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16 リグレンにて

「おはようございます」


 戸口からイゼルの声が聞こえてきて、アキは慌ててその身を起こす。寝すぎてしまったかと問えば、まだ早朝らしい。


「湯を持ってきました」


 ベッドから転がるように降りてドアを開けると、兵団のシャツにズボンといういつでも出発できそうな姿のイゼルがいた。

 手には湯気の立ち上る桶を抱えている。その隙のない出で立ちに、果たして彼はちゃんと仮眠ができたのだろうかとアキが顔を見上げると、イゼルは顔をわずかに赤くして顔をそむけるようにした。

 

「ゆっくりでいいので支度ができたら居間に来てください」


 受け取った桶の湯を、部屋の隅に備え付けられた洗面台にはる。ふと目の前の鏡に目をやると、着ていたシャツはだらしなく首元が開き、髪の毛が盛大に跳ねているひどい姿の自分が映っていた。

 アキは昨日そのまま寝てしまったことを激しく後悔すると同時に先程のイゼルの態度に合点がいった。幻滅されたかもしれない。いや、今更かとも思い直す。イゼルはいつでも隙のない格好なのに、一方の自分は出会った時から醜態ばかり晒している気がする、とこれまでのことが頭をよぎっていった。

 アキは何も考えないようにして顔を洗い、軽く体を拭いて下着だけ着替えると、手早く身支度を整えて居間へと向かった。


「おはようございます」


 居間にはすでに、イゼルの両親と、兄弟らしき青年と少女が机についていた。皆、イゼルとよく似た髪色をしている。


「こちらは宰相付き秘書官のアキ・モリナー殿。特別任務のため急遽こちらにお越しいただいている」


 イゼルがやけに大仰に言うのでアキが慌ててお辞儀をすると、一拍置いて「結婚を前提にお付き合いをさせていただいている」と付け加えた。

 え、今このタイミングでそれを言うの? とアキが目を白黒させながらイゼルと家族たちを交互に見やる。家族の方も目を見開いて困惑し何か言いたげにしているが、彼は淡々と進めていく。


「こちらは父と母と、弟と妹です。上には兄と姉がいますが、家を出ているので今はご紹介できません」


 非常に簡潔にイゼルが紹介をすると、家族たちが不服そうな顔でイゼルの方を見やるが、それ以上彼が何も言わないのを見て、仕方なく自己紹介をはじめた。


「……父親のフィンです。息子がお世話になっております」


 頭をさげるフィンに、アキは焦って「こちらこそお世話になっております」とよく分からない挨拶を返す。


「母親のラナです。遠い所をお疲れでございます」

「弟のリュートです」

「妹のセリです」


 さて朝食にしましょう、とイゼルがさっさと切り上げるので、アキはとてつもなく居心地が悪い思いをしながら席につく。目の前に座る両親や弟妹は、どこか気遣わしげな表情でこちらを見ている。何か話して欲しいが、イゼルに似ているのかこの一家は無駄口を叩かない主義のようだ。


「この後、検問所へは馬で行きます。王都から連絡がいっているので何人か援護を頼み、そこからは徒歩で向かう予定です」


 イゼルは業務連絡をしながら、テキパキとアキのカップに茶を注いだ。ふとどこかで嗅いだ覚えのある香りに、アキはしばし頭を整理する。昨日から色々とありすぎたので、どこでだったのか思い出せない。

 それからバターをたっぷりと塗ったライ麦パンにハムと、牛乳で煮た蕎麦粥で朝食を大急ぎで済ませると、二人は家を後にした。


 一応アキは馬に乗れないこともないのだが、道が悪いので慣れているイゼルと一緒に乗せてもらうことにした。

 彼は先に軽やかに馬に乗ると、自分のつま先を踏み台にするようにアキを後ろに引き上げた。彼女が慣れない仕草でもぞもぞと馬の背にまたがるのを確認すると、しっかり背中に手をまわすように言った。

 自ら彼に抱きつく格好になるので正直アキは猛烈に恥ずかしかったのだが落馬はしたくなかった。彼女はおずおずとその広い背に手をまわす。彼の背は、かすかな石鹸の香りと土埃の匂いがした。アキは自分の鼓動が早くなっているのを感じ、何度も仕事中であることを頭に念じた。


 道路は王都や街道と違って舗装されていない所もあり、のどかな田舎道で馬はゆっくりと進んでいく。時折、イゼルの軍服を目にした地域の住民が何事かとこちらを見やってくる。


 一時間程で検問所に到着すると、アキはまず王都に繋がる魔法陣の元に向かい、到着の報告をした。イゼルの言うようにコンラスからすでに話がいっているようで、ニ名の護衛がつくことになった。一人はイゼルの顔なじみらしい。

 地方の検問所や各町村にも王都から派遣された兵団の者はいるのだが、その主体となるのは地元で採用された者たちだ。人懐こい顔で笑う友人に対し、イゼルはいつもの淡々とした表情だったのだが、彼なりに久しぶりの逢瀬を喜んでいるようではあった。


 検問所はアレス山脈の麓に位置し、そこから国境際までは険しい山道が続いている。昨日アキが話した相手によれば、山道の中腹にある小屋に避難しているとのことだった。

 検問所の事務室で国境周辺の詳細な地図を広げると、一面にひろがる等高線をゆるやかにのぼっていく登山道があった。その途中に避難小屋を意味する印があるのを確認すると、一同は出発することにした。


「あそこの避難小屋には何度も警備に出向いているが……」


 検問所の兵士の一人が言うには、時々山賊などの類が拠点にしていないかと警備に行くのだが、つい先日行ったときも変化はなかったそうだ。

 比較的緩やかな道を30分ほど歩くと、そこからは本格的な登山道になっていた。一休みも兼ねてもう一度地図を確認すると徐々に等高線の間隔が狭くなっており、これから登らなければならないであろう急登を予感させた。アキの息はすでにあがっている。


「アキ殿は私の後ろを歩いてください。辛くなったらすぐに言って」


 イゼルを先頭に、アキと二人の兵士が後に続く。

 道は大きな岩や木の根がむき出しになっており非常に歩きづらい。ペースがつかめないし、何だか息苦しくなってくる。少し前を歩くイゼルはまったく顔色を変えることなく身軽に歩いている。ちなみに彼の背嚢にはアキの荷物も入っているのでアキはほぼ手ぶらである。

 わずか30分程歩くと、彼は後ろを振り向き小休憩をとるよう指示を出した。

 イゼルに手渡された水筒の水を飲みながら、何とか息を落ち着かせようとアキは深く呼吸をしようとするがうまくいかずに咳き込んでしまう。イゼルはそっと、彼女の背中をさすってやった。


「……すみません」

「謝らないでください。山に慣れていないと皆こうなります」


 アキを除く三人は涼しい顔をしているのに、ひとり汗だくで疲れ果てている自分が足手まといのようで情けなくなってくる。

 そもそもが兵士と自分では体力が雲泥の差なのだろうが、一瞬、これが二十代と三十代の差なのでは? と愕然とする。イゼルいわく、日々鍛えている兵団の者でも高地に赴くとこうなるのだと言う。


「少しずつ慣れてきます」


 イゼルはアキに、上着を脱ぐようにうながして受け取ると、自分の背嚢の上にくくりつけた。


 不思議なことに、体が少し慣れてきたのか再び歩き出したときには幾分、体は楽になっていた。一枚脱いだせいか、風通しがよくて汗も落ち着いてくる。

 そのまま一時間ほど歩いていくと、ようやく道が少し平坦になり左の奥に避難小屋らしき建物が見えてきた。

 こじんまりとした石積みに板で屋根を葺いた簡素な小屋は、四人で中に入ると狭く感じるほど小さなものだった。火をおこした痕もなく、長らく使われていないことがうかがえる。


「この他に小屋はないんですよね?」


 アキが再度確認すると、検問所の兵士は不思議そうな顔で頷いた。もう一度地図で確認しても、それらしきものは見当たらない。

 突然、イゼルが何かに気づいたように地図に指をのばした。


「だいぶ前に土砂で廃道になった山道がある」


 イゼルが指をさしたところを見ると、現在地から西寄りのすぐそばに、今の山道に平行するようにうっすらと続く点線があった。しかし、小屋の印は見当たらない。


「もしかしたらそこに旧避難小屋があるかもしれない」


 イゼルともう一人は確認をしに偵察に向かい、アキと残りの一人はそのまま避難小屋で待機することにした。

 イゼルは背嚢にあったアキの上着を「冷えるので」と言ってまた彼女に着せてやると、廃道へと向かった。


「それで、モリナーさんはイゼルとはどういう関係なんです?」


 二人が行動食に持参した堅焼きのパンと干し果物を口にしていると、イゼルの同級生だという彼が、人懐っこい顔で悪意なく聞いてくる。急に話をふられて、アキはびくりと身を震わせた。


「ど、どういう意味でしょう?」


 何となく、自分から付き合っていると言うのが気恥ずかしくてごまかそうとしたが、彼は笑顔で首をかしげた。


「俺の勘違いですかね? イゼルはあなたのことをとても気遣ってるように見えました。まるでベルラ鳥みたいだ」

「……その、ベルラ鳥とは?」


 この地域にのみ生息する珍しい鳥で、雄は番ができると甲斐甲斐しく世話をするのだそうだ。確かにアキはここに来てから彼に頼りっぱなしだと感じていたが、それはあくまで土地勘のない素人だから、と思っていた。


「普通、視察に来るお偉方さんにだって、あんなに優しくしませんよ」


 彼はそう言うと、「愛されてますね」と爽やかに笑った。アキは何も言えなくなって顔を赤くする。


「スプーンはもう貰いました?」

「スプーン?」


 はてなんのことだろう、とアキが首をかしげると、彼は笑いながら「いえ、何でもないです」とそれ以上は何も言ってこなかった。

 しばらくしてイゼルたちが戻ってきた。アキが思わず赤くなった自分の顔をぴしゃりと叩いたので、一瞬イゼルが目を見開く。


「……どうしました?」

「何でもありません! それでどうでした?」


 彼の顔を見るに、状況はあまり芳しくないようである。


「小屋は見当たりませんでした」


 アキが落胆の表情をうかべると、イゼルが続ける。


「ただ、彼がわずかに魔力の気配を感じました」


 同行したもう一人の男は魔術師だったようで、イゼルの言葉を引き継いで口を開いた。


「もしかしたら、普段の警備で見つからないように何か幻術をほどこしている可能性があるかもしれません」

「でしたら私が近くまで行って何か話しかけてみます」


 今度は四人で廃道まで続く獣道をたどっていくと、すぐに手入れのされていない山道に出た。今にも草木で覆い尽くされそうになっているが、道の中央の枯れ草が人為的に踏まれたように倒れていた。


 アキはスッと息を吸うと、魔法円に語りかけた時と同じようにアラルト古語で話しはじめた。


『こんにちは! 私達は王都から救助に来た使いの者です』


 アキの声が響き渡った後、再び森の中は静まり返った。


「出てきませんね。警戒されているのでしょうか」


 魔術師の男が首をひねる。その言葉にアキはリーアンからの預かりものを思い出した。イゼルの背嚢の奥にしまい込まれた小さな布袋を引っ張り出し中を開ける。


「なんですか?」


 イゼルがアキの手元を覗くと、そこには鎖に通された丸い型の金属があった。表面には抽象的な記号と、文字が刻まれている。


「これ、アラルト古語ですね。お守りみたいです」


 一文字一文字は読めるのだが、水や火、土といった言葉の羅列になっていて意味をなしていなかった。

 なぜリーアンがこれを持っていたのかという疑問が頭をよぎるも、その張本人がいないのでひとまず心の片隅に保留にしておく。アキは首飾りを首にかけると、イゼルたちに向かって話しはじめた。


「皆さん、すみませんが武器を放棄してくれませんか?」


 イゼルは盛大に渋ったが、アキは理由はよく分からないが警戒されているのだということを説明する。


「彼らは、過剰なくらい何かを恐れているんだと思います」


 国境付近で騒がれたくなかったからと、王都の結界をダウンさせてしまうほどなのだ。


「リーアン様も、そうせざるを得なかったのかもしれないって言ってましたし」


 アキの言葉にイゼルは小さくため息をつくと、腰にさげている剣を柄ごと抜きながら、知らない人が見たら凍りつきそうに鋭い視線をアキに向けた。


「絶対に私のそばから離れないと約束してください」


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