24話 姫宮家
診察が終った俺はクリニックの待合室で運転手さんのオジサマと2人でパパンを待っていた。運転手さんは守谷さんという名前だそうだ。もう2時間近く俺とパパンのことを待っててくれてるけど全然気が緩んでる感じがしない。長時間待っててもらってごめんねと謝ったら、なんと俺たち姫宮親子のボディガードも担当しているそうだ。50代っぽいのにSPかよってびっくりしていたら、老け顔に見えるだけでまだ40代ですと言われた。
えっ、じゃあ俺の年齢識別スキルが低いってことは……お筝教室の山本お姉さんも本当に“お姉さん”だったりするのか?そういえばあの人結婚指輪してなかったけど大丈夫なのかな?顔美人だし上品だしモテそうなんだけど……
診察中は色々と精神的にまいってしまったので守谷さんとのお話はかなりいい気分転換になった。おまけに紳士的で女性の扱いが上手い。ガキの俺のこともちゃんとレディーとして接してくれて、優しくされまくった俺は今メンタルクリニックにいる人間とは思えないほど気分が明るい。
まるで本物のお嬢様になったような気分だ。
あ、本物だったわ。
精神科の長井先生には俺の人格にまた妙な変化が起きた場合───というか愛莉珠の人格がまた目を覚ました場合に、そのきっかけやら状況やらを記録しておいてくれと頼まれた。あとこの解離性なんちゃらってヤツに限らず、精神病を自覚した患者は更に精神的に不安定になりやすいので薬を飲んでください、となんかローマ字が並んでる錠剤の処方箋をくれた。SSなんちゃらだのSMなんちゃらだの良く覚えてねぇや。
ちびちびと温かいハーブティーを飲みながらソファーで寛ぐ。緑茶や紅茶はカフェインのせいで出さないのかな?あんま詳しくないけど。ちょっと山本お姉さんのお茶と比較してみたかったんだけど残念だ。
ちなみにパパンは先生とお話中だ。俺のことで本人の前では言えないこととか話したりしてるのかも知れない。15分くらい待っても出てこないパパンに不安になり少しそわそわしてしまったのをナースさんに気付かれたのか、優しい笑顔で大丈夫だと元気付けられた。どうやら俺の診察のついでにあの酒癖の悪さを何とかするカウンセリングも同時に受けてもらってるんだとか。そういえばそっちもあったな。
パパン、もしかしたら俺のせいでまたストレスでお酒に行っちゃうかも……
面倒な娘でゴメンよ……
暇だったので話に乗ってくれた守谷さんに断って学校の勉強の復習をしているとパパンが長井先生と一緒に待合室に戻ってきた。パパンも先生に精神分析ロールしてもらったのか、かなり顔色がマトモになってる。よかった……
「待たせたな、愛莉珠。私の方のカウンセリングもお願いしていて時間がかかった」
「ええ、存じております。お父さんの治療の方はどうでしたか?」
「別に依存症ではないからな。すぐ隣に処方箋の薬剤師の方もいらっしゃるし実に便利だ」
しばらく雑談を交わした後、親子で長井先生に礼を言ってからパパンの車に乗り込んだ。ハンサムフィフティーズな守谷さんがアクセルを踏み、ようやく俺のデストラップイベント【精神科へGO】は終った。
正直、疲れた……
***
守谷さんの運転する車が帰宅ラッシュを避けるように狭い道路を進んで行く。
車内は静かだ。
俺はパパンに優しく手を握られたまま身動きが取れない。少しかさかさしている暖かい手だ。爪が綺麗に切り揃えられ光り輝いているのがパパンの隙の無さを感じて、少し憧れる。時々思い出すように親指で俺の手の指先をにぎにぎしてくるのがこそばゆくて思わず口角が上がってしまう。
俺の本体の紫藤広樹の時に、最後にこんな感じに親に手を握ってもらったのはいつだったか。娘というのはこういうところが息子と違う。男ってのはガキでもプライド高いからな。思春期に入ったらもう親に可愛がられるのを嫌がってしまう。
もう二度とあの二人に頭を撫でてもらうことが出来ないと思うと、少しだけセンチメンタルな気分になる。
少しだけな?
ふと、パパンが行きの車内で不機嫌そうにタブレットを睨みつけていたのを思い出した。何か仕事のまずい感じの連絡が来てたんじゃないのかな?俺の手なんか握ってていいのだろうか。気持ちいいから嬉しいんだけどさ。
パパンは窓の外を向いたままで、どんな表情をしているのか俺の方からはわからない。少し心配になって、勇気を出して話しかけてみることにした。
「…………お父さん、本日は本当にありがとうございました」
少し声が擦れてしまった。緊張してしまったのか?
パパンの返事は無い。
替わりにゆっくり窓から俺の顔へと振り向いてくれた。凄い柔らかい微笑みが浮かんだ顔だった。おもわずドキっとしてしまう。
「気分はどうだ、愛莉珠」
「はい、お父さんのお手々が暖かくて落ち着きます」
何故だろう、普通なら恥ずかしくて中々言えない言葉がするっと喉元を過ぎる。
言った後でようやく羞恥心が気付いたのか、顔が熱くなってきた。相変わらずすぐ顔に出る体だ。
「そうか…………随分と遅れてしまったが、今からでも父として……間に合うだろうか…………」
パパンがそう寂しそうにぼそっと口にした。
その言葉から俺は診断中のパパンのあの懺悔するような告白を思い出してしまう。
パパン……
俺は思わず罪悪感から顔を伏せようとして───ハッと気付いてなんとか踏みとどまった。今あんな発言を聞かされた後でこんな態度取ったら、まるで相手を拒絶してるみたいになってしまう。それじゃあまたパパンを苦しめてしまう。この人だって娘の愛莉珠意外にも沢山の部下の人たちの生活を背負ってるんだ。娘の体乗っ取っちまった俺がこれ以上迷惑かけてどうすんだ。
今日の出来事で十分過ぎるだろ……
俯く替わりにパパンの大きな手を両手で握り返す。今の俺に出来る精一杯だ。
この体は愛莉珠のものなんだ。コイツの人格が生きてるのだとしたらなおさらだ。借り暮らしの俺が勝手に“気にしてない”なんて言える訳が無い。
だけどさ、愛莉珠……俺、今すげぇ胸が暖かいんだよ。
お前にとっては全然愛してくれない父親だったのかもしれねぇけどさ。お前の孤独、憎しみを知らねぇ俺はさ、これ以上この人のこんな顔見てるの辛いんだよ…………
俺がこの体操ってる時はパパンには絶対幸せになってもらいたい。お前が体取り戻してる時は、その時はお前の好きにすればいい。
「…………お父さん」
俺の呼びかけに手を握る力が強くなる。目の前の男の感情が掌の熱を通して直接胸に流れ込んでくるような感じがした。
頑張って言葉を選んでパパンにこっちの想いを伝えてみよう。
この時間で可能な限りこの人を背負ってる罪悪感から解放するんだ。
気付かれないように慎重に息を吸い込む。
……よし。
「お父さん。私は残念ながらお父さんに愛らしく甘える自分の姿を存じません」
「……ッ」
パパンの顔が少しだけ歪む。
待って、まだ話の続きがあるから───
「で、ですが私は、あの……お話にあったように可愛らしい子供のように振舞えるもう一人の私のことは、その……」
顔がまた熱を持ち始める。緊張と恥ずかしさで乾く喉をコクリと唾で潤す。
「その…………少し、羨ましいです」
……
「……う、らやましい……?」
何とか言い切った俺に、パパンが思わず想定外だと言わんばかりの驚いたような困惑したような顔を向けてきた。聞き間違いじゃないかと問い返してくる。
「はい……。その、私はどうやら比較的大人びた性格をしているようですが……別に子供のように振舞うことがイヤなわけではありません」
「それは……」
ああ、聞き間違いじゃないぞ。
流石にここまで他人から大きなモノもらっといて、何も感じないほどショボイ人間じゃねぇよ、俺。
優しくされたり。大切に思われたり。身近過ぎる人だとほとんど気付かないけど。今の俺にとって最も身近な人間はあんたなんだよ、パパン。
だから……
「ですので、その……もし、もし今の私でも許してくださるのなら……」
……ちょっとぐらい、父親の切ない愛情に感化されたってことでいいよな?
「もう一人の私のように今の私も、その…………お父さんに甘えてもいいでしょうか?」
***
帰宅後、その事件は起こった───
あの後マンションに送ってもらった俺は、車窓を開けてこちらに軽く手を振ってくれたパパンに……何をトチ狂ったのかずいっと顔を近づけて、あろう事か───
───パパンのほっぺにちゅーしてしまったのだ!
直後、ポカンとしてるパパンを背に今生最速の猛ダッシュでマンションのホワイエ内のエレベータまで脱兎の如く逃げ出したのでセーフだった。
いや全然アウトなんだけどね!
マジ何考えてんの俺ぇぇぇえ!?
俺何歳ぃ?じゅうななさぁーい!
だんしこぉーこぉーせぇー!
ヤバ過ぎんだろ……
折角新しく親子のスタートを切れた俺は早速黒歴史を製造してしまったんだけど。やっぱ俺、みっちゃんにも言われてたけど……もうそういう星のもとに生まれちまったのかな……
幾らこの年齢(17)になって父親の肩に寄り掛からせてもらったり、頭を撫でてもらったり、手を握ってもらったりしたくらいで感化されて、色々ぶっ飛び過ぎじゃないですかね……
ま、まあ今の俺は外見超絶美少女の愛莉珠ちゃん12歳なんだけどね?傍から見たら中のいい可愛い親子にしか見えないんだけどね?運の悪いことに丁度現場を通りかかった隣の部屋の毛利さんに“あらあらうふふ”って微笑ましいものを見られたような反応されたんだけどね?
だから微笑ましい程度で許されるのだ!
いやまあ、しかし……
あんなことしても愛莉珠の人格が出てこないってのは…………これもうアイツ完全に出てくる気無いんじゃねぇのか?俺だったら別人格ぶん殴ってでも止めようと出てくるけど……いや、ちゅーしたの俺か。
ん?まてよ、アレは本当に俺だったのか……?
あれ、これ……
あっ、あー!そうだったー!
くっそーありすめー!かってにこのからだうごかしやがってー!
ぱぱん、こまってたぞー?
まったく、なんてひどいやつだー!
ほら、パパンに何か言われたらこれで切り抜けられるじゃん。
もう都合の悪いこと全部アイツのせいにしようぜ!
ヒロくん無罪!イケメン無罪!セーフ!
二重人格って便利だぜ!
……自分のクズさが虚しすぎる。
結局あの診察の後、パパンはlin○や帰宅する頻度を増やすことを約束してくれた。俺は一人の方が結局は自由に動けて良かったし、パパンに余計な負担かけたくなかったから大丈夫だと言ったんだけどね。最初は毎日帰るなんて言われたりしたし、何か譲歩を引き出す交渉術っぽかったけど、あの人の想いも汲みたくて最終的に今の約束になった。保険に“私が辛くなるので無理だけは絶対にしないでください”、って言っといたし大丈夫だろう。
他には車の中での時みたいに手を握ったり頭を撫でてくれたり寄り添って座ってもいいだとか、頑張ったら褒めてくれたりとか、12歳の愛莉珠の方の人格が好きそうなことをさせてもらえることになった。
正直めっちゃ恥ずかしいが、パパンに俺がもう一つの人格を巡って精神が不安定にならないことを証明するために、“二人で一人”、の精神(解離同一症の解決方法らしい)で自分と向き合う姿勢を見せる必要があったのだ。本当の愛莉珠の人格が好きそうなことをこの俺の人格でもやればアイツの存在を尊重してることになるはずだ。
もしかしたらアイツ自身もそれを望んでるかもしれないし、文句や賛辞はまた出てきた時に聞くとしよう。
俺の方は何か自分の人格のことで悩みがあれば真っ先に相談することとか、パパンに余計な気を使わないこととかを約束した。
でもやっぱりパパンは実力主義なので、俺に心配する相応の価値があることを勉強や習い事で証明したほうがいいだろうな。振り返ってみたらあの人が愛莉珠に熱心に愛情を注ごうと考え始めたのも、結局は俺がパーフェクト美少女になろうと自分磨きに強烈な熱意を示したからなんだよな。そもそも熱意っつっても俺の愛莉珠プロデュース計画に必要な努力だし、互いの利害が一致しているのは大変結構である。元の愛莉珠のままだったら結局2人は普通の家族になれないままだったと思う。
まあ実際にどっちの未来が良かったかなんては俺だってわかんねぇし、愛莉珠自身も何も言ってこないから結局は謎のままだ。
今はただこの幸せな家族の生活を一緒に大切にしようぜ、愛莉珠。
こうして12年たった今……ようやく姫宮愛莉珠という少女は、紫藤広樹という将来の恋人を介することで父親の愛情を知ることが出来た。
シリアスの残弾0