大海の街
ナルド海にほど近い平原の上に築かれたミーニンガルド。その近隣の海は常に荒れている。時化を体現する雄竜ナルド・リヴァイアが住んでいるからだ。
荒ぶる雄竜が身体をくねらせ起きる波がミーニンガルド付近の海を荒海にしている。船を寄せ付けないそれは通称"絶海"と呼ばれる。
その荒ぶりの雄竜を神と崇め祀るのがミーニンガルドのアサン湾の神殿だ。そこで祝福を受けた者だけがナルド・リヴァイアと心を通わせ意思疎通できる。その役目を負うものだけが領主となれる仕組みとなっている。
「世襲制じゃないんだよ」
どんなに優秀であっても、雄竜に祝福を受けなければ領主となれない。逆に言えば、どんな愚図でも街一番の嫌われ者でも祝福さえ受けることができたら領主となれる。
その選定に為政に向いているかという素質は斟酌されない。その結果、外道の暴君が生まれ圧制を敷いてもだ。雄竜はひとの事情など考えない。必要なのは神の声を聞けるだけの能力と、そして最も重要なのは。
「荒ぶる神に付き合えるだけの根性があるかってことさ」
雄竜はその性格ゆえに戦乱を望む。それを抑え、時には迎合するその手腕が最も重要視されている。手綱をうまくさばけなければ荒海に飛び込んだ藻屑のように戦乱に飲み込まれて滅亡する。
そして現在の領主であるナクアブル・ヤチェはその采配が非常に上手い。パンデモニウムという明確な敵を得てますますその才能を発揮している。
領主ナクアブル・ヤチェは寄せては返す波のようだと言われている。その波のような鷹揚とした性格が雄竜の激しい気性と噛み合っているのだろう。
その領主に今から会いに行くのだ。ミーニンガルドの街を歩きながら、アルフは猟矢に簡単に説明を済ませた。
「うん、ありがとな。…ところで質問なんだけど」
「おう?」
歩きながら手帳にペンを走らせていた猟矢が手帳から顔を上げる。人にぶつからないよううまくアルフが先導してくれるおかげで手元のメモに集中できる。
「雌竜の方は何ていうんだ?」
雄竜はナルド・リヴァイアと呼ぶ。なら雌竜の方にも呼び名があるだろう。ミーニンガルドへの訪問にあまり関係のない話だが後学のため聞いておきたい。
問う猟矢にアルフは返す。ナルド・レヴィアと呼ぶのだと。リヴァイアというのはそもそも個人名ではない。海を体現する神となった海竜そのものを指す。
ナルド海の神である海竜だから"ナルド・リヴァイア"と呼んでいる。だがナルド海には雄雌の海竜の番がいる。だから呼び分けるために雌竜の方を"リヴァイア"の読み方を変え"レヴィア"と呼ぶことにしたのだ。
「なるほどなぁ」
ふむふむと頷いた猟矢は説明されたことをメモに書き込んだ。どんなに乱雑に書いても次に開く時はきちんと情報が整理され清書されている便利な手帳だ。そういえばこの手帳はアッシュヴィトに買ってもらったものだ。次の給与の日には代金を返せるだろう。
しかしそれにしても、相変わらず既視感がつきまとう。それを感じた時の状況を書き出して記録を取っているものの、共通点はいつも何かしらの説明を受けている時だ。
そして今回もまた、海竜の話に覚えがあった。やはりこの番の竜のことも知っている気がするのだ。
「また? 思い悩むのもいいけど風景も見ないともったいないんじゃないの?」
ミーニンガルドは平原の上に立つ。だがその土地は街を作るには向かなかった。ナルド・リヴァイアがたびたび起こす洪水のせいで平地のものは何もかも押し流されるのだ。だから住民は土地に杭を立て板を渡し高床式の家を建てた。それらを木の桟橋がつないでいる。
津波のせいで土地に塩分が多量に含まれ作物を育てるのに適さない。少し遠出をすれば豊かな土壌を運ぶフイナス河に出るのでそこを開墾して畑としている。
海に近いという意味ではエルジュと似ているが、エルジュとはまったく違う。貿易ひとつだけで成り立ったエルジュは荷を守るため石造りの倉庫が建ち、そこに付随するように民家も石造りだ。荷車の運行のため道も整備されている。
対するミーニンガルドはすべてが木造だ。きっちり建ててもナルド・リヴァイアが怒りの津波を起こせばどうせ押し流されるからだろうか、通行に支障がなければ構わないといったような雑な作りだ。歩くたびにぎしぎしと木の桟橋が鳴る。
民家らしき建物も適当に板を貼り合わせただけ。雨さえしのげればそれでいいとばかりに隙間が多い。
「着いたぞ。アサン神殿だ」
そんなミーニンガルドで唯一しっかりとした作りの建物がこのアサン神殿だ。この神殿だけが津波にも流されないよう石で作られている。
薄青の外装建材で作られている神殿はミーニンガルドの住民のいざという時の避難場所でもある。そのため緊急時の兵糧の貯蔵庫や避難民が寝泊まりするに必要な施設まで併設されている。
「それだけじゃないんだぜ」
神殿は海に張り出すように建てられている。荒波を防ぐ防波堤も何もない。だというのにこの神殿は幾度となく津波に襲われても流されずにここに在る。それはなぜか。
外装建材にナルド・レヴィアの鱗を用いているのだ。鱗に宿る番の雌竜の力が荒ぶる雄竜の力を相殺する。
ちなみにその雌竜はディーテ大陸ではなく西のベルミア大陸の近海に棲む。ミーニンガルドと同じように海に張り出すように神殿が建てられ、そちらには雄竜の鱗が使われている。
「アルフは物知りだな」
「"観測士"だからなぁ」
物事を観測するためには知識が必要だ。知識はあらゆる状況分析の下地になる。例えば見知らぬ人間と相対する時、相手の民族がわかれば出身も判明し、そこから思想が推測できる。思想が推測できれば思考が読める。思考が読めれば相手の出方がわかる。相手の出方がわかれば先んじて対処ができる。
そのためアルフは情報収集を欠かさない。知識と知恵の番人のスルタン族たるユグギルに師事してあらゆる知識を吸収する。
「すごいよな」
「ふふん、もっと尊敬しろ」




