00話 俺の三股彼女と、いつものアレ
「おい愛莉珠!お前昨日忙しいっつって俺との約束すっぽかしたくせに中村と腕組んで町歩いてただろ。何のつもりだ、おい!?」
「なっ、しっ知らないわよ!ゲームばっかで幻覚見てたんでしょ、どうせ!」
「もうンなもんやってねぇよ!お前が“ゲームと私どっちが大事なの”とか言うからソフト全部捨てに行ったんですけど!?そんなに俺のこと気に入らねぇなら、中村とデートなんかする前に話し合ってきっちり別れればよかっただろ!」
「あなたには関係ない!何でもいいからもうどっか行きなさいよ!……ぐずぐずしてると中村君が……」
さて、冒頭からクソ騒がしい痴話げんかを見せてしまってすまない。
ここ私立青嵐学園高等科校舎の屋上で言い争いをしている、この一組の男女について話をしよう。
女は青嵐学園の高等科生徒の姫宮愛莉珠。
艶やかなセミロングの黒髪を風になびかせ、つり気味の大きな双眸で相手の男を睨みつけている。きめ細かく白磁のように白い肌を赤く染め、ふっくらとした小さな桜色の唇を精一杯開け、鈴の音のような耳に心地よい声を不相応に荒げている。
凡そその清楚な外見に似合わない攻撃的な表情で、相手の少年を追い払おうとしている。
対する男は同じ学園の高等科生徒の男子硬式テニス部部員、紫藤広樹。
尊敬するプロテニス選手を参考にしたオールバックのスポーツ刈りの髪を逆立て、その際立った鷲鼻は荒い鼻息を吐き、目元の左側にぽつんと浮かぶ泣き黒子は痙攣する左目と共に激しく震えている。
女子生徒、姫宮愛莉珠以上に怒り狂いながら少女に食って掛かっている。
もったいぶって語ってしまったが、この男女、俺と俺の彼女である。
そして俺たちの関係は今、破綻寸前だ。いやこれはもう破綻してると言っていい。
そんな感じでぎゃーぎゃー騒いでいると───
「姫宮おはよう。ごめんね、昨日激しくしちゃったけど腰痛くなってない───って、紫藤!?お前なんでここにいんの!?」
「中村!?」
「きゃっ!?なっ中村君!?ちょっ、何言って……っ!」
───とんでもないことを口走りながら屋上の扉を開けて話題の間男、中村勇輔が現れた。
おいおいおい何だこれ。
ここまで鮮やか過ぎる修羅場になるとまるでニュースが取り上げるような衝撃映像を間近で撮影しているような気分になる。
それよりも中村くん。さっきの不注意すぎる発言って、お前らもしかしなくても───
「おい愛莉珠さんよぉ?中村パイセンが“激しくしちゃって腰痛くなってなぁい?”とか心配してくれてるみたいですけど、一体ナニをすればあんなラブラブデートの後で腰なんて痛くなるんですかねぇ、んん?」
「い、いや紫藤。言葉の綾っつうか、その……」
「うるせぇ中村、お前は黙ってろ!おい愛莉珠、お前彼氏との約束捨てて別の男とデートした挙句その日に相手に股開くとかどんだけだよ!?」
中村勇輔。
コイツとは小中高と同じ学校だったものの特別仲がよかったわけではない。だが俺の知る中村は真面目で勉強家のくせにノリもいい、話題も豊富、おまけに面倒見もいいという、女にも男にもモテる心身共にイケメンなヤツだ。間違っても彼氏持ちの女に手を出したりするクズじゃない。コイツとはあとでじっくり話し合うとして、まずは俺を裏切った女の言い訳を聞いてやろう。
だが俺の超絶美少女な彼女の罪はこんなものではなかった。
「は、えっ?彼氏って……姫宮お前、昨日訊いたときに朝比奈とはもう別れたって───」
「ちょっ!」
は!?
おい中村コイツ今何つった!?
「朝比奈!?四組のあの朝比奈真司!?おい愛莉珠、お前マジでどういうことだ!?」
「やっ、ちがっ……!」
俺は突然現れた別の同級生の名前に頭が大混乱する。自分の彼女に、気が付いたら自分含め3人の男の影があったという事実。だが、あまりに信じ難いその事実を飲み込もうとしている間にも話は続き、更に驚くべき情報が俺の耳に届く。
「はっ?え、つか何で紫藤がキレてんの?お前らって大昔付き合ってたって聴いたことあったけど、あれって半年近く前に別れたんだろ?姫宮、これは一体……?」
「だ、だから……」
「いや待て待て待て!別れたとか俺全く記憶に無いんですけど!?」
俺が既に半年前に愛莉珠と別れていた?じゃあ俺はその期間付き合ってもいない同級生とねんごろになってたって言いたいのか?
馬鹿馬鹿しくて話にならねぇ。
姫宮愛莉珠。その罪状、なんと同校同級生相手に驚きの”三股”である。
……いや、厳密には三人の男と交代で二股してたってのが正しいのか?
どっちにしろクソだろいい加減にしろ!
「ま、まずは落ち着こう。順を追って説明してくれ。姫宮が紫藤と昔付き合ってたって話は普通によく聞くけど、その後二人は別れてお前は朝比奈と付き合ってたよな?んで最近アイツと分かれて……今の紫藤とはどんな関係なんだ?」
同じく大混乱中の中村が縋るように俺と愛莉珠に情報を求めて来る。やはりこの男は愛莉珠がフリーだと思って手を出したようだ。腹立たしいが、彼も被害者なのだろう。
「見りゃわかんだろ。俺、お前、そして朝比奈相手にコイツが三股しやがったんだよ!」
「違うわ!こんな男知らない!前々から私、紫藤君に付きまとわれてたの!」
「付きまとうだと!?一昨日はお前のほうから“親が酒入れてて怖いから泊めて”ってウチに来たじゃねぇか!」
「ち、違う、ウソよ!ねえ聞いて中村君、この人私の前ではいつもこんなヘンなこと言うの。全部紫藤君の妄想なの!」
何だこれ。
愛莉珠がこんなすぐバレるような嘘を付いている理由がわからない。三股を認めたくなくて俺を無理やり悪者に仕立てようとしているのか?
……ふざけてる。
一周周って逆に感動していた俺の怒りが、二週目に突入し熱湯のようにグツグツと心の中で沸騰し始めた。対する中村はようやく悟ったのか、愛莉珠を睨みつけながらおもむろに語りだした。
「……姫宮。お前と紫藤が昔付き合ってたのは学校中が知ってる。俺は紫藤とは小学生の頃から同じ学年でもう10年以上も知ってる」
「でも、紫藤君が───」
「紫藤は別にいいヤツではないし、クズい野郎だなって思うことも何度かあったけど、そんな調べればすぐわかるようなバレバレなウソを付くほどアホじゃないし、女の子に付きまとって迷惑かけるタイプのクズじゃないぞ」
「そっ、そんな……」
その言葉に青ざめるビッチに背を向け、中村が顔面蒼白で俺に向かって土下座した。
「……すまなかった、紫藤。俺に非がある。もっとちゃんと相手の人間関係について周りに確認するべきだった。俺の責任だ」
「中村……お前……」
「そんな、ウソ……ウソよ!私じゃなくて、そっちの紫藤君の言葉を信じるって言うの……?」
青ざめた顔の愛莉珠は“違う”だの“私”だのぶつぶつと呟いている。クソビッチが岬で探偵に説き伏せられそうになるサスペンスの犯人のような状況で、屋上の扉へと追い詰められる。なおもウソを認めないようとしない、往生際の悪いその姿にイライラしてぐっと拳を握り愛莉珠に近づいた。
「……ッ、嫌っ!来ないで!」
「ま、まて紫藤!気持ちはわかるが暴力は────」
「うるせぇ黙れ!」
「こっ、来ないでってば!も、もう知らない!私は、私はただ……優しくしてもらいたくて……っ」
追い詰められた愛莉珠が突然、踵を返し階段を駆け下りようと走り出す。冷静じゃない俺にもわかるほど拙い走り方だ。
「なっ、おい待て姫宮!そこは階段だ!!」
同じく気付いた中村が制止の怒声を上げた。
一気に頭が冷える。
まずい。あんな千鳥足で階段なんか下りたら踏み外して大怪我をしてしまう。
こんな事になったとはいえ、少し前まで二人で愛を語りあった相手の差し迫った危機に俺は思わず飛び出していた。
あんなに醜く見えていた愛莉珠がその一瞬だけ、昔のようにとても可愛く、愛おしく思えて────
「危ない愛莉珠!!」
「ばっ、待て紫藤っ!!危な────」
「来ないで、っきゃあっ!?」
「愛莉────」
ちっ、馬鹿やらかしたなぁ……
長い浮遊感と、それに続く強烈な痛み。
視界が真っ白に染まった直後、俺の意識はぶつんと途切れた。
***
「ん……っ」
随分と可愛らしい、聞き覚えのある声が俺の鼓膜を震わせる。
忘れもしない。愛莉珠の声だ。
背中にやわらかい感触がある。これは……ベッドのスプリングか?二人で階段から落ちて病院送りになり、今意識が戻ったのだろうか。
意識を自分の身体に向けると、弱々しくて随分と頼りなく感じる。動きも鈍い。以前部活中に足のハムストリングをヤって入院し3ヶ月ほどのブランクを経た後のウォームアップで感じた、あの時の肉体の衰え以上の衰弱感。
どうやらそうとう長い間眠っていたようだ。
身体の痛みは特に無い。ダルさは長期の入院のせいで仕方が無いが落下の怪我は完治したみたいだ。
そうだ、愛莉珠!アイツはどうなった?さっき健康そうな可愛い声が聞こえたし、無事だといいが……
そう願いながら眩しい光の中で目を開けると、やけにメルヘンな壁紙の天井が視界に飛び込んできた。
ん?
病院の天井……ではないよな?
オシャレな金属製のランプがぶら下がってるし、花柄模様のエンボスが浮かぶ薄桃色の壁紙が貼られてる。どう見てもあの無機質な病院のものとは思えない。
目線を動かすと、フレンチカントリー風の本棚、勉強机、箪笥、クローゼットが視界に入った。
ああ、あの白いペンキがいい感じに剥がれたオシャレな家具類……見覚えがあるな。
多分ここ、アイツの部屋だ
俺はこの一年、一度だけ入れてもらった拙い記憶の中の愛莉珠の部屋を思い出す。アイツの部屋もこんな感じのメルヘンでオシャレな家具が置かれていた。
でもよく見ると随分と家具の配置や小物類が違う。俺がプレゼントしたご当地物のヌイグルミも、クリスマスマーケットで買った大きなスノードームも消えている。
……まさかアイツ、捨てたのか?
いや、どうもかなりの期間、俺の意識がなかったようだし。仕舞っただけだろう、きっと、うん……
しかし妙だ。
あんな危険な感じで階段から転げ落ちて、なぜ愛莉珠の部屋で寝てるんだ?意識が無いまま退院なんて出来ないし、病院送りにならなかったなんて更にありえん。
そう、おかしいのだ。
病院ではなく、愛莉珠の部屋らしきベッドで寝ていることが。
何だか嫌な予感がする……
俺はダルさの残る頼りない体を起こそうとして────
俺の髪が伸びていた。
女物のパジャマを着ていた。
その胸元から膨らんだ双丘が見えた。
下の自慢のマイサンの感触が無くなっていた。
俺は半狂乱で立てかけてあった姿見で顔や身体を確認しようとして────
────何が“長期ブランクで身体が衰えたようだ”だよ。衰えたどころの騒ぎじゃねぇよ……
凄いことになった……
唐突に結論から述べよう。
「これ……どっからどう見ても、アイツの顔なんですけど…………」
俺こと紫藤広樹くん17歳、どうやらビッチな恋人こと姫宮愛莉珠さんの身体に憑依してしまったようです。