12 兵団の日常2
「今日こそは飲みに行くぞ!」
収穫祭も無事に終わり、爆破事件のほとぼりも覚めた頃、兵団にもようやく平和が訪れた。連日の勤務に兵士達のストレスは最高潮に達している。勤務明けのファリスが一声かけると、周囲にいた兵士達から野太い歓声があがった。
「すまない。俺は用事がある」
空気を読まないイゼルの返事に、ファリスは顔をしかめた。部下に奢る負担が全て自分にくるので彼の顔は不満げだったが、一方のイゼルは時間が惜しいとばかりにさっさとその場を後にした。
「俺は行くぞ!!」
力強い宣言にファリスが振り向くと、兵団の若い兵士に混じっていつの間にかラデクがいた。その顔は少しやつれ、目は充血している。
「先輩は寝てたほうがいいんじゃないですかね」
「眠くない。絶対行くからな」
連勤明けで若干ハイになっているのだろう。ラデクがその血走った目をファリスに向けると、今度は盛大にため息をついた。
「じじい達にこき使われた俺を労ってくれよ」
今回の爆破事件では何としても手がかりが欲しいため、より詳しい現場の検証を行うために第二兵団が中心となって動いていた。ラデクは一級魔術師とはいえ第二兵団で一番若く部下や後輩がいないため、誰よりも一番働かされていた。
「リーアン様が急遽復帰したって聞きましたけど」
この数十年間、ヴェルフェランはいたって平和だったため、場馴れしていない者も多く事件は思ったよりも難航している。危機感をつのらせた上層部が、長年の経験と実績に一縷の望みをかけて、急遽隠居生活を送っていたかつての魔術師長に復帰を要請したのだ。その情報に多くの人が驚いたが、その半分くらいは彼がまだ存命であったことに驚いた。
ヨルバ・リーアン、またの名を偉大なる癒し手。膨大な魔力を保有しあらゆる術の使い手であったが、専門は回復術だった。三十年前の大戦時、当時魔術師長だったリーアンは自らが団長となって非武装医療団を結成し他国の戦線に赴くと、敵味方の区別なく数多くの命を救っていった。
一説には彼の癒やしにかかったものは皆全て戦意を喪失してしまうと言われているが真相は不明。ヴェルフェランにおいては数少ない、他国においても歴史に名を残す伝説の人物だ。
「あのじいさん、久々の現場でハッスルしてさ。でもどうあがいても要介護老人だから、俺がずっと世話してやってた」
この数日間、第二兵団は事件解明に向けてリーアンを筆頭にその総力をつぎ込んでいた。なぜか老体であるはずのリーアンは元気なのだが、現魔術師長の顔には疲労が色濃く浮かんでいた。
一見すると事故に見せかけた連続爆破事件であったが、リーアンは「人為的なものである」と断定した。収穫祭の最中に起きた爆破で現場に急行した彼が、かすかな魔力の残滓を認めたらしい。第二兵団の誰もが気付くことのなかったそれは、倒壊した家屋にではなく、結界の外側である城門の外に残っていたものだった。
解析を試みるも、後を追うことは出来なかった。結界にも僅かな綻びが見られた。わずかなものであったためすぐに補修がなされたが、通常、一般人が国の要である結界に影響を及ぼすことなど不可能である。もしできるとすれば、同じようにどこかの国の高位魔術師達が、それこそ国家規模に組織だって行わなければならない。そんなことができるのはベレス王国位では?との魔術師長の言葉に各方面は騒然となる。
この世界で最も魔術の発達したベレス王国は、ヴェルフェランとはわずかに南の端で国境を接していたが、そこには南を奔るクルス山脈が立ちはだかっているため、お互いに行き来するには西か東の隣国を通るルートしかなく交流は乏しい。
かの国がヴェルフェランに侵攻する計画が進行しているのでは、との噂が流れ一瞬緊張がはしるも、すぐに「三十年前の大戦でも蚊帳の外だったヴェルフェランに?」「目立った産業も資源も無く国力が低空飛行のヴェルフェランに?」と各々冷静に思い直したそうである。
相変わらず目的は不明であったが、恐らく起こるであろう次の爆破に向けて、残る城門である東への警戒を最大に引き上げることとなった。
「おかげでこれからもじいさんの介護は続くことになった」
ラデクは彼が引退した年に入隊した事実上最後の弟子であったが、もはや祖父と孫のそれであり態度に遠慮がない。
「おまけにあのじいさん、研究とかいって自宅からわけのわからない私物を大量に持ち込むから兵団の部屋の一角が倉庫みたいになってるし、どこに何があるか大抵忘れてるから俺が探すはめになる」
「……それはお疲れ様です」
ファリスは以前ちらりと見かけた彼の姿を思い浮かべる。あれでは現場に行くことすら一苦労なのではと思った。
「……一体おいくつなんですかね」
その場にいた誰もが疑問に思ったであろうことを代表してファリスが問うも、答えられるものは誰もいなかった。
「……やっぱり、オルファン分隊長には彼女がいるんですかねぇ」
少し寂しそうな顔で呟く若い兵士は、手にしたジョッキをグイッとあおった。いつもの安酒場に繰り出した面々の表情は既に赤く、疲れもあってかやたら酔が早くまわっていた。
「ずるい! 俺は……あの見た目だけなら完璧なオルファン分隊長にですら彼女がいないんだから自分もって諦めがついてたんですよ!」
「お前は自分の顔を鏡で見ろ」
「うるせーお前こそ」
「ちょっとお姉さん! こいつの顔ってどう思います!?」
酔っぱらいの喧騒がはじまりだすと、にわかに周囲も煽りだしてより一層うるさくなる。大柄な男達が狭い空間で身を乗り出せば、机の上の酒瓶が音をたてて転がっていった。追加注文の酒を持ってきた給仕にまでからみだす者が出はじめると、慌ててファリスは襟首をつかんで引き戻した。兵団が出禁になるのは極力避けたい。
ふといつもは率先して悪ノリしてくる隣を見やると、連勤明けの限界が来たラデクが爆睡していた。なぜこの騒ぎの中で寝ていられるのかとむしろ感心する。もしや魔力切れでも起こしているんじゃないかと少し心配になる程だったが放っておいた。
「お前ら飲みすぎだ」
ファリスが呆れた顔で言うと、一人の兵士が酔った勢いで彼にからんできた。
「キャドック分隊長はいいですよね。よりどりみどりですから」
「俺、ちょっと前にすごい美人と歩いていたのを見ましたよ!」
彼女いない同盟であるはずのこの席になぜ彼がいるのかといえば、「決まった女は作らないから」という何とも大勢を敵にまわしそうな理由からであった。部下たちのやっかみを素知らぬ顔で流すファリスに、一人の青年が急にハッとした顔になる。
「そういえば俺、例の日にオルファン分隊長が女性と一緒のところを見たんですよね」
「ばっかお前、何でそんな重要な事を黙ってたんだよ」
途端に周囲が顔色を変えて青年の方に向き直った。急に注目を浴びてしまった青年は少し居心地悪そうにすると、言葉を選ぶように話しはじめた。
「いや……てっきりお仕事中だと思ったので」
「相手はモリナー秘書官か?」
いつの間にか目を覚ましたラデクがニヤニヤした顔で問うと、青年はびっくりした顔になる。
「よくご存知で」
「そういやルドは前回の時にいなかったんだ」
前回の飲み会を夜勤のため泣く泣く欠席していた彼は、話の筋が見えずにキョトンとした顔になるも、再び話しはじめた。
「その時すぐに爆破が起きて、現場に向かう分隊長から荷物を預かったんですよ。俺は分隊長の私物かと思ってたんですけど、なぜかモリナー秘書官のものだったから何か変だなって」
「変も何も、俺は前にイゼルの部屋に彼女がいたところを見たんだぜ。これはもうクロだろ」
なぜかラデクが勝ち誇ったような顔になる。
「だから先輩はその話をあまり蒸し返さないでください。誤解を招きます」
友人思いのファリスが釘をさすも、ルドはすでに何かを誤解して酔った赤い顔をさらに赤らめた。
以前、イゼルから相談を受けた身として、ファリスはそれ以降の動向が少し気にはなるものの、友人の奇行がいつの間にかパタリとやんだのと同時に付き合いが悪くなった、ということはそういうことなのだろう。これ以上の詮索は野暮であると思っていた。
「ていうかあいつ、あのクソ忙しい中でちゃっかり女と会ってたのな」
ラデクが空いたグラスを片手にぼやくように呟くと、場にいた一同はがっくりとうなだれる。
「俺も彼女が欲しい!」
「俺だって!」
若者達の悲痛な叫びは夜の喧騒の中に消えていった。