる。
「まぁそうは言っても一月なんてあっという間ですよ」
アキはそこまで深刻に考えていなかったので軽い調子で言うものの、イゼルの顔色は曇ったままだった。
「よろしくお願いします!」
緊張でうわずった声をあげ頭をさげる少女に、アキは慌てて顔をあげさせた。
今日はジェスの引っ越しの日だった。家の前にはいくつかのトランクが積まれた荷車が置かれている。お嬢様だと聞いていたので大仰になるかと思いきや、アキが想像していたよりも少なかった。
しかしホッとしたのもつかの間、もう一つの荷車に積んである大量の書物に目を剥く。これが入る本棚などアキの家にはない。
「こちらこそよろしくお願いします。あの、私はあなたの先輩でも上司でもないから、もっと気楽にね」
そうは言っても彼女が緊張する気持ちはよく分かる、とアキは心の中で呟いた。自分にも身に覚えがあった。
何にせよ、トリヤーナが城を去って以来の同士である。コンラスの押し付けてきた面倒事とはいえ、嬉しい気持ちもあった。
アキは家の中に彼女を招き入れると、部屋を案内してやった。寝室はトリヤーナが使っていた客室が丁度よかったので、そこを使ってもらうことにした。
一通り荷物を運び終わると、アキは彼女に休憩をうながした。例の書物は仕方がないので床に平積みにするしかなかった。
台所で茶を淹れるアキに、ジェスはおずおずと声をかけてきた。
「あの、こちらでは食事はどうすればいいのでしょうか」
第二兵団へ仮入団したジェスは、これまでの魔術師見習いがそうであったように、士官学校へ通いながら第二兵団にも所属する身分となる。週の半分は学校へ通い、残りは第二兵団へと通うことになっていた。
学校にも王城にも、朝から夜まで開いている食堂があるので、彼女もそこを好きに利用すればいい。アキがそこまで説明すると、ジェスの顔は不安げに曇っていた。
眼鏡の奥の緑の瞳が揺れ、長いまつ毛が影を落としている。
彼女の顔を見ているうちに、ふとアキは思った。この子を一人にしてはいけないと。
昼はともかく夜となると、食堂を利用する客のほとんどは兵団の男性になるだろう。そんな中を果たして彼女一人で行かせていいものか、いや、いいわけがない。
「不安だし危ないよね……その、私が作るもので良ければ夕飯はここでとる?」
アキの申し出にジェスは眼鏡がずれるほどこくこくと頷いた。
自分で提案しておきながらアキは動揺していた。どうしよう、本物のお嬢様の口に合うようなものは作れないぞ、とアキが少しの間押し黙っているのを不安に思ったのか、ジェスが先に口を開いた。
「あの、どうか私にも手伝わせてください」
「……えっと、ちなみに料理とかはしたことある?」
「ないです」
貴族出身のお嬢様なので、アキもある程度は予想していたが即答されてしまった。
ジェス・ロットは王都の東にほど近い町で生まれ育った。貴族である彼女の父親は、若い頃に第二兵団の魔術師として王城に勤めていた。
30年前の戦争の際にも、若くしてリーアンが結成した非武装医療団に同行したのだが怪我を負い、兵団を早期に引退した後は実家の土地を継いで暮らしている。
ジェスは幼い頃からリーアンの話を父親からよく聞かされていた。そんな彼女がいつか自分も父親やその師のようになりたいと願うようになるのは自然なことであった。
彼女は幼い頃から魔術関連の本を読みあさっていた。基本、一人娘に甘い両親は彼女の好きにさせてくれたため、ますますのめりこんだ彼女は早々に眼鏡をかけることとなる。
また、両親が何も言わないのを良いことに、多くの令嬢が通る道である礼儀作法やダンス、刺繍といったお嬢様スキルが磨かれることはついぞなかった。
魔術の素質は文句なしのジェスだったが、残念ながら料理の素質は持ち合わせていないようであった。
「あ、あ、そのナイフの持ち方はちょっと怖いかな」
「それは塩じゃなくて砂糖だよ」
「焦げてる! めっちゃ焦げてる! 火を止めてー」
アキはその日から毎晩、料理初心者にありがちなミスを全てベタにたどっていくジェスの行動を目の当たりにすることになる。
基礎って大事なんだな、とアキは遠い目になりながら、焦げ付いた鍋を洗っていた。そのことに気づかなかったのは、イゼルやトリヤーナが当たり前のように調理をこなしていたからというのもある。
(イゼルさんに会いたい)
唐突に、湧き上がった気持ちにアキは戸惑う。
ジェスが引っ越してきて一週間たったある日。結局ろくに顔を合わせることもできないまま、イゼルは南へと派遣されていってしまったのだ。
雪解けによる土砂災害が起きたのだが、現地で対処できるレベルを超えていたため、王都へ兵団の派遣が要請された。イゼルは応援部隊の隊長として現地へと向かったのだった。
アキは、長かった一人暮らしのなかで、誰かに無性に会いたいという気持ちになったことなんて一度もなかった。
もちろんこの世界に落ちて、もう会えなくなってしまった家族や友人のことを想う日はあるのだが、それとは違う、どこか焦がれるような気持ちだった。
たった一週間会えないだけで、こうも寂しくなってしまうものなのだろうか、とアキは自分で自分が不安になってくる。
今までに異性とのやり取りが少なかった分、彼に依存して重い女になってしまっているのでは、と思った。




