鐘を鳴らせ
「そうだサツヤ。トッテモダイジなコトなんだケド」
「うん?」
ミーニンガルドが正式に同盟に加わる。これでディーテ大陸に属する都市国家、およびラピス諸島およびビルスキールニル島が一丸となって結成される反パンデモニウム同盟が完成する。同盟に参加するすべての都市国家はパンデモニウムによる侵略への迎撃を団結して行う相互防衛条約だ。
その条約の象徴として、改めて猟矢に旗印として立ってほしいということ。そのために調印式に参加してほしいというのがアッシュヴィトの話であった。
「え…………えええええええええええ!?」
旗印に立つのはいい。元々そうとして動いていたし、ここでいきなり降ろされる方がおかしい。そのことについてはいい。とっくに猟矢とて了承済みだ。
しかし調印式とは。そういうものとは無縁だと思っていた。国同士の政治的なやりとりは周囲に丸投げしていたし、事実この同盟も取りまとめたのはユグギルや諸国の領主だった。国力や権威といった方面での旗印はビルスキールニル皇女であるアッシュヴィトで、力や武力といった方面は猟矢が担うと理解していた。だから調印式とやらもアッシュヴィトが参加するのだと思っていた。
自分はそういった難しい政治など関係ないただの駒。敷かれたレールの上を走るだけの神輿。各国の領主やら何やらに動かされる駒のひとつなのだと。
だが違う。駒なのは各国の領主や関係者だ。猟矢はそれらを動かす立場なのだ。敷かれたレールの上を走るのではない。自分が走るためにレールを敷かせるのだ。
勘違いしてはいけない。猟矢は端役なのではない。主役だ。世界を眺めながら端っこに立っているのではない。逆だ。主役が立ち回るために周囲が全て整えていっているだけに過ぎない。周囲が万全に整えた舞台の上に猟矢が立つ。猟矢は最後の締めのおいしいところだけを持っていけばいい。それ以外はすべて周囲が仕立てるもの。役者は大道具係でも小道具係でもない。
「まぁムズカシイコトは考えなくてイイヨ。順番に名前書いていくだけダカラさ」
「…書く……?」
書く、というが。そこには重大な問題が横たわっている。それは文字だ。猟矢はこの世界の文字は読めない。ましてや書くなどといったことは。
喋ることに関しては"帰りの輪"の保障による翻訳機能で問題はないが、読み書きは話が別だ。以前、暇な時をみてアルフに文字を教えてもらったことはあるが、字を手帳に書き写しただけで頭には入っていない。自分の名前をどう綴るのかなどわからない。
それなのに署名しろとは。むぅ、と眉を寄せる。数日後の調印式に備えて今から自分の名前だけでも猛練習する必要があるのだろうか。
「あはは、ダイジョーブ」
署名するという行為が必要なのであって、文字の種類などはどうでもいい。そうであると他者が認識できるのであれば図形でも記号でも構わないくらいだ。読める読めないは二の次になる。
「知ってる? フィントリランドの領主サマはものすごい癖字なんだヨ」
一見なにかの図形か記号かと見間違えるような字を書く。その上、ペンにインクをたっぷりとつけるものだからインクが滲んで字が潰れる。書面にできたインクの滴りだと思ったらサインだったということもしばしば起きるという。そのため普段の公務は金印の判を押してサインの代わりをしているのだとか。
そんな風だから猟矢もそれほど心配しなくていい。異世界の字だろうがなんだろうが"猟矢が書いた"ことが重要で必要なのだ。
「だからといって読み書きできなくていいってわけじゃないからなー?」
「うっ……」
なんとか形になった、とユグギルは息をついた。
兄であるエルジュ領主に反パンデモニウム同盟を提案したのはいつだったか。反骨精神が強いディーテ大陸で連携を取るというのは難しい。己の問題は己で解決するのが当たり前という概念が蔓延している中で相互防衛条約を結ぶのは中々に難しかった。
個々では対応できないということを説明し、協力し合うことで不可能を可能にするという説得は困難を極めた。こちらはこちらで対処するから手助けは不要と何度突っぱねられたことか。
その説得を容易にしたのはビルスキールニル皇女という存在だった。あの島が先導するならばと諸国は簡単に頷いたのだ。だからユグギルは手を変えることにした。エルジュが主導して同盟を作るのではない、ビルスキールニルがエルジュに依頼して同盟を立ち上げるのだと。そのための手足としてエルジュは同盟を提案し取りまとめるのだと。そう表面を変えれば諸国はすぐさま頷いた。
「それが政治というものよ」
「兄上」
時には大きな権威を借りることも必要。そうユグギルに説いたのは兄であるエルジュ領主であった。
「お前がビルスキールニル皇女を拾ってきたおかげで随分と楽になったよ」
さらには異世界の少年というおまけつきだ。あのビルスキールニル皇女を凌ぐ力を持つ少年は強力な切り札になる。彼がいなければナルド・リヴァイアは頷かなかっただろうし、ナルド・リヴァイアが頷かなければミーニンガルドが同盟に加わることはなかったし、ミーニンガルドが欠ければ同盟の意味はなかった。
非常にいい働きをしてくれた。おかげで突っぱね続けられていた同盟の話は一気に実現に近付いた。調印式を前にエルジュ領主は改めて弟の功績を労った。
「これも神の運命とやらか」
世界は神の箱庭で、運命は神によって紡がれる。彼自身はそこまで神を信仰しないが、ビルスキールニルやそこから教えを伝播されたラピス諸島ではその意識が強い。神に愛された世界は神の加護で運命を引き合わせる。だからビルスキールニル皇女がバハムクランにたどり着くのも必然で、バハムクランにいるビルスキールニル皇女の存在のお陰で同盟が実現したのも必然。すべては仕組まれた運命だという考えだ。
その手の思考をあまり信仰する質ではないが、こうもうまく進むとそれを疑いたくなる。
「あまり神に依存するのもよくないがの」
スルタン族は水というものを信仰する。無限に湧き出る知恵を水に例えて重んじる。知識は恵みを与えるが過ぎれば策に溺れる。その言葉をしっかりと胸に刻んでスルタン族は知識を希求する。
あまり神に依存するべきではない。信仰に溺れて依存してはいけない。溺れるほどに信仰しても神は傍観しているだけで助けてくれないのだとエルジュ領主は思っている。
「助ける。助ける、か…」
「どうした、ユグギル?」
「いや、助けるといえば…と以前あった話を思い出したのだ」
以前ユグギルはアッシュヴィトに何故パンデモニウムに敵対するのかと問うたことがある。
神の仕業を信仰するビルスキールニル人ならば、滅亡の制裁は神の手に委ねるもの。自分は祈りを捧げ、それを聞き届けた神に仇を取らせる。なのに自ら武器を取るなどとはビルスキールニル人らしくない。
その問いに対しアッシュヴィトはこう答えたのだ。
いつまで経っても神様が助けてくれないので復讐します、と。




