返還は制裁の後で
「まずはアスクトネリコ様とエムブラニレ様の計略を跳ね除けたこと、おめでとうございます」
「……ソレはドウモ」
皮肉でも何でもなく本心だ。ノーラの話し方でわかる。だが悪意がないからといってなんだ。敵対する気はない、害する気はない、話をしたいだけと言ってはいるが彼女は立派なパンデモニウム。外道で悪辣で卑劣な最悪最凶の万魔の巣窟。この振る舞いも油断を誘うためかもしれない。
「えぇ本当に……ディーテ大陸は姉様の管轄ですのに、それを破って手を出したりなんかするから」
越権行為というやつですよ。そう言って憎々しげに桟橋の上のふたつの死体を睨む。
まぁそれはこうして討伐されたのだし、この件についてはこれで終わりとしよう。本題はそこではない。それで、と無邪気な少女の顔でノーラは本題を切り出した。
「ラピス島の巫女をお返ししようと思って」
にっこりと。心からの善意の顔で言い放ったノーラは銀の輪を取り出す。何の変哲もなさそうなただの銀の輪だ。指輪にしては大きいし、腕輪にしては装飾が少なすぎる。棒銀を曲げただけの輪にしか見えないそれを、ノーラは空中に放り投げた。
輪が大きくなる。あっという間に人が容易にくぐれる程度まで膨張する。輪の中は黒く渦巻くひずみが浮かぶ。そのひずみは別の場所とを繋ぐ扉だ。人やものを別の場所から呼び出すための武具。
そのひずみの中に手を突っ込んだノーラは、よいしょ、とひずみの中にいたものを引っ張り込む。まるで荷物のように。
引っ張り出されたのは間違いなくラピス諸島の巫女ヴェイン・ラピス・サイトだった。さらわれた時と衣装は違うものの外傷はなさそうだ。
だが様子がおかしい。表情に生気はなく精彩もない。無表情で無感情なそれはまるで人形のようだった。
「記憶も技術も抜き終えた出涸らしにもう用はありませんから」
"破壊神"の制御のために巫女の技術が必要であった。それは間違いない。そのために彼女をさらったのだ。だがヴェインはパンデモニウムに従わなかった。反抗さえした。これでは"破壊神"の制御のために協力を得ることなど不可能。制裁と脅迫として故郷を襲撃してみたものの、これまたパンデモニウムに反目する連中に返り討ちにされてしまった。
では脅迫よりも強硬な手段に出るとしよう。オーダー級による洗脳だ。しかしながら問題が横たわっていた。
中途半端に洗脳をすると知識と技術に支障が出るかもしれないということだ。その問題ゆえに今までその手段は見送られてきた。だからこそ故郷を人質にして自主的に協力するよう求めてきたわけだが。
だが脅すためにラピス島を襲撃すればパンデモニウムに反目する連中が阻止する。ここで問題は堂々巡りになってしまった。
だが我々は気付いてしまったのだ。だったら、知識も記憶もすべて、そっくりそのまま抜き取ってしまえばいい。それはさながらぬいぐるみから綿を抜き取るかのように。
抜き取った知識や技術は適当な人間に移植すればいい。抜いた綿を麻袋に詰めるように。腐った林檎たちは倫理を捨てた提案をしたのだ。
かくしてそれを実行した結果、残ったのがこの出涸らしだ。持っていても意味はないので返却することにする。
「ラピス島の巫女の身柄を取り返したかったのでしょう?」
取り返す手間が省けてよかったではないか。ねぇ、と無邪気に微笑む。まったく悪びれもせず、むしろ自分が良いことをしていると確信している顔で。
「ほら、お受け取りなさい」
どん、とノーラがヴェインの背中を押しやる。押されるままに数歩まろび出たヴェインはふらふらとアッシュヴィトの目の前まで歩み出る。その顔には何の感慨も浮かんではいなかった。押された勢いで歩いただけで、向かおうと思って向かったわけではない。されるがままに動く人形だ。
「どうしたのです? 嬉しいでしょう? 感謝してくださいね」
「………っの…!!」
ぎりりとアッシュヴィトが唇を噛む。猟矢とて同じ気持ちであった。誰がこのような形での結末を望んでいるというのか。
外道めとアルフが吐き捨て、ダルシーが苦い顔をする。バルセナが怒りと呆れをないまぜにした顔でノーラを見る。
「あらあら、どうしてそんな険しい顔をなさるのでしょう」
心底不思議そうにノーラは目を瞬かせた。なぜ激怒するのか本気で理由がわからないようだった。
やはり相容れないのか。残念そうに呟いたノーラは未だ突っ立ったままのシャオリーを呼ぶ。姉様、と呼ばれてもシャオリーは微動だにしない。
「敵対するしかないようです。戦闘、お任せしますね」
「えぇ、そう、ね。わか、った、わ」
いびつに返事をしたシャオリーはそこでようやくこちらを振り返った。その瞳は無感情な人形のよう。あの強気に満ちた意思の強い瞳はない。
明らかにそれは誰かに何かをされている。それをしたのは、このノーラという女なのだろう。ラクドウのように意思を操り洗脳したか、それともヴェインのように心を抜き取ったか。どちらにせよ、今のシャオリーはノーラの指示で都合よく動く人形だ。
シャオリーの形をした意思のない人形は感情もなく機械的に双剣を構えた。
「やば…!!」
まだ呪縛は有効だ。アッシュヴィトたちは1歩も動けない。同じように影を切りつけられて呪縛の呪いを受けた水神ティアマトも同様。誰もその双剣に対抗できない。このままでは無残に喉笛を掻き切られるのみだ。
否。対抗できるものがいる。




