47話 その発作は忘れた頃にやってくる
「───という訳で、4組は無事に解散致しましたので、そのご報告に参りました」
「あいがどぉぉ……びべびあだぁぁん、ッごほっ、ごほっ、ッずびび……」
「つ、津田先生……」
ケーブルカーの清滝駅の休息室で横になっていた津田先生の容態は最悪の一言だった。山頂登頂の時点で既に熱が出ていたが、今はそれに加えて鼻水に咳も出始めている。先生と一緒に下山した体調不良&鈍足落後組みに話を聞くと、案の定彼女は下山途中で地面にへたり込んでしまったらしい。落後組みが途方にくれていると、ケーブルカーの駅まで見送りについて来てくれた3組担任の石井先生が、歩けない津田先生を───なんと男らしくおんぶして運んでくれたそうだ!俺について来た篠原先生とみっちゃんなっちゃんペアが“きゃあっ”なんて血圧高めに感嘆している。女性に標準装備されていると噂の“恋の予感”ってヤツだろうか。同じように内心でテンションが爆上げしている俺もちゃんと女性の要素を持っているようだ。
何それ……その現場、死ぬほど見たかったんだけど!
それはさておき、いつまでもこの哀れな女教師をここに置いとく訳には行かない。駅員さんも心配と迷惑の両方の感情を顔に出している。若干心配の度合いが多く見えるのは津田先生が美人だからだろう。まあ迷惑なのは変わりないしさっさと先生を回収して休息室を開放してあげよう。
俺はポケットからスマホを取り出してタクシー会社に電話をかけて、先生が寛ぎやすい中型タクシーを寄こしてもらった。流石にこの程度で救急車コールなんてDQNすぎるし、パパンの専属運転手の守谷さんは新宿本社に控えているため距離的に遠すぎて呼べない。同じ東京都内なのに遠いんだよ、高尾山は……
「津田先生。車を寄こしてもらいましたので、お外の広場まで向かいましょう。私の肩をお貸し致します」
「く……くるま……?」
「はい、先生のご住所をお訊きしてもよろしいでしょうか?」
「ぁぅ……な、なが、ッずびっ、なかのくかみたかだいっちょうめ────」
中野って……先生意外といいトコ住んでんな。
そんなことを考えていたら、後ろで落後組みの生徒たちと一緒に“石井先生×津田先生”の可能性を年甲斐もなくきゃいきゃい議論していた篠原先生が突然俺に話しかけてきた。
「上高田まで戻るなら私も乗せてくれないかしら?姫宮さんはともかく後ろの2人じゃ津田先生を支えながら歩けないでしょうし」
「そうですね……幸い余裕をもって中型タクシーを呼んでおりますので、生徒3人と先生方お2人でも乗車は可能ですね」
「そこの2人はまだ背低いし子供扱いで大丈夫でしょ」
「なっ、先生酷い!」
耳聡い宮沢妹が恋バナの輪から抜け出し、篠原先生に食って掛かる。どうやらチビっ子コンプレックスを発症しているようだ。コイツの将来はわからんが、隣で先生たちの恋路を妄想しているみっちゃんは最終的に今の俺くらいの身長に伸びるからな。俺ら4組トリオで一人だけチビってのも可哀想だし、その姿のままだとマジで合法ロリになってしまいそうでヒロくん不安だぞ、なっちゃん。
「……子供扱いは12歳未満までとのことですが、中型は5名乗りですので問題は無いでしょう。津田先生、立てますか?」
「ひゃぁい……」
我ら一同は何とかこの病人を登山口付近の道路まで連れ出しタクシーを待った。流石は都内の観光名所。そう待つことなくワンボックス型の緑色のタクシーがやって来た。俺は持参の救急セットからマスクを取り出し津田先生に付ける。タクシー内で周囲に病原菌ぶちまけられたら堪らない。
運転手のお姉さんが死にそうな津田先生を見て眉を顰め、行き先を聞いて更にうんざりしたような顔を見せた。しかしそれも一瞬。見事な笑顔の仮面の上にさり気なくマスクを付けて、タクシーは長~い道のりを走り出した。
***
“家に帰るまでが遠足”とはよく聞く格言なのだが、後部座席のJC優等生3姉妹の帰りの車内の空気は引き締まっている。もっともその理由は件の格言とは何の関係も無い。ブレイヴ3の清水菫先輩のからもたらされた重要情報である、明日の特進科授業での抜き打ちテストの話をしているからだ。モンペママより学年主席獲得を命じられているなっちゃんこと宮沢夏美は特に真剣に対策を練っている───かと思いきや、意外と余裕そうだ。
少なくとも───
「津田先生の家の上高田ならウチからそう遠くないし、そこまで行くなら先生降ろした後あたしの家で勉強会しましょ!」
───こんな遊ぶ気まんまんで悠長な提案が出来るくらいには。
「わあっ!いいねそれ!あとアリスちゃんはわたしに数学を教えてください!どうせまたしれっと全教科満点取るんだから、暇でしょ?」
「もう……仕方ありませんね、みっちゃんは」
「わぁい、久々のアリス先生だぁ!」
「全く、本来勉強は一人の方が捗るのですよ……?」
以前はちょくちょく授業の間にいつもの3人で集まりみっちゃんに算数・数学を教えていた。しかし最近はわからない所も無くなり、ひたすら反復練習が必要な段階になったので“あとは自分で出来るだろ”と小勉強会を解散していたのだ。特に5桁以上の加法減法はやってると眩暈がするほど面倒くさい。紫藤広樹時代に大学教授のクソ親父にぶん殴られながら延々とドリルを解かされた、あの腸が煮えくり返るような思い出を想起してしまう。
たとえ、あのDVのおかげで学習力メンタルを鍛えられ、以後の模試成績がA判定を下ることが無くなったのだとしても、俺は絶対にあのゴミカス野郎を許さない。
礼はテメエの墓の前で言ってやるよ、クソ親父。
怨嗟溢れる我が紫藤広樹の中学受験エピソードを思い出して、心がどす黒く濁っていくのを感じていると、みっちゃんの怯えた声が耳に届いた。
「ぁ、あの……ア、アリス……ちゃん?」
「……え?」
「え、えと……そ、そんなに嫌なら、む、無理に教えてとは言わない……けど」
「……はい?」
振り向くと涙目で青ざめながら震えるみっちゃんと、似たような顔をしている宮沢妹が怯えながら俺を見つめていた。
……あれ、もしかして───さっきの俺の邪気、全部顔に出てた?
慌てて誤解を解こうと口を開いたら、助手席に座る篠原先生が突然首を突っ込んできた。
「ふふっ、今日の姫宮さんは珍しくお怒りみたいよ?特に色々と知ってて黙ってた貴女たちにはね」
「えっ……?」
ニヤニヤしながらみっちゃんなっちゃんペアに交互に目を向けている篠原先生。
あの、俺はクソ親父のことを思い出してムカついてただけなんですけど……先生なんか勘違いしてません?
「有馬さんが例のファンクラブ騒動の話を姫宮さんの前でしちゃったのよ」
「えっ……あっ、ああっ!?」
「有馬さああん!?」
ああ、やっぱり……
どうやら篠原先生は、下山の時に俺が有馬たち班員、というより2人を含む姫宮愛莉珠ファンクラブの連中に腹を立てていたことを思い出したらしい。俺がクソ親父との思い出に対して向けていた怒りを、例のファンクラブ問題へ向けたものと勘違いしたようだ。
いや、まあそっちは後でじっくりコイツらと”おはなし”しようと思ってたんだけどね?丁度いいし、この場でおはなししちゃう?
ねぇ、我が親友のお2人さん?
「下山の時に“影で私をネタに色々好き勝手なさってるそうですわね”って有馬さん黒神くん含むファンクラブの子たちに怒ってたわ」
「ええっ!?」
「嘘でしょ何口滑らせてんのあのバカ!!」
「……え?私そのようなことを申した覚えは無いのですが……」
ふざけた感じの裏声で姫宮愛莉珠の物真似をする先生。もっとも俺はそのセリフに全く覚えが無い。俺はそんな攻撃的な口調では無いし、”おはなし”はもっと友好的な感じで行ったはずだ。
酷い風評被害である。急いでこのアラサー数学教師に抗議せねば。
「篠原先生、適当なことをおっしゃらないでください。私はあくまで班員の皆さんに”ご協力”をお願いしただけですもの、ねぇ?」
「うふふ、ごめんごめん。冗談よ2人共、ごめんなさいね姫宮さん」
「え……ぁ……?」
な、何か津田先生が絡まない時の篠原先生ってこんな感じなんだ……
いつも、今俺の隣でスヤスヤおねんねしてるポンコツの世話を焼いている“面倒見のいいお姉さん”の一面ばかり見ているから、こういう茶目っ気のある篠原先生は結構新鮮に思える。
俺、こういうギャップのある女性ってすんごい萌えるんだけど……
身近な人の知られざる一面にドギマギしているピュアボーイ(美少女)そっちのけで、篠原先生がまたいつものお姉さんモードに戻った。
「でも姫宮さんが怒ってたのは本当よ?津田先生が黙ってたみたいだから部外者の私もそれに習ってたけど、人の名誉を損なうような活動はいけないわ」
「ちっ、違うんですっ!違うのアリスちゃん!わ、わたしたちはそんなバカ共からアリスちゃんを守ろうと───」
「姫宮さんもその辺はちゃんとわかってるわよ。だからこそ影で貴女たちが不本意なイザコザに巻き込まれかねない活動を、それも自分に一言も相談せずに行っていたことにご立腹なのよ。ねぇ、姫宮さん?」
「え……っと」
自信満々に俺に自身の推理の同意を求めてくる篠原先生。
いや、俺はただ自分の清楚系完璧美少女化計画が台無しになりかねない情報を、親友のみっちゃんなっちゃんペアが隠してたのに不愉快だっただけで───そんな先生の言うような友達思いな理由で怒ってた訳じゃないんですが……
むず痒さから無言でたじろぐ俺の仕草を”同意”とまた勘違いした先生が気分よく持論を我が親友たちに披露する。
「津田先生から貴女たち2人の話は聞いてるわ。姫宮さんが最も大切にしてるお友達だってね。姫宮さんはお友達の隠し事をヘンに暴こうとする息苦しい感じの子じゃないけど、その隠し事が自分の身を案じるものなのだとしたら……優しい姫宮さんならどう思うかしら?彼女の人柄は私より親友の貴女たちの方が詳しいでしょう?」
「アリスちゃん……」
「愛莉珠……」
2人が喜哀半々の複雑な表情で俺を見つめて来る。ほとんど誤解なのだが俺の株価が上昇する解釈内容である分、否定しようにも何となくし辛い。これまでずっと清楚系メインヒロインを演じていた成果が、こうしてみんなの俺に対する印象にしっかり反映されていることに感動する。
そして同時に、今更ながら彼女たちを騙している罪悪感でチクチク心が痛む。
さて、ここで考えてみて欲しい。
今このタクシー内では、勝手に周りがこちらの都合の良い方に勘違いしてくれる素敵空間が誕生したのだ。
全く自慢ではないが、俺はこれまでの人生で何度もアホやらかして、別人に乗り移っても色々とやらかして、更に過去の自分までもが倍プッシュの如く色々やらかしている。こんな、みんなからの一方的な期待に晒されて、内心気まずくなったこの紫藤広樹少年が何もやらかさないと信じることが出来ようか?
いや、出来ない。
───俺の心の守護獣が目を覚ます。
ほほぉ?
この、感動的な感じの空気は……俺の“メインヒロイン力”が試されていると考えてよろしいか?
……いいぜ、そっちがそう来るなら引き下がる訳にはいかねぇな。
篠原先生の勘違いで、測らずとも俺が、例のファンクラブの情報を隠していた我が親友たちに一言物申せる場が整ったのだ。存分に利用してやろうではないか。
確かに、下山中の有馬たちの時みたいに、普通に2人を問い詰めて情報を吐かせるだけなら簡単だろう。しかしここまで舞台がお膳立てされて、今更あの時みたいにコイツらに“おねがい”するだけでは味気ない。
……何が”味気ない”のかはフィーリングで解れ。
調子に乗っている俺は自前の面の皮の厚さでこの場の空気を最大限利用して、自分の黒歴史製造業を再開した。
さあ、俺の完璧なメインヒロイン演技を活目せよ!
「……篠原先生は私を買い被りすぎてらっしゃいます。私はただ、2人が私の……ファ、ファンクラブなどというよくわからない方々とお付き合いなさっていることに……少し、その……嫌な気持ちになってしまっただけですから……」
まずは軽いジャブだ。一度あえて恐縮して否定することで、逆に先生の解釈に信憑性を持たせる。よく使われるコミュニケーションスキルだ。
「ちっ、違───」
「ええ。お2方が私のためにと思ってくださって、件の方々と関わってらっしゃることは存じております」
ワザとらしい演技に見えない程度に、情熱を言葉に込めた。もちろん大人びた愛莉珠のイメージを尊重して、俯いたり、スカートを両手で握り締めたりと、己の感情と格闘しているように見える仕草も同時に演じる。
「な、なら───」
「───ですがっ!貴女方が私のために、上級生どころか高等科の先輩方も関わっていると噂の、そのような下級生にとって危険なグループとつながっていることを聞いて……心穏やかでいられる訳がございませんっ!」
「……ッぁ」
「以前も3年生の男鹿先輩とのトラブルがあったではありませんか!矢沢さんは私のせいであのような怖い思いをしてしまわれたのですよ!?」
「そっ、それは……っ!」
「またあのような……それも私の知らないところで……今度はお2方が巻き込まれてしまったらと思うと……私……っ!」
肩を上下させ、息を整えているように見える間を一度置く。その短い時間で目に力を込め、頑張って涙を出して目元に溜めた。女の子の涙腺はガバガバなのだ。
そしてキッと顔を上げて、切なく怒っている表情で2人を睨む。
じれったい悲恋系ストーリーのノベルゲーが好きだった俺は、愛莉珠の体になってから何度もこの“クライマックスシーン顔”を家の鏡の前で作る“メインヒロインごっこ”をして遊んでいる。これは決して俺が変態だからではなく、愛莉珠が超絶美少女すぎるのが悪いのだ。
同意しろ。
「お2方がよく私のことを心配してくださるように、私がみっちゃんとなっちゃんのことを心配してもよろしいでしょう……?」
「ア……リス……ちゃ……」
「あり……す……」
俺は今、この感動的アトモスフィアにノリにノっていた。まるで自分が世界の主役になったかのような、気持ちのいい全能感を感じる。見えない何かに突き動かされた俺は、この涙目愛莉珠ちゃんに心を揺さぶられている目の前の泣きそうな親友2人に───女なら人生で一度は言ってみたいであろう、あのセリフを呟いた。
“敬語キャラ”だからこそ発動することが出来る、我が究極奥義を見せてやろう。
さあ、ショーのクライマックスだ!喰らえ!
「おねがいだから……私のために無茶しないで……」
どやぁ……