20話 作法教育○、花嫁修業△
あの衝撃的な男鹿康雄少年退学事件から一月。
俺は順調にお筝スキルと日本舞踊スキルを上達させている。ピアノは密かにこの世界の俺ン家のババアのトコに習いに行きたいから保留にしているが、運動では本来の俺の特技だった硬式テニスをこの体でもチャレンジしてみようと愛莉珠パパンに強請ってみたところ、何と明治神宮外苑のクラブ会員カードをくれた。早ぇよパパン。マジ愛してる。
学業では全ての小テストで宮沢妹と揃って満点を維持し、愛想を振りまき、人助けをしたりと色々頑張った。特進クラスを通じて他のクラスの子たちと親しくなったり、たまにブレイヴ3とメシ食ったり一緒に下校したりと1年4組以外のつながりも増えてきた。
今の俺は1年どころか桜台中学全土の最上位カーストの最頂点をぶっちぎっている。3年生でも俺のことを呼び捨てにするのは許されない雰囲気になっているらしい。
最初はあの男鹿退学事件がパパンのせいだと周囲にバレて、俺のことをビビってるのかと思っていたが、どうやらあの事件は男鹿少年の前科が多すぎるせいで“いつかはああなっただろう”、と彼ら2・3年生にとってはほとんど衝撃的じゃなかったらしい。俺にとってはパパンの力を初めて認識した恐るべき事件で以後媚びるようにパパンに接するようになってしまったのだが……
まあそんな訳で、この世界の姫宮愛莉珠ちゃん12歳はどこに出しても恥ずかしくないパーフェクトメインヒロインの座を射止めつつある。
少なくとも外面は。
「愛莉珠様、“作法”というものは“動作方法”の略称にございます」
「ま、まぁ。左様でしたかー……」
「古来では“礼法”、つまり“礼儀正しく振舞う方法”を意味する言葉が使われておりましたが、明治に入り、英語で言う“etiquette”、や“manners”、と言った単語を指すための日本独自の言葉として生まれました」
「そ、そうでしたかー……」
「日本では公卿や武家の身分に相応しい振る舞いを“礼法”と呼び、その後明治の政治家や富裕層などの国民のために文明人に相応しい振る舞いを指す“作法”、と言う単語が作られたとも云われております」
「な、なるほどー……」
「これがよりグローバルに通用する国際的な作法のことを指す場合は“protocol”、つまり“プロトコル”と呼び、ただ一言で作法と申しましてもその詳細な分類、種類はしっかりとTPOを弁えたものでないといけません」
「……」
目の前に、まるでwikip○diaのページをそのまま朗読しているようにはきはきと喋っている超美人な“お姉さん”が居る。今日パパンの紹介で俺の作法教育を担当することになった鷹司伊織先生だ。もう名前からしてガチのハイソ勢臭がプンプンする。
鷹司先生はお筝教室の山本お姉さんと同じぐらいの年齢の“お姉さん”で、眼つきがキリリと凛々しい凄く綺麗な女性だ。山本お姉さん師範や津田先生、宮沢妹ママに矢沢ママと俺の周りの成人女性陣はかなりレベルが高い人が多いのだが、この人は彼女たちの中でも別格だ。なんか漂ってくるオーラが凄い。服装はもちろん、動きや口調に至るまで一切の隙がない。
威圧して来たり、怖かったりするのではない。むしろニコニコしていてとても安心する空気を発している。
だが山本お婆ちゃん師範に日本舞踊の動きをちょびっとだけ習った俺にはわかる。この人の計算尽くされたムダのない完璧な動きが。俺みたいに“それっぽく”振舞っているのとはまったく違う、本物の美しい姿勢なのだ。
ちなみにこの人、ウチの姫宮家の先代と当代の当主夫人の作法教育を担当してきた人物の娘さんなのだそうだ。つまり愛莉珠のマッマやおばあちゃんに礼儀作法を教えてきた人をお母さんにもつ女性だと言うことだ。
予想通り、愛莉珠の母からの情報でこの愛莉珠自身のことも、身体を乗っ取っているこの俺よりもはるかに詳しかった。
“母からは甘えたがりのおてんばさんだと窺っておりましたが、ここ数年でとてもご立派なお嬢さんに成長されたのですね”なんてパパンとのご挨拶の際に言っているのを聞いた。
つまり元の愛莉珠はもっと子供っぽい子だったのか。これはいいことを聞いた。
まあ、愛莉珠の変化をパパンに悟られた時点でもう遅いけど……
「当家でお教えしております作法の原則は3点ございます。一、社会や集団の秩序を守ること。一、他者の迷惑、不快になることをしないこと。一、他者に快感を与えること。以上です」
「……和の道徳律のようなものでしょうか?」
小学校の授業でなんか似たようなヤツ聞いたことがあるぞ。いや、塾だったか?覚えてねぇわ。
「はい、良くご存知で。より詳しく申しますと、この“不快になること”と言いますのは、相手に不安感を与えない、恥をかかせない、そして見る・聞く・匂う・触れる・味わうの五感において相手に醜悪感を感じさせないことを指します」
「“見る”、“匂う”などは身嗜み、“聞く”は例えば食事中の咀嚼音や服の衣擦れ、“触れる”は言葉通りで、“味わう”は……お客様にお出しするお茶やお食事のことなどでしょうか?」
「はい、大変宜しゅうございます。特にお客様へのおもてなしは、愛莉珠様や私共……女性の家内における務めにございます。作法の基本を知るは当然。その上で主催者がお客様への真心をいかにしてお示しするかを悩みぬくのが、正しいおもてなしのあり方かと存じます」
「じょ、女性の務めですか……」
「はい。愛莉珠様は姫宮家のご令嬢、長女にございます。お父様、そして未来の旦那様をお支えするために、姫宮家の婦人にふさわしい作法をしかと勉強致しましょう」
「は、はあ……」
やべぇ、これ作法教育ってより花嫁修業って言った方がいいんじゃねぇのか……?
正直ワリとガチな、金持ち同士のコミュニケーションを学ぶための勉強って感じがする。完全に一世代前の、それこそお見合いとか嫁入りとかの文化だわ。
愛莉珠のマッマもこの教育受けてたって、これやっぱ“お嬢様ですわよ、おほほ”とかのなんちゃってじゃなくて、普通にマジな金持ち世界で生きていくために必須な技能の教育っぽいな……
あ、あれ?なんか怖くなってきたぞ……?
や、やっぱりちょっと親の稼ぎが良い程度の中身小市民な俺には荷が重い感じしません?この手の世界って……
「では先ほどの続きに参りましょう。先の“他者の迷惑となること”とは“何方”の視点での迷惑なのかを常に考えないといけません。例えば、お知り合いの方のご自宅まで車でご挨拶に伺ったと仮定致しましょう」
「は、はい」
「お家の門前に車を停め、お知り合いの方と世間話をされるでしょう。お相手にはもちろん敬語や礼節を弁えて接しますね?」
「え、ええ」
「ですがもし、その家の前の通りが狭い道路でしたら、愛莉珠様がその方のお家の門前で停めた車が通行人の方々の邪魔に、つまり“他者”の“迷惑”になってしまうでしょう」
「あ……」
「確かに、親しいご友人にも礼節を弁えて接する行為は礼儀正しく素晴らしいことでしょう。しかしながら、それはあくまで”自分と相手”の小さな世界における礼儀に過ぎません。ご自身の取られる行動が“何方”のご迷惑となるのか、より広い視野で考える必要がございます。“自分と相手”、“自分と周囲”、そして“自分と社会”の3つの視点でご自身の振る舞いを常に見つめておきましょう」
「……盲点でした」
うわぁ、こういうあたりまえのように見えて意外と気が付かないことってすげぇありそう。こういうのってホント相手はよく見てたりしそうだしなぁ……
金持ち常識どころか一般常識すらけっこうムズいっすよ……
「それでは今一度続きを。先ほどの“他者に快感を与えること”とは、洗練された美しい所作や姿勢、仕草をもって相手と接することを指します。その他には穏やかに振舞うことで相手に安心感を与えたり、常に謙虚でいることを心がけることで相手方を立てることなどがございます」
「美しい所作……姿勢……仕草……穏やかさ……謙虚さ……」
俺は鷹司先生に言われたことをブツブツと精一杯反芻する。
って、言われたって美しい所作なんて出来ねぇよ!日本舞踊とか基本の基をようやく触ったってだけだしぃ!
「さて、長々と語りましたが、本日の作法の心得についてはここまでと致しましょう。お父様よりお聞きしておりますが、愛莉珠様は最近お筝と日本舞踊のお稽古をお受けなさっているそうですね」
「あ、はい。まだ初めてのお稽古から一月も経っておりませんが……」
「でしたら私はそれらのお習い事の所作を、日常の振る舞いの中で活かす方法をお教えしましょう。日本舞踊をされている方の日常仕草は大変美しゅうございますもの」
「そ、それは大変ありがたいです!よろしくお願い致します!」
うんうん!心得とかどうでもいいから早く実を教えてくれ!心得は見えないが仕草所作は見えるのだ!心構えなんてどうせ後から付いてくるし!
そんなあからさまな考えが見抜かれたのか、鷹司先生が苦笑しながら興奮する俺を宥めようと静かに語りかける。
「ふふふ、愛莉珠様はそうお急ぎにならずとも結構ですわよ?熱心に取り組んでおいでですもの。形だけで終らせてはただの不自然なキグルミとなってしまいます。キグルミや仮装で人と接するのは特別な催しの時だけにございましょう?」
「ぞ、存じております……」
ねぇ……?
キグルミって言われるとなんかすげぇ怖いからやめてくださいます……?
この体の持ち主に“返せ!”って言われて無いんだから、今の愛莉珠ちゃん12歳はこの俺のことなのよ?おわかり?
「それではまずは基本の歩きの姿勢から────」
よしよしよし、こういうのが習いたかったのよホントは!もうとにかく繰り返しで体に染み込ませる為に毎日一日中歩き方を練習しようぜ!FUUUUUU!
こうして俺の作法教育は始まったのだった。
***
「あ、お~い。姫宮さぁ~ん!おはよう!」
さっそくその日から一日中家の中を特に意味もなくウロウロ歩きながら練習し、翌日から歩き方に気をつけながら通学路を進むようにした。時々歩道側の建物の窓ガラスや黒御影石の仕上げ材の反射で写る自分の姿をチラチラ確認しながら歩いていたら、後ろから宮沢妹が接近してきた。
気付いてもらえるように更に姿勢を意識して、挨拶を交わす。
さり気なく……さり気なく……
「おはようございます、宮沢さん。本日も快晴でとても良い天気ですね」
「ねぇねぇ。手前のトコで見かけた時から思ってたんだけど、なんか姫宮さん今日歩き方がぎこちなくない?」
「ぎ、ぎこちない……!?」
な、なんだと!駅前のビルのピッカピカ黒御影石の壁で確認した時は凄い綺麗な歩き方に見えたのに……!
い、いや。こういうのは第三者から見た方が正しいはずだ。宮沢妹にそう見えたってことは他の人にもそう見えると考えた方がよさそうだ。
ぐぬぅ……早速フォームが崩れてしまったのか……?
でも明々後日まで鷹司先生はウチに来ないし……
パパンは……正しい歩き方とか普通に知ってそうだけど、男性用のヤツと女性用の歩き方は全く違うからなぁ……
う~ん……
仕方ねぇ。結構恥ずかしいけど今更だし、山本お姉さんに日本舞踊的な視点から俺の歩き方を見てもらおう。
「大丈夫?────ハッ、も、もしかして……アレの日?」
ボソッと宮沢妹が耳打ちしてくる。
「“アレ”……とは?」
「っうえっ!?あ、ああ、ううん、ごめんなんでもない。あはは……」
……んん?
あ。
あ、あー……なるほどそういう───って、おい!待て!まさか今の俺ってそんな風に見えるくらいヘンな歩き方してんの!?嘘だろ!?おい、やめてくれよ!マジで!
も、もう止めるわ!普通に歩くわ!ほら!はい!
……ったく、止めてくれよホント。まさかこの体になっても中学時代に黒歴史作っちまうなんて許されねぇぞ、おい……
ちなみにこの体、先週中1にしてようやく“女の子の日”が来ました。マッマが居ないしそういうのを教えてくれる人が居ないので普通にネットで対処法とか色々調べました。
うん、一言で言うとね…………腹痛で痛むところのもうちょい下辺りのお腹の部分がね、こう、ぎゅぅぅっと絞られるようなすげぇ独特の痛みが続く感じ。キリキリとずぅぅぅんって重い感じがして歩くと鈍い痛みが走るから正直学校に行きたくなくなるレベル。
ただ別に“痛くて痛くて耐えられない!”って感じでは無いのが幸いだったわ。逆に新鮮でちょっと感動した。
でもこれが毎月来るのはちょっと簡便して欲しいです。
男共!ちゃんと女の子には優しくしろよ!
ま、まあ宮沢妹の発言は軽くスルーしよう。お互いのためだ。
「……少し寝違えたからでしょうか、下校の時までには治っているといいのですが」
「あ、う、うん。そうだね。あ、でも今日昼前体育だけど足大丈夫?」
「別に痛い訳ではありませんので大丈夫だとは思いますが。今日は何をやるのでしょうね」
「ハンドかテニスじゃないかな。ウチの学校結構ちゃんとしたテニスコートあったよね」
おおっ!授業でもテニスやるのか!まあ中学女子だし軟式だとは思うけど。
でも俺もまだこの体になって一度もラケット振ってないからなぁ。どうなるかはわからん。
「ええ、学校案内のころから気になっていたのです。楽しみですね」
「あ、そっか。姫宮さんテニスやってるって自己紹介の時言ってたよね。すごいな、ピアノにお筝にテニスに勉強って。日本舞踊も習ってるしホント何でも出来るんだね……」
「いえ、流石に習ったことのないことは出来ませんが……」
つか入学式の発言とかよく覚えてるな宮沢妹。俺なんてボイスレコーダー先輩に任せてたから全然自分で覚えようなんて考えなかったのに。
流石は某三大進学校受かった女。俺もうかうかしてられねぇな……
あと日本舞踊は動きとかリズム感とかしかやってないから!お筝終った時にちょこっと10~20分くらい齧るだけだから!
まあ案外山本お姉さんがお婆ちゃん師範に隠れて教えてくれるから結構上達はしてると思うんだけどね。
さて、そんなこんなで楽しい学校生活が続いていたが、忘れてはいけない。
明日はついに例のあの日だ。
あの後特にパパンの前でヘンなことはしてないし、むしろ積極的に媚びるようにしているが……
何とか切り抜けられるよう祈るとするか……