10 収穫祭
収穫祭は王都ブレヒンゲルの南側にある市街地で行われる。城下から放射状にのびるいくつかの大通りに数多くの屋台が立ち並び、初日から多くの来客で通りは活気に溢れていた。
午前中にはパレードが行われ、この国の伝説や昔話の登場人物に扮した人々が練り歩く。
一際目を引くのは、大きな竜の山車だった。煌めく鱗で覆われた爬虫類のような体に長い尾をなびかせて、大きな両翼は鳥のようだった。その背中には兵士に扮した男が座り、額に生えた二本の角を握っていた。少し古めかしい兵団の服を来ている。
アキがこの世界に来たばかりの頃、もしやこの国には本物の竜がいるのかと驚いたのだが、それはとうの昔に絶滅したものだった。話に聞くと、あまりにも人懐っこいので乱獲されてしまったらしい。今では兵団の紋章にその姿を残すのみである。
観光案内所は城から離れた南城門付近の仮設テントにあり、アキはおばちゃん達と仕込んだホットワインや紅茶をふるまいながら朝から忙しく働いていた。しかし、ふと気がつくとテントの外に誰かを探すように目を向けてしまう。
丁度一人の観光客がテントに入ってきたのを目にとめると、その向こうの大通りを馬に乗った第一兵団の隊員が通り過ぎていくのが見えた。慌てて目をそらすという少々不審な行動をとる彼女に、観光客が遠慮がちに声をかけてきた。
「……あの、すいません」
「はい! なんでしょう?」
少し声が裏返ってしまったものの、慌てて意識を前に戻す。
「ジャムを探しているのですが、どこにありますか?」
「ジャムですね。この区画が加工品コーナーになっておりまして、そこにありますよ」
少し訛りの強い大陸公用語を話す観光客に、アキは地図を広げてその方向を指し示した。
ヴェルフェランの主な産業は林業と農業と鉱業だが生産力は低くもっぱら国内で消費されているのみで輸出はごく僅かである。というのも隣国等へ輸出するための陸路も水路も山岳地帯のヴェルフェランでは難所が多く、生産量に対して輸送費のコストが馬鹿高くなってしまうからであった。
それでも数少ない輸出品の一つにジャムがある。この国の高地でのみ栽培されるベリー類のジャムは、厳しい冬の季節に欠かせない日用品であったが、他国では一応高級品扱いになっていた。
「アキちゃん、お昼はどうするね」
太陽が丁度真上に差し掛かる頃、皆食事をしに行っているためか案内所を訪れる人がまばらになってきた。毎年観光案内所でボランティアに勤しむベテランのおばちゃんの一人がアキに声をかけてくれる。
彼女は三十年前の戦争の時に難民としてヴェルフェランにやってきた一人で、大陸の公用語に堪能だった。
この国の公用語はヴェルフェラン語なのだが、言語学者からは周辺国の方言扱いをされており、他国の者が聞くと非常に訛っているように聞こえるらしい。
大陸では主にアレス語と呼ばれる公用語が共通言語となっており、その名の通り大陸の北方を南北に二分するアレス山脈の南側で話されている言葉である。
「アキちゃん今日はいい人が来るのよね」
訳知り顔でもう一人のおばちゃんが微笑みながら言う。去年は交代で屋台から色々なものを買って持ち寄り皆で分けて食べたのだが、今年はイゼルとの約束があるので午後からお休みをもらっていた。
アキがどこか朝から落ち着きがないのは祭りの日だから、というだけではない。自分がこんな風にそわそわと異性を待つことになるなんて、いい年して恥ずかしいと感じるが、どうしようもなく心が浮ついていた。
「失礼、アキ・モリナー殿はいらっしゃるでしょうか」
入り口に颯爽と姿を表した見慣れた紺地の制服に、アキの鼓動は一気に激しくなった。
足元から上を見上げれば、アイスグレーの瞳とぶつかる。そのやたら鋭い視線は恐らく緊張からなのだろう、とアキには分かるのだが、傍から見るととても女性を迎えに来た様には見えず甘い雰囲気は皆無である。
何か問題でもあったのかとおばちゃん達が慌ててアキの方を見やる。
「あれまぁ、お城の方で何かあったのかしら?」
仕事として秘書官である彼女を探しに来たと勘違いされているのをいいことに、アキは曖昧に微笑みながらイゼルの待つ入り口へと向かった。
「先に昼食にしましょう」
イゼルに促されるまま、アキはどこかふわふわとした心持ちで頷いた。何だか足元もふわふわと軽い。
食べ物を出す屋台が連なる通りに向かうと、何ともいい香りが漂ってくる。歩いていると、焼き菓子のような甘い香りがしたかと思えば、別の所から肉が焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐってくる。しかし、今はそんな誘惑よりも存在感の強い隣の様子が気になる。
いつも二人で食事をする仲ではあるが、地味に家で行われた逢瀬は不思議と心の落ち着くものだった。なのに今は自分たちがどう見えているのかと周囲の目が気になる。
アキはそれまで二人で出歩いたことなどなかったし、そもそも異性と二人で食事にでかけるなど、昔の職場で年配の上司に昼食をおごってもらった時くらいしかない。果たしてこれは現実なのだろうか、もしやこれは独り身の哀しい妄想の産物なのでは? と自分を疑う有様だった。
「アキ殿?」
顔を赤くしたり青くしたりと挙動不審なアキを訝しく思ったのか、イゼルが顔を覗き込んできた。
「何か食べたいものはありますか?」
屋台には各地域の名産や、お祭りでの定番物など、実に様々な食べ物が売られている。慌ててアキは意識を戻すと去年のことを思い出しながら思案する。
「……鶏肉のバターフライが食べたいです」
それは北部の地域でよく食べられているもので、薄く叩いた鶏むね肉にチーズをはさみ、衣をつけてたっぷりのバターで揚げたものだった。サクサクとした衣の食感にバターが香り、中からはチーズがとろけて、満足度も高いがカロリーも高い何とも罪深い味だった。
ごく普通の家庭料理だが、アキにはあんな風に贅沢にバターを使う勇気がなく、家では作ることが出来ずにいる。
イゼルはアキの言葉を聞いてほんの少しだけ眉をあげて意外そうな顔をしたが、はたから見れば表情は変わっていない。
少し通りを歩くと目当てのものを売る屋台に行き着いた。イゼルは店頭で注文し、揚げたてのそれを抱えてアキに手渡す。
二人はそのまま飲み物も買い求めると中央の緑地帯に設置されたオープンカフェの様な所で席に座った。
「久しぶりに食べたけどやっぱり美味しい!」
アキのものにはこの季節に出回りはじめたキノコのソースもかかっている。イゼルのものには付け合せにポテトと芽キャベツのソテーがついていた。
「……これは実家でよく食べていましたが、そんなにお好きですか」
幸せそうな顔でフライを頬張るアキを、イゼルはじっと見つめる。
彼にとってそれは、ごく普通の田舎の味であった。ハレの日には鶏肉が豚肉や牛肉になる所もあるが、大家族のイゼルの家では常に鶏肉だった。
バターも乳製品だけは豊富な地域だったため、厳しい冬を越すための貴重なカロリー源であった。
「私の国ではバターって結構高かったんですよね」
ふとアキは元の世界のことを考える。米が食べたいといえば食べたいが、さすがに3年もこちらにいるともうパンが主食の日常に慣れてしまった。そう思うと、自分はちゃんとこの世界に根付いているのかな、と少し安堵する。
「……では一般の人はパンに何をつけていたのですか?」
「えっと、主食はパンじゃなくて、米という穀物だったんです」
「コメ?」
不思議そうに問うイゼルにアキが米の食べ方を教えると、イゼルは「蕎麦粥みたいですね」と納得した。
イゼルの故郷は小麦よりもライ麦や蕎麦に適した痩せた土地だった。お互いに育った土地の事を教えあっていると、ふとアキが口をはさむ。
「ライ麦パンは大好きです! イゼルさんの故郷には美味しいものが沢山ありますね」
笑って言うアキに、イゼルは複雑な気持ちになる。
とにかく寒く厳しい土地柄、食べにくいものや普通は家畜の餌になるようなものを何とか食べられるように工夫して食べているような所だからだ。
「ご興味があれば、いつか実家の方に行ってご馳走しますよ」
「あ、ありがとうございます」
何気ないイゼルの言葉は一見社交辞令のようであるが、彼の顔はまっすぐとこちらを見つめていた。一寸置いて、アキは彼が社交辞令を言えるような人ではないことを思い出す。
そうか、彼は本気でご馳走する気でいるのかと、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。
それから二人は目についたものを買い食いしながらぶらぶらと通りを散策することにした。
民芸品コーナーでは様々な手工芸が所狭しと並べられていた。林業が盛んなせいか、木工のおもちゃや木彫りの工芸品などが目につく。
一角の小さなスペースに、木彫りのスプーンのような物が置いてあった。柄の部分には複雑な植物のような文様が彫り込まれていて、装飾の意味合いが強いものなのだろう。かわいいな、と思いアキが手に取ると、なぜかイゼルが急に慌てた様子になった。
「アキ殿はそれが欲しいのですか?」
「うーん、どうしようか迷ってます」
全て手作業で作られたそれは、そこそこの値段だった。あまり迷っていると、なぜかそわそわしているイゼルに自分が買うと言われそうだったので、そうなる前に決めるべきだと思い、売り子に手をあげようとした。その瞬間、イゼルに止められてしまう。
「俺が」
「いえ、自分で買います」
慌ててアキが断る。自分の方が年上だし、普通に働いてお給料ももらっているので、素直に彼に買ってもらう気にはなれなかった。
もしかして強請っているように見えてしまったかと申し訳ない気持ちになる。ところがイゼルは、また怖い顔をしてこちらを睨むように言った。
「俺が作ります」
「え?」
意外なその一言に、アキはポカンと口を開く。
「……俺が作るので、買わないでください」
もう一度、言い聞かせるようにして言う。アキは手元の見事な彫刻と、イゼルの顔を交互に見やる。
「……これ、作れるんですか?」
「俺の村では成人男性だったら皆、彫れます」
なんだそれは。イゼルの故郷は職人村なのだろうか。首をかしげるアキに、イゼルは真剣な顔で続ける。
「だから、絶対に他のスプーンは買わないでくださいね」
とても否とは言えない迫真の表情に、アキはただ首を縦にふることしかできなかった。