15 仕事はつらいよ
「どなたか同行してくださるのでしょうか」
アキはふと不安を覚える。これまでにもたまの出張はあったが常にコンラスと一緒であった。秘書として一通り現地のことを事前に調べはするものの、コンラスの方がよっぽど詳しいので結局言われるがままに付いていくのがほとんどであった。ましてや北の方には一度も行ったことがない。
文明の利器が発達した元の世界のことを思い浮かべるも、残念ながらこの世界にはGPSなど存在しない。
「私を護衛にしてください」
いつの間にかアキの側に寄り添うようにして立っていたイゼルが、突然口を開いた。
まさか一兵士である彼からの発言があるとは思わず、人形が喋ったかのように驚く周囲にかまわずイゼルは続ける。
「北の国境付近は故郷の近くなので土地勘があります。慣れたものでないと難しい土地です」
「オルファンはリグレン出身だったな。確かに適役ではあるな」
ツァレトフ団長が顎に手をあてて頷いた。
「宿として実家を提供することもできます」
「……なるほど?」
さらに重ねてくるイゼルになかば押し切られるようにしてコンラスは申し出を受けた。
「イゼルさん、ありがとうございます」
アキにとっては何よりも心強い同行者だった。隣に立つ彼に向き直って礼を言うと、イゼルは硬い表情のまま頷いてみせた。
「皆のもの、少しいいかな?」
しばらくするとリーアンによって、解析の結果が報告された。結界への軽い損傷が原因となり、内部に寄生魔術が入り込んだことが判明したのだ。爆破事故と見せかけてその実、巧妙な結界の書き換えが行われており、条件が揃うと発動する仕組みになっていた。
結界が修復されると同時に気づかれぬよう術が紛れ込み、見た目はそのままだが中身は一部が別物に変わってしまうのだ。
「ほら、この間俺がイゼルの畑にやった攻撃擬態の応用というか」
ラデクが傍らにいた第一兵団の若い兵士に補足のように付け加えると、アキと一緒に少し離れた所にいたイゼルが首をかしげて話に入ってきた。
「俺の畑がどうかしましたか」
「いや何でも無い」
話を聞いてコンラスは苦い顔をした。国家の要である結界が書き換えられたとあらば、現在ヴェルフェランは非常に無防備な状態だ。
「元に戻すのには」
「第二兵団が徹夜で作業して三日、四日はかかるかもしれん」
それを聞いたラデクをはじめとする第二兵団の面々の顔が青くなりだす。彼らはこのところ続いた連勤ですでに疲れ切っていた。
「まぁ、今の所は先方の魔術のみに反応するようであるから、そこまで急いで作業せずとも大丈夫であろう」
書き換えを行った張本人たちに手伝ってもらえばよいのでは、とリーアンが第二兵団の面々を見ながら提案する。
「アキ、結界の修復を無償で行うことも亡命の条件として提示しろ。再度繋ぐ前に俺は陛下に報告をしてくる」
言いおいて部屋を出ていくコンラスの指示にアキは慌ててメモ書きをしていく。そこには先方と接触するにあたっての手順や亡命の条件、待遇などの細かな素案が記されていた。これを全部自分がやるのかと思うと、アキはたまらなく不安になってきた。
やがて国王のもとからコンラスが戻ると、ちょうど約束の時間が近づいてきた。彼は修正の入った指示書をアキに渡した。
待遇などについては、無事に彼らを迎えた後に決めるので、とにかくこちらに早急に連れてくるように、とのことだった。やることが少し減って彼女は幾分気が楽になった。
突然、例の魔法陣が青く光りだすと、呪詛のような言葉が全体放送のように城内中に響き渡り、部屋の中にいた者たちは一様にびくりと体を震わせた。
慌ててアキが円の上に駆け寄る。最初は恐る恐るだったそれも、慣れると外線電話に出るようなものだな、と頭の片隅で思った。
『はい! 大変お待たせいたしました。こちらヴェルフェランです』
慌てたアキがつい以前いた会社の時のような口調になってしまったのは仕方のないことだろう。
先方と音声転送魔術が繋がったことを確認すると、これから現地に迎えを送ること、亡命するにあたっての条件などについての説明をした。コンラスが提示したいくつかの条件について、先方は二つ返事で了承した。
無事に交渉が成立し、各々それぞれの持ち場へと戻っていくさなか、自分も執務室に一旦戻ろうかと思案するアキの肩をコンラスがつかんだ。
「悪いが今日中に発って欲しい。結界のことが心配だ」
確かに、今の結界は寄生魔術が入り込んだままの不安定な状態であり、国防の観点から一刻も早く修復をしなければならない。それには術をかけた本人たちの助けが必要不可欠だった。
「分かりました。すぐに支度をします」
もう定時を過ぎているので帰らせていただきます、と言えないのが辛いところである。
アキは朝に食べようと決めていたポトフのことを思い出しながら、ぐっと言葉を飲み込んだ。
日が短くなり、辺りはすでに暗くなっている中、大急ぎで準備を終えたアキが厩へ向かうと、イゼルはすでに二頭立ての馬車を背に兵団の門戸で待っていた。
頭には耳あてのついた帽子と肩にはマントを羽織り、これから夜道を走る寒さに備えていた。
「荷物はそれだけですか?」
彼は少し眉をあげ意外そうに言った。支度にあまり時間をかけられなかったこともあるが、目的地までは一日もかからない予定だ。なんとかなるだろうと、最小限のものを詰め込んだ背嚢ひとつ背負った姿でアキが頷く。
一人旅に明け暮れていた学生時代に培った荷造りの経験が無駄に活かされている。以前、出張の際に両手が空かないのを不便に思い、コンラスにもらった兵団のお古であった。
「……それ、うちのですよね」
「はい」
イゼルが少しばかりもの言いたげな表情で馬車の扉をあけ、中に入るようにうながす。
中は四人ほど対面で座れるくらいの広さになっており、座面にはひざ掛けとバスケットが置かれていた。
「食堂でもらってきた軽食です。食べてください」
そういえば夕飯を食いっぱぐれていたことを思い出し、アキが礼を言う。緊張していたのであまり食欲はなかったが、食べておかないとこの弾丸旅の道中、体がもたないだろう。
「イゼルさんは?」
「私は御者台で食べます。道中、寝れるようでしたら寝てください」
そこは兵団で鍛えられているのだろう、彼は何でも無いことのように言ったが、この寒い中自分だけ馬車の中で過ごすことをアキは申し訳なく思った。
やがて馬車は音をたてて動き出した。予定では今晩中にイゼルの実家まで一気に行く予定だ。夜半過ぎの到着予定で仮眠した後、そこからは山道が多く馬車は不向きなので馬と徒歩で現地に向かうという過酷な旅程になっている。
アキは深く背にもたれて息を吐き、明日からのことを考えた。束の間の休息に体を休めたいが、頭が冴えてきてしまってピリピリする。
気分を変えようとバスケットを開けて中を見ると、ハムとチーズのサンドイッチに焼き菓子が入っていた。小さな金属製のポットにはハーブティーも入っている。保温の魔術が施されているのか、湯気が立ち上るほど温かい。
カップに注いで香りをかぐと、段々と心が落ち着いてきた。口をつけると、柔らかい香りと共にほんのりと甘みを感じる。今までに飲んだことのないものだったがとても美味しく、アキは帰ったら食堂の人に聞こうと思った。
途中で休憩が二回ほど入り、いくつもの町や村を通り過ぎていく。もっとも外は真っ暗で何も見えなく、現在地も時間の感覚もつかめない。
あまりにも暇で、背嚢の中を意味もなく整理してみては、時が過ぎるのを待つ。次第にアキは瞼が重くなるのを感じ、睡魔に抗うことなく目を閉じた。
ふと、扉が開き外気が流れ込んでくるのを感じてアキは目を開けた。ぼんやりとした視界に中にイゼルが映った。
「着きました」
まだ寝ぼけ眼の彼女にそっと言うと、あろうことか抱きかかえようとした。アキは一気に目が覚め、慌てて身をよじる。
「寝ていても結構ですよ」
「いえ起きました! 起きたから大丈夫ですごめんなさい」
動揺のあまり何故か謝ってしまうアキに、イゼルは労るような眼差しを向ける。
「お疲れでしょう。すぐにベッドにお連れしますから」
夜通し御者台で手綱を握っていたイゼルに比べれば何てことはない。アキは冷気を纏うイゼルの肩を見つめた。
「それよりもイゼルさんこそお疲れさまでした。無事に着いて良かったです」
「私は慣れていますから」
イゼルの表情はいつもと変わらず淡々としていたが、かすかに目が充血している。
外に目を向けると、馬車は玄関らしきところに止まっているようで、戸口にはランプを手にした初老の男性と女性が心配そうにこちらを見ていた。
「明日紹介しますが、父と母です」
相変わらず表情を変えることなく話してくるイゼルに、アキは目を剥く。
「ご挨拶をしないと」
「いえ、今日はすぐに寝てください」
動揺するアキにイゼルはその手をつかむと、有無を言わさず家の中へと引きずっていく。
「夜分に誠に申し訳ありません。お世話になります」
相変わらず心配そうな顔で二人を見つめるイゼルの両親に、通り過ぎ際にそう返すのがやっとだった。
イゼルに言われるがまま連れてこられた部屋でベッドに押し込まれたアキは、心を無にして眠ることに徹した。