波に攫う
その拮抗を破ったのは偉大なる海竜であった。否、それが引き起こす荒波であった。
ナルド・リヴァイアはその身のうねりだけで波を起こす。その波は気性に応じて荒々しい。呼吸や鼓動のように抑えられるものではない。何もせずただじっとそこにいるだけでも波は荒れ狂う。
だからそれは、ほんの偶然が重なった事故だった。
「………あ……?」
荒波が桟橋の下で渦巻いていたことも。その波濤の侵食を受けて傷んだ縄が切れてしまったことも。縄が切れてしまったことで桟橋を支える杭が倒れたことも。杭が倒れたことで天板の釘が抜けてしまったことも。その結果、桟橋の一部が崩落してしまったことも。
「姉様!!」
そして崩壊した桟橋に巻き込まれシャオリーが海中に落ちてしまったことも。
そう、これは偶然が重なった結果の事故だった。意図的でも偶発的でも故意的でも作為的でも恣意的でも確信的でもない。
だから仕方のないことなのだ。荒波に飲まれた人間が浮かび上がって来られないのも含めて。
「姉様ぁああああああああああああ!!!!!!!」
ノーラの大絶叫が響いた。返事は水底からの泡だけだった。ひとつ大きな泡がぼこりと水面で弾けて、それきり沈黙した。
「姉様、姉様!! どうか、返事を……いやぁああああああああああああ!!!!!!!」
それは、悲痛な絶叫だった。しかしどれほど叫んだところで荒波はそんなこと斟酌しない。だからもう、彼女の姉分は帰らない。とっくに荒波に揉まれて溺死している。たとえここでナルド・リヴァイアが慈悲を垂れ、海中に落下した女の身体を桟橋に引き上げようとも。
"呪殺"シャオリー・アルフェンドは永遠に喪われたのである。
「よくも…よくも姉様を…許さない…許しはしない!!」
荒波の如き怒りでノーラは憤怒を撒き散らす。許しはしない。あの日からずっと共に歩んできた同郷の姉分。元々面識などありはしなかった。焦土と化した故郷で運良く生き残った者同士が肩を寄せ合おうと寄り合った中で偶然知り合った。だがそれだけで姉妹の契りを結ぶほど深い仲になった。それはパンデモニウムの名を背負った今も変わらない。
だから何があっても失いたくなかった。一緒にいるためなら手段を選ばないほどに。再びの命令違反の処罰で殺されることのないよう、命令違反などしないように従順な人形に洗脳してでも。
「ダカラ、ナニ?」
許さない。ノーラの怨嗟の声をアッシュヴィトは正面から受け止めた。だから何だ。パンデモニウムがビルスキールニルにしたことを忘れたのか。シャオリーがラクドウになしたことを忘れたのか。許さない。その感情はアッシュヴィトだって同じなのだ。直接手を下せなくて残念だとさえ思う。こんな偶然が重なった事故で死ぬなどと。直接手が下せたのなら首と胴を切り離してやったものを。ファイノレート・ビレイスに、ラクドウの婚約者にシャオリーがそうしたように。
「八つ当たりはやめてヨネ」
「まったくだわ」
バルセナも同意する。あの2人に直接何かをされたわけではないが、同じパンデモニウムということで連帯責任だ。倒錯の双子によて侵害されたものの落とし前をつけてもらおう。ねぇそうでしょう、と恋人に問う。そうだな、と返事が返ってきた。
ダルシーだって、アルフだって同じだ。パンデモニウムのせいで失ったものがある。許さないと叫びたいのはこちらの方だ。今まで散々好き勝手にしておいて、いざ自分が被害者になった途端泣きわめくなど。
やったらやり返される。これは正当な復讐なのだ。
「うるさい! 私の嘆きを知りはしないくせに! カーリダインの怨嗟を知りはしないくせに!」
故郷が焼け落ちて行き場を失った自分たちは、パンデモニウムに身を寄せざるをえなかった。あの地獄の中ではパンデモニウムが一番ましだったのだ。悪徳の坩堝の中で生き残るためにパンデモニウムの名を背負わざるをえなかった。
それほど凄惨だったのだ。だから、自分たちは悪くはない。そう訴えるノーラにアッシュヴィトは冷淡に言い返す。
「知らナイ。キョーミもナイ。…キミらがボクらを道端の小石のように踏みつけたようにネ」
今までの行為は仕方なかったことと主張して同情を引こうなどと。それで今までの悪事がすべて精算されると思うな。仕方のないことだったのだと言えば死んだビルスキールニルの民は浮かばれるのか。片手で数えられるだけの生き残りたちは納得するのか。
これでようやく"おあいこさま"なのだ。あいことするにはかなりこちらが譲歩してはいるが。
「許さナイ。…そんな感情、ボクは5年前から1日たりとて欠かしたコトはナイヨ」




