1 押し付けられた見合い
「いいかげん見合いをしろ」
アキ・モリナはある日、いつものように出勤するなり、上司であり彼女の後見人でもあるコンラス・バルテモンにこう言われた。
「え、なんですかいきなり」
「俺も今まではあえて言わないようにしていたが言わせてもらうぞ。気遣いなのか何なのか知らんがなぜ誰も何も言わない! ただでさえこっちに来たときから訳あり物件だってのに。『宰相殿の秘書官殿はいつ見ても元気一杯でお若くてうらやましいですね』だとぉ? いいか、お前は31なんだぞ? 31! もっと己の年齢を自覚して積極的に行動しろ! お前がそうやって呑気にぼやぼやしてるから来る縁も来ないんだっ」
戸惑うアキに、コンラスは口を挟む隙を与えず間髪いれずにまくしたてた。もっと小さい声で話してほしいと思いつつ、さっと執務室の戸口を見やるが、ありがたいことに扉が開いて誰かが入ってくることはなかった。
酷い言われようだが、アキにもそれなりに自覚はあるし、上司の言い分ももっともだと思うのでそこに反論をする気は毛頭なかった。しかし、そうは言っても縁というものは、自力で何とかなるものではないのだ。
「ですがコンラスさん、私は元の世界でもこうでしたので、こちらに来てもその、根本的なものは変わらないかと」
「変わらないって何がだ?」
「モテない、ということです」
今から約三年程前、キャリアウーマンと言えば聞こえは良いが、ようは妙齢になっても結婚どころか恋人の一つもできる気配すらなく、ひたすら仕事に情熱を燃やしていたアキは、ひょんなことから異世界に迷い込み、この大陸の中央に位置する小国ヴェルフェランで保護された。
所変われば品変わる、との故事よろしく、日本における結婚市場ではまったく需要の無かったアキだが、この世界ならひょっとしてと少しだけ期待をしたのはほんの数ヶ月のこと。美形の王子や貴族が彼女の前に現れて求婚してくるなどといったイベントは皆無のまま月日は過ぎて行った。
もっとも彼女にとっての一番の気がかりは、この世界でどうやって自活していくかであり、まずは仕事を探そうと躍起になっていたので、夢を見たのはほんの一瞬であり、実際はそれどころではなかった。
そして三年目。気がつけば、こちらの世界でも日本にいたときと同じように仕事に追われるという、さして代わり映えのしない日々を送っていた。
「そんなもん、お前がえり好みしているからだろうが」
「いえそうではなくて、本当に、まったくもってモテないんです!」
彼女には、異性から言い寄られた記憶がさっぱりない。幼稚園に入る前、近所に住んでいた男の子と結婚式ごっこをしたのをカウントに入れてよいのかどうか迷うほど、見事なまでに異性との縁がないのだ。大学まで女子校で社会に出てからも女性が圧倒的に多い職場に勤めていた。
これはもう、何かに呪われているのではと思い、こちらの世界ではごく普通に存在している呪術師に視てもらったこともあるのだが、会うなり「こっちも忙しいのだから無駄足踏ませるな」と追い返された。
「一人位いただろ。俺に内緒で付き合っていたとか」
「いません! そんな余裕もありませんでした!」
いたら今、こんなにも惨めな気持ちになどなるだろうか。涙目になるアキを、コンラスは無精髭の生えた顎をなでさすりながら、じろじろと品定めでもするかのように見やる。
よく見れば顔はそこまで悪くないが地味である。おまけに切れ長の目が少々きつく見られてしまう。白い肌に散らばるそばかすはまぁ愛嬌だ。頑固そうな黒髪は、後ろで無造作にひとくくりにしている。背は女にしては高いほうで、すらりとしてはいるが、あまり凹凸がない。
「……色気がない」
「し、知ってます!」
上司のセクハラまがいな心ない呟きに、アキは涙目で言い返す。
ぱっと見、少年かと見まごう、くたびれたズボンに着古したシャツと5枚しかないクラバットを日替わりで首に巻くその姿は、決して男装の麗人ではない。
こちらの世界の女性の服は、プリーツやらレースやらリボンやらやたら装飾が過剰なのだ。歩くたびにふわふわと大げさに広がるスカートを穿いたり、真っ白なシルクのブラウスの袖に染みを作らないかと気にしていたら、とても仕事にならないのだ。
「でもまぁ、こんなに仕事のできるイイ女なんて、そうそういねぇぞ。なぁ」
アキは、ヴェルフェラン王国気鋭の宰相であるコンラスの元で秘書をしていた。この世界において、女性が男性と同じ職場で働くことは珍しい。王宮では結婚適齢期前の子女が嫁入り前の修行として奉公にでることはあるが、結婚後も常勤で働くことは少ない。
別にアキはそこまで優秀な社員だったわけではない。小さなメーカーの企画部にいたのだが、なにせ小さな会社だったため人員が足りず、あらゆる仕事を兼任せざるをえなかった。事務方から営業、総務、掃除のおばちゃんまで何でもありである。おかげで器用貧乏ともいえるスキルが勝手に身についてしまったのだが、さらにこちらの世界に来てからは、幸か不幸か、あらゆる言語を操れるというチートな能力が備わっていた。
日本では語学なぞ一番不得手だったというのに皮肉なもので、今ではその無駄スキルがフルに生かされ、他国との書簡のやりとりから、外交においての同時通訳までこなし、秘書官と言えば聞こえはいいが、有能な雑用係として日々奔走している。
「自分は家でご飯作って待っていてくれる美人な奥さんがいるくせに」
しらじらしく同意を求めてくる上司に、アキはぼそりとつぶやいた。自分でも、女性的魅力に欠けているのは分かっているし、そんな女を嫁にしたいとは思わない。仕事に疲れて帰ったとき、温かく出迎えてくれるかわいい奥さんが良いに決まっている。
「俺も少しは責任感じてんだよ。男みたいに働かせることになっちまったのは俺のせいだ」
「いや、それは私の希望ですから―」
自分は運がいいと思う。どこの馬の骨状態の自分を拾ってくれたコンラスは、気鋭、といえば聞こえはいいが色々と型破りの破天荒な宰相として知られており、もし拾ってくれたのが彼でなかったら今の生活はなかっただろうと思う。
最初は夫妻の家で暮らし、コンラスの妻であるアナからこの世界のことを教えてもらい徐々に慣れていった。しかし、慣れるとなると、定期的な収入のない先行き不明瞭な生活に不安を覚え、夫妻の好意にいつまでも甘えるというのはごく普通の社会人として生きてきたアキには心苦しく、早々に仕事を探すことになったのだ。
おまけに夫妻には三人の息子がおり、彼らはまだ学生で、下の二人はこの王都ブレヒンゲルにある全寮制の王立学校に入っている。長男は大国である隣国に留学しており、それはきっと、さぞかし教育費のかかることだろう、とアキは余計なお世話だとは思いつつも、そこが気になってしかたがなかった。
始めはコンラスの助手見習いというか、簡単な雑用をさせてもらっていた。というのも、弱小国ではあるが、一国の宰相であるコンラスは極めて多忙の身であり、当初は専属の秘書がいたのだ。しかし彼は、コンラスとそりが合わずに辞めてしまい、期せずしてアキが秘書(仮)にならざるをえなくなってしまった。
そこからが大変だった、とアキはうつろな目を虚空にさまよわせる。
「いいか、お前はこの俺の秘書だ。急ごしらえの半人前でも、周囲はそう思っちゃくれねぇ。お前のミスは俺のミスだ。全力でフォローしてやるから、死ぬ気でがんばれ」
彼の元秘書は、重要な外交取引の会議のその日に、全てを放棄して辞めてしまった。当然引継ぎもなく、アキはわけも分からないまま、いつの間にか秘書(仮)として仕立て上げられ、控えの間で真っ青な顔で震えていたところ、彼女の上司はなかばヤケクソのようにそう言い捨てた。
その日のことは、正直あまり思い出したくない。今ならもう少しうまく立ち振る舞えるはずだと思いたい。まるで走馬灯のように、この三年間の怒涛の日々が頭を過っていく。
初めてもらった給料は、日本でもらった初任給よりもうれしかったことを覚えている。それで夫妻にささやかなプレゼントを贈り、アナには泣かれ、コンラスのその無駄にがたいのいい腕で肩を痛いほどバシバシと叩かれたのもいい思い出だ。
先立つものを手にしたアキは、それから家をでることにした。というのも、夫妻の三人の息子達が帰省するたびに、娘でもないのにちゃっかり家族の輪の中にいる自分に疑問を感じてしまったからだ。さらには18になる長男がかわいらしい彼女を連れてくるので、なんだかいたたまれなくなったからだ。
自分の年齢が彼らより下だったら、こういった些細な出来事も気にならなかったかもしれない。
「私をこのむさ苦しい男所帯に置いて行かないで」
アナには泣いて引き止められたが、アキの決心は固かった。気楽な一人暮らしを目指すべく、最初は城勤めの人向けの独身寮に入ろうと思ったのだが、そこは男性用しかなかった。
この世界では、女性が常勤で働くことが珍しく、城の方でもまだその体制が整っていなかったのだ。行儀見習いで奉公に来ている良家の子女達は、夕刻には家々から迎えの馬車がやってくるので住み込みで働く必要もなかった。パートのおばちゃん達もそれぞれ城下にある家々に帰っていく。自分も街の方で下宿しようかと思っていたら、妻帯者向けの宿舎が空いた、との情報が入り特別に入れてもらえることになったのだ。
それから苦節二年。こうして異世界で手に入れた生活は、気がつけば日本にいたときと全く代わり映えのしないものとなっていた。
「お前がここまで独り身でよくやってきたことは俺も認める。だがな、お前は異世界人でこの世界にはなんの後ろ盾もないんだ。俺が後見人になっているとはいえ、死んだ後はどうする?」
「……来るべきときに備えて貯蓄はしています」
「そういうことを言ってるんじゃねぇよ ばか」
一番大事なことじゃないか、とアキは半目になりながら上司を睨むと、コンラスはあからさまに大きなため息をついた。
「あのなぁ、老後の独り身ほど辛いもんはねぇぞ」
上司の言うことはもっともで、アキだって分からないわけではない。一生一人で生きていく覚悟なんてものはまだ無い。ただ、ここに来てからはあまりにも慌ただし過ぎて、日々のことをこなすので精一杯だったのだ。
最近ようやく、少しはゆとりのようなものも出来てきて、身の回りのことにも気がつくようになってきた。恋愛話に花を咲かせるお嬢様方は若すぎるし、事務方や食堂で働いているのは育児の終わったおばちゃんたちだ。自分と同年代の女性をあまり見かけないな、と思っていたら、皆結婚して家にいるからか、と気づいたのはつい最近のこと。
日本にいるときは何だかんだいって、自分と同じような独り身の同士がいた。だからこそ焦りも何も感じなかったのかもしれないが、今ここにきて、ようやく事の深刻さがアキにも分かり始めてきたのだ。
「そうは言っても、誰からもお声がかからないのでどうしようもないのですが」
「だから見合いをしろって言ってんだ」
自然な出会いが無理なら、人為的に出会いの場を設ければいい。上司の言い分はもっともだったが、アキは内心、自然な出会いとやらにほんのりとした憧れを抱いていた。
「とにかく、この俺がいい話を持ってきてやるから身上書だしやがれ。そんでもって首洗って待ってろ」
にやり、と凶悪な笑みを浮かべるコンラスに、アキは頷くことも首を振ることも出来ずにただ黙るしかなかった。
数日後、コンラスは宣言どおりに相手の身上書をアキの机の上に叩きつけてきた。
「見合いは明後日な。会議の後、昼飯をかねてだ」
手短にそう言って、机の前で仁王立ちになる。丁度、隣国からの書簡を翻訳していたアキは、そのままの体勢で視線だけを封筒に向けた。
しばらくの間、二人の間に重い沈黙が流れる。
「……中を見ろよ」
痺れを切らした上司の催促に、アキはしぶしぶペンを置いて、おそるおそる封書に手を伸ばす。面倒くささが7割に、期待が3割といったところだ。
ぎこちない仕草で封を切り、真っ白な透かしの入った紙を取り出して広げる。そこには、まるで教科書のお手本のようにやたらきっちりと揃った綺麗な文字が連なっていた。自分の書く癖の強い字と大違いである。
「イゼル・オルファン。第一兵団所属の27歳」
「……年下」
これは、宰相という地位をちらつかせたコンラスが、どこぞの上官に無理を言って何も知らないうら若き青年が生贄として差し出されたパターンか、とアキはすぐに想像をめぐらす。
「おまけに大層な男前だそうだ。良かったな!」
「ちょ、ちょっと待ってください。何でこんな若い人が―」
「いなかった」
慌てるアキに、コンラスは急に真顔で腕を組み、やたらよく通る声で言い放つ。
「へ?」
「お前と同じか年上で未婚の野郎はいなかった」
納得すると同時に、ものすごい虚脱感に襲われ、アキはなぜだか泣きたくなった。今ほど、独り身である自分を恥ずかしく思ったことはなかっただろう。悪いことではない。むしろ誇っていいはずなのに、この歳で未婚ということが、この世界においてどれほど異端なことか、身をもって知らされた気がした。
「歳の差なんて気にしてる場合か。これを逃したら次はねぇと思え」
まるで獲物を狙う鷹のようなするどい目つきでコンラスはそう言うと、「明後日、忘れんな」とだけ言い置いて部屋を出て行った。
結婚をしたくないといったら嘘になる。何よりもまずはお付き合いなるものをしてみたい。端から見たら、そんなかすかな希望を胸に秘めているとはまったく思われていないであろうアキである。
彼女は昔からマイペースだった。高校時代には皆が恋愛に浮かれていた傍らで、うっかり部活に打ち込んでしまい、甘酸っぱい思い出の一つもないまま卒業した。
大学時代には、皆がサークルという名の出会いの場でくっついたり離れたりしていた傍らで、長期休暇を良いことにうっかり一人旅にでて帰って来たら、友人の彼氏が変わっていた。
社会人になってからは皆が合コンであらゆる伝手を使って良い男を猟ろうと躍起になっている傍らで、うっかりひたすら仕事に打ち込んでいたら、気がついたら独りだったのだ。
「いつも楽しそうでいいよね」
とよく言われ、少しムッとするものの、思い返せばいつだって自分が打ち込めることしかしてこなかったし、我ながら恋愛面以外においてはそれなりに充実していると思うので反論できない。
アキは、家族向けのやたら広い寝室に置かれたダブルベッドの上でごろごろと転がり端までいくと、また意味も無く反対側まで転がっていった。
今の生活に不満はない。少し贅沢すぎるんじゃないかと思うくらいだ。無駄に部屋数の多いこの平屋には、寝室の他に部屋が二つもある。一つは洗濯物を干すための専用部屋になっているし、もう一つはまったく使っていない。広くて窓際に添えつけられた明るいキッチンは使いやすくて気に入っている。
もしこの空間に赤の他人が一緒に住むとしたら、どんな感じなんだろう。随分と先走りすぎな気もするが、少しだけ想像してみる。朝ご飯はどちらが用意するのだろうか、夕飯は早く帰ってきた方が作るのか。お風呂はどちらが先に入るのか。そして寝室は一緒なのか。
「なんか色々と面倒くさい……」
自分が、誰かと一緒に生活している様子を思い浮かべることが出来ない。一人暮らしが長いせいで、他人に気を遣うことができなくなってるんじゃないか、と少し怖くなる。仕事に打ち込むことで、こういった煩わしさからずっと逃げていたのかもしれない。
そうはいっても、相手は上司に言われてむりやり見合いの場に出させられるのだ。こちらから断ってやらねば向こうからは断ることのできない身に違いない。お膳立てしてくれたコンラスには悪いが、ちゃんと身の程をわきまえなければ、とアキはとりとめのない思考に終止符をうち目をつむった。