Case. 1 老人
「大変申し上げにくいのですが、あなたの余命はあと3000文字きっかりです」
「楽園への移住を勧めます。情緒が揺さぶられないことが寿命を縮めないためには大事なことですので、落ち着いて家族との別れを済ませてください」
妻に事情を説明し、別れを簡潔に済ませて楽園に移住してから一年、特にやりたいこともなく無為に過ごした日々。
ポストに手紙が入っていたので簡単に中身を確認した後、今日も日課の散歩に出かけ、公園のベンチに座って空を見上げる。
「隣、いいですか?」
視線をおろすと、恰幅のいい中年男性が笑いかけていた。
黙って頷くと、彼はよっこいしょと腰を下ろした。
「ここでは人に話しかけるのは良くない事だってわかっているんですが、毎日ここにいるあなたが気になってしまって。どうして楽園にいらっしゃったんですか?」
「何も考えないのが長生きの秘訣だからな。何も考えないためには楽園に来るのが一番。みんな知っていることだ」
「いや、大半の人はそうは思っていないと思いますよ。残り少ない余命をどれだけ楽しめるか、それがこの都市の存在意義ですから。楽園に来た以上は、長生きしたところで意味はなくて、有意義な使い方をするのが大事。そうじゃないですか?」
「そのとおりだよ。余生を有意義に使う事こそが最も重要な事だ。ただ、わたしの場合は長生きすることが最も人生を有意義に過ごすことそのものだというだけだよ。いや、正しくは「だった」かな」
そう、もう終わったんだ。
わたしは彼を一瞥すると、彼にこう問いかけた。
「君も余命文字数症候群なんだろう?楽園業務従事者が求められてもいないのに話しかけてくる事なんてないからね。わたしの余命を幾ばくか奪ったんだ。当然相応の覚悟をして話しかけたんだろうから、わたしの話を聞いてくれるって事でいいんだよな?」
「もちろん、そのために話しかけたのですから」
「わたしには向こうに置いてきた妻がいてな、年上なんだ。ん? この年齢で年なんて関係ないだろ、って顔してるが、年の差というのは一生残るものなんだ。とにかく、妻は結婚してからもずっとわがままで、いつも困らされてばかりだったな。そのくせ恥ずかしがり屋で愛情表現は下手だったから、本当に自分は愛されているのか、少し不安になったりしたもんさ」
わたしは顎に手をあてて、大切な感情を壊れないようにゆっくりと取り出しはじめた。
「いや、不安になったというのは嘘だな。わたしには彼女の愛情が確認できる方法があったんだ。正確には彼女が愛情を向け続けているからやっている、と信じているだけなんだが」
「それは何なんですか?」
「髪の毛さ。結婚どころかまだ付き合い始めのころだったか、本当にずっと前の話だ。彼女に言ったんだ。『髪、伸ばしても似合うと思うよ』って。
それ以来彼女は髪を短くしてないんだ。何がすごいのかわからないって顔しているけど、これは本当にすごいことなんだ。人の言うことは絶対に聞かないし自分の意見を曲げない彼女が唯一折れたんだ。彼女に愛情があるって信じるには十分すぎる根拠さ」
相変わらず何がすごいのかわからないって顔をされてしまっているが、気にせず続ける。
「あいにく子宝には恵まれなかったが、それでもわたしは幸せだった。話の合う相手と、共通の趣味を見つけて遊んだり、一緒に美味しい酒を飲んだり。けれど、わたしが一番大事に思ってるのはそういう幸せじゃないんだ。
たとえ別々の事をやるようになったとしても、互いの邪魔をしないよう、それぞれが自分の趣味を楽しみながら同じ空間でゆっくりと過ごすんだ。それが当たり前にできるようになったときに、あぁ、家族になったんだな、という気がした。この関係性を大事にしないとな、と思ったものさ。
普通の夫婦の形はよくわからないが、この年齢になるまで続いたってことは、そういうことなんだろうな」
彼の顔を見ると、なぜか苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
楽園にいるんだ。彼の人生にも背負っている何かがあるんだろう。
「だからわたしはその日々があればもう十分なんだよ。これ以上求めるものなんてないんだ」
「ならばなぜ楽園へいらしたのですか? 奥様と最期のときを過ごされた方が有意義だったのではないですか?」
「もちろんわたしもそうするつもりだったさ。宣告されたときにはもう残り3000文字しかなくてな、できることも限られている。日本酒を飲みながら彼女と昔のことを思い出して語り合って、それで逝けたら最高だっただろうな」
「だったらなぜ?」
「彼女に拒絶されたんだよ。
そういうのはいいから、ってな。
わたしの病気のことがあるから長々と喧嘩するわけにもいかなかったが、全く納得はいってなかったよ。表情を読んだ妻は、殴り書きのメモを突き付けてきたんだ。見るかね?」
私は財布に保管しているメモを取り出すと、彼に差し出した。
この一年毎日見てきたメモだ。中には一言、こう書いてある。
『お前が年下の意味を考えろ!』
「結婚する前に彼女がよく言ってたんだ。自分は自分の伴侶が先に死んで取り残されるのはまっぴらごめんだと。だから結婚するならお前みたいな年下に限るってな。
今考えるとこれってプロポーズみたいなもんだが、当時の鈍感なわたしでは気づけなかったよ、ははは」
「男女の平均寿命の差を考えると、我々の年の差なんて誤差みたいなもんだが、まあそういうわけさ。わたしは彼女のために一日でも長く生きる必要があるんだ、彼女の元に死亡通知書が届かないように。わたしが妻にできる最後の愛情表現なんだ」
見ると、彼は真っ青な顔をしてこう言った。
「すいません、あなたにとって文字数は、節約した一文字一文字が彼女への愛情であり、生きた証だ。それなのに私はいま、あなたの文字数を奪ってしまっている」
「いや、もういんだ、これが届いたからね」
わたしは胸ポケットにしまった封筒を取り出して、彼にみせる。
「死亡通知書だよ。妻が死んだら送ってくれるように頼んでおいたんだ。彼女が先に逝ったんだ」
「彼女、体を悪くしてたんだな。今思うと確かにときどき辛そうにはしていたけど、そんなにひどかったなんて全然気づかなかったよ。余命3000文字ぽっちじゃ介護もロクにできなかっただろうから、彼女の選択は正しかったのかもな」
わたしはそう言って、自分を納得させようとした。
しかし、どうしてもムリだ。
こんなのが正しいわけないじゃないか!
「あいつはいつもそうなんだ。自分の弱みは見せないし、良かれと思ってやったことはいつも裏目。肝心なところでいつも間違えて、最期には孤立してしまう。
ひとことでも言ってくれれば余命を彼女のために使うことができて、わたしは幸せだった。それなのに、結局わたしの3000文字を1文字たりともあいつのためには使わせてくれなかった。
わたしがそれを一番望んでいたというのに。
そして自分はあっさりと先に逝くんだ。本当に馬鹿だよ」
ふと視線を感じて彼の顔を見ると、彼は静かに泣いていた。
なぜ泣いているかはわからないし、聞くことは憚られた。
「そういうわけだから、もう文字数なんて気にする必要はないんだ。君の文字数を奪ってしまったのは申し訳ないと思うが、お互い様だ。久々にまともな会話ができて楽しかったよ。ずっと言いたくても言えなかったことが言えたんだ。わたしは満足だ」
公園の暖かい日差しを浴びながら、わたしはゆっくりと目を閉じた。




