28話 颯爽と現れたヒーロー(迷惑)
とぼとぼと、俯きながら最寄り駅への道を進む今の俺の気分はどん底だ。先ほどの醜態を嫌でも思い出してしまい、思わず頭をかきむしりたくなる衝動に駆られる。マジでどうしてああなった……
この町に着いてからずっとヘンな気分が抜けずにいたことは自覚出来ていた。ノスタルジーに混ざった……疎外感や孤独感といった、まるで俺一人が違う世界にいるような、奇妙な気分だ。
ババァが俺のことを完全に紫藤広樹として認識していないことがわかった時も、あの妙な気分になった。客観的に見れば、当然この世界には存在すべき男子中学生がちゃんと存在している訳で、名前や姿かたちに性別まで違う姫宮愛莉珠が別人として認識される方が正しいのだ。逆に言えば、同じ人物の未来の人格が別の少女の人格として存在しているこの現状の方がおかしいのだ。
俺の方がおかしいのだ。
それなのに、ババァが俺のことを“アリスちゃん”と呼んだ時に感じたあの強烈な違和感がまだ頭から抜けない。母親が息子の友達を家に迎える時に見せる、あの客人用の外面を見せられた時に感じる違和感とよく似ている。アレを息子として横から傍観するのではなく、あの外面を向けられる友達本人の目線で感じたのだ。“コイツ猫被ってんなぁ~”とかそんなありきたりなことを考える以前に、愛莉珠の視点とババァの態度の違いのせいで凄く調子が狂ってしまった。
家族。
家族かぁ……
我ながら女々しい男だ。あんなに煩いクソババァに頭を撫でられた時、何故か涙が止まらなかった。
悲しいとか、寂しいとか、そういう感情ではなかったような気がする。泣きそうになる時のあの鼻の奥がツンとする感じとか、視界が潤むなどといったそれらしき前触れも一切なく、気付いたら頬にツー…っと水滴が垂れる感触があっただけ。
何も感じないままに涙が流れ落ちただけ。それだけだった。
自分でもよくわからない。俺はあの時、久々の母親との触れ合いに感動して泣いてしまったのだろうか。
この俺が?
信じられない。
この愛莉珠の幼い体のせいで涙腺が緩くなったのかはわからんけど、中身高2男子の俺が一月ぶりに親に会って久々に頭撫でられた程度で泣き出すか?普通。
俺ってそんなに家族愛に飢えてたっけ?愛莉珠パパンのしんみり親子愛にでも感化されちまったのかな……
それとも……この世界での俺の家族や知り合いに、自分がみんなから絶対に紫藤広樹として見てもらえないことに気付かされたからかな……
あの時────昔の自分の思い出のそれとは異なる、ババァの俺の頭を撫でる手のぎこちなさに……俺は自分がもう二度と、本当の母親の息子に戻れないことを悟ってしまった。
そのことに気付いた瞬間、俺の中の何かが終った気がした。
俺は既に一人の少女の、姫宮愛莉珠の人生を変えてしまっている。そしてその変化に釣られた沢山の人間の未来も同時に捻じ曲げてしまっているのだ。例え俺自身がそれを良かれと思っていても、その善し悪しを決められるのは当事者だけだ。みんなにとってはいい迷惑、何様のつもり、そう思われることだろう。
別人として生きている以上、紫藤広樹としてのつながりは消し去らなければならない。それはこの超常現象を可能な限り現実社会の中に隠す上で絶対に必要なことなのだ。
……今更だ
俺にはもう、この体に憑依した時点で……姫宮愛莉珠として生きる以外の道は無い。
もしかしたらあの涙は、その事実に今更ながら気付き────その覚悟が出来た証だったのかも知れない。
まあ考えたってしょうがない。黒歴史は開き直れば楽になる。既に紫藤広樹くん17歳として実感しているからな!ちくしょう!
色々と開き直りの極致に至った俺の足は、先ほどより随分と軽やかだ。西の水平線に沈み行く夕日に向かってトコトコと歩みを進める。
紫藤広樹だった頃に何度も歩いたこの道は、例え体が変わっても俺の記憶に染み付いている。街灯の照らす夕闇の中であってもそれは変わらない。あの先に見える黒いもっこりが昔よく遊んだ神社の境内の森だ。そこを左折したらあとは駅まで一直線。
電車に乗ったら、この町と────紫藤広樹の故郷ともお別れだ。ノスタルジーはまたみっちゃん家に誘われた時に楽しもう。
つまりだ、俺のやることは今まで通り何も変わらないということだ。
『清楚系正統派のパーフェクトメインヒロインに相応しい女子力、容姿と社会的評価を身に付け、この世界の俺こと紫藤広樹の恋人になる』
この目標は最初から変わらない。
なら今日うっかり生産してしまった俺の絶叫事件と無言の涙事件の2つの黒歴史はまだどうにかなる。
みっちゃんは今日の俺がどこかおかしいように見えてたらしいし、そのままあれはただの事故だったと信じ込ませることも出来るだろう。実際間違ってはいないわけだしな!
ババァの方はむしろ将来の義娘として高評価を得られたかも知れねぇ。こんな美少女の悲しみをあやす機会なんてそうそう無いぞ。唐突に泣き出す情けなさってよりは守ってあげたくなる愛らしさをアピールすることに成功したんじゃないか?
しまったな、みっちゃんの方はともかくババァにはもっと強く甘えるべきだったか……?
心理的に余裕が生まれてきた俺は、だんだんと今日のババァの俺に対する態度に怒りを覚え始めた。イライラしながら歩く俺は薄暗い森の横の小道なんぞ全く怖く感じない。
パーフェクトヒロインとしては少しくらい挙動不審に怯えてた方がいいか?
まあヒロインアピールまた次回だな。
それよりも────
あのクソババァめ!俺がみっちゃんの友達だからってペラペラと人の悪口言いやがって……!実の息子が自分の机の上に、相手から間接的に貰ったお土産を飾ってしまうほど惚れてる女の子だぞ!少しぐらい息子の恋の後押しぐらいしてくれてもよくないですかねぇ!?
例えば俺のイケメンっぷりを語ってくれるとかな!
だって現時点で客観的に見て、どう考えても姫宮愛莉珠が紫藤広樹に惚れる要素って皆無じゃないか?
幼馴染の話題に出てきた顔も知らない女子に興味を持ち、童貞拗らせて彼女から友達の友達枠で自分の手元に渡ったお土産を家宝にしたりとか。
あまりに気持ち悪すぎて俺が女子だったら絶対に近付く事すら遠慮するわ。
俺、今女の子なんだけどな……
ぐぅぅぅちくしょう!ババァが俺のことを愛莉珠にアピールしてくれたら、愛莉珠が紫藤広樹に好感触を持ち始めても客観的におかしくない状況が作れたかも知れねぇってのに!
親にまでdisられたら俺、この先どうやってこの世界の紫藤広樹に恋に落ちればいいんだよ!
余計なことしやがって!
うん、こんなクソババァに頭撫でられて泣いちまったのは何かの間違いだ。やっぱり俺の“覚悟の表れ”説の方がカッコよくて良さげだな!あのババァに屈服しちまった自分とか絶対に認めねぇ!
あ、でも今回のような涙とか昨日のパパンへのちゅーとか、こういう俺の理解出来ない無意識の行為は────この体のもう一つの人格こと愛莉珠ちゃん12歳のせいにした方がいいな……!
多分母親が居ない寂しさがウチのババァと触れ合ったことで涙になって漏れ出してしまったんだとか、そんな感じの設定で行けそうだ。
うむ、非常に説得力のある合理的な仮説ではないかね?
素晴らしい。イケメン無罪である。
そんな風に考えに没頭していたからだろうか。夕闇の中で神社の境内の裏を曲がろうとした瞬間、突然街灯の影から目の前に現れた2つの人影に気付かなかった。
「きゃっ!」
「っおわっ!」
「あん?」
一瞬俺の反応が遅れたせいで、相手の胸元に突っ込んでしまった。完全なる奇襲であった。
向こうのガタイがデカかったからか、俺が受けた衝撃はかなり強く思わずしりもちをついてしまう。結構痛い。
あっぶねぇな、おい。こんな薄暗い時間に道並んで歩くなよ。俺の美尻に傷でも付いたらてめぇら責任とって死んでくれるのか、アアン?
まあいい、こういう時のためにちゃんと「きゃっ」って美少女限定の可愛い悲鳴をあげる咄嗟の判断が見に付くように日夜練習してきたのだ。一月も演技を続けた俺に最早男時代のクセなどほとんど残っていないのである。そのことが再確認出来ただけでもよしとしよう。
「っっ……申し訳ございません。こちらの不注意をお許しください」
とりあえず自分の過失を認めて謝罪した。ペタンと座り込んだ地面から相手を窺うと────
「ああん?てめぇどこ見て歩いてんだぁ?」
「ぶっ、タッちゃんお前今どっからどう見ても只のDQNだろ。くっそウケる」
────中々にいい筋肉をしたガタイの良い男2人が俺を見下ろしていた。
お、おお?
おおお……っ!す、すげぇ!
こいつら相当鍛えてるな、ビルダーか?
まるで水球選手みたいに上腕二等筋がムキムキだ。テニス部には縁の無い躯体で男としてはちょっとこういう体には憧れてしまう。
ったく最近の女子はやれ童顔だの女顔だのナヨナヨした草食系男子にばっかり興味を示しやがって!男はマッソオゥ1択だろうが!女には絶対に手にすることの出来ない鍛え抜かれた筋肉!これぞまさにM・A・Nの極みである!ギリシャ彫刻万歳!ハリウッドヒーロー万歳!
よし、久々に見たイイ男だ。絵面的には一応“道の角でごっつんこ!”イベントにも見えなくもないし、先ほどのケツへのダメージは許してやろう。
俺は乱れたスカートを直しながら立ち上がった。いてて……スカートが挟まってくれる感じにしりもちをついたおかげで辛うじて地面に直パンは免れたが、そのスキマにあるふとももには砂利の感触がダイレクトで伝わってきていたのだ。立ち上がり、砂利が靴の中に落ちないようにぱんぱんと優しくケツと足を叩く。
いつもの清楚アピールに下着は白のショーツを履いてるけど、こういう時は危険だよな。白はすぐ汚れるし。
「失礼致しました。どこかお怪我はござ────」
「ああ?ガキにぶつかられて怪我なんかするわけねぇだろ。舐めてんのか────って、お、おお?」
「おいやべぇ、この子すんげぇ可愛いぞ!?ねえねえ、君何歳?名前何て言うの?」
え……えぇ…………
何これぇ……?まさかのナンパぁ?こんな住宅地近くで?
つか“君何歳?”って、どっからどう見てもちょっと発育いい程度の中学生だろ、今のこの愛莉珠ボディは!
お前らイカすボディの大人なんだから!ここは可愛い愛莉珠ちゃん12歳に“道暗いから気を付けてね?お兄さんたちとの約束だよ?”、ってなるトコだろぉぉん!?
そんで俺が“うん!わかった!ありがとお兄ちゃんっ!”、って返すトコだろぉぉぉぉん!?
ナンパならJK以上を狙うのが常識だろうが!
あっち行け!ペッ、ペッ!
「うっわ制服もめっちゃ可愛いわこの子!ねえねえ、俺たちとイイことしようぜ?」
「よし駅戻ってホテル取るか!さあお嬢ちゃん、怖くねぇから俺たちと一緒に行こうな?」
「あ、あの。何か勘違いしてらっしゃるようですが……私はまだ中学1年生ですよ?」
沈黙。
「は!?中1!?」
「嘘だろ!?そのおっぱいで!?」
思わず自分の胸をかき抱くように隠す。咄嗟の生理反応だった。
おい!てめぇらふざけんなよ!何街中でJC相手に“おっぱい”とか言ってんだよ!?公然わいせつ罪だ!
愛莉珠ちゃん12歳の情操教育に悪いだろうが!殺すぞ!
まずい、ワリとマジで愛莉珠の憑依後で最大級のピンチかも知れない。
こんなガタイのいい男2人に襲われたらどうしようもないぞ。
つかなんでこんな住宅地前にこんなナンパ男が居るんだよ。
クソ、どうやって逃げればいい……
と、とりあえず何とかしてスマホの防犯ブザーを用意する時間を稼ぐか……?
「え、ええ。ですので、その……私のような子供より他の方をお探しになられた方が……」
「……え?何、マジで君中1なの……?」
「は、はい……」
体はな!流石にこんな夕暮れ時に、数ヶ月前までまだ小学生だったガキ相手に発情するのは、その、色んな意味でヤバいぞ……?
だから見逃してくれ、な?
そぉ…っと手を鞄の外ポケットに突っ込んでスマホを探す。
クソッ、こんなことなら普通のブザー用意しとけばよかった。みっちゃんに無防備って言われた理由を今更思い知ることになっちまうなんて……
「そ、そうなんだ……」
「マジかよ……。あ、あの、何かゴメンな?」
「えっ?」
……ん?
あ、あれ?
「い、いや。その、怖かっただろ?こんなワルそうなおっさんに言い寄られて」
「あ゛?誰がおっさんだてめぇ!?お前も同い年だろぶん殴んぞ!?」
「うるせぇよ女の子怯えてるだろ!……あ、暗いけど道わかる?駅ならその道曲がったら真っ直ぐだから」
「あ……は、はい。ありがとう……ございます?」
……な、何なの、この微妙な空気。
このムキムキ兄ちゃんたち、マジで俺ナンパすんの止めてどっか行ってくれんの?
……え?
「もし怖かったら俺ら駅まで一緒行こうか?ぶつかっちまった詫びって言うか。ほら、コイツ図体だけデカいからさ、よく人にぶつかるんだよ」
「おいてめさっきから俺のことdisって自分の株上げようとしてるだけだろ!つか図体っておめぇもほとんど変わんねぇだろ!」
「い、いえ、慣れている道ですので私は一人でも大丈夫なのですが……」
あの、何かこの人たち普通に紳士なんですけど。
さっきのオラついてるナンパDQNは俺の錯覚?錯覚か。錯覚だな。
や、やっぱイイ体のイイ男が中学生相手に盛ったりする訳ないモンな!
マッソオゥは正義だぜ、FUUUUUUUU!
どうやら全て杞憂だったようだ。気付かれないようにふー…っと息を吐く。
とりあえず、余計な刺激をしないようにある程度話をあわせてさっさとこの2人から離れよう。
「あ、そうなの?なら余計なおせっか────」
「いや待て、あの駅前って俺らが降りたとき聖慶大のヤリサー連中溜まってただろ。この子発育いいし、俺らがやらかしたみたいにあの連中にJKに間違われたらやべぇことになんぞ?」
「聖慶大の……やりさー……ですか?」
……“やりさー”ってなんだ?何かの隠語?早速話を合わせられなくなったんですけど。
待て、どっかで聞いたような気がするぞ。
どっかで聞い────いや聞いたんじゃねぇな。多分ネットで見たんだったと思うが……
“聖慶大”は駅の西口方面にある聖慶大学のことだろ?
ならこの“やりさー”の“さー”ってのはオタサーとかの大学のサークルってことか?サークルって部活みたいなモンってくらいしか知らんけど。
「えっ!?あ、い、いや!きっ、君にはちょっと早いって言うか!」
「そ、そうそう!聞かなかったことにしてくれな?一生知らねぇ方がいいからよ!」
「……?」
……これは帰ってから調べた方がいい案件だな。
やり…やり……槍投げ……?
いや流れ的に卑猥な感じっぽいから、“やり”って読みで卑猥なことってなん────あ。
ボって感じに俺の顔が熱くなる。
ってちょ!俺の愛莉珠ボディ!?
マジで顔赤くなんの早いって!
「うわ何その顔めっちゃ可愛い────って、その顔ってもしかして意味わかっちまったんか?」
「え、マジ?おいタッちゃん!中学生穢すなよ!犯罪だろ!」
「いやだから何でさっきから全部俺のせいなんだよ!?」
「いっ、いえっ!き、気にしてませんので……どうか、どうかお気遣いなく……」
い、いやうん。もうこの会話止めよう、な?
これ以上愛莉珠ちゃん12歳を穢さないで?
まだ中1なのよ?
しばらく無言の気まずい空気が流れ、互いに一息ついたところで俺がぶつかった方の兄ちゃんがおずおずと切り出した。
「えっと……じゃ、じゃあお嬢ちゃん俺らと一緒行くか?」
「それは……大変ありがたいのですが…………ご迷惑ではないでしょうか?」
「いや、俺ら駅前の喫煙所が閉まっちゃったからこの森でタバコ吸おうってココまで足運んだだけだし。流石に君みたいな子供があの連中にマワされちまうこと想像すると悪夢とかに出そうだから……」
「そ、そうだな……もうちょっと進んだら人通り多いトコ出るから、一瞬だけ俺らのこと信じてくんね?お嬢ちゃんなんか見てて危なっかしいし、マジで悪いこと言わねぇから俺らに駅まで送られてった方がいいって」
「そ、そうでしょうか……?」
この2人が言うことが本当なら、今の俺が駅前に一人で行くのは確かに危険かもしれない。既に目の前の兄ちゃんたちにナンパまがいなことをされてしまったのだ。2人がロリコンじゃなかったおかげで助かったが、実際の俺の精神通りに体も17歳だったらマジで危なかっただろう。
みっちゃんにもガードの緩さを指摘されてしまったし、意外と俺はこの美少女顔を甘く見過ぎてるのかも知れない。まさかJC上がりたてのガキを公衆の面前で襲う男が居るとは中々に考えづらいが、このナンパ好きな兄ちゃんたちが警戒してるなら素直に従った方が賢明だろう。
一応この兄ちゃんたちがまだ俺に邪なこと考えてた場合の保険に、スマホの防犯ブザーと新・ボイスレコーダー先輩をオンにしておこう。このアプリは設定先のアドレスにワンクリックで音声ファイルとGPS情報を一括送信出来る有料アプリで、パパンがあの3年男鹿少年の事件をきっかけに俺に万が一のために持ってろとダウンロードしてくれたヤツだ。
ふふん、みっちゃん。俺だって一応身の安全のことは考えてはいるのだよ。
パパンがだけど。
「……それでは……大変恐縮ですが、お願いしてもよろしいでしょうか……?」
「あ、信じてくれんの?今更ながら俺らすんげぇ怪しいと思うんだけど……」
「いや本当に今更だな……あの、さっきはマジでゴメンね?怖かったでしょ?」
だ、騙されねぇぞ!お前ら俺があと5年早く生まれてたら普通にそのヤリサー連中みたいに俺のことお持ち帰りするつもりだったんだろ!?
一瞬だけだからな!人通りの多い道路までの一瞬の道のりだけだからな!信じてやるのは!
スマホで時間を確認する素振りで例のアプリを起動する操作を誤魔化す。よし、2人にはバレてないな。
「いえ、それではお言葉に甘えて……どうぞ宜しくお願い致します」
「お、おう。ご丁寧にどうもっす。おい、お前も行くぞ」
左の兄ちゃんがもう一人に声をかける。どうやら本当に駅までエスコートしてもらうことになった。
だが相方ニキが振り向いて先導しようとしたところに────
「おけおけ、んじゃあお嬢ちゃん、こっち付いてき────ッんごホォッ!?!?」
突然、彼が崩れ落ちた。
ファッ!?
な、何!?
何が起きたんだ!?
敵襲!?
崩れ落ちた兄ちゃんは股間を押さえながらピクピクしている。どう見ても無事じゃない。
ま、まさかゴールデンボールをやられたのか!?
な、何故こんな事が!?
一体誰が────
「タッ、タッちゃん!?お、おい大丈夫かタッちゃん!?ってな、何だお前は────フゴォッ!?」
「クソ野郎が!んなトコで女子襲ってんじゃねぇぞ、オォン!!」
「おっ、お兄さん!?」
同じく突然俺の目の前に小柄な人影が現れ、もう片方の兄ちゃんの顔面に向かって何かデカい物を投げつけた。あまりに咄嗟の出来事で俺は思わずまたしりもちをついてしまった。
な、何だ何だ何なんだ!?
平和なエスコートを予定していた未来が何でこうなった!?
そもそも何が起きてるんだよ!?
ケンカ?ケンカなのか?この人気のない住宅街近くの神社の裏で!?
つかさっき飛び込んできたヤツだれだよ!
何のつもりだぁ!?おい!
俺は地面から取っ組み合う2人の人影を急いで見上げる。夕暮れとはいえ煌々と照らされる街灯の真下に居るせいで、乱入者の顔が見え辛い。逆光で辛うじてわかるのは相手の紺色のブレザーだけだ。
ガキ……?
それにさっきの声……声変わり前の中坊か?
双方の躯体を見る限り、どう考えても勝ち目のないケンカだったはずが────
「ンギョホォッッ!!ッォォ………ぁぁぅ」
「ッぺっ!一昨日来やがれエロ野郎が!」
奇襲だったとはいえ、何と小柄なガキがあのムチムチイイ男2人に勝利してしまったのだ。
俺はぽかんと口を開けたまま、荒い息を吐いて呼吸を整えているガキを見上げたままだ。相手の後姿が街灯に明るく照らされその全貌を明らかにしている。どこかで見た制服だ。
そしてその制服のズボンの特徴的なチェック柄が眼に入った瞬間、俺は思い出した。
忘れもしない。俺の記憶の中、3年間通った校舎の風景、通う生徒たち、女子の長い黒とグレーのチェック柄で飾られたプリーツスカートを見て、“ロマンがねぇな”って悪友たちと溜息を吐き合った日々。その友達が履いている、俺と全く同じチェック柄のズボンを────
「おいお前!その制服桜台中学だろ!何ぼけーっとしてんだ!さっさと逃げるぞ!」
「……えっ、あ────きゃっ!?」
急にブレザーのガキが俺の手を掴んで引っ張った。結構力があり、俺は一瞬で立ち上げられてしまう。そしてその掴まれた手が休む間もなく引っ張られ、俺は転ばないように何とか足を交互に繰り出す。そのまま俺の手を掴んで話さないブレザーのガキに引き摺られるように走らされてしまった。
「ぃ、ぃやっ!とっ、止まってくださっ────っひゃっ!?」
「うるせぇ!アイツらすぐ起きてくんぞ!襲われたくなければさっさと走れ、殺すぞ!」
痛い痛い痛い痛ぇよ痛ぇんだよゴラァ!
何勝手に人の手首掴んでんだよ!うっ血する!うっ血するから!うっ血するっつてんだろ、殺すぞ!
つか、何!何なのこのガキ!?
何やってんの!?
襲われる?襲われてんのは今だっつうの!
何言ってんだコイツ!?
「ッおっ、お待っ、お待ちをっ!手をっ!手を離してください!」
「ッ馬鹿かてめぇは!んなちんたら走ってたら追いつかれるぞ!」
「だっ、だかっ、だからっ!はっ、話をっ、聞いて、くだ」
「話は後だ!」
「えっ、ちょ、こ、これ以上は────っきゃぁぁぁぁ」
自分と背丈のそう変わらない少年に引き摺られて、結局俺は駅前まで走らされてしまった。
手首をつかまれたままぜーはー息を整えていると、ふっと腕の圧迫感が消えた。ようやく手を離してくれた変質者から隠れるように背を向けて、半開きになってしまっていた鞄の中身を真っ先に確認する。よかった、落し物は無いようだ。
「ったく、おまっ、お前っ、っはぁ、はぁ…………何あんな連中相手にのんびり囲まれてたんだよ。危機感とかねぇの……か……で……ぁ…………」
俯いて息を整えている俺の視界の端に、ブレザーのガキの目が俺を直視しているのが見えた。憎まれ口の途中でヤツの声が尻すぼみになっていく。
ふん。ようやくこの超絶美少女さまのご尊顔に気が付いたか。今まで散々乱暴に扱いやがって。さっきの狼藉、どう落とし前付けさせてやろうか、ああん?
折角の兄ちゃんたちの厚意を台無しにして勝手に突っ走ったこの青嵐中学のクソガキに文句の一つでも言ってやろうと顔を上げて────
「────ぇ…………?」
「……かっ、かわいい…………」
────俺は固まった。
思い出深い青嵐中学の制服。
俺の母校の青嵐中学の制服。
それを身に纏った目の前の少年の顔に視線が釘付けになる。
黒い髪。
色黒の肌。
彫りの深い顔つき。
大きな鷲鼻。
そして────小学時代、先生にチャーミングだと言われた自慢の泣き黒子………
その幼さの残る俺の良く知る顔は────
一月前まで毎日洗面所の鏡に映っていた────紫藤広樹自身の顔だった